愛してる5題

【神を殺して僕も死ぬ】

あなたは嵯峨先輩じゃない。
小野寺律は男の顔を真っ直ぐに見据えて、そう言った。

始めはちょっとした違和感だった。
律が面白いと言った評した本を、高野が「読んだ事がない」と言ったのがきっかけだったと思う。
その本は、高野が高校時代に何度も図書室で借りていた本だ。
当時高野が読んでいた本をストーカーよろしく漁りまくっていた律はよく覚えている。
それなのに当の高野本人は、まるで初めて見た様子で「読んだら貸してくれ」と言った。

そんなことが続くようになった。
一緒にファーストフード店でサンドイッチを食べたり、彼の家に泊まりに行ったり。
高校時代のそんな思い出が、細かいところで食い違う。
1つや2つなら記憶違いと思えるが、ちょっと多すぎる気がする。
それに想いを認めて、何度も身体を重ねるうちに気付いた。
確か高野の身体に昔あったはずの傷痕や痣がなかったり、ないはずのほくろがあったりする。

1度おかしいと思ってしまうと、もう湧き上がる疑念は止まらない。
こうして見ると、顔などもどこか違うような気がする。
この人は嵯峨先輩じゃない?
いつしか律の疑念は、高野への不信感に変わった。

意を決した律は、いつものように高野の部屋に招き入れられながら、覚悟を決めていた。
どうしても確認しないわけにはいかない。
このまま大事なことを曖昧にして、恋人として付き合っていくことなどできないと思った。

*****

俺が、嵯峨じゃないって?
高野は唖然とした表情で、そう聞き返した。

高野が嵯峨でないとしたら、本物の嵯峨はその存在を消されてしまったことになる。
だとしたら、高野の周辺で失踪した人間がいるのではないか。
そう思って昔の新聞記事を調べた律は、ある事件を見つけた。

今から約10年前、律が留学先であるイギリスにいた頃。
高野に以前住んでいたという香川の小さな街で、男子高校生が駅のホームから転落して亡くなっていた。
どうやら自分で線路に飛び込んだ自殺らしい。

この青年こそ嵯峨政宗なのではないか。
高野は彼の死を利用して、なりすましたのではないか?
神を殺して僕も死ぬ。
高野は神をも恐れぬ所業で、自分の存在をを殺し、まんまと別人とすり替わったのではないか。

律は恐る恐る自分の推理を話した。
まるでテレビの2時間ドラマみたいに安っぽくて、荒唐無稽な話だと思う。
それなのに話しているうちに、間違いないような気もしてくるのだ。
もし高野がそれを認めたらどうしたらいいのかと思う。
だが高野は律の話を聞き終えると、唖然とした後に大爆笑した。
それこそ律が呆気にとられるほど笑った後「アホか」ときっぱり言い捨てた。

人が1人、入れ替わって、誰も気付かねーはずがねーだろ。
そもそもその列車事故?そりゃ俺が転校するより前だ。
高野は呆れたようにそう言い放った。

律の中で膨れ上がった疑念は、一瞬にして消えた。
確かにその通り、人がすり替わるなんて、そんなに簡単にできることではない。
それに高野は高校時代に律と過ごしたことを、概ね覚えているじゃないか。
きっと少々違和感があるのは、10年という年月のせいだ。
高野か律、どちらかが記憶違いをしているだけだろう。

シャワーどうする?一緒に浴びるか?
すっかり普段の様子に戻った高野にそう聞かれて、律は真っ赤になった。
だがすぐに「お、お先にどうぞ!」と声を裏返しながら、答える。
高野はしてやったりのどや顔で「じゃお先」とバスルームへ消えた。

昔の嵯峨先輩はあんなこと、言わなかったな。
律はふとそう思い、そもそもシャワーなど浴びるような状況もなかったと思い直した。

*****

あなたは嵯峨先輩じゃない。
律にそう言われた時、高野政宗は本当に驚いた。

律が違和感を持っていることには気付いていた。
昔の思い出話をしたりすると、律は時々考え込むような表情になる。
ああ、また律の記憶と違う話をしてしまったのか。
高野は心の中でため息をつきながら、表面上はなにもない顔でやり過ごしている。

律の推理はほとんど当たっている。
高野は律が知っている嵯峨政宗とは別人だ。
律には「人が1人、入れ替わって、誰も気付かないはずがない」と言った。
だが実際、高野は実に簡単に嵯峨政宗との入れ替わりをやってのけたのだ。

もちろん偶然が作用した部分は大きい。
高野の母と嵯峨の母は姉妹で、高野の母は消息不明で小さい頃から祖母と暮らしていた。
そこへ親の離婚によって、預けられた嵯峨。
2人は母親がよく似ていたせいで、顔もそっくりだった。
嵯峨は律にフラれたばかりでひどく落ち込み、引っ越した当初、学校に行かずに引きこもっていた。
律との思い出話を聞かされて、高野はウンザリしたものだ。

同じような顔で、同じ祖母の家で暮らすことになった高野と嵯峨の大きな違い。
それは母親だった。
嵯峨の母親は子供に愛情がないようだが、生活費はきちんと送ってくれる。
だが高野の母は世間「ろくでなし」だ。
横領だが、詐欺だか犯罪を繰り返し、あの母の息子というだけで小さな街では肩身が狭かった。
だから高野はためらいなく自分が死んだことにした。
祖母が認知症だったこと、嵯峨が学校に言ってなかったこと、嵯峨の母が嵯峨に関心がなかったこと。
すべてが高野に味方した。

やっぱり一緒に入っていいですか。
不意にバスルームのドアが開き、律が顔を覗かせた。
いいもなにもすでに服を脱ぎすてている律を、バスルームに引っ張り込む。
そして照れて壁際に立つ律の無防備な背中に、シャワーの湯をかけてやった。

ひとつだけ外れてるぞ、律。
高野はシャワーを浴びせながら、心の中でそっと呟く。
律は高野が偶然の事故を利用して、入れ替わったものと推理した。
だが実際は違う。
駅のホームで嵯峨政宗の背中を押した感触は、今でもこの手に残っている。

もし律が再び疑念を持ち始めたら、そしてそれを言葉で誤魔化すことができなくなったら。
この背中を押さなくてはならないのだろうか。
かつて嵯峨政宗が愛し、今高野が愛する青年の存在を消さなくてはならなくなったとしたら。

神を殺して僕も死ぬ。
きっと世界のすべてが色を失くし、神も自分の存在さえも意味のないものになってしまうのだろう。

【終】
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