狂宴舞踏会

【俺もお前もみんな狂ってる】

何となくこうなることはわかってた気がする。
井坂は苦い表情で、ため息をついた。

ダンスパーティの翌日、丸川書店の社長室。
デスクに座る井坂の前には、高野と羽鳥が立っていた。
朝比奈は井坂の背後に、影のように寄り添っている。
高野は「辞表」と書かれた白い封筒を、井坂の前に置いた。

「引き継ぎ事項は書類にまとめて、羽鳥に渡しています。」
「手間をかけて悪いが、荷物は全部処分してくれ。」
最初の言葉は井坂、次の言葉は羽鳥に向けられていた。
つまり今日付で、高野は会社を去るつもりなのだ。

「昨日は何があった」
井坂は高野にそう聞いた。
羽鳥ももの問いた気な表情で、高野の横顔を見ている。
井坂の背後の朝比奈は感情を顔に出すことはないが、内心は知りたいだろう。
だが高野は薄く笑っただけで、何も答えなかった。

昨日のダンスパーティは散々だった。
途中で爆弾が爆発し、警察が駆け付ける騒動になった。
爆弾は遠隔操作するタイプと分かり、全員の所持品と身体検査が行われた。
その結果、爆弾のリモコンは律と結婚する予定だった女性、小日向杏の父親が所持していたのだ。

小日向氏は当然、否定した。
誰かが知らない間に、リモコンをスーツのポケットに入れたのだと。
だが小日向氏には、爆発を仕掛ける動機があった。
何とあのパーティがあったホテルを買収しようとしていたというのだ。
事件があったホテルとなると、イメージは悪くなる。
しかも爆発物を持ち込めるのだから、ホテルのセキュリティがゆるいことは発覚してしまった。
そこで値段を下げさせようという狙いがあったのではないかと推測されたのだ。

井坂からすれば、そんなバカなと思う。
それなりの権力を持っている者が、そんなチンケな犯罪を行なうわけがない。
だがそう見せておいて逆に、などと発想するヤツもいる。
小日向氏は今、疑惑の渦中にいた。

井坂は違うと思っている。
おそらくあの爆発の起動ボタンを押したのは、小野寺律だ。
何故ならあの爆発の混乱の後、律は両親たちの元に駆け寄ったからだ。
もしまったく無関係で爆発に驚いたなら、高野に駆け寄っていたはずだ。
2人が今も好き合っているのは明白なのだから、あんな場面では近くに行こうとするだろう
その行動の矛盾は、高野にも当てはまる。
あの時、律に駆け寄らなかったのは、爆弾が1つしかないとわかっていたから。
そして爆発させたのは律だとわかっていたのだと思う。
そうして高野と律は、自分たちに邪魔な者たちを排除したのだ。

「お前はそれでいいのか?人を陥れて、心は痛まないのか?」
井坂は静かにそう聞いた。
だが高野の表情はまったく揺るがない。
動揺することもなく、怒ることもなく、まっすぐに井坂を見た。

「あんたならどうします?もしも朝比奈さんをどこか遠くに引き離されたら」
高野はそう言って、井坂を見た後、羽鳥を見た。
井坂だけでなく羽鳥にも問うているのだ。
もしも吉川千春を理不尽に遠ざけられたらどうするのか。
羽鳥は「そんなの決まってますよ」と、小さいが凄味のある声で呟いた。

「辞表は受理する。業務に支障がないように、ちゃんとしてくれ。」
井坂はそれ以上、追求することはやめた。
高野は「ありがとうございます」と頭を下げ、羽鳥は無言でそれに倣う。
そして2人は社長室から出て行った。

何となくこうなることはわかってた気がする。
井坂は苦い表情で、ため息をついた。
そう、予感はしていたのだ。
わかった上で、井坂は高野をパーティに連れて行った。

「俺も共犯だな」
井坂はポツリとそう呟くと、振り返って朝比奈を見た。
朝比奈は素知らぬ振りで「あと10分で、経営会議の時間です」と告げた。

*****

やっと戻ってこられた。
律は愛する男のにおいを、胸いっぱいに吸い込んだ。

昨日のパーティの後、律は警察に出頭していた。
いわゆる事情聴取と言うやつだ。
解放されたのは、深夜のこと。
その後、律は実家に戻らず、かつて住んでいたマンションに戻ってきていた。
引越は住んで、解約手続きも住んでいたが、家賃は払ってある。
だから今月末日まで、あと10日はここで過ごせる。
だけどそれはあくまで世間的なカモフラージュだ。
実際は隣の高野の部屋で、久しぶりに濃密な一夜を明かした。

高野があのパーティに紛れ込んでいるのを見たとき、律の心は震えた。
そして財布を落とした振りをして、メッセージを送ってきたのだ。
財布の中に書かれたメモは、個室トイレのタンク裏に手紙を張り付けてあるというもの。
そしてトイレに駆け込んだ律は「お前をここから連れ出す」という高野の決意の手紙を見た。

この時点で、高野の計画は実に単純なものだった。
高野は事前に変装してボイラー室に爆弾を仕掛けていた。
そしてその後、拳銃を持って、井坂と共にパーティ会場にやって来たのだ。
爆弾で混乱している隙に、とにかく2人でホテルから抜け出す。
混乱だけが目的だから、爆弾は規模の小さいもの。
いざというときのために銃も用意したが、それはあくまで保険のつもりだったという。
使わないですめば、それに越したことはないと思っていたらしい。

だけどその作戦は、どれだけの確率で成功するのだろう。
もしかしたら今、ホテルから脱出して、2人で逃げることは可能かもしれない
だけど律の両親はすかさず追手を差し向けてくるだろう。
短い時間、2人で過ごすことができても、そこまでだ。

しかも高野は、自分だけが悪者になろうとしている。
きっと最悪の場合、自分が律を誘拐したとか言うつもりだろう。
うまくいかなかった場合の律の逃げ場所をちゃんと確保しているのだ。
その心遣いは感謝するが、嬉しくない。
こんな計画を実行するのだから、堕ちる時は一緒に堕ちてやる。

爆弾のリモコンをこちらに下さい。
律は手紙の下にそう走り書きすると、元の位置に戻した。
そしてしばらく時間を置いてから、もう1度トイレに戻る。
そこには爆弾のリモコンが隠してあった。

やっぱりこの方が嬉しい。
律はリモコンをスーツのポケットに入れると、思わず微笑んでいた。
エメラルド編集部で、高野はいつも律の技量を正確に測りながら、仕事をまかせてくれた。
最初は簡単な仕事だったのに、次第にむずかしい仕事を回されるようになって、楽しかった。
そして今、リモコンを渡してくれた。
つまり高野は、律がこの仕事をやり遂げると信じてくれているのだ。

かくしてここから計画の主導は律に移った。
効果的なタイミングで、爆弾を爆発させる。
そして混乱にまぎれて両親たちに駆け寄り、杏の父親のポケットにリモコンを落とした。
唯一の心配は高野が拳銃を持っていることだったが、高野はそれを難なくクリアした。
クラッカーを破裂させて、あの銃から発射されたように装ったのだ。
だから誰もがあれをおもちゃだと思って、疑わなかった。

だけど警察もバカじゃない。
まだ杏の父親を逮捕していない。
あの時あの場にいた律の両親、杏の両親、そして律と杏。
この6人に絞ってはいるようだが、まだ誰が犯人か特定していないのだ。
だからこそ律も長時間、事情聴取された。
この後、何か証拠が出てくれば、律が逮捕される可能性も大だ。

だがこの件で、小日向家と小野寺家は徹底的に調べられる。
そちらもゴリゴリの同族会社で、強引な経営手法であることは律だって知ってる。
マスコミは騒ぐだろう。
脱税だの何だの、いろいろ出てくるかもしれない。
それこそが律の目的だった。
小日向家と小野寺家のステータスを落とせば、政略結婚なんて話は消えてなくなる。
そのためなら逮捕されたって、問題ない。

「ただいま」
昼過ぎに出かけていた高野が帰宅した。
丸川書店に最後の出勤をして、辞表を提出して来たのだ。
律は「お帰りなさい」と答えると、その腕の中に飛び込んだ。

やっと戻ってこられた。
律は愛する男のにおいを、胸いっぱいに吸い込んだ。
もうここからは後戻りできない。
2人で行けるところまで、行くだけだ。

*****

ごめんな。
高野は眠っている律の髪をサラリとなでた。

高野は穏やかな気分だった。
2日前、あのダンスパーティの前日の夜は、悲壮な覚悟だったのに。
実際に罪を犯してしまった今の方が、ずっと落ち着いている。

まったく今回の件では、いろいろなことに詳しくなった。
爆弾の作り方。拳銃の入手の仕方。
そしていろいろ調べたことがばれないように、IPアドレスを残さずネットを閲覧する方法も学んだ。
その知識は今も役に立っている。
こうしてネットのあちこちに、昨日の爆弾騒ぎの件をアップしまくったのだ。
小日向家と小野寺家のことは、それとなく悪い印象になるように書いた。

結局今回の件で、高野は完全に容疑の圏外にいた。
それはひとえに律の両親が、律と高野を接触させないように警護を雇っていたからだ。
あの財布のトリックもバレなかった。
だからあのパーティ会場にいた者たちは、証言してくれたのだ。
2人は一言もしゃべっていないどころか、側に寄ることさえなかったと。

だが律は未だに容疑者だ。
今のところはまだ決め手がないようだが、何しろ咄嗟にあの場で考えた計画なのだ。
律は指紋などには注意したと言っていたが、思わぬ証拠を残しているのかもしれない。
そうなったら2人はまた引き離されることになる。
だけど、いやだからこそ。
事情聴取が終わってこの部屋にやって来た律を、高野は激しく抱いた。
今までの逢えなかった時間を取り戻すように、愛しい身体も心も愛したのだ。

ごめんな。
高野は眠っている律の髪をサラリとなでた。
朝になって、高野は一度出社すると、井坂に辞表を提出した。
そして家に戻って、また律を抱いたのだ。
さすがに無理をさせ過ぎた。
ただでさえ、律はかなり疲れていただろうに。

さて、ここからすることは決まっている。
警察が高野と律にまでたどり着くかどうか、それはもう運しかない。
だからそれまでの間に、とにかく小野寺家と小日向家の動きを封じるのだ。
まぁできることと言えば、せいぜいこうしてネットに書き込むくらいだが。

律の両親を貶める行為は、心が痛む。
だけどこれは、ささやかな代償だと思う。
律に親を捨てさせるようなことをさせてしまった。
それに比べたら、こんなのは何でもない。
これから先、律を守るためであるなら、また罪を重ねることも厭わない。
もっと心が痛むことだってあるかもしれないのだ。

高野はベットに腰を下ろして、眠っている律をかまい続けた。
髪をなでたり、頬をつついたり、唇を寄せたり。
律はその都度「ん」とか「あ」とか、甘い声を上げる。
だが完全に覚醒することはなく、ウトウトと眠っていた。

「なぁ律。これからどこへ行こうか?」
高野は答えがないことなど承知の上だ。
幸いしばらくは暮らせるくらいの金はある。
少し2人でのんびりと、引き離されていた間の時間を取り戻そう。
できれば旅行にでも行きたいが、警察の目もあるし、しばらくは無理かもしれない。

「2人なら、何でもいい」
不意に律の唇が動いて、そんな言葉を紡いだ。
起きているのかと、高野は驚いて律を見る。
だが律はコロリと寝返りを打つと、また寝息を立て始めた。
何というタイミングのいい寝言。
高野はクスリと笑った。

俺もお前もみんな狂ってる。
犯罪を犯しても、満ち足りた気分でいる高野と律。
薄々気づいていながら、見逃してくれた井坂たち。
でも全員が、たった1つのことだけを信じている。

平穏な日常はもう戻らない。
それでも好きな人と一緒にいるのが、一番の幸せなのだ。

【終】お付き合いいただき、ありがとうございました。
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