キス5題
【耳にチュウ】
高屋敷玲二ははっきりと持て余していた。
騙して連れ込んで、媚薬で動きを封じたかわいい獲物を前にして。
何でこんなことになったのだろうと高屋敷は考える。
獲物-小野寺律が高屋敷を好きだと言ったら、媚薬で昂ぶった身体を鎮めてやる。
そんなゲームの開始宣言をしてから、随分時間が経った。
律が逃げないようにと手足を縛り、ベットに転がしてある。
顔は真っ赤に紅潮しており、荒い呼吸で快楽を逃がしながら、懸命に堪えている。
シャツをはだけさせられ、白い素肌がのぞくその姿は酷く扇情的だ。
身体は熱く火照っているだろうに。
この獲物は頑として屈せずに、高屋敷を睨みあげながら「帰らせてください」と言い続けている。
なんて強情なと思いながら、高屋敷は動けずにいた。
発端は遊び心だった。
それは仕事でも恋愛でも高屋敷が持つポリシーでもある。
相手に全てを捧げ、奪って奪われるような重い恋などNGだ。
そこそこ見栄えのいい相手と肉体の欲求を満足させればいい。
その相手と友人みたいに楽しめれば、なおいい。
そういう意味で高屋敷の当初のターゲットは羽鳥だった。
綺麗な顔も、実は気が回る面倒見のいい性格も文句なしだった。
だが羽鳥は吉野の恋人で、とんだ当て馬を演じさせられることになった。
だから律に目をつけたのだ。
顔の美しさは、羽鳥にも負けていない。
人柄もやわらかで、まったく問題ない。
恋愛経験はあまりなさそうだから、いろいろ教え込めそうだと思うと愉快でもある。
何より羽鳥と吉野の共通の知り合いであることがいい。
別に2人を恨んでいるわけではないが、ささやかな復讐心もあった。
羽鳥の後輩だし、羽鳥も吉野も律のことを心配しているようだし。
その律を攫ってやるのも面白いと思ったのだ。
*****
高屋敷の誤算は、小野寺律という人間のキャラクターだった。
その綺麗な容姿に似合わず、彼の内面は妙に泥臭かったのだ。
仕事に関しては手を抜くこともなく、真面目で一生懸命。
しかもいつも全力の直球勝負だ。
例えば高屋敷の相手をすることにしてもそうだ。
直接の担当でないのだから、いちいち律儀に受け答えなどしなくていいのだ。
しかも「好き」だの「付き合って」だのふざけた言葉も多いのに。
律は高屋敷の一言一言をちゃんと聞き、考えて、答えを返す。
決して媚びて機嫌を取るようなことも、適当に抜くということもしない。
あまりにもいつも真剣で、いつか折れてしまうのではないかと不安になるほどに。
とにかく高屋敷の周辺にはいないタイプの人間だった。
そんな律がかわいく、愛おしいと思ってしまった。
そして本気で欲しいと思ってしまった。
だから騙して薬を飲ませるなんて、強硬手段に出たのだ。
もし他の誰かが好きな相手に同じ事をしたと聞いたら、高屋敷は笑うだろう。
やり方がスマートじゃない、恋愛なんかに本気になるなんてカッコ悪い、と。
それでもどうしても律を自分のものにしたかった。
だがいざ律を自分の部屋に連れ込み、薬を飲ませて監禁状態にしたものの。
ここから先、勢いで手を出してしまっていいのかと高屋敷は迷っている。
いつもの軽い遊び感覚で抱いていい相手ではない。
高屋敷の扱い1つで、律の身体も心も簡単に壊れてしまいそうだ。
その時、来客を告げるインターフォンが鳴った。
モニターを覗いて来客を確認すると、高屋敷はため息をついた。
そして小さく「ゲームオーバーか」と呟くと、オートロックのドアを開錠した。
*****
ドアを開けた高屋敷は驚いた。
インターフォンのモニターに現れたのは、確かに羽鳥だった。
羽鳥が1人で来たか、もしくは吉野と一緒に来たものと思っていた。
だが実際に室内に入ってきたのは、羽鳥とエメラルドの編集長、高野だった。
「アイツ、来てるよな。」
羽鳥がそう聞いてきた。
静かだが低いその声で、羽鳥が怒っていることがわかる。
だがその後ろに立つ高野はまったく冷静な様子で、その感情は読めなかった。
「連れて帰るならこの仕事を降りるって言ったら、どうする?」
高屋敷は挑発するようにそう言った。
律を半ば監禁しているのだから、問題になるだろう。
多分吉川千春とのコラボ企画の仕事は降ろされてしまう。
だったらいっそ自分から降りてしまおう。
そんな投げやりな気分だった。
「俺たちは、身体を売って仕事を取るような真似はしない。」
羽鳥が冷たい口調でそう言い切った。
つまり律を何が何でも取り返すということなんだろう。
高屋敷はそう理解した。
「小野寺はここにいるんですよね?」
高野が穏やかな口調で表情で詰め寄ってくる。
だが高屋敷は見た。
高野の指先がかすかに震えていることに。
懸命に怒りを抑えている。
高野は羽鳥と同じくらい、いや羽鳥以上に怒っているのだ。
これ以上、誤魔化せる雰囲気ではない。
高屋敷は諦めて、寝室のドアを指差した。
*****
「小野寺、無事か!?」
高野がドアを蹴破る勢いで寝室に飛び込んだ。
そしてベットに転がされた律の姿を見つけて、愕然とした表情になった。
後手に縛られ、足も拘束され、上半身をはだけさせられている律が、朦朧とした顔で高野を見た。
「小野寺っ!」
「たかの、さん。。。」
高野が駆け寄り、律の手足の拘束を解いて、シャツのボタンをはめてやっている。
だが律はすぐに起き上がることができなかった。
ずっと縛られていた腕はしびれており、身体にはまだ薬が効いているせいだ。
高野が律に覆い被さるように顔を寄せ、その耳元で何かを囁いた。
そして次の瞬間、高屋敷は見た。
高野が律の耳に息を吹きかけ、耳たぶにキスを落としたのを。
高屋敷は驚いて、羽鳥を見た。
おそらくは羽鳥も、今の高野の行為を見ただろうと思う。
だが羽鳥は何も言わず、じっと高屋敷の目を見返してきた。
無言の羽鳥の目が雄弁に語っている。
これを見てわからないのか、と。
「なるほどね。」
高屋敷はため息混じりにそう言った。
今まで高野とは挨拶程度しかしたことがなく、高野と律のからみなど見たことがない。
だから気がつかなかったのだ。
この2人の間に、高屋敷が入り込む余地などないということに。
高野が律をゆっくりと抱き起こした。
身体に力が入らない律は、そのまま身体を預けている。
羽鳥が手を貸して、高野が律を背中に背負う。
高野も羽鳥もこの部屋に長居をするつもりはないらしい。
高屋敷は「また当て馬か」と小さく呟いた。
*****
「高屋敷、さん」
律を背負った高野が歩き出し、羽鳥がそれに続く。
その高野と高屋敷がすれ違う瞬間、律が声を上げた。
高野も羽鳥も足を止める。
高屋敷は、高野の背中に身体を預けている律と視線を合わせた。
「吉川先生、との、コラボ企画、続けて、くれますよね?」
律は整わない呼吸と掠れた声でそう言った。
目の焦点が合わず、表情もぼんやりしている。
だが懸命に言葉をつむぐ様子に、高屋敷は気圧されていた。
「せっかく、ここまで、作ったんだから。絶対に、最後まで。」
律は息も絶え絶えになりながら、なおも続ける。
高屋敷は律から高野に視線を移した。
判断は任せるという意思表示だった。
それまで冷静な表情だった高野の口元がゆるんだ。
「トリ、次の予定は?」
「吉川千春のシナリオ待ちです。多分数日以内に出来上がるでしょう。」
高野の質問に、羽鳥が事務的に答える。
高野は短く「そうか」と答えて、高屋敷の方に向き直った。
「では次の打ち合わせの日程が決まり次第、羽鳥から連絡させます。」
高野はきっぱりとそう言うと、歩き出した。
律のカバンを拾い上げた羽鳥が、その前に回りドアを開ける。
そして3人は高屋敷の部屋から去っていった。
1人残された高屋敷は敗北感を噛みしめていた。
最初から勝ち目のない勝負だったのだ。
高野の律への想いの深さは並大抵ではない。
同時にホッとしている自分にも気付く。
律の携帯電話ではなく編集部に電話をかけたのは、誰かに気付いて欲しかったからだ。
媚薬を飲ませて自由を奪ったのに、コトに及ばなかったのは怖かったからだ。
律を決定的に傷つけてしまうことはさけたかった。
だから我慢比べなどと称して、ずっと手を出せないでいた。
結局律に真剣に惚れてしまっているのだ。
耳にチュウか。熱いな。
高屋敷はひとりごちた。
律のことを諦めるにはしばらく時間がかかりそうだ。
【続く】
高屋敷玲二ははっきりと持て余していた。
騙して連れ込んで、媚薬で動きを封じたかわいい獲物を前にして。
何でこんなことになったのだろうと高屋敷は考える。
獲物-小野寺律が高屋敷を好きだと言ったら、媚薬で昂ぶった身体を鎮めてやる。
そんなゲームの開始宣言をしてから、随分時間が経った。
律が逃げないようにと手足を縛り、ベットに転がしてある。
顔は真っ赤に紅潮しており、荒い呼吸で快楽を逃がしながら、懸命に堪えている。
シャツをはだけさせられ、白い素肌がのぞくその姿は酷く扇情的だ。
身体は熱く火照っているだろうに。
この獲物は頑として屈せずに、高屋敷を睨みあげながら「帰らせてください」と言い続けている。
なんて強情なと思いながら、高屋敷は動けずにいた。
発端は遊び心だった。
それは仕事でも恋愛でも高屋敷が持つポリシーでもある。
相手に全てを捧げ、奪って奪われるような重い恋などNGだ。
そこそこ見栄えのいい相手と肉体の欲求を満足させればいい。
その相手と友人みたいに楽しめれば、なおいい。
そういう意味で高屋敷の当初のターゲットは羽鳥だった。
綺麗な顔も、実は気が回る面倒見のいい性格も文句なしだった。
だが羽鳥は吉野の恋人で、とんだ当て馬を演じさせられることになった。
だから律に目をつけたのだ。
顔の美しさは、羽鳥にも負けていない。
人柄もやわらかで、まったく問題ない。
恋愛経験はあまりなさそうだから、いろいろ教え込めそうだと思うと愉快でもある。
何より羽鳥と吉野の共通の知り合いであることがいい。
別に2人を恨んでいるわけではないが、ささやかな復讐心もあった。
羽鳥の後輩だし、羽鳥も吉野も律のことを心配しているようだし。
その律を攫ってやるのも面白いと思ったのだ。
*****
高屋敷の誤算は、小野寺律という人間のキャラクターだった。
その綺麗な容姿に似合わず、彼の内面は妙に泥臭かったのだ。
仕事に関しては手を抜くこともなく、真面目で一生懸命。
しかもいつも全力の直球勝負だ。
例えば高屋敷の相手をすることにしてもそうだ。
直接の担当でないのだから、いちいち律儀に受け答えなどしなくていいのだ。
しかも「好き」だの「付き合って」だのふざけた言葉も多いのに。
律は高屋敷の一言一言をちゃんと聞き、考えて、答えを返す。
決して媚びて機嫌を取るようなことも、適当に抜くということもしない。
あまりにもいつも真剣で、いつか折れてしまうのではないかと不安になるほどに。
とにかく高屋敷の周辺にはいないタイプの人間だった。
そんな律がかわいく、愛おしいと思ってしまった。
そして本気で欲しいと思ってしまった。
だから騙して薬を飲ませるなんて、強硬手段に出たのだ。
もし他の誰かが好きな相手に同じ事をしたと聞いたら、高屋敷は笑うだろう。
やり方がスマートじゃない、恋愛なんかに本気になるなんてカッコ悪い、と。
それでもどうしても律を自分のものにしたかった。
だがいざ律を自分の部屋に連れ込み、薬を飲ませて監禁状態にしたものの。
ここから先、勢いで手を出してしまっていいのかと高屋敷は迷っている。
いつもの軽い遊び感覚で抱いていい相手ではない。
高屋敷の扱い1つで、律の身体も心も簡単に壊れてしまいそうだ。
その時、来客を告げるインターフォンが鳴った。
モニターを覗いて来客を確認すると、高屋敷はため息をついた。
そして小さく「ゲームオーバーか」と呟くと、オートロックのドアを開錠した。
*****
ドアを開けた高屋敷は驚いた。
インターフォンのモニターに現れたのは、確かに羽鳥だった。
羽鳥が1人で来たか、もしくは吉野と一緒に来たものと思っていた。
だが実際に室内に入ってきたのは、羽鳥とエメラルドの編集長、高野だった。
「アイツ、来てるよな。」
羽鳥がそう聞いてきた。
静かだが低いその声で、羽鳥が怒っていることがわかる。
だがその後ろに立つ高野はまったく冷静な様子で、その感情は読めなかった。
「連れて帰るならこの仕事を降りるって言ったら、どうする?」
高屋敷は挑発するようにそう言った。
律を半ば監禁しているのだから、問題になるだろう。
多分吉川千春とのコラボ企画の仕事は降ろされてしまう。
だったらいっそ自分から降りてしまおう。
そんな投げやりな気分だった。
「俺たちは、身体を売って仕事を取るような真似はしない。」
羽鳥が冷たい口調でそう言い切った。
つまり律を何が何でも取り返すということなんだろう。
高屋敷はそう理解した。
「小野寺はここにいるんですよね?」
高野が穏やかな口調で表情で詰め寄ってくる。
だが高屋敷は見た。
高野の指先がかすかに震えていることに。
懸命に怒りを抑えている。
高野は羽鳥と同じくらい、いや羽鳥以上に怒っているのだ。
これ以上、誤魔化せる雰囲気ではない。
高屋敷は諦めて、寝室のドアを指差した。
*****
「小野寺、無事か!?」
高野がドアを蹴破る勢いで寝室に飛び込んだ。
そしてベットに転がされた律の姿を見つけて、愕然とした表情になった。
後手に縛られ、足も拘束され、上半身をはだけさせられている律が、朦朧とした顔で高野を見た。
「小野寺っ!」
「たかの、さん。。。」
高野が駆け寄り、律の手足の拘束を解いて、シャツのボタンをはめてやっている。
だが律はすぐに起き上がることができなかった。
ずっと縛られていた腕はしびれており、身体にはまだ薬が効いているせいだ。
高野が律に覆い被さるように顔を寄せ、その耳元で何かを囁いた。
そして次の瞬間、高屋敷は見た。
高野が律の耳に息を吹きかけ、耳たぶにキスを落としたのを。
高屋敷は驚いて、羽鳥を見た。
おそらくは羽鳥も、今の高野の行為を見ただろうと思う。
だが羽鳥は何も言わず、じっと高屋敷の目を見返してきた。
無言の羽鳥の目が雄弁に語っている。
これを見てわからないのか、と。
「なるほどね。」
高屋敷はため息混じりにそう言った。
今まで高野とは挨拶程度しかしたことがなく、高野と律のからみなど見たことがない。
だから気がつかなかったのだ。
この2人の間に、高屋敷が入り込む余地などないということに。
高野が律をゆっくりと抱き起こした。
身体に力が入らない律は、そのまま身体を預けている。
羽鳥が手を貸して、高野が律を背中に背負う。
高野も羽鳥もこの部屋に長居をするつもりはないらしい。
高屋敷は「また当て馬か」と小さく呟いた。
*****
「高屋敷、さん」
律を背負った高野が歩き出し、羽鳥がそれに続く。
その高野と高屋敷がすれ違う瞬間、律が声を上げた。
高野も羽鳥も足を止める。
高屋敷は、高野の背中に身体を預けている律と視線を合わせた。
「吉川先生、との、コラボ企画、続けて、くれますよね?」
律は整わない呼吸と掠れた声でそう言った。
目の焦点が合わず、表情もぼんやりしている。
だが懸命に言葉をつむぐ様子に、高屋敷は気圧されていた。
「せっかく、ここまで、作ったんだから。絶対に、最後まで。」
律は息も絶え絶えになりながら、なおも続ける。
高屋敷は律から高野に視線を移した。
判断は任せるという意思表示だった。
それまで冷静な表情だった高野の口元がゆるんだ。
「トリ、次の予定は?」
「吉川千春のシナリオ待ちです。多分数日以内に出来上がるでしょう。」
高野の質問に、羽鳥が事務的に答える。
高野は短く「そうか」と答えて、高屋敷の方に向き直った。
「では次の打ち合わせの日程が決まり次第、羽鳥から連絡させます。」
高野はきっぱりとそう言うと、歩き出した。
律のカバンを拾い上げた羽鳥が、その前に回りドアを開ける。
そして3人は高屋敷の部屋から去っていった。
1人残された高屋敷は敗北感を噛みしめていた。
最初から勝ち目のない勝負だったのだ。
高野の律への想いの深さは並大抵ではない。
同時にホッとしている自分にも気付く。
律の携帯電話ではなく編集部に電話をかけたのは、誰かに気付いて欲しかったからだ。
媚薬を飲ませて自由を奪ったのに、コトに及ばなかったのは怖かったからだ。
律を決定的に傷つけてしまうことはさけたかった。
だから我慢比べなどと称して、ずっと手を出せないでいた。
結局律に真剣に惚れてしまっているのだ。
耳にチュウか。熱いな。
高屋敷はひとりごちた。
律のことを諦めるにはしばらく時間がかかりそうだ。
【続く】