呪文っぽい7台詞
【切り裂け旋風よ】
「切り裂け旋風よ!」
台本を読んでいた雪名は、思わず声を出してセリフを口にしていた。
そしてここがカフェであったことに気付き、慌てて周囲を見回す。
だが幸いなことに、混んでいる店内は喧騒に包まれている。
1人で喋っていた雪名の奇行は誰にも気付かれずにすんだようだ。
声優の雪名皇は、明日オーディションを受ける。
何十年も前に一世を風靡したアニメのリメイク作品だ。
オーディションの前にいつも言われる「頑張って」の声がいつもより大きい気がする。
どうやら事務所のスタッフたちにとっても思い出深い作品らしい。
雪名だってもちろんこのアニメのことは知っている。
というか日本人なら誰でも名前くらいは知っているだろう。
それほど有名な作品なのだ。
制作に当たっては「安易なリメイク」とか「原作のイメージが壊れる」などと批判の声もある。
幸か不幸か、若い雪名はこの作品がかつて流行していた頃の熱気を知らない。
だがこの作品には別の関心があり、何とか役をとりたいと思っている。
まず監督が高屋敷玲二であること。
映像も美しく、作品の世界観なども丁寧に練り上げていると評価が高い新進気鋭の監督だ。
雪名は高屋敷の監督作は欠かさず見ており、いつか一緒に仕事をしたいと思っていた。
そしてもう1つの理由は、恋人であり声優の木佐翔太だ。
雪名と歳が離れた木佐は小さい頃にこの作品を見ており、熱烈なファンだ。
そして彼もこのオーディションを受けることになっているのだ。
木佐は思い入れの深い作品、雪名は尊敬する監督の作品だから。
何としても2人で役をもらって、共演したいと思っている。
*****
「あれ?」
台本を閉じてコーヒーを飲んでいた雪名は、知っている顔を見つけた。
同じ声優の織田律だ。
彼が主役のキャラを演じたBLアニメに、雪名もチョイ役だが出演したので面識はある。
ちなみにこのカフェは、大きな収録スタジオがあるビルの1階にある。
収録の前や合間に時間を潰す声優やスタッフは多く、仕事関係者に会う可能性は高い。
律はコーヒーのカップを乗せたトレイを持って、店内をキョロキョロしている。
このカフェは最初に金を払って、商品を受け取るシステムだ。
どうやら商品を買ったものの空いている席がなくて困っているようだ。
雪名は大きく手を広げると「織田さん!」と叫んで、手招きした。
雪名に気付いた律が、笑顔で会釈するとこちらに向かってきた。
4人座れるテーブルを1人で独占しているので、そろそろ空いている席を譲るべきと思っていたのだ。
どうせ相席するなら、顔見知りの方が気が楽だ。
「よかったらどうぞ。」
「ありがとうございます。席がなくて困ってたんで、助かりました。」
雪名が空席を手で示すと、律がもう1度頭を下げて雪名の向かいに腰を下ろした。
近くで見るとすごい美人だな。
雪名はコーヒーを口に運ぶ律を観察しながらそう思った。
律はすごく綺麗な容姿なのに、とにかく人前に出たがらないと有名なのだ。
ライブやファンのイベントなどには積極的に顔を出す雪名とは正反対だ。
ふと気付くと、律も雪名の顔をじっと見ている。
不躾にジロジロと見てしまったので、気分を害してしまったのかと思い不安になる。
だが律はニッコリと笑って「雪名さんって美人ですね」と言った。
何と律も雪名の顔を観察していたようだ。
「俺もそう思ってました。織田さん美人だなって」
雪名がそう言うと、律は一瞬驚いた表情になると、また笑う。
つられて雪名も笑い出した。
男2人が顔を見合わせて「美人」などと言い合っているのが、妙におかしかったのだ。
*****
「その台本」
一気に打ち解けた雰囲気の中で、律がテーブルの上を指差した。
そこには明日のオーディション用の台本が置きっぱなしになっていた。
「ええ。オーディションを受ける予定でして」
雪名はそう答えてから、思い出した。
確かあのアニメの主役は、この織田律でほぼ決まりだと聞いた気がする。
他の役はオーディションで募集しているのに、主役だけは律を指名したと。
「受かったら、織田さんと共演ですね!」
「いえ、俺もまだ決まったわけじゃないですし」
大作の主演話であるのにテンションは低いし、歯切れが悪い。
思わず言葉に困る雪名を見て、律が「すみません」と苦笑した。
「受けていいのかって迷ってまして。父親の声とそっくりって理由の主役ですから。」
「でも声優って元々そんなもんじゃないですか。持って生まれた声でかなり決まりますし。」
雪名はさして考えもせずにそう言った。
それを聞いた律は、ひどく驚いた顔になった。
表向き、声優になるのに声質は関係ないとされている。
だがそれは少々無理がある。
やはり第一線で活躍する声優は、みな声がいいのだ。
正統派のヒーローやヒロインの声、印象的なハスキー声、一見平凡そうだが深みのある声。
普通の俳優なら、メイクや髪型や服装でいくらでもイメージを作れる。
だが声はメイクもできないし、服を着ることもできない。
つまり生まれつきの声に頼る部分は多いのだ。
「確かに。そういう考え方もあるかも。」
律は思いつめた顔で、考え込んでいる。
そんなに真剣に受け止められても。
一瞬困惑した雪名は、恋人の木佐が言っていたことを思い出す。
すごく綺麗で苦労なんか知らないって顔してるのに、ひどく真面目。
スマートフォンのアプリの仕事で一緒だった木佐は律のことをそう評していた。
*****
「雪名皇さん、ですよね?」
固まってしまった律に何と声をかけようかと迷っていた雪名は、逆に声をかけられた。
そこに立っていたのは、若い女性2人。
私服姿だが、雰囲気からするとおそらく高校生だ。
「はい。雪名です。」
雪名が笑顔でそう答えると、2人は「キャ~」と悲鳴のような声を上げる。
たまたま通りかかり、店内にいた雪名を見つけて店に飛び込んできたようだ。
雪名は慌てて周囲を見回すと「静かにね」と釘を刺した。
収録スタジオの1階にあるため、こんな騒ぎでも店員も客もさほど動じない店ではある。
だがやはり店中の注目を集めるのは、恥ずかしかった。
「握手してください!」
「サイン、いいですか?」
2人は矢継ぎ早に手を出したり、ノートとペンを取り出したりと忙しい。
そして過去の雪名の出演作品や演じたキャラクターの名前を挙げて「大好きなんです」と連呼する。
どうやらアニメ情報にはかなり詳しい筋金入りのファンのようだ。
グイグイと押してくる感じは少々無礼ではあるが、ここまで喜んでもらえれば許せてしまう。
雪名は求められるままに、握手やサインに応じたのだが。
「すみません!シャッター押してもらっていいですか?」
女子高生の1人が律に自分の携帯電話を差し出したときには、さすがに慌てた。
彼女たちは律が何者であるか知らないのだ。
律は雪名よりも年上で、声優としても先輩になる。
いくら何でもシャッターを押させるなど失礼すぎると思うのに。
「いいですよ。並んでください。あ、もう少し寄って」
律はニコニコと笑顔で、携帯電話を受け取り、カメラを起動させている。
雪名は彼女たちに彼は「織田律」なのだと教えようかと思った。
熱烈なファンのようだし、きっと律の名は知っているだろう。
だが「はい。撮りま~す!」と明るく掛け声をかける律を見て、それを思い留まった。
律は自分も声優なのだとアピールする気はなく、むしろこの状況を楽しんでいるように見えた。
「すみません。雑用みたいなことさせちゃって。」
女子高生2人が出て行った後、雪名はひたすらあやまった。
律は「雪名さん、すごい人気ですね」と微笑する。
妬む様子も茶化す様子もなく、ごくごく真面目な口調だ。
*****
「きっと織田さんのことだってわかったら、彼女たち大騒ぎしますよ。」
「いえ、俺は。そういうのは苦手で。」
律はあくまで控えめに、言葉を濁した。
だがさすがにその様子で、律が何を考えているのかはわかった。
「織田さんは、声優は顔を出すべきじゃないと思ってるんですね。」
雪名は静かにそう言うと、律は困ったように目を伏せる。
どうやら当たりのようだ。
雪名は自分のスタンスが否定されたようで、少々ムッとする。
「俺は雪名皇が声をやるからこのアニメ見る!って思ってもらえるような声優になりたいんです。」
次の瞬間、雪名は勢い込んでそう言っていた。
それは心の奥底に秘めた雪名の野望だった。
作品主体ではなく、声優主体。
ファンが雪名をきっかけにして作品に興味を持ってくれるなんて、声優冥利に尽きる。
それをこの目の前の綺麗な青年にわかって欲しいと思う。
「だから俺は、自分の存在をどんどん主張していきます。」
「すみません。決して雪名さんの批判をしているわけじゃないんです。」
「え?」
「俺にできないやり方で頑張ってて、むしろ尊敬しています。」
静かにそう言われて、雪名は我に返った。
思いのほか熱く語ってしまったことが、急に恥ずかしくなる。
だが律は大真面目に「雪名さんって美人だけじゃなくてカッコいいです」などと言う。
「確かに。自分が声をやるからこの作品を見る!って思ってもらえるのもいいですね。」
律はまた真剣な表情で、惜しみない賛美の言葉を浴びせてくれる。
雪名はくすぐったいような気持ちで、律の綺麗な顔を見つめていた。
【続く】
「切り裂け旋風よ!」
台本を読んでいた雪名は、思わず声を出してセリフを口にしていた。
そしてここがカフェであったことに気付き、慌てて周囲を見回す。
だが幸いなことに、混んでいる店内は喧騒に包まれている。
1人で喋っていた雪名の奇行は誰にも気付かれずにすんだようだ。
声優の雪名皇は、明日オーディションを受ける。
何十年も前に一世を風靡したアニメのリメイク作品だ。
オーディションの前にいつも言われる「頑張って」の声がいつもより大きい気がする。
どうやら事務所のスタッフたちにとっても思い出深い作品らしい。
雪名だってもちろんこのアニメのことは知っている。
というか日本人なら誰でも名前くらいは知っているだろう。
それほど有名な作品なのだ。
制作に当たっては「安易なリメイク」とか「原作のイメージが壊れる」などと批判の声もある。
幸か不幸か、若い雪名はこの作品がかつて流行していた頃の熱気を知らない。
だがこの作品には別の関心があり、何とか役をとりたいと思っている。
まず監督が高屋敷玲二であること。
映像も美しく、作品の世界観なども丁寧に練り上げていると評価が高い新進気鋭の監督だ。
雪名は高屋敷の監督作は欠かさず見ており、いつか一緒に仕事をしたいと思っていた。
そしてもう1つの理由は、恋人であり声優の木佐翔太だ。
雪名と歳が離れた木佐は小さい頃にこの作品を見ており、熱烈なファンだ。
そして彼もこのオーディションを受けることになっているのだ。
木佐は思い入れの深い作品、雪名は尊敬する監督の作品だから。
何としても2人で役をもらって、共演したいと思っている。
*****
「あれ?」
台本を閉じてコーヒーを飲んでいた雪名は、知っている顔を見つけた。
同じ声優の織田律だ。
彼が主役のキャラを演じたBLアニメに、雪名もチョイ役だが出演したので面識はある。
ちなみにこのカフェは、大きな収録スタジオがあるビルの1階にある。
収録の前や合間に時間を潰す声優やスタッフは多く、仕事関係者に会う可能性は高い。
律はコーヒーのカップを乗せたトレイを持って、店内をキョロキョロしている。
このカフェは最初に金を払って、商品を受け取るシステムだ。
どうやら商品を買ったものの空いている席がなくて困っているようだ。
雪名は大きく手を広げると「織田さん!」と叫んで、手招きした。
雪名に気付いた律が、笑顔で会釈するとこちらに向かってきた。
4人座れるテーブルを1人で独占しているので、そろそろ空いている席を譲るべきと思っていたのだ。
どうせ相席するなら、顔見知りの方が気が楽だ。
「よかったらどうぞ。」
「ありがとうございます。席がなくて困ってたんで、助かりました。」
雪名が空席を手で示すと、律がもう1度頭を下げて雪名の向かいに腰を下ろした。
近くで見るとすごい美人だな。
雪名はコーヒーを口に運ぶ律を観察しながらそう思った。
律はすごく綺麗な容姿なのに、とにかく人前に出たがらないと有名なのだ。
ライブやファンのイベントなどには積極的に顔を出す雪名とは正反対だ。
ふと気付くと、律も雪名の顔をじっと見ている。
不躾にジロジロと見てしまったので、気分を害してしまったのかと思い不安になる。
だが律はニッコリと笑って「雪名さんって美人ですね」と言った。
何と律も雪名の顔を観察していたようだ。
「俺もそう思ってました。織田さん美人だなって」
雪名がそう言うと、律は一瞬驚いた表情になると、また笑う。
つられて雪名も笑い出した。
男2人が顔を見合わせて「美人」などと言い合っているのが、妙におかしかったのだ。
*****
「その台本」
一気に打ち解けた雰囲気の中で、律がテーブルの上を指差した。
そこには明日のオーディション用の台本が置きっぱなしになっていた。
「ええ。オーディションを受ける予定でして」
雪名はそう答えてから、思い出した。
確かあのアニメの主役は、この織田律でほぼ決まりだと聞いた気がする。
他の役はオーディションで募集しているのに、主役だけは律を指名したと。
「受かったら、織田さんと共演ですね!」
「いえ、俺もまだ決まったわけじゃないですし」
大作の主演話であるのにテンションは低いし、歯切れが悪い。
思わず言葉に困る雪名を見て、律が「すみません」と苦笑した。
「受けていいのかって迷ってまして。父親の声とそっくりって理由の主役ですから。」
「でも声優って元々そんなもんじゃないですか。持って生まれた声でかなり決まりますし。」
雪名はさして考えもせずにそう言った。
それを聞いた律は、ひどく驚いた顔になった。
表向き、声優になるのに声質は関係ないとされている。
だがそれは少々無理がある。
やはり第一線で活躍する声優は、みな声がいいのだ。
正統派のヒーローやヒロインの声、印象的なハスキー声、一見平凡そうだが深みのある声。
普通の俳優なら、メイクや髪型や服装でいくらでもイメージを作れる。
だが声はメイクもできないし、服を着ることもできない。
つまり生まれつきの声に頼る部分は多いのだ。
「確かに。そういう考え方もあるかも。」
律は思いつめた顔で、考え込んでいる。
そんなに真剣に受け止められても。
一瞬困惑した雪名は、恋人の木佐が言っていたことを思い出す。
すごく綺麗で苦労なんか知らないって顔してるのに、ひどく真面目。
スマートフォンのアプリの仕事で一緒だった木佐は律のことをそう評していた。
*****
「雪名皇さん、ですよね?」
固まってしまった律に何と声をかけようかと迷っていた雪名は、逆に声をかけられた。
そこに立っていたのは、若い女性2人。
私服姿だが、雰囲気からするとおそらく高校生だ。
「はい。雪名です。」
雪名が笑顔でそう答えると、2人は「キャ~」と悲鳴のような声を上げる。
たまたま通りかかり、店内にいた雪名を見つけて店に飛び込んできたようだ。
雪名は慌てて周囲を見回すと「静かにね」と釘を刺した。
収録スタジオの1階にあるため、こんな騒ぎでも店員も客もさほど動じない店ではある。
だがやはり店中の注目を集めるのは、恥ずかしかった。
「握手してください!」
「サイン、いいですか?」
2人は矢継ぎ早に手を出したり、ノートとペンを取り出したりと忙しい。
そして過去の雪名の出演作品や演じたキャラクターの名前を挙げて「大好きなんです」と連呼する。
どうやらアニメ情報にはかなり詳しい筋金入りのファンのようだ。
グイグイと押してくる感じは少々無礼ではあるが、ここまで喜んでもらえれば許せてしまう。
雪名は求められるままに、握手やサインに応じたのだが。
「すみません!シャッター押してもらっていいですか?」
女子高生の1人が律に自分の携帯電話を差し出したときには、さすがに慌てた。
彼女たちは律が何者であるか知らないのだ。
律は雪名よりも年上で、声優としても先輩になる。
いくら何でもシャッターを押させるなど失礼すぎると思うのに。
「いいですよ。並んでください。あ、もう少し寄って」
律はニコニコと笑顔で、携帯電話を受け取り、カメラを起動させている。
雪名は彼女たちに彼は「織田律」なのだと教えようかと思った。
熱烈なファンのようだし、きっと律の名は知っているだろう。
だが「はい。撮りま~す!」と明るく掛け声をかける律を見て、それを思い留まった。
律は自分も声優なのだとアピールする気はなく、むしろこの状況を楽しんでいるように見えた。
「すみません。雑用みたいなことさせちゃって。」
女子高生2人が出て行った後、雪名はひたすらあやまった。
律は「雪名さん、すごい人気ですね」と微笑する。
妬む様子も茶化す様子もなく、ごくごく真面目な口調だ。
*****
「きっと織田さんのことだってわかったら、彼女たち大騒ぎしますよ。」
「いえ、俺は。そういうのは苦手で。」
律はあくまで控えめに、言葉を濁した。
だがさすがにその様子で、律が何を考えているのかはわかった。
「織田さんは、声優は顔を出すべきじゃないと思ってるんですね。」
雪名は静かにそう言うと、律は困ったように目を伏せる。
どうやら当たりのようだ。
雪名は自分のスタンスが否定されたようで、少々ムッとする。
「俺は雪名皇が声をやるからこのアニメ見る!って思ってもらえるような声優になりたいんです。」
次の瞬間、雪名は勢い込んでそう言っていた。
それは心の奥底に秘めた雪名の野望だった。
作品主体ではなく、声優主体。
ファンが雪名をきっかけにして作品に興味を持ってくれるなんて、声優冥利に尽きる。
それをこの目の前の綺麗な青年にわかって欲しいと思う。
「だから俺は、自分の存在をどんどん主張していきます。」
「すみません。決して雪名さんの批判をしているわけじゃないんです。」
「え?」
「俺にできないやり方で頑張ってて、むしろ尊敬しています。」
静かにそう言われて、雪名は我に返った。
思いのほか熱く語ってしまったことが、急に恥ずかしくなる。
だが律は大真面目に「雪名さんって美人だけじゃなくてカッコいいです」などと言う。
「確かに。自分が声をやるからこの作品を見る!って思ってもらえるのもいいですね。」
律はまた真剣な表情で、惜しみない賛美の言葉を浴びせてくれる。
雪名はくすぐったいような気持ちで、律の綺麗な顔を見つめていた。
【続く】