呪文っぽい7台詞

【魔を撃て光の刃】

「魔を撃て光の刃!」
律は感情を込めて、声を張った。
だが誰もいない部屋に響く現実離れしたセリフは、妙に気恥ずかしい。
しかもまだ自分が演じるかどうかもわからないのに。
律は思わず肩を落として「はぁぁ」とため息をついた。

小野寺律は「織田律」という名で声優をしている。
デビューから数年、新人とは言いがたい。
だが自分的にはまだまだ駆け出しだと思っている。

希望はアニメ声優だが、なかなか名前がある役は回ってこない。
唯一主役を務めたのは、最近女の子の間で人気のBL漫画のアニメ化作品だけだ。
おかげで一部の若い女性ファンの間では、そこそこ名前が知られている。
だがまだまだ世間一般では、律の名を知らない人の方が圧倒的に多いだろう。

当面の律の目標は、アニメの仕事だけで生活できるようになることだ。
でも現実は甘くない。
最近の律は、ナレーションの仕事で何とか食いつないでいる。
だが「ナレーション」などというといかにも格好はいいが、報酬は安い。
ちなみに一番直近の仕事は、企業の研修向けのVTR。
そこそこ声がよくて淀みなく読めれば、誰でもいい仕事なのだ。

それでも声優という仕事だけで暮らしていけるのだから、まだマシだろう。
世間に名前が知れている人気声優なんて、声優の中でもほんの一握りなのだ。
アニメ声優を目指しながら役をもらえず、バイトに明け暮れる者は多い。
結局声優の学校を出たのに、声優の仕事が来ないまま辞めてしまう者だって少なくないのだ。

*****

「練習か?」
不意に部屋のドアが開き、1人の男が入ってきた。
彼の名前は高野政宗。
律の恋人であり「嵯峨政宗」という名で活躍する声優だ。

律は高野のマンションで、一緒に住んでいる。
高野は律とは違い、いわゆる人気声優だ。
アニメの仕事を多くこなす、いわゆる一握りのトップ。
高い報酬も得ているから、こんな立派なマンションに住むこともできる。

高野が借りているマンションには、各部屋に完全防音の部屋がある。
ちなみに高野以外の住民は、ミュージシャンや音大生だそうだ。
高野がわざわざこんな部屋に住むのは、もちろん練習など役作りのためだ。
これならば心置きなく、大きな声で練習ができる。

律がバイトもしないで日々暮らせているのは、家賃がかからないからだ。
同居といえば聞こえはいいが、実態は居候だった。
律が家賃を払いたいと何度頼んでも、高野は頑として受け取らなかった。
いつも「出世払い、な」と曖昧に笑って誤魔化してしまう。

だから律はこの部屋の家賃を知らない。
高野はいくら聞いても教えてくれなかった。
立地や広さや防音などの設備を考えると、目の玉が飛び出るほどの金額に違いない。
もしかしたら高野は律に家賃を教えると、恐縮して出て行ってしまうと思っているのかもしれない。
独占欲が強い高野は、律が出て行くことを絶対に許さないつもりなのだろう。

律としても高野のことは好きであり、決して出て行きたいと思っているわけではない。
だがやはり身の丈に合わない豪華マンションでの暮らしは落ち着かない。
とにかくここで暮らせるほどの収入を得られるようになるのが、律の最大の目標だった。

*****

「あれ?このアニメ」
部屋に入ってきた高野は、机の上に置かれた台本を見て首を傾げる。
律は「まだ決まったわけじゃないんです」と困ったように笑った。

律が練習していた作品は、30年以上前の作品のリメイクだった。
それまでアニメは子供が見るものという常識を覆し、社会現象にまでなった作品。
これを見て、声優になりたいと思ったという者も多いだろう。
高野も律も生まれる前の作品ではあるが、当然名前は知っている。
人気作品であり何度も再放送され、最近はDVDなどでも発売されている。
そして主役の声を務めたのは、今は大御所声優となっている律の父親だった。

「主役をやらないかって。わざわざ俺を名指しできたんですよ。」
「そりゃまた。大抜擢だな。」
「父の声のイメージが欲しいんだそうです。俺の力じゃありません。」
「なるほど」

この作品の魅力の1つは、律の父親が演じる主人公の声だった。
甘い美声で、正義を愛するヒーローを見事に演じた。
そしてその声優の素顔が美青年であることから、さらに話題になった。
昨今の声優ブームは、この作品と律の父親がきっかけになったと言っても過言ではない。

今回リメイク版を手がけるスタッフたちも、当然この作品に惚れ込んでいる。
そして主役の声のイメージを大切に考えた。
だが残念ながら、律の父親はもうこの役を演じることは出来ない。
声だって容姿と同様、歳を取るのだ。
律の父親も最近は主人公の父親など、歳相応の役が増えている。
そこで声が似ている、というより声質がそっくり遺伝している律に依頼が来たということだ。

律はあくまでも冷静だったが、内心は微妙だ。
七光りと言われるのが嫌で、芸名も変え、親のコネも極力使わずに仕事をしているのに。
まさかこんなことになるとは夢にも思わなかった。

*****

「で?お前、引き受けるの?」
「迷ってるんです。とりあえず台本をお借りしましたが、正式にはまだ返事してなくて」
高野の問いに、律は正直にそう答えた。

大きなチャンスというだけではない。
律にとっても、大好きな作品なのだ。
しかも今回企画演出を担当する監督もファンで、彼の作品は全て見ている。
是非ともやらせてもらいたいというのが、本音だった。
この作品に出られたら、一気にメジャーな声優になれるかもしれない。

だがやはり父親絡みであることで、どうしても躊躇ってしまう。
声が父親にそっくりであることは、律の手柄でも何でもない。
あの父の子供に生まれたのは、単なる偶然だ。
それで巡ってきたチャンスに、どうしても素直に喜ぶことが出来ないのだ。

それに、律がひた隠しにしてきた自分の出自がバレるだろう。
何せ同じ声で同じセリフを演じるのだから。
今でさえ七光りだと陰口を叩かれているのだ。
それがますます酷くなるだろう。

「そう言えば、うちの事務所にもオーディションの案内が来てたな。」
高野はふと思い出したようにそう言った。
その言葉に弾かれたように、律は「え?」と顔を上げた。

「何の役ですか?」
「いや詳細はまだ聞いてない。」
「そうですか。。。」
「律が主役なら、オーディションを受けてみるかな」
「やめてくださいよ。ますます迷っちゃうじゃないですか!」

七光りという自力ではどうにも出来ないことで迷っているのだ。
この上恋人と共演なんて邪心が加わったら、もう気持ちの収拾がつかなくなる。

*****

「冗談だって。今はとても時間がない。」
「そうですよね。」
高野はさり気なく否定する。
確かにレギュラー作品を何本も持っている高野は忙しい。
この上大作を引き受ける余裕などないだろう。

高野がオーディションを受けて役を得るなら、久しぶりに共演できるかもしれない。
あのBLアニメ以来、律と高野と共演する機会もなかった。
こんな大作で一緒にできるなんて、何と甘美な誘惑だろう。
それだけで迷う気持ちを振り捨てて、役を引き受けてしまってもいいような気になる。

「まぁよく考えて決めることだな。」
「そうします。」
律はがっかりする気持ちを押し隠して、明るく答えた。
やはりそうそううまく事は運ばないようだ。

「読み合わせの相手、してくれるか?」
高野はそれ以上何も言わずに、手にしていた自分の台本を差し出した。
律は「いいですよ」と答えると、高野から台本を受け取る。
主役のところにしっかりと高野の名が印刷されている台本。
律が預かった仮の台本は、まだ主役を含めて配役はほとんど空欄だ。

高野が自分の意見を言わないのは、きっと律への優しさだ。
こればかりは律が自分で決めなければならない。
この役を引き受けてもことわっても、きっと後悔する部分はある。
ならばなおのこと、しっかり考えて結論を出さなくてはならない。

とにかく今は高野の練習の手伝いだ。
こういう積み重ねが自分の演技を磨くことにもつながる。
律は台本のセリフを見据えながら、高野のセリフを待った。

【続く】
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