キス5題
【薬指にチュウ】
「小野寺さんに、薬を飲ませたぁ!?その上監禁!?」
羽鳥は黙って頷きながら、吉野が書いたシナリオに目を通していた。
高屋敷の部屋から律を救出した後、羽鳥は吉野の部屋に来た。
高野は自力では動けない律を送ると言って、タクシーで帰ったのだ。
もう就業時間はとっくに終わっており、締め切りもまだ先だ。
だが羽鳥はまっすぐ帰る気にならなかった。
高屋敷のどこか歪んだ恋を見せ付けられたせいかもしれない。
高野の律への想いを垣間見たせいかもしれない。
とにかく吉野に会いたかった。
最愛の恋人の顔を見て、抱きしめたくなったのだ。
「トリ、ちょうどよかった!シナリオをチェックしてくれない?」
羽鳥の顔を見るなり、吉野はいつもの無邪気な顔で笑う。
何とも癒される気分だった。
非日常から、日常へと戻って来られたような気がする。
「メシはもう食っただろ?これ土産。」
羽鳥が途中で買い求めたケーキの箱を掲げると、吉野の顔が笑み崩れる。
今時小さな子供でも、ここまで単純ではないだろうに。
でもそんな吉野だからかわいいのだ。
羽鳥は苦笑しながら、コーヒーを淹れ始めた吉野の後ろ姿を見つめた。
*****
羽鳥はコーヒーを飲みながら、美味そうにケーキを食べる吉野に話をした。
先程の出来事、高屋敷が律に何をしたかを。
本当はこんな下世話で生々しい話を吉野には聞かせたくない。
だが吉野は高屋敷とともに、今回のゲーム企画の要なのだ。
やはり企画に関わるこの「事件」を話しておくべきだろう。
淡々と事実だけを話し終え、出来上がったばかりというシナリオの第1稿に目を落とす。
「このまま高屋敷でこの企画、進めるの!?」
「せっかくのケーキなんだから、ちゃんと味わえよ。」
バクバクとケーキを口に運びながら、吉野は憤慨する。
羽鳥は呆れながら、そう答えた。
笑ってもらうために買ったケーキなのだから、怒りの勢いで食べてほしくない。
「なんでそんな。小野寺さんは大丈夫なの?」
「大丈夫だろう。高野さんがついてるからな。」
「高野さんもそれでいいってこと?」
「そういうことだ。何よりも小野寺本人が続行を希望している。」
買ってきた5個のケーキが、一気に吉野の胃袋へと消えた。
どうしてこれで太らないのかと羽鳥は不思議で仕方がない。
「小野寺もプロなんだよ。企画を進めるためなら、多少のことは目をつぶる。」
「薬を飲ませて監禁が、多少のこと!?」
「それだけ小野寺はこの企画を大事にしてくれてるんだ。自分の担当でもないのにな。」
高屋敷の暴挙に腹を立てていた吉野が、グッと言葉につまった。
*****
「今回の件で一番怒っているのは高野さんだ。その高野さんがやるというならやるだけだ。」
「高野さんが?」
「当たり前だろう。大事な部下を傷つけられたんだから。」
「もしかしてトリも怒ってる?」
「当然だ。小野寺は俺の後輩でもある。」
吉野は小さく「そうかぁ」と言いながら、コーヒーを啜った。
吉野は改めて編集者たちのプロ意識を見せ付けられた思いだった。
高野も羽鳥も律も、よい作品を作るためなら何でもする覚悟なのだ。
それならば吉野もそれに応える仕事をしなければならないと思う。
吉野は立ち上がると、ポットに残ったコーヒーを自分と羽鳥のカップに継ぎ足した。
そしてシナリオを読む羽鳥に「どうかな?」と声をかけた。
どうやら納得してくれたらしい吉野に、羽鳥は内心ホッとしていた。
一本気で素直な吉野がこの「事件」を聞いて、怒るだろうと予想していた。
ましてや狙われたのが、あの初々しくも真面目な新人編集なのだから。
もう高屋敷とは仕事をしたくないと言い出すことも考えられるからだ。
羽鳥は改めて高野への尊敬の念を深くしていた。
高野と律の関係が実際どこまで進んでいるのかは知らない。
だが高野が律に対して特別な感情を持っていることは、多分間違いないと思う。
その律があんな目に合ったのに、高野は高屋敷に丁寧な態度を崩さなかった。
そして企画の続行を決断したのだ。
もし吉野が律と同じ目にあったら、自分は同じように対応できる自信などない。
エメラルドをトップにのし上げた偉大な編集長に、自分はまだまだ届かない。
「大筋はこれでいいと思う。細かい言い回しを直してチェックすればOKだろう。」
原稿を読み終えた羽鳥が、吉野に声をかけた。
吉野はホッとした表情で、安堵のため息をつく。
ここからは恋人の時間だと、羽鳥は口元に笑みを浮かべながらそう思った。
*****
高野はベットに腰掛けながら、律の寝顔を見つめていた。
髪をなでたり頬をつついたりと悪戯を仕掛けたが、律はまったく起きる気配がなかった。
それはそうだろう。
自宅に律を連れ込んだ高野は、さっきまで律を乱れさせていたのだから。
今回は理解のある上司を演じてやろうと思っていた。
高屋敷が律にちょっかいを出していることは聞いていた。
だが律には「うまくやってみせろ」ともっともらしいことを言った。
本当は律を高屋敷から遠ざけたくてウズウズしていたのだ。
だが高屋敷は今回の企画の中心人物だ。
恋と職業意識との狭間で、高野も実は揺れていたのだ。
律は高野に抱かれながら「すみません」と何度も繰り返した。
こんな事態になってしまったことを、心から悔いているようだ。
だが高野は律に責任があるとは思っていなかった。
まさか薬を盛られるなど、さすがの高野だって想像もできなかった。
羽鳥が一之瀬絵梨佳のアピールをかわすどころの次元ではないのだから。
むしろこの企画を続けてほしいと息も絶え絶えに訴えた律に、圧倒された。
今回の企画は吉川千春と高屋敷というビックネームのコラボだから価値がある。
多分高屋敷がやめるということになったら、企画自体がなくなるだろう。
仮に他のクリエイターで企画をやり直したとしても、また一からやり直しだ。
どちらにしても今まで動いてくれた関係部署からはクレームがくるだろう。
何より多忙を極める吉川千春-吉野には申しわけない。
律はそういうことを全て飲み込んで、自分のことはいいと言ったのだ。
*****
「たかの、さん」
律がすっかり枯れてしまった声で高野を呼んだ。
高野はゆっくりと律の顔をのぞきこむ。
だがどうやら寝言のようだ。
律は目を開けることなく、またスヤスヤと寝息を立てている。
高野はホッとため息をつくと、また律の寝顔を見た。
身体はあんなにエロいくせに、あどけなくて無防備な寝顔だと半ば呆れてしまう。
高屋敷には腹を立てているが、唯一評価してやりたいことがある。
それは律に目をつけたことだ。
律は綺麗な顔をしているし、身体だって細身でスタイルもいい。
それだけなら誰だってすぐに気づく。
だが律の本当の美しさは、内面の強さだと思う。
全力の直球で、やろうと思ったら何が何でもやり通す。
その強さが律の目や表情に力を与えている。
おそらく高屋敷はそういう律の美しさを見抜いた。
だから主役のキャラクターのモデルにしようなどと言い出したのだろう。
高野はそっと律の左手を取ると、薬指に唇を寄せた。
いっそここに指輪でもはめさせれば、虫除けにはなるのだろうか。
だがそれをすればいろいろと噂の的になることだろう。
律が変に目立つことも、高野の本意ではない。
高野は律の薬指を口に含んで、チュウと吸い上げた。
たとえ指輪などなくても、律は誰にも渡さない。
そんな思いを込めてだ。
【終】*本編はここまで。以降は番外編です*
「小野寺さんに、薬を飲ませたぁ!?その上監禁!?」
羽鳥は黙って頷きながら、吉野が書いたシナリオに目を通していた。
高屋敷の部屋から律を救出した後、羽鳥は吉野の部屋に来た。
高野は自力では動けない律を送ると言って、タクシーで帰ったのだ。
もう就業時間はとっくに終わっており、締め切りもまだ先だ。
だが羽鳥はまっすぐ帰る気にならなかった。
高屋敷のどこか歪んだ恋を見せ付けられたせいかもしれない。
高野の律への想いを垣間見たせいかもしれない。
とにかく吉野に会いたかった。
最愛の恋人の顔を見て、抱きしめたくなったのだ。
「トリ、ちょうどよかった!シナリオをチェックしてくれない?」
羽鳥の顔を見るなり、吉野はいつもの無邪気な顔で笑う。
何とも癒される気分だった。
非日常から、日常へと戻って来られたような気がする。
「メシはもう食っただろ?これ土産。」
羽鳥が途中で買い求めたケーキの箱を掲げると、吉野の顔が笑み崩れる。
今時小さな子供でも、ここまで単純ではないだろうに。
でもそんな吉野だからかわいいのだ。
羽鳥は苦笑しながら、コーヒーを淹れ始めた吉野の後ろ姿を見つめた。
*****
羽鳥はコーヒーを飲みながら、美味そうにケーキを食べる吉野に話をした。
先程の出来事、高屋敷が律に何をしたかを。
本当はこんな下世話で生々しい話を吉野には聞かせたくない。
だが吉野は高屋敷とともに、今回のゲーム企画の要なのだ。
やはり企画に関わるこの「事件」を話しておくべきだろう。
淡々と事実だけを話し終え、出来上がったばかりというシナリオの第1稿に目を落とす。
「このまま高屋敷でこの企画、進めるの!?」
「せっかくのケーキなんだから、ちゃんと味わえよ。」
バクバクとケーキを口に運びながら、吉野は憤慨する。
羽鳥は呆れながら、そう答えた。
笑ってもらうために買ったケーキなのだから、怒りの勢いで食べてほしくない。
「なんでそんな。小野寺さんは大丈夫なの?」
「大丈夫だろう。高野さんがついてるからな。」
「高野さんもそれでいいってこと?」
「そういうことだ。何よりも小野寺本人が続行を希望している。」
買ってきた5個のケーキが、一気に吉野の胃袋へと消えた。
どうしてこれで太らないのかと羽鳥は不思議で仕方がない。
「小野寺もプロなんだよ。企画を進めるためなら、多少のことは目をつぶる。」
「薬を飲ませて監禁が、多少のこと!?」
「それだけ小野寺はこの企画を大事にしてくれてるんだ。自分の担当でもないのにな。」
高屋敷の暴挙に腹を立てていた吉野が、グッと言葉につまった。
*****
「今回の件で一番怒っているのは高野さんだ。その高野さんがやるというならやるだけだ。」
「高野さんが?」
「当たり前だろう。大事な部下を傷つけられたんだから。」
「もしかしてトリも怒ってる?」
「当然だ。小野寺は俺の後輩でもある。」
吉野は小さく「そうかぁ」と言いながら、コーヒーを啜った。
吉野は改めて編集者たちのプロ意識を見せ付けられた思いだった。
高野も羽鳥も律も、よい作品を作るためなら何でもする覚悟なのだ。
それならば吉野もそれに応える仕事をしなければならないと思う。
吉野は立ち上がると、ポットに残ったコーヒーを自分と羽鳥のカップに継ぎ足した。
そしてシナリオを読む羽鳥に「どうかな?」と声をかけた。
どうやら納得してくれたらしい吉野に、羽鳥は内心ホッとしていた。
一本気で素直な吉野がこの「事件」を聞いて、怒るだろうと予想していた。
ましてや狙われたのが、あの初々しくも真面目な新人編集なのだから。
もう高屋敷とは仕事をしたくないと言い出すことも考えられるからだ。
羽鳥は改めて高野への尊敬の念を深くしていた。
高野と律の関係が実際どこまで進んでいるのかは知らない。
だが高野が律に対して特別な感情を持っていることは、多分間違いないと思う。
その律があんな目に合ったのに、高野は高屋敷に丁寧な態度を崩さなかった。
そして企画の続行を決断したのだ。
もし吉野が律と同じ目にあったら、自分は同じように対応できる自信などない。
エメラルドをトップにのし上げた偉大な編集長に、自分はまだまだ届かない。
「大筋はこれでいいと思う。細かい言い回しを直してチェックすればOKだろう。」
原稿を読み終えた羽鳥が、吉野に声をかけた。
吉野はホッとした表情で、安堵のため息をつく。
ここからは恋人の時間だと、羽鳥は口元に笑みを浮かべながらそう思った。
*****
高野はベットに腰掛けながら、律の寝顔を見つめていた。
髪をなでたり頬をつついたりと悪戯を仕掛けたが、律はまったく起きる気配がなかった。
それはそうだろう。
自宅に律を連れ込んだ高野は、さっきまで律を乱れさせていたのだから。
今回は理解のある上司を演じてやろうと思っていた。
高屋敷が律にちょっかいを出していることは聞いていた。
だが律には「うまくやってみせろ」ともっともらしいことを言った。
本当は律を高屋敷から遠ざけたくてウズウズしていたのだ。
だが高屋敷は今回の企画の中心人物だ。
恋と職業意識との狭間で、高野も実は揺れていたのだ。
律は高野に抱かれながら「すみません」と何度も繰り返した。
こんな事態になってしまったことを、心から悔いているようだ。
だが高野は律に責任があるとは思っていなかった。
まさか薬を盛られるなど、さすがの高野だって想像もできなかった。
羽鳥が一之瀬絵梨佳のアピールをかわすどころの次元ではないのだから。
むしろこの企画を続けてほしいと息も絶え絶えに訴えた律に、圧倒された。
今回の企画は吉川千春と高屋敷というビックネームのコラボだから価値がある。
多分高屋敷がやめるということになったら、企画自体がなくなるだろう。
仮に他のクリエイターで企画をやり直したとしても、また一からやり直しだ。
どちらにしても今まで動いてくれた関係部署からはクレームがくるだろう。
何より多忙を極める吉川千春-吉野には申しわけない。
律はそういうことを全て飲み込んで、自分のことはいいと言ったのだ。
*****
「たかの、さん」
律がすっかり枯れてしまった声で高野を呼んだ。
高野はゆっくりと律の顔をのぞきこむ。
だがどうやら寝言のようだ。
律は目を開けることなく、またスヤスヤと寝息を立てている。
高野はホッとため息をつくと、また律の寝顔を見た。
身体はあんなにエロいくせに、あどけなくて無防備な寝顔だと半ば呆れてしまう。
高屋敷には腹を立てているが、唯一評価してやりたいことがある。
それは律に目をつけたことだ。
律は綺麗な顔をしているし、身体だって細身でスタイルもいい。
それだけなら誰だってすぐに気づく。
だが律の本当の美しさは、内面の強さだと思う。
全力の直球で、やろうと思ったら何が何でもやり通す。
その強さが律の目や表情に力を与えている。
おそらく高屋敷はそういう律の美しさを見抜いた。
だから主役のキャラクターのモデルにしようなどと言い出したのだろう。
高野はそっと律の左手を取ると、薬指に唇を寄せた。
いっそここに指輪でもはめさせれば、虫除けにはなるのだろうか。
だがそれをすればいろいろと噂の的になることだろう。
律が変に目立つことも、高野の本意ではない。
高野は律の薬指を口に含んで、チュウと吸い上げた。
たとえ指輪などなくても、律は誰にも渡さない。
そんな思いを込めてだ。
【終】*本編はここまで。以降は番外編です*