狂宴舞踏会

【拳銃片手に紳士淑女の皆様よ】

こうするしかなかった。
律は晴れやかな宴の席で、冷たく表情を凍らせていた。

婚約披露を目的とした小日向家主催のダンスパーティ。
その一番目立つ上座のひな壇に、律は座っていた。
隣に座るのは、かわいい婚約者。
普通ならば幸福の絶頂といえるのかもしれない。
だが律にとってはただただ拷問だった。

律には10年以上、想い続けた恋人がいる。
だけどそれを知った律の両親は、2人の仲を頑として認めなかった。
そして杏本人にきっぱりとことわったはずの婚約話を復活させたのだ。
杏だけでなく小日向家も大いに乗り気で、話はとんとん拍子に進んだ。
その間に、丸川書店には勝手に辞表を出され、1人暮らしの家も引き払われた。
律は何もすることができず、それを呆然と見ているしかなかった。

余計なことをすれば、彼がどうなっても知らない。
律の父親は、律にそう言ったからだ。
彼とはもちろん、律が愛してやまない想い人のことだ。
その彼がどうなっても知らないとはどういうことか。
それをいくら問い詰めても、父はそれ以上のことを言わなかった。

いったいあの人をどうするつもりなのか。
何も言われないことで、律は悪い想像ばかりしてしまう。
職を追われるのか、世間にあらぬ風評を流されるのか、もしくは直接危害を加えられるのか。
わかっているのは、父親はワンマンな経営者であるということだ。
必要と思えば、非情なことだってやるだろう。
何せ大企業の社長、人を動かすための大金だって持っている。
あちこちに働きかけて、彼を社会的に抹殺するかもしれない。
法に触れるような荒っぽい手段を使われたら、彼の身が危ない。

こうするしかなかった。
律は晴れやかな宴の席で、冷たく表情を凍らせていた。
何も告げずに消えたことを、きっと彼は恨んでいるだろう。
だけどとにかく無事に生きてほしい。
そして律のことさえ忘れさえすれば、幸せにだってなれるだろう。

「杏さん、律君も踊らない?」
今日招かれた客の1人に、律はダンスに誘われる。
だが律は微笑むことなく首を振った。
そして杏に「踊ってくれば?」と告げると、杏は「うん」と頷いて立ち上がった。

ごめんね。杏ちゃん。
律はダンスエリアに出て行く杏の後ろ姿を見ながら、そっと心の中で思った。
杏のことは大事にしようとは思っている。
だがどうしても妻として愛せそうになかった。
おそらく律は心の中で、一生高野政宗を愛し続けるだろう。

*****

大きなお世話かもしれないけど。
柳瀬は目的の男を、ずっと目の端に捕えていた。

柳瀬優は、とあるパーティに参加していた。
とある会社の社長が主催したダンスパーティだ。
いかにもセレブという雰囲気の人間たちが、たくさん集まっている。
もちろん柳瀬本人がそんなパーティに招かれるはずもない。
柳瀬はこのパーティの会場となっているホテルのアルバイトとして、ここに潜入していた。
だからこのホテルの従業員のユニフォームを着ている。
そしてトレイにカクテルやソフトドリンクなどをいくつも乗せて、客たちの間を歩いていた。
時折呼び止められ、客がリクエストする飲み物を渡す仕事だ。

柳瀬はチラリとホール内を見回した。
上流階級の人間が集まる中、知っている人間はすぐ見つかった。
羽鳥たち見覚えのある月刊エメラルドの編集者たち、そしてジャプンの編集長もいる。
綺麗な顔の彼らだが、セレブだらけのパーティではやはり浮いている。
高級な雰囲気の中で緊張して、自然に振る舞えないのだ。
そしてその中には、友人の吉野千秋の顔も見えた。

「俺、セレブのダンスパーティに行くみたい。」
つい先日、ちょうど原稿をバイク便に託したばかりの吉野宅で。
吉野は息も絶え絶えの状態で、そんなことを言い出した。

「何だ、それ?」
「ほらこの間までエメラルドにいた小野寺さん。あの人の婚約披露パーティだって。」
「確か編集長と付き合ってた人だよな。」
「うん。高野さんは呼ばれてるのかなぁ」

高野と律の恋の話は、すでに柳瀬の耳に入るほど知れ渡ってしまっている。
順調に育んでいたかのように見えた恋愛が、唐突に終わりを告げたこと。
そして律がエメラルド編集部を去り、残された高野は人が変わったようであることも。

吉野からパーティの話を聞かされた柳瀬は、嫌な予感がした。
なぜなら柳瀬は数日前、とある場所で高野を見かけたのだ。
そのとき高野は外国人らしき男から「武器」を受け取ったように見えたのだ。
まさかと思うが、そのパーティで高野が凶行に及ぶなんてことがないだろうか?
だから柳瀬がこうしてホテル従業員として、パーティに潜入している。
そしてその中に高野の姿があり、律からもエメ編の編集者たちと離れた場所にいることを警戒していた。

大きなお世話かもしれないけど。
柳瀬は目的の男を、ずっと目の端に捕えていた。
本当はホテルの人間を捕まえて、高野の身体検査をさせればすむ話なのだと思う。
もし「武器」を持っていなければそれでよし、持っていたら警察に引き渡すのだ。
だが柳瀬がそれをしないのは、本当にあのとき見たのが「武器」かどうか確信が持てないこと。
そして惚れた相手が自分を愛してくれない悲しみをよく知っているからだ。

とにかく仕掛けてみるか。
柳瀬はだいぶ軽くなったトレイに飲み物を補充すると、再びホールを歩きはじめた。

*****

必ずここから連れ出す。
高野はひな壇の上で1人ぼっちの青年を、凝視していた。

高野は井坂の横で、じっと息を潜めていた。
律の婚約者のあの女の子は、友人らしい人物に手を引かれて、ダンススペースに出て来た。
そして弦楽アンサンブルの演奏に乗って、軽快なワルツのステップを踏んでいる。
律は席に残ったまま、じっと前を見ていた。
だがきっとその瞳には、何も映していないのだろう。
パーティに集う客には一切視線を向けない。
おそらくこの場に高野がいることにも気が付いていない。

本当はさっさと律の手を引いて、この場を立ち去りたい。
そのために必要な武器も、秘かに手に入れており、今はポケットの中にある。
都内某所の繁華街、駅前は賑やかだが少し離れると、外国語が飛び交う怪し気な場所がある。
そこでカタコトの日本語をしゃべる売人から買った拳銃だ。
これを1発撃てば、このホールはパニックになるだろう。
その隙に律を連れ出すのは、たやすいことだと思う。

だがここには知った顔が何人もいる。
特に問題は井坂だ。
無理を言って、このパーティに同伴させてもらった。
その高野がここで問題を起こせば、井坂の立場は悪くなるだろう。
それに羽鳥たち同僚に犯罪者になる姿を見られるのも、あまりいい気分ではない。
だから何とかこっそり律だけを連れ出したいと、そのチャンスをうかがっていたのだ。

「飲み物はいかがですか?」
不意にホールを回るウエイターに声を掛けられた高野は、そちらを振り返った。
そしてその顔を見て「え?」と声を上げてしまう。
このホテルの制服で、飲み物を持ったトレイを持って立っていたのは、柳瀬。
エメラルドの看板作家のアシスタントを務めている男だった。

「烏龍茶を下さい。驚きました。アルバイトですか?」
「ええ、まぁ。そう言えば先日、高野さんを池袋で見かけましたよ。」
柳瀬は烏龍茶のグラスを渡してくれながら、そう言った。
その言葉に高野は内心ギクリとする。
高野が売人から銃を買ったのは、まさにその街だったからだ。
柳瀬は意味あり気に笑うと、頭を下げて高野から離れていった。

もしかして銃を買っているところを見られたのか?
この場でそれを使うなという警告だろうか?
高野はそんなことを考えて苦笑する。
無意味なことだ。律をこの手に抱くためならば、高野は何でもする。
できれば穏便にすませたいが、それをできない場合の銃なのだ。

高野はポケットの中に右手を入れると、銃に手をかけた。
ホールでは多くの人たちが、ダンスのステップを踏んでいる。
紳士淑女の皆様よ、呑気なものだ。
ここで拳銃を片手に、不穏な願望を隠している男がいるというのに。

必ずここから連れ出す。
高野はひな壇の上で1人ぼっちの青年を、凝視していた。

【続く】
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