呪文っぽい7台詞
【夜より暗き闇よ全てを包め】
「夜より暗き闇よ全てを包め!」
吉野は目を閉じて、高らかに叫ぶ。
頭の中ではかつて見たアニメの戦いのシーンをイメージしていた。
吉野千秋は「吉川千春」という名で活躍する声優だ。
声優としての経歴は「織田律」よりはベテランだが「嵯峨政宗」にはまだ及ばない。
アニメなどでは主役こそ少ないが、そこそこ物語のキーマン的なキャラを多く演じてきた。
無難にキャリアを積んでいると言えるだろう。
これからあるBLアニメの収録だ。
今回は主役であるカップルの片割れの役だ。
BLにはすごく抵抗があるという声優もいるが、吉野はすんなりと演じられた。
それは別に吉野がすごいとか、プロに徹しているという話ではない。
相手役の声優がたまたま吉野の恋人だったということに他ならない。
おかげで「男相手にこんなこと言うか!?」と砂でも吐きたくなるようなセリフも何とか言えた。
吉野は今、収録前の控え室にいた。
幸い誰もいないのをいいことに、最近もらったばかりの台本を読んでいた。
かつて一世を風靡したアニメのリメイク版。
事務所からこのアニメのオーディションを受けるようにと言われていた。
吉野が希望するのは主人公の友人で、正義を守るために主人公と一緒に戦うという役どころだ。
かつて子供の頃から大好きだった作品であり、吉野は何としても役をもらいたいと思っている。
*****
「外まで聞こえてるぞ」
控え室のドアがノックもなしに開く。
入ってきたのは、BLアニメの相手役。
そして実生活でも恋人である羽鳥芳雪だ。
「嘘?聞こえてた?恥ずかしい~!」
吉野は悲鳴のようにそう叫ぶと、思い切り顔をしかめた。
まだ決まってもいない役を全力で演じていたのだ。
まるでオーディションなど受かって当然とばかりの自信過剰に見えるかもしれない。
「大丈夫だ。廊下には誰もいない。」
羽鳥は安心させるようにそう言ってくれる。
吉野はホッと胸を撫で下ろすと、椅子に腰を下ろした。
会議室としても使用するこの控え室には折りたたみ式のテーブルとパイプ椅子がたくさんある。
だが羽鳥はわざわざ吉野の隣の椅子の横に腰を下ろした。
「やっぱり出たいよな。この作品は」
羽鳥はテーブルの上に置かれた台本を指差して、そう言った。
これから収録するBLアニメではなく、オーディション用の台本だ。
吉野と同じ事務所に所属する羽鳥もこの作品のオーディションを受けることになっている。
「うん。お互い頑張ろうな!」
吉野は力強く頷く。
何としてもこの作品には出たい。
恋人と共演できるなら、その思いはますます強いものになる。
*****
「そう言えば主役の人って、確か今日」
「ああ、織田君か。」
吉野がふと思いついて口を開くと、羽鳥はすかさず応じてくれた。
最後まで言葉にしなくても、羽鳥には吉野の言いたいことがわかるようだ。
今日のBLアニメの収録には、嵯峨政宗と織田律も参加する。
彼らは別のBLアニメの主役を演じていた。
2つのBLは同じ原作者によって描かれたもので、今回彼らが演じたキャラも登場するのだ。
吉野も羽鳥も彼らの名前は知っており、挨拶程度はしたことがある。
だが話をしたことはほとんどない。
顔やプロフィールが露出するのを避けているようで、収録以外のイベントなどには参加しないからだ。
吉野と羽鳥がオーディションを受けようとしているアニメは、主役がすでに決まっているという。
かつてこのアニメの主役を務めた大御所声優の息子で声がそっくりな織田律。
監督は主役の声のイメージを大事に考え、彼を指名したそうだ。
その噂は声優たちの間で、羨望とともに駆け抜けた。
やはり声優の本音は、主役をやりたいのだ。
それを父親の恩恵で苦もなく手に入れた青年には、不満や嫉妬を感じてしまう。
「失礼します」
控え室のドアがノックと共に開き、2人の青年が顔を覗かせる。
今日の共演者である嵯峨政宗と織田律だ。
2人はツカツカと近づいてくると、吉野と羽鳥の前で足を止めた。
まるでモデルのように美しい2人の立ち姿に、吉野は一瞬絶句した。
「織田律です。今日はよろしくお願いします!」
「嵯峨です。よろしく。」
2人は並んで、頭を下げる。
ベテランである嵯峨は自然だったが、織田律は深々と丁寧なお辞儀だ。
吉野と羽鳥も立ち上がると「よろしく」と頭を下げる。
織田さんって意外と礼儀正しいんだ。
七光りだの何だのと噂のせいで、勝手なイメージが先行していた。
吉野はそのことを反省しながら、再び椅子に腰を下ろした。
*****
「あの、隣、いいですか?」
不意に声をかけられた吉野は、驚いて顔を上げた。
広い控え室にはコの字型に配されたテーブルとたくさんの椅子。
嵯峨は吉野たちとは離れた隅の椅子に座り、台本を読み始めている。
だが律は吉野の前に立ったまま、じっとこちらを見ている。
「いいですけど。。。」
「ありがとうございます!」
吉野が曖昧に答えると、律は吉野の隣に腰を下ろした。
いったい何のつもりなのかと、人見知りの吉野は身構える。
だが律はおだやかに微笑むと、おもむろに口を開いた。
「吉川さんって出身はどちらですか?」
「妹さんがいらっしゃるんですか!いいなぁ俺、ひとりっ子で兄弟がほしかったんですよ。」
「へぇ『ザ☆漢』のファンなんですか!みんな面白いって言いますよね!俺、まだ読んでなくて。」
律は間を置かずに、吉野に話しかけてくる。
内容はほとんどどうでもいいような雑談だ。
だが決して一方的ではなく、吉野の話もちゃんと聞いている。
いわゆる聞き上手というやつだろう。
嫌味のない受け答えで、警戒していた吉野もだんだん楽しい気分になってきた。
どうやら初めて仕事をする共演者とのコミュケーションということだろう。
だがそこで吉野は「あれ?」と思う。
律と仕事をするのが初めてなのは、吉野だけではない。
羽鳥だって吉野と同様、挨拶程度の会話しかしたことがないはずだ。
なのにどうして律は吉野にばかり話しかけてくるのだろう?
*****
「あのさ、どうして俺に話しかけてくるの?」
「すみません!迷惑でしたか?」
「いや、楽しかったけど。でも何で俺だけかなと思って。」
吉野はそう言いながら、チラリと羽鳥の方を見た。
そこで律は「なるほど」と呟くと、羽鳥に「すみません」と頭を下げた。
「今回俺と吉川さんの役って、仲のいい友達って設定じゃないですか。」
律の言葉に吉野は頷く。
確かに今回、律と吉野が演じる2人のキャラは幼なじみという設定だ。
何でも腹を割って話せる友人で、隠し事など一切なし。
なのにそれぜれ自分たちの恋については打ち明けられずに悩むシーンがあるのだ。
「だから仲良くしていた方が、親密な雰囲気が出るかと思いまして。」
律はそう言って、悪戯っぽく笑う。
吉野と羽鳥は唖然としながら、顔を見合わせた。
普通の俳優とは違うのだ。
どんなに感情を込めても、顔や表情、ましてや2人の雰囲気なんか映像には出ない。
笑うシーンで顔は全然笑ってないとか、恋人役の声優とセリフ以外で口も聞かないなんてザラだ。
声優は声だけに感情を込めるもので、それが当たり前なのだと思い込んでいた。
だが律のようなアプローチだって、大事なことだ。
声優同士が仲がいい方が、作品だっていい雰囲気になるだろう。
「そうだね。仲良くした方がいいね。」
吉野が笑顔でそう言うと、律も元気よく「はい!」と答えた。
これからオーディションを受けるあのアニメでも、このやる気いっぱいの若い声優と組めればいい。
吉野は心の底からそう思った。
【続く】
「夜より暗き闇よ全てを包め!」
吉野は目を閉じて、高らかに叫ぶ。
頭の中ではかつて見たアニメの戦いのシーンをイメージしていた。
吉野千秋は「吉川千春」という名で活躍する声優だ。
声優としての経歴は「織田律」よりはベテランだが「嵯峨政宗」にはまだ及ばない。
アニメなどでは主役こそ少ないが、そこそこ物語のキーマン的なキャラを多く演じてきた。
無難にキャリアを積んでいると言えるだろう。
これからあるBLアニメの収録だ。
今回は主役であるカップルの片割れの役だ。
BLにはすごく抵抗があるという声優もいるが、吉野はすんなりと演じられた。
それは別に吉野がすごいとか、プロに徹しているという話ではない。
相手役の声優がたまたま吉野の恋人だったということに他ならない。
おかげで「男相手にこんなこと言うか!?」と砂でも吐きたくなるようなセリフも何とか言えた。
吉野は今、収録前の控え室にいた。
幸い誰もいないのをいいことに、最近もらったばかりの台本を読んでいた。
かつて一世を風靡したアニメのリメイク版。
事務所からこのアニメのオーディションを受けるようにと言われていた。
吉野が希望するのは主人公の友人で、正義を守るために主人公と一緒に戦うという役どころだ。
かつて子供の頃から大好きだった作品であり、吉野は何としても役をもらいたいと思っている。
*****
「外まで聞こえてるぞ」
控え室のドアがノックもなしに開く。
入ってきたのは、BLアニメの相手役。
そして実生活でも恋人である羽鳥芳雪だ。
「嘘?聞こえてた?恥ずかしい~!」
吉野は悲鳴のようにそう叫ぶと、思い切り顔をしかめた。
まだ決まってもいない役を全力で演じていたのだ。
まるでオーディションなど受かって当然とばかりの自信過剰に見えるかもしれない。
「大丈夫だ。廊下には誰もいない。」
羽鳥は安心させるようにそう言ってくれる。
吉野はホッと胸を撫で下ろすと、椅子に腰を下ろした。
会議室としても使用するこの控え室には折りたたみ式のテーブルとパイプ椅子がたくさんある。
だが羽鳥はわざわざ吉野の隣の椅子の横に腰を下ろした。
「やっぱり出たいよな。この作品は」
羽鳥はテーブルの上に置かれた台本を指差して、そう言った。
これから収録するBLアニメではなく、オーディション用の台本だ。
吉野と同じ事務所に所属する羽鳥もこの作品のオーディションを受けることになっている。
「うん。お互い頑張ろうな!」
吉野は力強く頷く。
何としてもこの作品には出たい。
恋人と共演できるなら、その思いはますます強いものになる。
*****
「そう言えば主役の人って、確か今日」
「ああ、織田君か。」
吉野がふと思いついて口を開くと、羽鳥はすかさず応じてくれた。
最後まで言葉にしなくても、羽鳥には吉野の言いたいことがわかるようだ。
今日のBLアニメの収録には、嵯峨政宗と織田律も参加する。
彼らは別のBLアニメの主役を演じていた。
2つのBLは同じ原作者によって描かれたもので、今回彼らが演じたキャラも登場するのだ。
吉野も羽鳥も彼らの名前は知っており、挨拶程度はしたことがある。
だが話をしたことはほとんどない。
顔やプロフィールが露出するのを避けているようで、収録以外のイベントなどには参加しないからだ。
吉野と羽鳥がオーディションを受けようとしているアニメは、主役がすでに決まっているという。
かつてこのアニメの主役を務めた大御所声優の息子で声がそっくりな織田律。
監督は主役の声のイメージを大事に考え、彼を指名したそうだ。
その噂は声優たちの間で、羨望とともに駆け抜けた。
やはり声優の本音は、主役をやりたいのだ。
それを父親の恩恵で苦もなく手に入れた青年には、不満や嫉妬を感じてしまう。
「失礼します」
控え室のドアがノックと共に開き、2人の青年が顔を覗かせる。
今日の共演者である嵯峨政宗と織田律だ。
2人はツカツカと近づいてくると、吉野と羽鳥の前で足を止めた。
まるでモデルのように美しい2人の立ち姿に、吉野は一瞬絶句した。
「織田律です。今日はよろしくお願いします!」
「嵯峨です。よろしく。」
2人は並んで、頭を下げる。
ベテランである嵯峨は自然だったが、織田律は深々と丁寧なお辞儀だ。
吉野と羽鳥も立ち上がると「よろしく」と頭を下げる。
織田さんって意外と礼儀正しいんだ。
七光りだの何だのと噂のせいで、勝手なイメージが先行していた。
吉野はそのことを反省しながら、再び椅子に腰を下ろした。
*****
「あの、隣、いいですか?」
不意に声をかけられた吉野は、驚いて顔を上げた。
広い控え室にはコの字型に配されたテーブルとたくさんの椅子。
嵯峨は吉野たちとは離れた隅の椅子に座り、台本を読み始めている。
だが律は吉野の前に立ったまま、じっとこちらを見ている。
「いいですけど。。。」
「ありがとうございます!」
吉野が曖昧に答えると、律は吉野の隣に腰を下ろした。
いったい何のつもりなのかと、人見知りの吉野は身構える。
だが律はおだやかに微笑むと、おもむろに口を開いた。
「吉川さんって出身はどちらですか?」
「妹さんがいらっしゃるんですか!いいなぁ俺、ひとりっ子で兄弟がほしかったんですよ。」
「へぇ『ザ☆漢』のファンなんですか!みんな面白いって言いますよね!俺、まだ読んでなくて。」
律は間を置かずに、吉野に話しかけてくる。
内容はほとんどどうでもいいような雑談だ。
だが決して一方的ではなく、吉野の話もちゃんと聞いている。
いわゆる聞き上手というやつだろう。
嫌味のない受け答えで、警戒していた吉野もだんだん楽しい気分になってきた。
どうやら初めて仕事をする共演者とのコミュケーションということだろう。
だがそこで吉野は「あれ?」と思う。
律と仕事をするのが初めてなのは、吉野だけではない。
羽鳥だって吉野と同様、挨拶程度の会話しかしたことがないはずだ。
なのにどうして律は吉野にばかり話しかけてくるのだろう?
*****
「あのさ、どうして俺に話しかけてくるの?」
「すみません!迷惑でしたか?」
「いや、楽しかったけど。でも何で俺だけかなと思って。」
吉野はそう言いながら、チラリと羽鳥の方を見た。
そこで律は「なるほど」と呟くと、羽鳥に「すみません」と頭を下げた。
「今回俺と吉川さんの役って、仲のいい友達って設定じゃないですか。」
律の言葉に吉野は頷く。
確かに今回、律と吉野が演じる2人のキャラは幼なじみという設定だ。
何でも腹を割って話せる友人で、隠し事など一切なし。
なのにそれぜれ自分たちの恋については打ち明けられずに悩むシーンがあるのだ。
「だから仲良くしていた方が、親密な雰囲気が出るかと思いまして。」
律はそう言って、悪戯っぽく笑う。
吉野と羽鳥は唖然としながら、顔を見合わせた。
普通の俳優とは違うのだ。
どんなに感情を込めても、顔や表情、ましてや2人の雰囲気なんか映像には出ない。
笑うシーンで顔は全然笑ってないとか、恋人役の声優とセリフ以外で口も聞かないなんてザラだ。
声優は声だけに感情を込めるもので、それが当たり前なのだと思い込んでいた。
だが律のようなアプローチだって、大事なことだ。
声優同士が仲がいい方が、作品だっていい雰囲気になるだろう。
「そうだね。仲良くした方がいいね。」
吉野が笑顔でそう言うと、律も元気よく「はい!」と答えた。
これからオーディションを受けるあのアニメでも、このやる気いっぱいの若い声優と組めればいい。
吉野は心の底からそう思った。
【続く】