狂宴舞踏会
【最後に笑うは勝者か敗者か】
ドォーンと大きな音がして、ホテル自体が揺れた。
吉野は床に倒れ、それをかばうように羽鳥が上におおいかぶさっていた。
ほろ酔い気分だった吉野は、その瞬間はっきりと目が覚めた。
「落ち着いて下さい!」
「皆さん、落ち着いて!」
ホテルの従業員と、律の警護に付けていた男たちが懸命に声を張り上げる。
だが爆発の効果は絶大だった。
爆発の音と衝撃に驚いた人々は出入口に殺到する。
だが扉はしっかりと施錠されており、開かなかった。
華やかなダンスパーティの場は、一瞬で修羅場と化した。
「何だよ、これ!」
床に転がった吉野は、一気に酔いが覚めた。
差し伸べられた柳瀬の手に捕まって立ち上がる。
羽鳥も自力で立ち上がり、ごく自然に柳瀬と羽鳥がまるで吉野を守るように左右を固めた。
いつも仲が悪い2人だが、今は何だか協力しようとするような雰囲気がある。
吉野はぼんやりと普段もこうならいいのに、などと間が抜けたことを考えた。
だがどこかのんびりとした吉野とは対照的に、ホールは殺気立っていた。
ボイラー室の爆発は、さほど大きな被害はなかった。
爆弾の周辺にあったものが破損した程度で、けが人もいない。
だがその近くの壁に、犯人からのものと思われるメモが貼りつけられていた。
さらに強力な爆弾を仕掛けてある。
ダンスパーティの会場から1人でも客が逃げたら、それを爆破する。
そのメモの内容を受けて、ドアが封鎖されたのだ。
そんなことなど知らない客たちは、開かない扉に半狂乱だ。
「俺たちも逃げないと!」
遅れてパニック状態が伝染した吉野は、そう叫んで扉に向かおうとする。
だが羽鳥がその腕を掴んで「落ち着け!」と止める。
柳瀬も「今動いても、ケガをするだけだ」と告げた。
確かに冷静に考えれば、開かない扉に人が殺到しており、危険だ。
だが爆発のショックと、目の前のパニックにつられた吉野は「でも!」と叫んだ。
その瞬間、今度はホールの中でパンと乾いた音が響き渡った。
ホールが一瞬で静かになり、全員が音がした方向を見た。
高野が小さな銃を構えて、天井に向けている。
混乱にまぎれて、高野が銃を発射したのだった。
「お前、何をしている!」
律を警護していた男たちが、一斉に駆け寄る。
だが高野は銃を下ろすと「よく見ろ、バカ!」と左手で銃口を指さす。
銃口からは細い紐のような形状の、色とりどりの紙が伸びている。
そして高野の足元には、やはり色とりどりの細かい紙片が散らばっていた。
「銃の形のクラッカーだ。おもちゃだよ。」
「なぜ、そんなものを!」
「何って。婚約する2人を祝ってやろうと思って持って来た」
「銃の形をしているのは」
「俺、一応フラれたからな。少しくらい肝を冷やさせてやろうと思ったのさ。」
「なぜ、今、発射したんだ!?」
「パニックが静まるかと思って。事実静かになっただろ?」
問い詰めて来た男たちを小馬鹿にするように、高野は軽い口調で答えている。
そして男の1人が「こいつは無関係だ」と呻いた。
銃の形のクラッカーなんて紛らわしいものを持っていたし、動機も充分ある。
だが爆弾が爆発した瞬間、男たちに調べられていた最中だったのだ。
爆破犯は高野ではないと考えざるを得ない。
「あの人、本物の銃を持っていたわけじゃなかったのか?」
柳瀬は高野たちの様子を見て、首を傾げていた。
だが羽鳥は「そうだといいが」と顔を曇らせている。
2人が納得のいかない表情で、顔を見合わせている。
とにかくあり得ない光景ばかりが続き、吉野はただただ途方に暮れた。
*****
スリリングで、面白い。
美濃はホールを見回しながら、不謹慎にもこの状況を楽しんでいた。
美濃奏にとってこのダンスパーティは、面白い見世物だった。
井坂と朝比奈、桐嶋と横澤、羽鳥と吉川千春、そして木佐と名前は知らないけど綺麗な青年。
このパーティ中、彼らからはラブラブなオーラが溢れだしている。
こんなにBL率が高くて、丸川書店は大丈夫なのか。
だがやはりそれ以上の関心事は、高野と律のことだった。
恋愛花盛りのエメラルド編集部において、一際目立っていたバカップル。
それが親の思惑によって引き裂かれ、今、こんな形で再会している。
このまま終わるのか。それとも劇的なドラマがあるのか。
彼らのことを心から心配する気持ちはあるが、同じくらいの好奇心もあるのだ。
「全員、その場で待機してください!」
「大丈夫ですから、落ち着いて下さい!」
爆発で一時はパニック状態になりかけたホールは、高野が放ったクラッカーで静かになった。
そして全員が不安な表情で、次の展開を待っている。
美濃だって不安だし怖いが、この状況で怯えていても仕方がない。
むしろスリリングで、面白い。
美濃はホールを見回しながら、不謹慎にもこの状況を楽しんでいた。
ガッチリと羽鳥と柳瀬に両側を固められ、守られている吉川千春。
王子様みたいな美青年と、しっかり手を繋いている木佐。
朝比奈も何かあったら、井坂を守ろうと気合十分だ。
笑えるのは桐嶋と横澤だ。
この2人は何となく付き合ってるっぽいなぁというくらいの認識しかなかったのだ。
だがこうして桐嶋が1歩前に出て、ごく自然に横澤が寄り添っている。
あの暴れグマが「受」なのかと思うと、何だか笑える。
高野は入念に身体検査を受けたものの、不審物は持っていなかったらしい。
未だ律の警護に付けていた男の1人が貼りついているが、容疑は晴れたようだ。
律は婚約者の女の子と一緒に、彼らの両親の側にいた。
ホールがパニック状態になったとき、ごく自然にそちらに向かったのだ。
両親と確執はあるようだが、緊急時にはやっぱり案じる。
それはごく自然で、微笑ましい行動だと思うのだが。
何だろう。この違和感。
美濃は首を傾げながら、考える。
壁際に立ち、じっと前を見ている高野。
律は律で、両親の傍らの窓際に立って、ぼんやりと外を眺めている。
爆発騒ぎの前までは、2人はずっとねっとりと視線を合わせていたのに。
今は知らない顔をしている高野と律に、得体のしれない違和感をはっきりと感じるのだ。
もうすぐ何かが起きる。
そんな予感がグルグルと美濃の中で渦を巻いている。
美濃はふと律の婚約者だという女性に目を向けた。
このパーティが始まったときには、浮かない表情をしていたと思う。
だが今は何かを決心したような、悲壮な顔をしているのだ。
その表情もまた違和感だ。
律と婚約した彼女は勝者、律と別れた高野は敗者。
それなのに彼女は、少しも晴れやかな表情を見せない。
最後に笑うは勝者か敗者か。
そう考えた美濃は、かすかに頬を緩ませた。
まだまだこのパーティは終わらない。
できれば高野には、逆転して勝者になって欲しいものだ。
*****
絶対に負けない。
杏は漠然とした不安に怯えながら、悲壮な決意をしていた。
「杏ちゃん、父さんたちのところにいよう。」
ボイラー室の爆発の瞬間、律は双方の両親の側にいようと言った。
それは別に何ら不思議なことではない。
爆弾の爆発という異常事態なのだから、両親が心配なのはごく自然なことだ。
だけど杏には、すごくわざとらしく見えた。
「律っちゃんがやったの?」
律は歩き出した律に並ぶと、耳元でそっと聞いた。
そう、杏は律が爆破犯だと思っている。
あの瞬間、高野は爆弾を仕掛けた犯人と疑われ、所持品をチェックされていた。
発見された爆弾はリモコン式だから、かならず起爆装置がある。
それを持っていると疑われたのだ。
だがその最中に、爆弾は爆発したのだ。
高野は衆人環視の状態で立っており、何もしていないのは明らかだ。
まるで高野の疑いを晴らすようなタイミングでの爆破。
そしてその瞬間、律は自分のスーツのポケットに右手を入れていた。
あの時、起爆装置のスイッチを押した。
杏はそのことを確信していた。
「俺は何もしてないよ。」
律は静かにそう答えた。
だけどその表情は冷静すぎて、すごく怪しい。
本当に何もしていないなら、杏の問いにもっと驚くのではないだろうか。
そのことを確認するのは簡単だ。
律のスーツのポケットに手を突っ込んでみればいい。
だけど杏の勘が当たっているなら、起爆装置が出てくるはずだ。
何もなければ、だたの杏の妄想ということでおしまいだ。
だが杏はそれをしない。
もしも律が高野をかばうために爆破をしたというなら、それでもいいのだ。
このまま近い未来に、律と結婚できれば何でもいい。
絶対に負けない。
杏は漠然とした不安に怯えながら、悲壮な決意をしていた。
やがてサイレンの音が鳴り響き、近くで止まった。
通報を受けた警察が到着したのだろう。
程なくしてドアが開き、制服警官がなだれ込んできた。
外では機動隊員らしい警官が大人数で、各部屋の捜索を始めたらしい。
犯人がメモで予告した「さらに強力な爆弾」を捜しているのだろう。
だが結局、警察は捜索したものの、爆弾は見つからなかった。
長く待たされた後、もう爆弾はないので安全であると伝えられる。
その途端、ホールは一気にホッとした雰囲気になった。
「大変申し訳ありませんが、ご協力ください!」
「すぐに済みますので、一列に並んでください!」
もう爆弾がないとわかっても、客たちはすぐには解放されなかった。
最初に爆発した爆弾の犯人は、まだリモコンを持っている。
警察も当然この点を重視し、全員の身体と持ち物が検査されることになったのだ。
その旨が私服の警察官によって、大声で告げられる。
杏は驚き、律を見た。
もしも杏の勘に間違いがないなら、律はまだリモコンを持っているはずだ。
警察が爆弾を捜索している間、律は1歩もこの部屋を出ていない。
それどころかずっと両親の側から離れていないのだ。
「大丈夫なの?」
杏は再び律の耳元で、そう聞いた。
だが律は「別に何もないけど」と平然としている。
本当に微塵も動揺した素振りが見えないのだ。
律は逮捕されてもかまわないと思っているのか。
それともやはり杏の妄想で、律は犯人ではないのか?
混乱しながら、杏は身体検査の順番を待った。
「あなた、これは何ですか!?」
やがて警察官の鋭い声が響いた。
ついにリモコンを持った人物が、警察のチェックに引っかかったのだ。
ホール中の人間がその人物を注目している。
杏はもう立っていることができなくなり、膝からストンと床に崩れた。
好きな人との結婚、それがもうすぐ消えてなくなろうといるのをはっきりと感じ取ったのだ
【続く】
ドォーンと大きな音がして、ホテル自体が揺れた。
吉野は床に倒れ、それをかばうように羽鳥が上におおいかぶさっていた。
ほろ酔い気分だった吉野は、その瞬間はっきりと目が覚めた。
「落ち着いて下さい!」
「皆さん、落ち着いて!」
ホテルの従業員と、律の警護に付けていた男たちが懸命に声を張り上げる。
だが爆発の効果は絶大だった。
爆発の音と衝撃に驚いた人々は出入口に殺到する。
だが扉はしっかりと施錠されており、開かなかった。
華やかなダンスパーティの場は、一瞬で修羅場と化した。
「何だよ、これ!」
床に転がった吉野は、一気に酔いが覚めた。
差し伸べられた柳瀬の手に捕まって立ち上がる。
羽鳥も自力で立ち上がり、ごく自然に柳瀬と羽鳥がまるで吉野を守るように左右を固めた。
いつも仲が悪い2人だが、今は何だか協力しようとするような雰囲気がある。
吉野はぼんやりと普段もこうならいいのに、などと間が抜けたことを考えた。
だがどこかのんびりとした吉野とは対照的に、ホールは殺気立っていた。
ボイラー室の爆発は、さほど大きな被害はなかった。
爆弾の周辺にあったものが破損した程度で、けが人もいない。
だがその近くの壁に、犯人からのものと思われるメモが貼りつけられていた。
さらに強力な爆弾を仕掛けてある。
ダンスパーティの会場から1人でも客が逃げたら、それを爆破する。
そのメモの内容を受けて、ドアが封鎖されたのだ。
そんなことなど知らない客たちは、開かない扉に半狂乱だ。
「俺たちも逃げないと!」
遅れてパニック状態が伝染した吉野は、そう叫んで扉に向かおうとする。
だが羽鳥がその腕を掴んで「落ち着け!」と止める。
柳瀬も「今動いても、ケガをするだけだ」と告げた。
確かに冷静に考えれば、開かない扉に人が殺到しており、危険だ。
だが爆発のショックと、目の前のパニックにつられた吉野は「でも!」と叫んだ。
その瞬間、今度はホールの中でパンと乾いた音が響き渡った。
ホールが一瞬で静かになり、全員が音がした方向を見た。
高野が小さな銃を構えて、天井に向けている。
混乱にまぎれて、高野が銃を発射したのだった。
「お前、何をしている!」
律を警護していた男たちが、一斉に駆け寄る。
だが高野は銃を下ろすと「よく見ろ、バカ!」と左手で銃口を指さす。
銃口からは細い紐のような形状の、色とりどりの紙が伸びている。
そして高野の足元には、やはり色とりどりの細かい紙片が散らばっていた。
「銃の形のクラッカーだ。おもちゃだよ。」
「なぜ、そんなものを!」
「何って。婚約する2人を祝ってやろうと思って持って来た」
「銃の形をしているのは」
「俺、一応フラれたからな。少しくらい肝を冷やさせてやろうと思ったのさ。」
「なぜ、今、発射したんだ!?」
「パニックが静まるかと思って。事実静かになっただろ?」
問い詰めて来た男たちを小馬鹿にするように、高野は軽い口調で答えている。
そして男の1人が「こいつは無関係だ」と呻いた。
銃の形のクラッカーなんて紛らわしいものを持っていたし、動機も充分ある。
だが爆弾が爆発した瞬間、男たちに調べられていた最中だったのだ。
爆破犯は高野ではないと考えざるを得ない。
「あの人、本物の銃を持っていたわけじゃなかったのか?」
柳瀬は高野たちの様子を見て、首を傾げていた。
だが羽鳥は「そうだといいが」と顔を曇らせている。
2人が納得のいかない表情で、顔を見合わせている。
とにかくあり得ない光景ばかりが続き、吉野はただただ途方に暮れた。
*****
スリリングで、面白い。
美濃はホールを見回しながら、不謹慎にもこの状況を楽しんでいた。
美濃奏にとってこのダンスパーティは、面白い見世物だった。
井坂と朝比奈、桐嶋と横澤、羽鳥と吉川千春、そして木佐と名前は知らないけど綺麗な青年。
このパーティ中、彼らからはラブラブなオーラが溢れだしている。
こんなにBL率が高くて、丸川書店は大丈夫なのか。
だがやはりそれ以上の関心事は、高野と律のことだった。
恋愛花盛りのエメラルド編集部において、一際目立っていたバカップル。
それが親の思惑によって引き裂かれ、今、こんな形で再会している。
このまま終わるのか。それとも劇的なドラマがあるのか。
彼らのことを心から心配する気持ちはあるが、同じくらいの好奇心もあるのだ。
「全員、その場で待機してください!」
「大丈夫ですから、落ち着いて下さい!」
爆発で一時はパニック状態になりかけたホールは、高野が放ったクラッカーで静かになった。
そして全員が不安な表情で、次の展開を待っている。
美濃だって不安だし怖いが、この状況で怯えていても仕方がない。
むしろスリリングで、面白い。
美濃はホールを見回しながら、不謹慎にもこの状況を楽しんでいた。
ガッチリと羽鳥と柳瀬に両側を固められ、守られている吉川千春。
王子様みたいな美青年と、しっかり手を繋いている木佐。
朝比奈も何かあったら、井坂を守ろうと気合十分だ。
笑えるのは桐嶋と横澤だ。
この2人は何となく付き合ってるっぽいなぁというくらいの認識しかなかったのだ。
だがこうして桐嶋が1歩前に出て、ごく自然に横澤が寄り添っている。
あの暴れグマが「受」なのかと思うと、何だか笑える。
高野は入念に身体検査を受けたものの、不審物は持っていなかったらしい。
未だ律の警護に付けていた男の1人が貼りついているが、容疑は晴れたようだ。
律は婚約者の女の子と一緒に、彼らの両親の側にいた。
ホールがパニック状態になったとき、ごく自然にそちらに向かったのだ。
両親と確執はあるようだが、緊急時にはやっぱり案じる。
それはごく自然で、微笑ましい行動だと思うのだが。
何だろう。この違和感。
美濃は首を傾げながら、考える。
壁際に立ち、じっと前を見ている高野。
律は律で、両親の傍らの窓際に立って、ぼんやりと外を眺めている。
爆発騒ぎの前までは、2人はずっとねっとりと視線を合わせていたのに。
今は知らない顔をしている高野と律に、得体のしれない違和感をはっきりと感じるのだ。
もうすぐ何かが起きる。
そんな予感がグルグルと美濃の中で渦を巻いている。
美濃はふと律の婚約者だという女性に目を向けた。
このパーティが始まったときには、浮かない表情をしていたと思う。
だが今は何かを決心したような、悲壮な顔をしているのだ。
その表情もまた違和感だ。
律と婚約した彼女は勝者、律と別れた高野は敗者。
それなのに彼女は、少しも晴れやかな表情を見せない。
最後に笑うは勝者か敗者か。
そう考えた美濃は、かすかに頬を緩ませた。
まだまだこのパーティは終わらない。
できれば高野には、逆転して勝者になって欲しいものだ。
*****
絶対に負けない。
杏は漠然とした不安に怯えながら、悲壮な決意をしていた。
「杏ちゃん、父さんたちのところにいよう。」
ボイラー室の爆発の瞬間、律は双方の両親の側にいようと言った。
それは別に何ら不思議なことではない。
爆弾の爆発という異常事態なのだから、両親が心配なのはごく自然なことだ。
だけど杏には、すごくわざとらしく見えた。
「律っちゃんがやったの?」
律は歩き出した律に並ぶと、耳元でそっと聞いた。
そう、杏は律が爆破犯だと思っている。
あの瞬間、高野は爆弾を仕掛けた犯人と疑われ、所持品をチェックされていた。
発見された爆弾はリモコン式だから、かならず起爆装置がある。
それを持っていると疑われたのだ。
だがその最中に、爆弾は爆発したのだ。
高野は衆人環視の状態で立っており、何もしていないのは明らかだ。
まるで高野の疑いを晴らすようなタイミングでの爆破。
そしてその瞬間、律は自分のスーツのポケットに右手を入れていた。
あの時、起爆装置のスイッチを押した。
杏はそのことを確信していた。
「俺は何もしてないよ。」
律は静かにそう答えた。
だけどその表情は冷静すぎて、すごく怪しい。
本当に何もしていないなら、杏の問いにもっと驚くのではないだろうか。
そのことを確認するのは簡単だ。
律のスーツのポケットに手を突っ込んでみればいい。
だけど杏の勘が当たっているなら、起爆装置が出てくるはずだ。
何もなければ、だたの杏の妄想ということでおしまいだ。
だが杏はそれをしない。
もしも律が高野をかばうために爆破をしたというなら、それでもいいのだ。
このまま近い未来に、律と結婚できれば何でもいい。
絶対に負けない。
杏は漠然とした不安に怯えながら、悲壮な決意をしていた。
やがてサイレンの音が鳴り響き、近くで止まった。
通報を受けた警察が到着したのだろう。
程なくしてドアが開き、制服警官がなだれ込んできた。
外では機動隊員らしい警官が大人数で、各部屋の捜索を始めたらしい。
犯人がメモで予告した「さらに強力な爆弾」を捜しているのだろう。
だが結局、警察は捜索したものの、爆弾は見つからなかった。
長く待たされた後、もう爆弾はないので安全であると伝えられる。
その途端、ホールは一気にホッとした雰囲気になった。
「大変申し訳ありませんが、ご協力ください!」
「すぐに済みますので、一列に並んでください!」
もう爆弾がないとわかっても、客たちはすぐには解放されなかった。
最初に爆発した爆弾の犯人は、まだリモコンを持っている。
警察も当然この点を重視し、全員の身体と持ち物が検査されることになったのだ。
その旨が私服の警察官によって、大声で告げられる。
杏は驚き、律を見た。
もしも杏の勘に間違いがないなら、律はまだリモコンを持っているはずだ。
警察が爆弾を捜索している間、律は1歩もこの部屋を出ていない。
それどころかずっと両親の側から離れていないのだ。
「大丈夫なの?」
杏は再び律の耳元で、そう聞いた。
だが律は「別に何もないけど」と平然としている。
本当に微塵も動揺した素振りが見えないのだ。
律は逮捕されてもかまわないと思っているのか。
それともやはり杏の妄想で、律は犯人ではないのか?
混乱しながら、杏は身体検査の順番を待った。
「あなた、これは何ですか!?」
やがて警察官の鋭い声が響いた。
ついにリモコンを持った人物が、警察のチェックに引っかかったのだ。
ホール中の人間がその人物を注目している。
杏はもう立っていることができなくなり、膝からストンと床に崩れた。
好きな人との結婚、それがもうすぐ消えてなくなろうといるのをはっきりと感じ取ったのだ
【続く】