呪文っぽい7台詞

【紅蓮の焔で薙ぎ払え】

「紅蓮の焔で薙ぎ払え!」
木佐は、そのセリフを読み上げてからふと考える。
読み方、あってるよな?
それにしても何でわざわざこんな難解な字で書いているのだろうと思う。

木佐翔太は、人気声優だ。
アニメでは10代後半から20代前半くらいまでの青年役を演じることが多い。
ありがたいことに最近ではたびたび主役もやらせてもらっている。
可愛らしい顔立ちと、小柄なルックスで特に若い女性からの支持が多い。
だが実際の木佐はもうとっくに30歳を過ぎている。

木佐はオーディション用の台本に目を通していた。
ずっと昔に流行したアニメのリメイク作品だ。
実は小さい頃、再放送やビデオではなく本放送を見ている。
だが年齢がバレるので、人前でその話はしない。

今回木佐が受けるのは、主人公の仲間で一緒に戦う青年の役だ。
最初は主人公と敵対して何かとつっかかるが、だんだんと相手を認めて親友になる。
自分の声はそんな役どころに合っていると思う。

だがオーディション用の台本を見た木佐は、ため息をついていた。
木佐はこういう台本が好きではないのだ。
例えば「焔」なんて、セリフで読めば「炎」と思う人がほとんどだと思う。
それに「薙ぎ払え」なんて。
わざわざ漢字を使うところに意図は感じるが、映像では伝わらないのではないだろうか?
これが本とかコミックスなら、こういう字を使う理由は大いに理解できる。
だが台本で使うなんて、まったく無駄なことだと思う。
こんな感じのセリフ回しが、とにかく多いのだ。

まぁいいか。
木佐は台本を閉じると、出かける支度を始めた。
オーディションはまだ先であり、今日は別の仕事だ。
頭を切り替えて、目の前のことに集中するべきだろう。

*****

「おはようございます!」
木佐はスタジオに入ると、元気よく挨拶をした。
今日はスマートフォン向けのアプリのキャラクターの声を録る。
近頃流行りのバーチャル彼氏の声を入れる仕事だ。
もちろんターゲットは若い女性だろう。

「あ、木佐さん!今日もよろしくお願いします。」
顔見知りのスタッフが近寄ってくると、数枚の紙片を渡してくれる。
今日の仕事の資料だ。
1枚目には今日演じるキャラクターのプロフィールが書かれている。
氏名、年齢、職業、身長、体重、性格。
2枚目は顔や全身を描いたイラストによる図解だ。
まったくふざけている。
こんな完璧なオトコ、この世にいるわけないじゃないか。

3枚目以降は、今日収録するセリフが書かれている。
とは言っても、声優が演じるセリフが箇条書きになっているだけだ。
例えば「おはよう」でも、3パターン収録するようだ。
1)元気いっぱいに 2)眠そうに 3)少し憂鬱そうに などと書かれている。
シナリオの全体像を見せてくれないのは、まだ公開前のアプリだからだ。
企業秘密だとか、機密保持だとか、いろいろあるらしい。
この資料だって、仕事が終わったら返却しなければならない。

収録は人1人がようやく入れるほどの狭いブースの中で行なう。
他の声優の掛け合いがないので、それで充分なのだ。
ブースの前に長椅子が置かれており、そこに1人の青年が座っている。
面識はないが、彼も木佐と同じような資料を持っているから声優なのだろう。
どうやら彼の担当のセリフの収録が終わったばかりのようだ。

*****

「ちわっす!」
木佐は青年の隣に腰を下ろすと、青年に声をかけた。
青年はチラリと木佐の方を見ると、驚いて立ち上がった。
どうやら彼は木佐の顔を知っていて、誰だかわかったようだ。
木佐はファンが集まるイベントなどにも積極的に参加しているので、顔も知れ渡っている。

「木佐さん、ですよね。初めまして!織田律と申します!」
「織田君って、キミかぁ!」
木佐はジロジロと無遠慮に、織田律と名乗った青年を見た。
彼の噂は聞いたことがある。
すごく綺麗な顔をしているのに、なぜか人前に出たがらない声優なのだと。
お高くとまっているだとか、人嫌いらしいとか、悪意のある噂も聞いた。

だが木佐の無遠慮な視線に困ったように赤面する律は、とてもそんな風には見えない。
初々しくもカワイイ反応は、人柄や育ちの良さを感じさせる。
こんな素顔を公開したら、さぞかし女性ファンの心をくすぐるだろうに。

「もしかしてこういう収録は初めて?」
どこか腑に落ちないような表情の律に、木佐はそう声をかけた。
木佐にも覚えがある。
シチュエーションも知らされずに、セリフだけを細切れに録るのはどうもしっくりこない。
ちゃんと上手くつながるのかがわからなくて、不安になるのだ。
律はバツが悪そうな表情で頷くと、苦笑した。

*****

「どういう状況か教えてくれた方が演技がしやすいって言ったんですが。」
律は木佐以外の人間に聞こえないように、声を潜めながらそう言った。
木佐は思わず「そりゃまた大胆」と呟いた。

アニメと違い、ゲームやアプリなどではそこまで微妙な演技は要求されない。
この手のアプリなら、むしろ期待されるのは「糖度」だ。
ありったけの甘い声で、胸焼けしそうなほど甘いセリフを吐く。
それ以上の細かい質問はウザがられるだろう。
とにかく甘さを増量するのがユーザーの希望であり、プロとしての割り切りだと思う。

「すごく嫌な顔をされまして」
「そうだろうな~」
「俺みたいな駆け出しが、生意気だってわかってるんですけどね」

寂しそうに笑う律に、木佐は好感を持った。
どうやらただ闇雲に「いい演技」を追及しているわけでもないのだ。
自分の希望とクライアントやユーザーの要求。
その妥協点を捜しながら、迷っている。
不器用だが真面目で純粋な熱意が、律という声優の魅力の1つなのだろう。

「それでも何とか終わりましたので。」
律はそう言いながら、膝に乗せていた鞄を開けた。
中から取り出したのは、あまり見覚えのないパッケージの菓子だ。
どうやらクッキーのような焼き菓子らしい。
律は個包装されているものを1つ取り出し、食べようとしている。

「あ、木佐さんも食べます?」
木佐の視線に気付いた律が、勧めてくれる。
だが木佐は首を振ってことわった。
いくら若く見えてもこちらは三十路、余計なカロリー摂取は美容に悪い。

*****

「それ、食事?」
「いえ。次の仕事がお菓子のコマーシャルのナレーションなんです。」
「で、それが商品?」
「はい。実際に食べた方がいいナレーションができるかなと思って。事前に貰っちゃいました。」

至極真面目に答える律に、木佐は苦笑した。
コマーシャルのナレーションの仕事のために、商品を確認する声優なんてまずいない。
みな与えられた原稿を読むだけだ。
いくら若手とはいえ、1つ1つの仕事にここまで全力な律が少々眩しい。

あのオーディション台本の漢字と同じ。
無駄と言えばそれまでだ。
だが律の熱意を目の前で見せられると、必要ないなんて言えない。

不意にモグモグと菓子を食べていた律が「うぇぇ」と声を上げた。
突然の声に驚いた木佐が「どうしたの?」と律の顔をのぞき込む。
律は何とも情けなさそうな表情で「美味しくない」と呻いた。

「やっぱり1つ貰うね」
あまりの律のリアクションに好奇心に駆られた木佐は、手を伸ばして菓子を1つ取る。
そして包装紙を破って口に放り込んで、確かに微妙だと思った。
1口サイズのクッキーの中に、チョコレートチップと乾燥したフルーツを刻んだものが入っている。
フルーツは妙に人工的な香りと甘さがあり、チョコレートと合っていない。
クッキー生地はパサパサしていて、口の中の水分を一気に奪われた感じだ。
不味いとまではいわないが、木佐だったら買わないだろう。

「これを美味しいってナレーションするのかぁ。。。」
律がガックリと肩を落とすのを見ながら、木佐は心の底から同情する。
そして食べ物のコマーシャルをナレーションするときには、絶対に事前の試食はしないと決めた。

この織田律こそ、後日オーディションを受けるアニメの主役候補。
木佐がそれを知るのは、もうしばらく後のことだ。

【続く】
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