狂宴舞踏会

【狂ったように踊れ】

「もう2度と笑うことはないと思う。」
律は冷たい声でそう告げた。
その言葉は刃のように、杏の心に深く深く突き刺さった。

今日は杏の実家、小日向家が主催するパーティだ。
一流ホテルの広いホールを借り切り、大勢の客を招待している。
食事は立食形式で、ホール中央では踊れるようになっていた。
日本では珍しい英国風のダンスパーティだ。
杏は別に普通のパーティでいいと思うし、そもそもパーティなんか必要ないとさえ思う。
だが両親はどうしてもやると言って、聞かなかった。

このパーティの目的は、杏の婚約披露パーティだった。
親同士の間では何となく話がついており、杏も心待ちにしていた律との婚約。
一時は律にことわられ、もうこの結婚はないものと諦めた。
だがいつの間にか婚約話は復活し、今度は律も承知している。

杏は招待客が見渡せる位置に作られた席におさまっている。
その隣には、もうすぐ夫となる律も座っていた。
招待客のざわめき、そして演奏のために呼ばれた弦楽器のアンサンブルの調律の音が重なる。
会場に入ってきた招待客は、まず杏と律のところに来て「おめでとうございます」と告げていく。
杏は何とか愛想笑いをするのだが、律はニコリともしない。
かろうじて会釈はするが、あとは怜悧な美貌をじっと前に向けて、杏を見ようとさえしなかった。

「本当にいいの?」
このパーティの前日、杏は律にそう聞いた。
もう何度も確認したことだ。
律は本当は好きな人が別にいる。
元上司で、1人暮らしをしていたときに隣に住んでいた男だ。
男同士の恋愛、杏にはピンとこないが、律が本気で好きだったことはよく知っている。
何しろ小さい頃からずっと、律を想い続けているのだから。

「もう、いいんだ。杏ちゃんのこと、大事にする。」
律は杏にそう答えた。
その表情は穏やかで、律がどう思っているのか読み取れない。
だけど杏は嬉しかった。
気持ちの整理がついてなくても、大事にすると言ってくれた。
今はまだ違う人が好きでも、結婚すればもう律は杏のものなのだ。
だが次の瞬間の律の言葉に、杏は凍り付いた。

「もう2度と笑うことはないと思う。」
律は冷たい声でそう告げた。
その言葉は刃のように、杏の心に深く深く突き刺さった。
大事にはするけれど、愛することはない。
そう宣告されたのだ。

かくして偽りのパーティが幕を開けた。
懸命に笑顔を作っていた杏は驚き、目を見開いた。
賑わう客の中に、律の想い人のあの男がいるのを見つけたからだ。

*****

「くれぐれもおとなしくしててくれよ。」
井坂は隣を歩く男に、もう何本目かわからない釘を刺した。

井坂は2人の男と共に、とある集まりに出席していた。
上流社会のセレブが集まるダンスパーティだ。
同業者であり、ゴルフ仲間である小野寺出版社長から招待された。
表向きは様々な業種のトップが集まる懇親会とされている。
だが実は小野寺家の令息と小日向家の令嬢の婚約を祝うものだった。

その証拠に、こういう集まりには不慣れなメンバーも集まっている。
エメラルド編集部の羽鳥、木佐、美濃。
それにジャプンの桐嶋や、営業の横澤もいる。
彼らはかつての小野寺家の息子の同僚として招かれたのだ。

「それにしても、うちってどうして男同士のカップルが多いのかな。」
井坂はポツリとそう呟いた。
桐嶋と横澤が付き合っていたのは、かなり早い時点で知っていた。
羽鳥は少女漫画家の吉川千春と付き合っている。
木佐は美大を卒業したばかりの画家の卵と熱愛中。
美濃は誰だか知らないが、やはり恋人は男であるらしい。

「龍一郎様がそうだからじゃないんですか?」
背後から答えが返ってきて、井坂は一瞬驚く。
だがすぐに「そうかもな」と答えた。
いつも影のように後ろについて支えてくれる秘書が、井坂の恋人だった。

井坂はチラリと隣を歩くもう1人の男を見た。
この男、高野も同性を熱愛していた。
今日、婚約を祝われている小野寺出版の跡取り息子だ。
彼らが恋人同士であることは、言葉にしなくても周囲にはバレまくっていた。
というより、高野がわざとそう振る舞っていた感が強い。
このかわいい青年は自分のものだと主張して、牽制しまくっていたのだろう。

だが他の連中が静かに愛情を深めていく中で、高野の恋だけが破滅した。
彼の恋人だった小野寺律は、丸川書店を辞めて、父親の会社に戻った。
それと同時に実家にも戻り、親が決めた婚約者と結婚すると言い出したのだ。

それを聞いた直後の高野は荒れた。
会社こそ休まずに来ていたが、とにかく仕事のミスが多くなった。
食事も満足にとっていないようで、げっそりと痩せてやつれた。
どうしたものかと心配していた時に、このパーティの招待があった。

「俺も連れて行ってくれませんか?」
高野は井坂に頭を下げた。
小野寺家には律と高野の交際はバレており、高野のことを毛嫌いしている。
曰く、大事な息子に道を踏み外させた男だと。
だからエメラルド編集部の他のメンバーに届いた招待状が、高野にだけ来なかったのだ。

「あいつの顔を見て、キッチリ気持ちを踏ん切りたいんです。」
渋る井坂に、高野は食い下がった。
だが井坂は迷う。
律の婚約披露パーティを見て、高野はどうなるのか。
本当に律を諦めきれるのか、それとも。
だが自分に置き換えて考えると、会いたい気持ちは理解できる。
それならば、と井坂は高野を連れてくることを決断したのだ。

「くれぐれもおとなしくしててくれよ。」
井坂は隣を歩く男に、もう何本目かわからない釘を刺した。
何かあれば叱責されるかもしれないが、そのときはそのとき。
だがそんなシーンは来ない方がいいに決まっている。

*****

どうしてお前は、俺を置いていったんだ。
高野は美しいのに、能面のように表情がない青年に、心の中でそっと呼びかけた。

高野が律と別れたのは、突然だった。
ある月の入稿が終わったのが、金曜日の深夜。
普通ならばそのまま、高野か律、どちらかの部屋のベットに転がり込むのが常だ。
だが律は「ちょっと週末、実家に帰ります」と告げた。
そしてそのまま連絡が取れなくなってしまったのだ。

月曜日になって、部屋に現れたのは引っ越し業者だった。
次々に律の部屋から荷物を運び出す彼らは、何を聞いても引越を頼まれただけと繰り返す。
そして高野の部屋のポストには辞表が投げ込まれていた。

恋人の手酷い裏切りに、高野はこれ以上ないほどの衝撃を受けた。
ほぼ同じことを、高校時代にも経験している。
だが今回、受けたダメージはそれ以上だ。
年齢を重ねた分、律をさらに深く愛しているからだ。

そんな高野を嘲笑うように、律の婚約話の復活を知る。
エメラルド編集部の他のメンバーに届いたパーティの招待状。
だが高野の元にだけ届かなかった。
傷ついた心をさらに抉るような仕打ちに、高野は激しく動揺した。

「俺も連れて行ってくれませんか?」
高野は丸川書店社長である井坂に頭を下げた。
このまま律と話もできないどころか会うこともなく終わるなんて、我慢できない。
別れるならちゃんと理由が知りたい。
いや別れたくなどないのだ。
できれば律をこの腕に取り返したい。

「じゃあお前、俺の友人ってことで」
散々迷った井坂は、渋々だが折れてくれた。
井坂は仕事の上では強引で横柄であるが、実は繊細で優しい男なのだ。
このままでは高野が前に進めないことをわかってくれているのだろう。

そして高野は井坂と共に、パーティ会場に乗り込んだ。
変装をしようかとも考えたが、あえて普段通りにした。
小野寺家が高野のことをよく思っていないことは想像できる。
だがそれだからといって、コソコソするのは嫌だった。

会場であるホテルのホールに入った。
下手側の壁際には立食用の料理や飲み物が置いてあるが、安っぽいバイキングではない。
従業員に声をかけて、盛り付けてもらう形式だ。
中央はダンススペースになっており、奥では弦楽器のアンサンブルが軽快な音楽を奏でている。
そして上手側の壁際には、低いひな壇が設えられており、1組の男女が座っていた。
律、そしてあの婚約者だと言っていた女の子だ。

高野の視線はすぐに2人に釘づけになった。
ひな壇の前には入れ替わり立ち替わり、人が押し寄せて2人に話しかけている。
女の子はその都度にこやかに笑顔で応じていた。
だが律は少しも笑っていない。
固い表情のまま、それでも何とか頭だけは下げているという感じだった。

どうしてお前は、俺を置いていったんだ。
高野は美しいのに、能面のように表情がない青年に、心の中でそっと呼びかけた。
もちろん律から答えなどない。
同じホールの中でも離れているし、そもそも高野がいることに気付いていないだろう。
だけど言葉はなくても、わかったことがある。

律はこの婚約を喜んでいない。
なぜなら律もまた高野同様、かなり痩せてやつれていた。
それに少しも笑わない。
まるで凍えたように固まった表情は、凄絶に美しい。

それならばすることは1つだけだ。
この場から何が何でも律を奪う。
幸いなことに手荷物検査はされなかった。
だから高野の服の下には、武器が隠されたままだ。
この場を掌握し、阿鼻叫喚のパニックを引き起こす物騒な武器が。

気の早い若いカップル客が、ホールの中央に出て、ワルツを踊り始めた。
そしてそれにつられるように、何組かのカップルが踊りに加わる。
高野はその様子を眺めながら、唇を歪ませた。

狂ったように踊れ。
高野は楽しそうに踊る者たちを、心の中で罵倒した。
そして武器を装備しながら、タイミングをうかがう自分はまるでテロリストのようだと思った。

【続く】
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