呪文っぽい7台詞

【真白なる吹雪で凍りつけ】

「真白なる吹雪で凍りつけ!」
羽鳥は情感をこめながら、ていねいにセリフを奏でていく。
友人でありクリエイターの男が、じっとそれを聞いていた。

人気声優の羽鳥芳雪は、アニメ制作会社の会議室にいた。
アニメ業界で最近注目の若手監督から呼び出されたのだ。
その人物の名前は、高屋敷玲二。
羽鳥とは大学時代の友人でもある。

高屋敷の次回作は何十年も前の超人気アニメのリメイク作品だ。
制作が発表されるや、声優の間でも評判になった。
この作品に感銘を受けて声優を志した者も少なくない。
それが話題のクリエイターの手でリメイクされるなら、ぜひとも出演したいと思うだろう。

ちなみに羽鳥が声優になったきっかけは、この作品ではない。
ずっと想いを寄せていた吉野千秋に誘われたからだ。
お前の声はかっこいいから、声優になったら絶対に人気出るって!
そんな風に誘われて、一緒に声優の養成所に入ることになった。
正直言って、自分に演技ができるとは思えなかった。
ただただ吉野と一緒にいたかっただけだ。

皮肉なことに、今は吉野より羽鳥の方が仕事は多い。
羽鳥はいわゆる正統派の二枚目声の持ち主で、主役やヒロインの恋人役がよく回ってくる。
さらに最近では羽鳥をわざわざ指名してくれるスタッフもいるくらいだ。
そんな仕事に事欠かない羽鳥も、このアニメのオーディションを受ける。
理由は声優を志した理由と同じ。
吉野と共演することで、一緒にいる時間を増やしたいからだ。

*****

「なかなかいいじゃん!」
高屋敷はパンパンとゆっくり手を叩いた後、愉快そうにそう言った。
だが羽鳥としては決して愉快ではない。
一見オーディション風だが、これは違うだろう。
なぜなら会議室には、高屋敷と羽鳥以外誰もいない。
普通ならキャスティングを担当するスタッフが同席するものだ。
そもそも発表されているオーディションの日はまだ先だった。

「羽鳥はもう決まりでいいかな。」
「まさか本当にオーディションだったのか?」
羽鳥は呆れながら、そう聞いた。
いきなり呼び出されてセリフを読まされ、何の悪ふざけかと思ったのだ。
訳もわからないままに従ったのは、このマイペースな男が監督だからだ。
同じ事務所の声優がこの先世話になることもあるだろうし、怒らせたりしたら面倒だ。

「オーディションを受ける声優のリストに、羽鳥の名前があったからさ。」
「だからって」
「俺もこの役は羽鳥の声が合うと思ったんだ。なら先に決めた方がいいだろ?」

高屋敷がこの役は羽鳥だと言ったら、もう決まりなのだろう。
ならば形だけのオーディションなどやめた方が手間も省ける。
合理主義者の高屋敷はそう考えたようだ。

*****

「そういえば主役の声優、お前の指名だって?」
羽鳥はふと思いついて、口を開いた。
高屋敷が「織田君?」と聞き返してきたので頷き返す。

「やっぱり小野寺さんの息子だから起用したのか?」
「当たり前だろ。話題性も上がる。」
「あいつは声優としての実力もあるんだけどな。」

羽鳥は先日BLアニメの収録で会った若い声優のことを思い出す。
綺麗な顔に似合わず、真面目で根性がある。
また一緒に仕事がしたいと思った。
こんな風に大御所声優の息子とくくられてしまうのはかわいそうな気がする。

「実力があるのはわかってるさ。主役をまかせるんだから。」
「それはそうだろうが。。。」
「だけど小野寺さんそっくりの声と親子だっていう話題性、利用しない手はない」
「高屋敷」
「この作品を世に知らしめるためなら、何でも使う。」

羽鳥はそれ以上何も言えなかった。
高屋敷は律の素性を利用することに抵抗を感じないほど、冷たい人間ではない。
だがそれ以上にプロなのだ。
作品を売り込むためには手段は選ばない。

「織田君もまだ返事がないってことは迷ってるんだと思うよ。」
「もし彼がことわったら?」
「考えてあるさ」
高屋敷は自信に満ちた不敵な笑みを見せる。
この男の作品が売れる理由がわかるような気がした。

*****

高屋敷の会社を出た羽鳥は、次の仕事場へと向かった。
外国映画の吹き替えの仕事だ。
羽鳥は主役の俳優の声を担当するのだ。

「あ、羽鳥さん。今日はよろしくお願いします。」
スタジオに入るなり、声をかけられ、頭を下げられた。
相手はつい先程まで高屋敷と噂をしていた織田律だった。

「よろしく。この役、織田君がやるのか」
「はい。隣で別の収録してたら呼ばれまして」
羽鳥の問いかけに、律は相変わらず礼儀正しく答えた。

羽鳥が声をあてる俳優は、FBIの捜査官の役だ。
そして律は事件現場に居合わせた目撃者役。
律の出番はほんのワンシーン、セリフも数言しかない。
この程度の役の場合、配役はその場で決めることも多い。
それこそ別の収録で居合わせた声優とか、別の役の声優で間に合わせてしまうのだ。
律もそんな感じで連れてこられたようだ。

「じつは映画の吹き替え、初めてなんです。」
律は緊張した表情で、そう白状した。
それでも気後れしているような様子はなく、やる気は満々のようだ。

「アニメと少し勝手は違うが戸惑うことはない。気楽にやればいい。」
「ありがとうございます!」
アドバイスにならない言葉にさえ真面目に礼を言う律は、初々しくも頼もしい。
羽鳥と律はそのまま収録に臨んだ。

*****

「織田は吹き替えはあまり好きじゃないのか?」
休憩用の控え室で、羽鳥は律に聞いた。
ワンシーン録って、律の出番はもう終わって帰り支度中。
羽鳥の収録はまだたくさん残っており、今は休憩中だ。

「まずいな。そんな風に見えますか?」
「声からはわからないが、表情が固い。アニメのときはもっと笑顔だった。」
「ええと。。。」
律は困ったように言いよどんでいたが、思い切ったように口を開いた。

「じつは俺、外国人俳優に日本語のセリフって違和感あるんです。」
「じゃあ、洋画は字幕で?」
「いえ。留学経験があるので。」
「なるほど」

確かに英語がわかる人間には、吹き替えは必要ない。
その必要ないものを収録することに抵抗があるようだ。

「俺は今日の主演の俳優の声をやるのはもう4回目なんだ。」
「はぁ。。。」
「いつかあの俳優の声は羽鳥じゃなきゃダメ、むしろ本物より羽鳥の声がいいって言われたい。」
「それってすごくカッコいいですね!」

吹き替えで、本物の俳優とセットのようになっている声優も少なくない。
時に吹き替え声優が交代しただけで、映画会社に抗議殺到なんてこともある。
羽鳥も秘かにその域に達するのが夢だったりする。
律のやる気に当てられて、吉野にさえ言ったこともない野心を白状してしまった。

「参考になりました。ありがとうございます!」
羽鳥の言葉に感激したらしい律が深々と頭を下げた。
あまりにも大げさな礼に恥ずかしくなった羽鳥は、逃げるように収録に戻った。

【続く】
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