キス5題
【瞼にチュウ】
「アイツ、本当に小野寺さんのことが好きなのかな?」
「高屋敷がそう言うなら、そうなんだろ。」
吉野は作業をしていた手を止めて、大きくため息をついた。
羽鳥の素っ気ない答えが、吉野には不満だったのだ。
「何とかしてあげられないのかな。」
「周りが口を出す話じゃない。それより手を動かせ。」
吉野は止まってしまっていた自分の手元を見下ろし、慌ててまた書き始める。
今度はその様子を見ていた羽鳥が、呆れたようにため息をついた。
ここは吉野の自宅だ。
漫画の連載の方は入稿したばかりなので、今日はアシスタントもいない。
今日の羽鳥の来訪は、例のゲームとのコラボ企画の件だった。
あれから吉野と高屋敷は、羽鳥も含めて何度か打ち合わせをした。
主人公のキャラクターは小野寺律をモデルにした美少女になった。
他のキャラや設定なども出来上がり、今は吉野がゲームのシナリオを作っている。
シナリオが上がったところで、また高屋敷と打ち合わせだ。
羽鳥としては、気が気ではないところだ。
ただでさえ吉野は作業が早い方ではないのだ。
その上考え事をしているとなると、ますます遅い。
今はまだスケジュールに余裕があるが、油断しているとすぐ修羅場になってしまう。
だが吉野の気がかりもよくわかる。
羽鳥も高屋敷と律のことは気になっていたからだ。
吉野と羽鳥がはっきりと、高屋敷の律への気持ちを聞いたのは数日前。
例によって丸川書店の会議室で、打ち合わせをしたときだった。
*****
「今日は律っちゃんは?いないの?」
高屋敷は会議室に入ってくるなり、聞いてきた。
律っちゃんとはまた馴れ馴れしい。
先に待っていた羽鳥と吉野は、顔を見合わせた。
「もう主役のキャラはできたんだし、必要ないだろう。」
「でもさ、いてくれた方がイメージしやすいし。」
「アイツはそもそも担当じゃない。本来の仕事もあるんだ。」
「羽鳥だって担当でもないのに、一之瀬絵梨佳の呼び出しには出て行くだろ?」
羽鳥は淡々と諭すが、高屋敷は納得しなかった。
打ち合わせ初日に、羽鳥が一之瀬絵梨佳に呼び出されて遅れたことを持ち出してきた。
「一之瀬絵梨佳のわがままは聞いても、俺のはダメなの?」
「一之瀬先生は、うちの看板作家だ。」
「俺も一応、有名ゲームクリエイターなんだけどな。」
一之瀬の話を引き合いに出されると、羽鳥も言葉に詰まってしまう。
吉野は自分で「有名ゲームクリエイター」と言い切る高屋敷に感心していた。
「高屋敷さんは、小野寺さんのこと好きなの?」
黙ってしまった羽鳥に代わって、吉野は思い切って切り出した。
ここ何回かの打ち合わせで、高屋敷は律を構い倒していた。
べったりと隣に座り、髪や顔や身体を触りまくる。
時々律の耳に唇を寄せて、律にだけ聞こえるようになにやら囁く。
その前の打ち合わせの時には、律に目を閉じさせて、その瞼にキスをしていた。
もっと顔のイメージを見たいから目を閉じて、と言われた律を騙すように瞼にチュウ。
何が起きたかわからずに、律はもうただただ困っていた。
「好きっていうかすごく興味あるよ。付き合いたいと思ってる。」
高屋敷の答えは、明快だった。
問いかけた吉野の方が一瞬たじろいでしまうほどだ。
*****
「アンタ元々トリに気があったんじゃないの?」
「うん。でももう諦めたよ。だって羽鳥は吉野さんのモンでしょ?」
「全然タイプが違うじゃん。トリと小野寺さん」
あっけらかんとした高屋敷の物言いに、吉野の顔が真っ赤になった。
だが何とか体勢を立て直して、なおも食い下がってみる。
「綺麗な顔が好きなんだよ。俺。」
「顔って。。。」
「それに律っちゃんは恋愛経験あまりなさそうだから。いろいろ教えたくなる。」
「いろいろって。。。」
ニンマリと不敵に笑う高屋敷の顔が、どうにも吉野には不快だった。
かつて高屋敷が羽鳥を狙うと宣言していたあのときのザラリとした気持ちを思い出してしまう。
「小野寺さんの気持ちは?無視かよ?」
「だから誘惑して、惚れさせるんだよ。」
あまりにも身勝手な高屋敷の言い様に、吉野にはもう言葉が見つからない。
だがそれとは別に、吉野には高屋敷と律が付き合うことに違和感がある。
2人が並んでいる姿がどうにも想像できないのだ。
吉野は助けを求めるように、黙って羽鳥を見た。
「雑談はその辺にしとけ。打ち合わせ続けるぞ。」
羽鳥は無愛想に、高屋敷と吉野の会話を遮った。
高屋敷は「はいはい」と軽い感じで、吉野は渋々といった感じで頷いた。
*****
「話って何だ?」
「小野寺と高屋敷のことです。」
そしてまたとある日の丸川書店の会議室。
今ここにいるのは、高野と羽鳥だ。
羽鳥が高野に話があるからとここに呼び出したのだ。
高屋敷が律と付き合うと宣言した後、吉野はずっと考え込んでしまっている。
吉野には高屋敷が無理矢理、小野寺律をどうにかするように見えているらしい。
そして羽鳥にも。。。そう見えた。
吉野はどうやら気にしているらしい。
高屋敷と吉野のコラボ企画、主役のモデルを律にすることに同意しなければ。
律をトラブルに巻き込むことはなかったのではないかと。
吉野の悩みを取り除いてやること。もしくは軽くしてやること。
それは自分の義務なのだと羽鳥は思っている。
そしてそれ以外にも、羽鳥には気になることがあった。
高野政宗と小野寺律。
2人が付き合っているのかどうか、羽鳥は知らない。
だがお互いに好きあっているのだと思っている。
もし2人の間が、羽鳥の友人である高屋敷のせいで離れてしまうとしたら。
それは羽鳥としても、実に後味の悪いことだ。
だからいろいろ考えた末、羽鳥は高野と話をすることにした。
*****
「高屋敷は小野寺に興味を持っています。」
「はっきり言え。」
「何とかして、小野寺と付き合うつもりのようです。」
「そうか。」
高野の冷静な反応に、羽鳥は戸惑う。
高野と律が好きあっていると思ったのは、間違いだったか。
そんな気を起こさせるほどの、冷淡な反応だ。
「トリ。お前や吉野さんが責任を感じる必要はないぞ。」
「でも高屋敷は。。。」
「一之瀬先生の件では、担当じゃないお前にも手伝ってもらってる。小野寺も同じだ。」
「そういうことですか。」
高野は高屋敷の意図など、とっくに見抜いている。
その上で律にプロの編集者として対応することを望んでいるのだ。
例えば羽鳥が一之瀬絵梨佳の相手をするように。
仕事関係者とは一線を画しながら、相手の気分を害させないように。
それも高野流の新人編集教育の1つなのだろう。
律は綺麗な容姿をしているし、まだ新人であるがゆえの初々しさはかわいらしくも見える。
この先言い寄る者だっているだろうし、その場合のうまい対応も身につけるべきだ。
「だけどトリから見て、いよいよヤバいと思った時には助けてやってくれ。」
「・・・はい。」
最後の高野の言葉に、羽鳥は高野の本音を見た。
やはり高野は律のことが心配なのだ。
好きな相手と仕事をするとは、本当にやっかいなことだ。
羽鳥は心の底からそう思った。
【続く】
「アイツ、本当に小野寺さんのことが好きなのかな?」
「高屋敷がそう言うなら、そうなんだろ。」
吉野は作業をしていた手を止めて、大きくため息をついた。
羽鳥の素っ気ない答えが、吉野には不満だったのだ。
「何とかしてあげられないのかな。」
「周りが口を出す話じゃない。それより手を動かせ。」
吉野は止まってしまっていた自分の手元を見下ろし、慌ててまた書き始める。
今度はその様子を見ていた羽鳥が、呆れたようにため息をついた。
ここは吉野の自宅だ。
漫画の連載の方は入稿したばかりなので、今日はアシスタントもいない。
今日の羽鳥の来訪は、例のゲームとのコラボ企画の件だった。
あれから吉野と高屋敷は、羽鳥も含めて何度か打ち合わせをした。
主人公のキャラクターは小野寺律をモデルにした美少女になった。
他のキャラや設定なども出来上がり、今は吉野がゲームのシナリオを作っている。
シナリオが上がったところで、また高屋敷と打ち合わせだ。
羽鳥としては、気が気ではないところだ。
ただでさえ吉野は作業が早い方ではないのだ。
その上考え事をしているとなると、ますます遅い。
今はまだスケジュールに余裕があるが、油断しているとすぐ修羅場になってしまう。
だが吉野の気がかりもよくわかる。
羽鳥も高屋敷と律のことは気になっていたからだ。
吉野と羽鳥がはっきりと、高屋敷の律への気持ちを聞いたのは数日前。
例によって丸川書店の会議室で、打ち合わせをしたときだった。
*****
「今日は律っちゃんは?いないの?」
高屋敷は会議室に入ってくるなり、聞いてきた。
律っちゃんとはまた馴れ馴れしい。
先に待っていた羽鳥と吉野は、顔を見合わせた。
「もう主役のキャラはできたんだし、必要ないだろう。」
「でもさ、いてくれた方がイメージしやすいし。」
「アイツはそもそも担当じゃない。本来の仕事もあるんだ。」
「羽鳥だって担当でもないのに、一之瀬絵梨佳の呼び出しには出て行くだろ?」
羽鳥は淡々と諭すが、高屋敷は納得しなかった。
打ち合わせ初日に、羽鳥が一之瀬絵梨佳に呼び出されて遅れたことを持ち出してきた。
「一之瀬絵梨佳のわがままは聞いても、俺のはダメなの?」
「一之瀬先生は、うちの看板作家だ。」
「俺も一応、有名ゲームクリエイターなんだけどな。」
一之瀬の話を引き合いに出されると、羽鳥も言葉に詰まってしまう。
吉野は自分で「有名ゲームクリエイター」と言い切る高屋敷に感心していた。
「高屋敷さんは、小野寺さんのこと好きなの?」
黙ってしまった羽鳥に代わって、吉野は思い切って切り出した。
ここ何回かの打ち合わせで、高屋敷は律を構い倒していた。
べったりと隣に座り、髪や顔や身体を触りまくる。
時々律の耳に唇を寄せて、律にだけ聞こえるようになにやら囁く。
その前の打ち合わせの時には、律に目を閉じさせて、その瞼にキスをしていた。
もっと顔のイメージを見たいから目を閉じて、と言われた律を騙すように瞼にチュウ。
何が起きたかわからずに、律はもうただただ困っていた。
「好きっていうかすごく興味あるよ。付き合いたいと思ってる。」
高屋敷の答えは、明快だった。
問いかけた吉野の方が一瞬たじろいでしまうほどだ。
*****
「アンタ元々トリに気があったんじゃないの?」
「うん。でももう諦めたよ。だって羽鳥は吉野さんのモンでしょ?」
「全然タイプが違うじゃん。トリと小野寺さん」
あっけらかんとした高屋敷の物言いに、吉野の顔が真っ赤になった。
だが何とか体勢を立て直して、なおも食い下がってみる。
「綺麗な顔が好きなんだよ。俺。」
「顔って。。。」
「それに律っちゃんは恋愛経験あまりなさそうだから。いろいろ教えたくなる。」
「いろいろって。。。」
ニンマリと不敵に笑う高屋敷の顔が、どうにも吉野には不快だった。
かつて高屋敷が羽鳥を狙うと宣言していたあのときのザラリとした気持ちを思い出してしまう。
「小野寺さんの気持ちは?無視かよ?」
「だから誘惑して、惚れさせるんだよ。」
あまりにも身勝手な高屋敷の言い様に、吉野にはもう言葉が見つからない。
だがそれとは別に、吉野には高屋敷と律が付き合うことに違和感がある。
2人が並んでいる姿がどうにも想像できないのだ。
吉野は助けを求めるように、黙って羽鳥を見た。
「雑談はその辺にしとけ。打ち合わせ続けるぞ。」
羽鳥は無愛想に、高屋敷と吉野の会話を遮った。
高屋敷は「はいはい」と軽い感じで、吉野は渋々といった感じで頷いた。
*****
「話って何だ?」
「小野寺と高屋敷のことです。」
そしてまたとある日の丸川書店の会議室。
今ここにいるのは、高野と羽鳥だ。
羽鳥が高野に話があるからとここに呼び出したのだ。
高屋敷が律と付き合うと宣言した後、吉野はずっと考え込んでしまっている。
吉野には高屋敷が無理矢理、小野寺律をどうにかするように見えているらしい。
そして羽鳥にも。。。そう見えた。
吉野はどうやら気にしているらしい。
高屋敷と吉野のコラボ企画、主役のモデルを律にすることに同意しなければ。
律をトラブルに巻き込むことはなかったのではないかと。
吉野の悩みを取り除いてやること。もしくは軽くしてやること。
それは自分の義務なのだと羽鳥は思っている。
そしてそれ以外にも、羽鳥には気になることがあった。
高野政宗と小野寺律。
2人が付き合っているのかどうか、羽鳥は知らない。
だがお互いに好きあっているのだと思っている。
もし2人の間が、羽鳥の友人である高屋敷のせいで離れてしまうとしたら。
それは羽鳥としても、実に後味の悪いことだ。
だからいろいろ考えた末、羽鳥は高野と話をすることにした。
*****
「高屋敷は小野寺に興味を持っています。」
「はっきり言え。」
「何とかして、小野寺と付き合うつもりのようです。」
「そうか。」
高野の冷静な反応に、羽鳥は戸惑う。
高野と律が好きあっていると思ったのは、間違いだったか。
そんな気を起こさせるほどの、冷淡な反応だ。
「トリ。お前や吉野さんが責任を感じる必要はないぞ。」
「でも高屋敷は。。。」
「一之瀬先生の件では、担当じゃないお前にも手伝ってもらってる。小野寺も同じだ。」
「そういうことですか。」
高野は高屋敷の意図など、とっくに見抜いている。
その上で律にプロの編集者として対応することを望んでいるのだ。
例えば羽鳥が一之瀬絵梨佳の相手をするように。
仕事関係者とは一線を画しながら、相手の気分を害させないように。
それも高野流の新人編集教育の1つなのだろう。
律は綺麗な容姿をしているし、まだ新人であるがゆえの初々しさはかわいらしくも見える。
この先言い寄る者だっているだろうし、その場合のうまい対応も身につけるべきだ。
「だけどトリから見て、いよいよヤバいと思った時には助けてやってくれ。」
「・・・はい。」
最後の高野の言葉に、羽鳥は高野の本音を見た。
やはり高野は律のことが心配なのだ。
好きな相手と仕事をするとは、本当にやっかいなことだ。
羽鳥は心の底からそう思った。
【続く】