狂宴舞踏会

【今宵のダンスは死のダンス】

ごめんなさい。あなたは必ず幸せになってください。
律はそんな想いを込めて、じっと彼の姿を見つめていた。

ダンスパーティも始まって30分が過ぎた。
出席者たちは酒も入り、中央で踊る人数も増えてきた。
だが律は席を立つこともなく、じっと座ったままだった。

「律、少しは杏ちゃんと踊ってあげなさい!」
母親が律の隣にやって来て、耳元で声を荒げる。
そしてフロアの中央でダンスをしており杏を指さした。
杏は確か大学時代の友人だという青年と、踊っている。
そしてチラチラと律に視線を送っていた。
身体を妙に密着させているのは、律へのあてつけかもしれない。

だが律は何も感じなかった。
杏が誰か他の人を好きだとしても、別にどうでもいい。
むしろ別に好きな人がいてくれる方がありがたかった。
杏がことわってくれれば、こんなに強引に結婚させられることにもならなかっただろう。
律は冷やかに、母親の顔を見返した。

「これ以上、俺に何かを要求するのはやめて下さい。」
律はそう告げると、また視線を前に向けた。
こんなくだらないパーティ、出るのも嫌だったのだ。
それでも一応、声をかけてくれる人に挨拶だってした。
そもそも杏との結婚だって、強引に押し付けて来たではないか。
結局何か1つ妥協すれば、次にまた1つ言うことを聞かせようとする。
まったく冗談じゃない。

母親はさすがに律の怒りを感じ取ったのだろう。
なにも言わないまま、離れていってしまった。
だがその後ろ姿に心が痛まないわけでもない。
親が望む通り、杏を愛することさえできれば、誰も不幸にならなかったのだ。
高野だって、多分普通に先輩後輩、そして上司と部下としていられたはずだ。

律はため息をつきながら、何となくこのホールに集まる人たちを見回した。
ほとんどが双方の親の仕事の関係者、そして友人ばかり。
本来お披露目をするべき相手、律と杏の知り合いは少数だ。
つまりこの結婚は、親同士の都合なのだと改めて思い知る。
だが律はその中に、知った顔を見つけて少しだけ頬を緩めた。

エメラルド編集部の面々、それに井坂と朝比奈、営業の横澤やジャプンの桐嶋もいる。
律が急に丸川書店を辞めたことで、迷惑をかけた人たちだ。
彼らにとっては、今更こんなパーティに呼ばれたところで迷惑なだけではないだろうか。
それでも律は、最後に顔が見られてよかったと思う。

だがその中にある人物を見つけた律は、そのまま彼に釘づけになった。
井坂の影に隠れるようにしながら、じっと律を見ている男。
忘れたくても忘れられない、10年以上想い続けた恋人だ。

ごめんなさい。あなたは必ず幸せになってください。
律はそんな想いを込めて、じっと彼の姿を見つめていた。
多分もう2度と会うことはない。
それならばその姿を焼き付けておこうと思ったのだ。

*****

どこだよ、ここ。
吉野は文句を言いながら、ホテルを彷徨っていた。

作家の吉川千春こと吉野千秋も、このダンスパーティに出席していた。
本当なら律が担当した作家も呼べばどうかという話だったらしい。
だけど律の担当作家は全員、地方に住んでいる。
だから代わりにというわけでもないが、作家代表という感じで吉野が呼ばれたのだ。

高野と律が付き合っていたという話も聞いている。
それを知った時には「なるほど」と思ったのだ。
羽鳥と付き合っている吉野には、男同士の恋愛にまったく抵抗はない。
むしろ美人な2人が寄り添っている姿は、しっくりと絵になっている。

だけど律は別の女性と結婚するという。
羽鳥は「多分、いろいろあったんだろう」と言った。
だけど吉野はそんなにも簡単に心変わりするものだろうかと思った。
ダンスパーティなんて慣れないものに出席することにしたのは、好奇心だ。
律は本当に心変わりをしてしまったのか、知りたい。
まぁそれ以前に、セレブのダンスパーティは漫画のネタになるかなと思ったこともあるが。

だが実際にパーティに参加した吉野は、律と高野がまだお互いを好きなのだと思った。
パーティが始まってしばらくは、律はホールをまったく見ず、硬い表情だった。
だがしばらくして高野を見つけると、その表情が崩れたのだ。
比較的鈍感な吉野にもはっきりわかるほど、律は高野に熱い視線を送っていた。
そして高野もその視線を受け止め、しっかりと見つめている。

何だか切ない。
2人を見ていられなくなった吉野は、いつもよりオーバーペースで酒を飲んだ。
ダンスなど踊れないし、楽しく談笑する雰囲気でもない。
必然的に酒の量が増えてしまったのだ。
さすがにこれはまずいと、吉野は頭を冷やすために一度ホールを出た。

だけどこれがまたまずかった。
ホテル内を歩き回っているうちに、パーティ会場のホールの場所がわからなくなってしまったのだ。
広いホテルで、しかも酔いも手伝って判断力も思考力も落ちている。
どこだよ、ここ。
吉野は文句を言いながら、ホテルを彷徨っていた。
そして半ば自棄になりながら「ここか」と当てずっぽうに扉を開いた。

「何だよ。もう!」
吉野は思わず悪態をついた。
開けた扉の先は、ごつごつした配管が天井を走る部屋だ。
いわゆるボイラー室とか、そういうものだろう。
おそらく従業員以外は立ち入りも禁止の部屋だ。

吉野はふとその床に置かれた段ボール箱に気付いた。
大手スーパーのロゴが入った箱で、ごく自然に置かれている。
だがこんな高級ホテルで、安いことで有名なスーパーの箱があるのは何か変な気がした。

「映画とかだと、爆弾だったりするんだよな」
吉野は思わずそう呟いてから、ブンブンと首を振った。
酔っ払って、変なことを考えているだけだ。
吉野は慌ててその部屋を出ると、またホールを捜して、廊下を歩き出す。

「何してるんだ!」
程なくして心配して捜しに来た羽鳥に発見された吉野は、無事にホールに戻った。
あのダンボール箱のことを言おうかどうか迷ったが、黙っていることにした。
酔っ払った上に、ボイラー室に入ってしまったなんて言えば、きっと怒られてしまうだろう。

*****

律はまだ、俺を愛してくれている。
高野は改めて、それを痛感することができたのだ。

高野はじっとこちらを見ている律から、目が離せなかった。
パーティ序盤は、じっと前方に視線を向けていたが、何も目に入っていないようだった。
だがしばらくして、ホールを見回した律は、高野の姿を見つけてくれたのだ。
そして今までの冷たい瞳が嘘のように、熱い視線を向けてきた。
律はまだ、俺を愛してくれている。
高野は改めて、それを痛感することができたのだ。

「高野さん」
高野は耳元で名前を呼ばれて、ハッと我に返った。
さり気なく近づいてきたのは、羽鳥だった。
高野はエメラルド編集部としてではなく、井坂の同行者としてこのパーティに出席している。
だから彼らとは離れており、今日は声をかけないつもりでいたのだ。

高野は無言のまま、羽鳥の方を振り返る。
するといつものように冷静な羽鳥が、じっと高野を見つめていた。
まるで高野が何をたくらんでいるのか、読み取ろうとでもしているようだ。

「何かよくないことを考えているわけじゃないでしょうね?」
「よくないことって?」
「小野寺をここから連れ出そうとか」
「それも悪くないかもな。」

羽鳥の言葉に、高野は軽い口調で応じた。
まさに「よくないこと」を考えている真っ最中だ。
だがどういう結果になろうと、羽鳥たちだけは巻き込みたくない。
そしてまだそのくらいの分別ができる自分に苦笑した。
律のためなら誰がどうなってもいいと思っても、やはり迷惑はかけたくないと思うのだ。

「小野寺は多分あなたを守るために、あなたの前から去ったんじゃないかと思います。」
「奇遇だな。俺もそう思う。」
「だったらこのまま祝福してやって、あなたも新しい人生を」
「心配してくれて、ありがとう。」

高野は強引に羽鳥の言葉を遮った。
羽鳥の気持ちは痛いほどわかる。
このことで高野がキャリアも何もかも失うことを心配してくれているのだ。
だけど高野には、それ以上に失いたくないものがあるのだ。

「お前が仮に吉野さんにそういうことをされたら、諦められるか?」
「・・・それは」
「少なくても本人の口から事情を知りたい。そう思うだろう?」
「はい。」
「俺のことより吉野さんは?さっきから姿が見えないようだが」
「酔ったので少し出てくると言ってたんですが。さては迷ったのかも。捜します。」

羽鳥は高野に一礼すると、その場を離れていく。
どうしてもというなら止めない。
羽鳥はそう言ってくれたのだと思う。
だけどその羽鳥を裏切ることになるのかもしれない。

今宵のダンスは死のダンス、なんてことにならなければいいが。
高野はスーツの左ポケットをそっと撫でた。
右のポケットに入っているのは小型の拳銃。
そして左のポケットにあるのは、ボイラー室に仕掛けた爆弾のリモコンだ。

最悪の場合はこれを使うつもりだ。
迷いはないが、羽鳥たちがうまく逃げられるかどうかだけが心配だった。

【続く】
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