愛してる5題
【神様は間違っている】
神様は間違っている。
吉野千秋は心の中でそう思った。
本当は全て自分が招いた結論であり、神様のせいにすることが間違いだ。
わかっていても誰かのせいにして、現実逃避したかった。
どこで間違えたのかと考えれば、行き着くのはあの花火の夜だ。
担当を外れると言い出した羽鳥を引き止めようと、恋心を受け入れた。
だがその決断は正しかったのだろうか?
あのとき離れていた方が、よかったのではないか。
羽鳥が吉野にとって特別な存在であることは間違いない。
一緒に旅行に行ったし、デートもした。
キスもしたし、身体も重ねた。
それらの恋人らしい出来事に嫌悪こそなかったが、罪悪感は常にあった。
男同士でこんなことをしてて、いいのだろうか。
そして吉野をそれ以上に悩ませるのが、もう1人の大事な友人、柳瀬の存在だ。
趣味も合うし、アシスタントとしても優秀で、一緒にいて楽しい。
その柳瀬にも気持ちを打ち明けられたが、拒絶したという経緯がある。
羽鳥と恋人になった後、それは不実なことだと思ったからだ。
だがそれ以来微妙に離れた距離が、寂しくて悲しい。
もし先に柳瀬に打ち明けられていたら、どんな結果になっていたのだろう。
つらつらと考えると、自分は羽鳥より柳瀬の方が好きなのだという結論に至ってしまう。
羽鳥とのことは単なる勢いで、実は自分の恋心は柳瀬にあるのだと。
どっちに転んでも男が好きなのかと、自分の異常性にも絶望するしかない。
そしてついに吉野は決心した。
羽鳥とは友人、そして作家と編集者としての関係に戻る。
もしまた「担当を変える」と言われても、今度はもうことわらない。
吉野は自宅に羽鳥を呼び出して、ありのままの気持ちを伝えた。
じっと険しい顔で話を聞いていた羽鳥は、不思議と驚いた様子はなかった。
吉野が予想もしなかったことを告げて、ニンマリと笑ったのだ。
その不気味な笑顔は、吉野を凍りつかせるには充分だった。
*****
神様は間違っている。
ならば自分が神様に代わって、2人の関係を正しい形にするしかない。
羽鳥芳雪は真剣にそう思った。
吉野の家に呼び出されたとき、羽鳥にはその内容がわかっていた。
入稿を終えたばかりのこの時期、仕事の相談ではありえない。
どこかへ出かける誘いなら、メールや電話で充分だ。
まして羽鳥も吉野もお互いの家に頻繁に出入りしている。
軽い用事ならば、わざわざ呼び出さなくてもいくらでも話す機会はある。
わざわざ呼び出すほどの大事な話。
それは2人の関係に他ならないだろう。
しかも実際に面と向かったときの吉野の暗い表情。
吉野は今、羽鳥に別れを告げるつもりなのだ。
吉野の気持ちが羽鳥にないことくらい、とっくに見抜いていた。
勢いで付き合い始めたものの、吉野はこれでいいのかといつも迷っていた。
決定的なのは、柳瀬の存在だ。
柳瀬もまた吉野が好きなのだと意思表明し、羽鳥と付き合っている吉野はこれをことわった。
この件以降、吉野は羽鳥との関係を後悔しているようだ。
最近の吉野は、仕事中でもときどき柳瀬を熱っぽい目で見ていることがある。
真剣な表情でペンを動かす柳瀬をじっと見つめるその瞳は、恋する乙女のようだ。
羽鳥はその都度「仕事に集中しろ」と言って、吉野の視線を断ち切る。
だがいつも一緒にいられるわけではないし、恋心など止めようがない。
そして恐れていた時が来た。
吉野は自分の気持ちを正直に告げ、別れたいと言い出したのだ。
冗談じゃない。
ただ別れたいと言われれば、応じてやれたかもしれない。
普通に女の子に恋してくれれば、仕方がないと思えただろう。
だがよりによって柳瀬が好きだなんて、許せない。
その途端、羽鳥は自分の中で何かが弾けて消えたのを感じた。
神様に背を向けて悪魔に良心を売った瞬間だったと、後々羽鳥は思い出す。
それならばもう丸川書店関係の仕事はできないだろうな。
羽鳥は自分でも驚くほど冷たい声でそう言った。
そんなこと、覚悟の上だよ。
吉野が強がってそう答えたものの、声が震えている。
羽鳥はかすかに目を細めると「お前じゃないよ」と言ってやった。
吉野は「まさか優の?」と声を上げたのを見て、ニンマリと口元を歪めて笑った。
柳瀬は吉野や伊集院響など、丸川書店の仕事を多くしている。
それに丸川から言わば出入り禁止状態になれば、他の書店の仕事にも影響するだろう。
なにか問題があるのではないかと、よけいな勘ぐりをされることになる。
だがもちろんハッタリだ。
副編集長とはいえ、経営に関して権限のない編集者がそんなことはできない。
だが素直な吉野には、この威嚇は充分だ。
ずっと気丈に振舞っていた吉野の表情が歪み、崩れるように床に座り込んだ。
羽鳥はそんな吉野に冷ややかに見下ろすと「別れ話、撤回するよな?」と聞いた。
吉野が俯いたままコクンと首を縦に振るのを見て、羽鳥は神様に勝ったのだと思った。
*****
神様は間違っている。
そう思った柳瀬は、すぐに思い直して首を振った。
この世に神様などいない。
もしもいるなら、こんなことにはなっていなかったはずだ。
学生の頃から、羽鳥と吉野をずっと見ていた。
羽鳥が吉野に恋心を抱いていることなど、すぐに見て取れた。
しかも当の吉野が全然気づいていないことには驚いた。
これほどあからさまなのに気付かない吉野の鈍感さには苛立ちを覚えたほどだ。
2人が結ばれたときには、実を言うと少々ホッとした。
いつまでもふらふらと落ち着かないから、柳瀬まで迷わされるのだ。
ちゃんと恋人になってくれれば、こっちだって諦めがつく。
彼が柳瀬を見ていないのは間違いないのだから、さっさと過去にしてしまいたいのだ。
だが最近、おかしなことになっている。
ふと見ると吉野がじっと熱っぽい瞳で、柳瀬を見ている。
そして羽鳥がそんな吉野を睨んでいるのだ。
冗談じゃない。
今頃吉野に恋心を抱かれても、迷惑なだけだ。
柳瀬がずっと好きなのは、吉野ではなく羽鳥なのだから。
羽鳥のことがずっと好きだった。
だが羽鳥が吉野にしか興味がないことがわかったから、吉野に執拗にからんだのだ。
羽鳥の愛情を独り占めしている吉野など、好きでも何でもない。
だが吉野と一緒にいることで、確実に羽鳥の記憶に残る。
愛されることがないのだから、2人の間を邪魔して思い切り憎まれてやろうと思った。
それもひと通り終わったことだし、もう吉野とは距離を置きたいのだ。
吉野がいないところで、羽鳥とは関わっていたい。
だが羽鳥の他の担当作家は、専属アシスタントがしっかり決まっており空きがない。
だから嫌々ながら吉野のアシスタントを続けているのだ。
冗談じゃない。
柳瀬は粘っこく絡み付く吉野の視線を無視して、ペンを動かす。
そして吉野しか見ていない羽鳥を盗み見て、秘かにため息をつくのだ。
【終】
神様は間違っている。
吉野千秋は心の中でそう思った。
本当は全て自分が招いた結論であり、神様のせいにすることが間違いだ。
わかっていても誰かのせいにして、現実逃避したかった。
どこで間違えたのかと考えれば、行き着くのはあの花火の夜だ。
担当を外れると言い出した羽鳥を引き止めようと、恋心を受け入れた。
だがその決断は正しかったのだろうか?
あのとき離れていた方が、よかったのではないか。
羽鳥が吉野にとって特別な存在であることは間違いない。
一緒に旅行に行ったし、デートもした。
キスもしたし、身体も重ねた。
それらの恋人らしい出来事に嫌悪こそなかったが、罪悪感は常にあった。
男同士でこんなことをしてて、いいのだろうか。
そして吉野をそれ以上に悩ませるのが、もう1人の大事な友人、柳瀬の存在だ。
趣味も合うし、アシスタントとしても優秀で、一緒にいて楽しい。
その柳瀬にも気持ちを打ち明けられたが、拒絶したという経緯がある。
羽鳥と恋人になった後、それは不実なことだと思ったからだ。
だがそれ以来微妙に離れた距離が、寂しくて悲しい。
もし先に柳瀬に打ち明けられていたら、どんな結果になっていたのだろう。
つらつらと考えると、自分は羽鳥より柳瀬の方が好きなのだという結論に至ってしまう。
羽鳥とのことは単なる勢いで、実は自分の恋心は柳瀬にあるのだと。
どっちに転んでも男が好きなのかと、自分の異常性にも絶望するしかない。
そしてついに吉野は決心した。
羽鳥とは友人、そして作家と編集者としての関係に戻る。
もしまた「担当を変える」と言われても、今度はもうことわらない。
吉野は自宅に羽鳥を呼び出して、ありのままの気持ちを伝えた。
じっと険しい顔で話を聞いていた羽鳥は、不思議と驚いた様子はなかった。
吉野が予想もしなかったことを告げて、ニンマリと笑ったのだ。
その不気味な笑顔は、吉野を凍りつかせるには充分だった。
*****
神様は間違っている。
ならば自分が神様に代わって、2人の関係を正しい形にするしかない。
羽鳥芳雪は真剣にそう思った。
吉野の家に呼び出されたとき、羽鳥にはその内容がわかっていた。
入稿を終えたばかりのこの時期、仕事の相談ではありえない。
どこかへ出かける誘いなら、メールや電話で充分だ。
まして羽鳥も吉野もお互いの家に頻繁に出入りしている。
軽い用事ならば、わざわざ呼び出さなくてもいくらでも話す機会はある。
わざわざ呼び出すほどの大事な話。
それは2人の関係に他ならないだろう。
しかも実際に面と向かったときの吉野の暗い表情。
吉野は今、羽鳥に別れを告げるつもりなのだ。
吉野の気持ちが羽鳥にないことくらい、とっくに見抜いていた。
勢いで付き合い始めたものの、吉野はこれでいいのかといつも迷っていた。
決定的なのは、柳瀬の存在だ。
柳瀬もまた吉野が好きなのだと意思表明し、羽鳥と付き合っている吉野はこれをことわった。
この件以降、吉野は羽鳥との関係を後悔しているようだ。
最近の吉野は、仕事中でもときどき柳瀬を熱っぽい目で見ていることがある。
真剣な表情でペンを動かす柳瀬をじっと見つめるその瞳は、恋する乙女のようだ。
羽鳥はその都度「仕事に集中しろ」と言って、吉野の視線を断ち切る。
だがいつも一緒にいられるわけではないし、恋心など止めようがない。
そして恐れていた時が来た。
吉野は自分の気持ちを正直に告げ、別れたいと言い出したのだ。
冗談じゃない。
ただ別れたいと言われれば、応じてやれたかもしれない。
普通に女の子に恋してくれれば、仕方がないと思えただろう。
だがよりによって柳瀬が好きだなんて、許せない。
その途端、羽鳥は自分の中で何かが弾けて消えたのを感じた。
神様に背を向けて悪魔に良心を売った瞬間だったと、後々羽鳥は思い出す。
それならばもう丸川書店関係の仕事はできないだろうな。
羽鳥は自分でも驚くほど冷たい声でそう言った。
そんなこと、覚悟の上だよ。
吉野が強がってそう答えたものの、声が震えている。
羽鳥はかすかに目を細めると「お前じゃないよ」と言ってやった。
吉野は「まさか優の?」と声を上げたのを見て、ニンマリと口元を歪めて笑った。
柳瀬は吉野や伊集院響など、丸川書店の仕事を多くしている。
それに丸川から言わば出入り禁止状態になれば、他の書店の仕事にも影響するだろう。
なにか問題があるのではないかと、よけいな勘ぐりをされることになる。
だがもちろんハッタリだ。
副編集長とはいえ、経営に関して権限のない編集者がそんなことはできない。
だが素直な吉野には、この威嚇は充分だ。
ずっと気丈に振舞っていた吉野の表情が歪み、崩れるように床に座り込んだ。
羽鳥はそんな吉野に冷ややかに見下ろすと「別れ話、撤回するよな?」と聞いた。
吉野が俯いたままコクンと首を縦に振るのを見て、羽鳥は神様に勝ったのだと思った。
*****
神様は間違っている。
そう思った柳瀬は、すぐに思い直して首を振った。
この世に神様などいない。
もしもいるなら、こんなことにはなっていなかったはずだ。
学生の頃から、羽鳥と吉野をずっと見ていた。
羽鳥が吉野に恋心を抱いていることなど、すぐに見て取れた。
しかも当の吉野が全然気づいていないことには驚いた。
これほどあからさまなのに気付かない吉野の鈍感さには苛立ちを覚えたほどだ。
2人が結ばれたときには、実を言うと少々ホッとした。
いつまでもふらふらと落ち着かないから、柳瀬まで迷わされるのだ。
ちゃんと恋人になってくれれば、こっちだって諦めがつく。
彼が柳瀬を見ていないのは間違いないのだから、さっさと過去にしてしまいたいのだ。
だが最近、おかしなことになっている。
ふと見ると吉野がじっと熱っぽい瞳で、柳瀬を見ている。
そして羽鳥がそんな吉野を睨んでいるのだ。
冗談じゃない。
今頃吉野に恋心を抱かれても、迷惑なだけだ。
柳瀬がずっと好きなのは、吉野ではなく羽鳥なのだから。
羽鳥のことがずっと好きだった。
だが羽鳥が吉野にしか興味がないことがわかったから、吉野に執拗にからんだのだ。
羽鳥の愛情を独り占めしている吉野など、好きでも何でもない。
だが吉野と一緒にいることで、確実に羽鳥の記憶に残る。
愛されることがないのだから、2人の間を邪魔して思い切り憎まれてやろうと思った。
それもひと通り終わったことだし、もう吉野とは距離を置きたいのだ。
吉野がいないところで、羽鳥とは関わっていたい。
だが羽鳥の他の担当作家は、専属アシスタントがしっかり決まっており空きがない。
だから嫌々ながら吉野のアシスタントを続けているのだ。
冗談じゃない。
柳瀬は粘っこく絡み付く吉野の視線を無視して、ペンを動かす。
そして吉野しか見ていない羽鳥を盗み見て、秘かにため息をつくのだ。
【終】