キス5題

【鼻にチュウ】

どうしてこんなことになっている?
小野寺律はなす術もなく、薄笑いを浮かべる高屋敷を見ていた。

律は高屋敷の自宅にいた。
高屋敷宅のリビングのソファに座り、高屋敷の腕に抱きしめられている。
どうしてこんなことになっているのか。
律は朦朧とする頭で、懸命に考えている。

そうだ。編集部に電話が来たのだ。
木佐が取り次いでくれた。
電話の相手は高屋敷で、トラブルが発生したのだと言われた。
トラブルって何ですか?と聞いたが、とにかく来てくれと頼まれた。
羽鳥も吉野も呼んだが、律にも来て欲しいと。
その切羽詰った口調から、大きなトラブルだと思った。
だから告げられた住所を書き取り、その場所-高屋敷の自宅に来た。

だが来てみると、高屋敷の態度は全然違った。
のんびりとしていて「何か飲む?」などと悠長に聞いてきた。
そしてオレンジジュースを出してくれながら、羽鳥も吉野も来ないと言った。
どういうことかと聞いてもはぐらかされて。
そのうちに身体の調子がおかしくなったのだ。

頭の中がまるで霞がかかったように朦朧としている。
それに手足を動かそうとしても、力が入らない。
そのくせ身体の中心-下半身に熱が集まって、ひどく昂ぶっている。
身体全体が火照ってしまい、ひどく暑かった。

*****

律は高屋敷については、本当に困っていた。
律は普段ゲームなどしないから、高屋敷の仕事についてはよくわからない。
だが前回の吉野の作品をゲーム化したものは見た。
吉野の作品の世界観を楽しく表現したすばらしいソフトだと思った。

主人公のモデルに律の顔を使いたいと言われたときには、正直なところ嫌だった。
律自身は、年齢よりも幼く見える自分の顔が好きではない。
それに良い作品を生み出す手伝いをするのが、編集者だと思う。
たとえ単なるモデルでも、作家を差し置いて表に出ることには抵抗があった。

それでも最終的に了承したのは「いい作品を作りたい」という高屋敷の言葉。
そしてこのゲーム化の企画に多少なりとも関わりたいという思いもあった。
漫画とも小説とも違う手法で出来るゲームソフトへの興味。
それに律が担当する作品もいつかゲーム化などということもあるかもしれない。
そういう場合には役に立つこともあるはずだ。

だが高屋敷の律に対する態度には、どうしていいかわからなかった。
律の顔や身体にベタベタと触りまくり、唇をよせることもある。
そして「好き」とか「付き合って」とか、何度も耳元で囁くのだ。

もし高屋敷が単なる友人であるなら、断固として拒否しただろう。
だが仕事関係となると簡単にはいかない。
きつい言葉を投げつけては気まずくなり、いろいろとやりにくくなるかもしれない。

それに高屋敷が、どこまでが本気なのかわからない。
ひょっとすると高屋敷は、律をからかっているだけなのではないか。
自分の容姿にも性格にも自信を持っていない律は、告白そのものを疑っていた。
高屋敷にすれば、ちょっとしたジョークの一種にしかすぎないのかもしれない。
だとすれば律が本気でことわるのも、どこか滑稽で馬鹿馬鹿しい。

*****

「薬、効いてきた?」
ソファに身体を預けたままぐったりと動けない律の顔を、高屋敷が覗き込む。
律はトロンとした目で、高屋敷を見た。

「仕事仲間にもらったんだ。いわゆる媚薬ってやつ。」
「び、やく?」
「さっきのオレンジジュースに入れたんだ。」
高屋敷が律の身体を抱き寄せて、頬に触れた。
高屋敷の腕に閉じ込められた今の律には、逃げ出す力もない。

「なんで、そんなこと。」
「好きだからさ。なのに律っちゃんは全然その気になってくれないし。」
「好きって。。。」
「トリの時は失敗したからね。今度は逃がさない。」
何だかわからないが、怪しい薬を盛られたということらしい。
高屋敷の手が律の顔や身体をなで回す。
そんな刺激にすら律の身体は反応してしまい、息が荒くなる。

「全身の筋肉が弛緩して性感が増すって話だけど。ちゃんと効いてるみたいだね。」
高屋敷は仕掛けた悪戯が成功した子供のように、無邪気に笑う。
それが律にはどうにも不気味だった。
身体の動きを封じられ、淫らな欲望をかきたてられたら。
もうその先にあるのはもう性交しかないように思える。
このまま高屋敷に抱かれてしまうのか。
それはどう考えても最悪の結末だ。

*****

「もしかして俺が律っちゃんのこと、無理矢理抱くと思ってる?」
高屋敷がふと思いついたように、そう聞いてきた。
違うんですか?
律はそう言いたかったが、もう話す余裕もなくなってきた。
パチパチと瞬きをして、視線で高屋敷に問いかける。

「無理矢理なんてしないよ。そういう趣味はないから。」
高屋敷はそう言いながら、律の額に自分の額を押し当てる。
媚薬など飲ませておいて無理矢理は趣味じゃない、なんて説得力がない。
律は朦朧とする頭でぼんやりとそう思った。

「俺のものになってよ。そうしたら鎮めてあげる。」
高屋敷はサラリとさり気ない口調で、無茶なことを言う。
律は驚いて「無理です」と答えた。
息も絶え絶えで弱々しい声だったが、高屋敷には聞こえたようだ。
高屋敷は「そう言うと思った」と言って、低く笑った。

「じゃあ我慢比べだね。」
高屋敷はまるで楽しいゲームでもするように、はしゃいでいる。
律の顔が綺麗だと、高屋敷はよく言っている。
だが至近距離で見る高屋敷の顔こそ綺麗だと律は思う。
自信に満ちていて曇りがない笑顔。
力強いその目がしっかりと律に狙いを定めている。

「この薬強いし、抜けるまでかなり時間がかかるらしいから。楽しみだ。」
もう冗談ではなく、逃げられないところにいるのだと律は思い知った。
高屋敷の指が触れるだけでも、もう感じさせられている。
律は本当にあっけなく、高屋敷の罠に堕ちたのだ。

*****

誰か気がついて助けに来てくれないだろうか?
律は回らない頭で懸命に考える。
呼び出しの電話を受けたとき、編集部にいたのは取り次いでくれた木佐だけだ。
だけど木佐は夕方から作家と打ち合わせに出る予定だったはず。
きっと律のことなど、頭から消えてしまっているだろう。
羽鳥か吉野がここに来る可能性は。。。多分ゼロ。
2人は今日、律が高屋敷に呼び出されているなんて夢にも思っていないだろう。

「本当は唇にしたいけど、まだ鼻にチュウで我慢してあげるよ。」
高屋敷はそう言って、律の鼻にキスを落とした。
それだけで媚薬で追い上げられた身体はビクリと反応してしまう。

高野さん。
律は心の中で、来るはずのない男の名を呼んだ。
一人前の編集者なら、うまくやってみせろ。
高野は高屋敷に言い寄られて困っている律にそう言った。
言いたいことはいろいろあったと思うが、まかせてくれていたのに。
高野の期待を裏切ってしまった。

「暑いでしょ。服脱がしてあげる。」
高屋敷の指が、ゆっくりと焦らすように律のシャツのボタンを外していく。
身体の中で暴れまわる媚薬はどんどん威力を増して律を攻め立てる。

最後まで我慢できれば律の勝ち、我慢できずに屈服すれば高屋敷の勝ちだ。
高屋敷はこのゲームを楽しむつもりらしい。
律にはつらい勝負だが、負けるわけにはいかない。
負ければきっと2度と高野に顔向けできなくなるだろう。

【続く】
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