自由3題
【自由って何?】
「それはまた、随分と綺麗な想像ですね。」
目の前の秀麗な青年は冷ややかに告げる。
吉野はその表情に、浮かれていた気持ちが一気に冷えていくのを感じた。
吉野は、小野寺律とその恋人の母親らしき女性との会話を偶然耳にした。
それは決して他言していいような内容ではない。
だが吉野は、沈黙を守れなかった。。
恋人であり、担当編集の羽鳥に話してしまっただけではない。
アイディアに詰まってしまい、次回入稿分のネタにしようとまで考えている。
だがそれはさすがに、罪悪感はある。
だからこうして羽鳥に頼んで、時間を取ってもらったのだ。
吉野と律は、丸川書店の会議室で向かい合っていた。
この場をセッティングした羽鳥は、吉野の横に座っている。
「すみません。小野寺さん。俺。。。」
吉野はおもむろにそう切り出した。
そのままあの日聞いてしまったこと、そしてそれを羽鳥に話したことを打ち明けた。
律は普段と変わらない穏やかな表情で相槌を打っている。
どうやら怒っていないと、吉野はホッとしていた。
「俺、実は感動したんです。小野寺さんの恋ってまさに純愛だと思って。」
「純愛?」
「ええ。妨害されても恋人との愛を貫くって、素敵です!」
「それはまた、随分と綺麗な想像ですね。」
浮かれて、思わず出てきた正直な感想に、律の表情は強張った。
そして冷ややかな声でそう告げたのだ。
今までの有効な雰囲気が嘘のような豹変だった。
どうやら気分を害してしまったらしい。
吉野はオロオロと動揺しながら、次の言葉が発せられずにいた。
*****
「小野寺さんの恋ってまさに純愛だと思って。」
吉野の言葉に、怒りがこみ上げる。
相手は大事な作家であるのに、律は冷ややかになるのを押さえられなかった。
「すみません。何でもないです。」
律は慌てて謝罪をしたが、今度は吉野は納得いかない表情をしている。
チラリと横に座る羽鳥を見たが、冷静な表情で何もうかがえなかった。
吉野の目が雄弁に続きをうながしているのを見て、律はため息をついた。
「吉野さんはあの状況になったら、身を引きますか?」
律は静かにそう聞いた。
あの状況とは恋人の親に「別れろ」と迫られる状況だ。
吉野は少し考えるような素振りだったが、すぐに「多分」と答えた。
「俺と付き合ってることが相手のためにならないなら、別れてあげようって思うかも」
「そんなのは本当の恋愛じゃない。」
律は吉野の言葉をひったくるようにそう言った。
誰に反対されても、世界中を敵に回しても、相手を求めるのが今の律の恋愛だ。
自分自身も持て余すほど、ドロドロと相手に執着する気持ちを「純愛」とは。
それも吉野に無邪気な表情で言われると、妙に腹が立つのだ。
「吉野さんはきっと自由な恋をしてきたんですね。」
律は精一杯の笑顔を作って、そう言った。
言葉こそ丁寧で愛想もいいが、皮肉を少々込めている。
無論吉野はきっと気がつかないだろうが。
こんなに執着してくれない人じゃ、相手は寂しい思いをしているだろう。
そもそも吉野は本当の恋などしたことがないのではないか。
だからそんなにあっさりと「別れてあげよう」などと言えるのだ。
お気楽にカフェでコーヒーを飲みながら別れてやれるほど、本気の純愛は軽くない。
「逆に吉野さんの恋こそ、本当の純愛なのかも」
律はポツリとそう呟いた。
執着心という濁りのない分、透明度が高くて美しい。
お気楽でもそういうのこそ、純愛なのかもしれない。
*****
「自由って何?」
律が立ち去った会議室で、吉野は羽鳥に不貞腐れ気味に問いかける。
羽鳥は無愛想な表情のまま「さぁな」と答えた。
「逆に吉野さんの恋こそ、本当の純愛なのかも」
律が落としていった言葉は、吉野には聞き取れなかったようだ。
その前の「自由な恋」というフレーズに引っかかったせいだろう。
だが羽鳥はしっかりとその言葉を聞き取った。
律はもちろん吉野の相手が羽鳥であることを知らない。
だから吉野への恋愛の評価が、すなわち羽鳥の評価になることに気付いていないだろう。
そして律の言葉はしっかりと羽鳥の心にも突き刺さった。
なぜなら羽鳥も吉野に告白した頃に、身を引こうとした。
担当を外れて、吉野の前から消えようとしたのだ。
それは律曰く「そんなのは本当の恋愛じゃない」ということになる。
「自由ってもしかして幼稚って意味かな?小野寺さんにはそう見えるとか。」
吉野は未だに律の言葉の意味を、真正面から悩んでいる。
律の言葉にこれほど考え込む2人は、不器用すぎるだろう。
吉野の恋こそ本当の純愛なのかもという律の意見には、到底賛同できそうにない。
羽鳥は無意識のうちに、この恋の行方を吉野に委ねていると思う。
吉野との恋愛は、羽鳥が先に好きになったという自覚がある。
吉野は引きずり込まれるように、羽鳥と恋に堕ちたのだ。
だからこれ以上吉野の意思に反することはしたくないと考えている。
そんな羽鳥にとって、絶対に諦めないという律の恋愛スタイルはまさに目からウロコだった。
「とりあえず小野寺は怒ってないってことで、いいんじゃないか?」
羽鳥はおもむろにそう告げた。
いくら考えても、恋愛できっぱりと割り切れる正解はない。
だが少しは律の恋愛を見習ってもいい気がする。
もっと貪欲に吉野を求めて、願わくば吉野からも求めてもらう。
そうして2人だけの愛の形を作っていく。
「このまま次回のプロットの打ち合わせだ。」
羽鳥はそう言いながら、手帳を取り出した。
律の話が吉野の作品にどういう影響を及ぼすのか、少々楽しみでもある。
*****
「俺の知らないところで、何が起きたかわかりましたよ。」
律が呆れたようにそう言って、こちらを睨み上げる。
高野はそんな律の視線をサラリと受け流すと、肩を竦めた。
高野は3人が話す会議室の外にいた。
ぶっちゃけると立ち聞きだ。
吉野が律に話があると聞けば、思い当たることは1つしかない。
そうなれば高野だって無関係ではないし、気になる。
やがて律は1人、先に会議室から出てきた。
そして高野を見つけると、顔をしかめる。
まったくこういうところはかわいくない。
「そんなのは本当の恋愛じゃないってか」
「盗み聞きですか。」
「きっと自由な恋をしてきたんですねって。作家相手に失礼だぞ。」
「俺の知らないところで、何が起きたかわかりましたよ。」
高野が廊下を歩き出すと、律はごく自然に横に並んだ。
そして呆れたように、こちらを睨み上げる。
高野はそんな律の視線をサラリと受け流すと、肩を竦めた。
高野と律は一連の出来事を直接話し合っていない。
律は高野の母に呼び出されたことを言わなかったし、高野も然りだ。
その後高野の母が何も言ってこないのを不思議に思っていたかもしれない。
吉野と話したことで、その謎も解けたことだろう。
誰からどう話が伝わって、高野が何をしたか想像に難くない。
「お前、本当に10年前はかわいかったのになぁ。」
「そりゃすみませんね。」
かわいくない口の聞き方に、高野はため息をつく。
どうしても高野には10年前の律のイメージがあるのだ。
純情で高野の目を見ることさえできなかったシャイな少年。
だから今の律の強さに正直戸惑うこともある。
だが律は大人の男になって、高野に執着してくれている。
それは10年前にはなかった頼もしさだ。
それでも横顔はかわいい。
高野はそれを目で楽しみながら、軽い足取りで編集部へと戻った。
*****
「自由って何?」
ネーム原稿に描かれたセリフを見た律は、苦笑するしかなかった。
進行上はそろそろ作家たちがネーム原稿を描き終える頃。
今月一番最初にネームを上げたのは、何と吉川千春だった。
こんなの俺が入社して初めてだ、と律は思った。
だが編集部全員が驚いているところを見ると、エメラルド史上初かもしれない。
さっそくネーム原稿を見せてもらった律は、もう笑うしかなかった。
ヒロインの恋人が、ヒロインの親友からもアプローチされる。
自分が身を引けばいいのかとヒロインは悩む。
だが親友は好きだから絶対に諦めないと、きっぱりと断言するのだ。
恋人は2人の異なる形の愛情に、揺れている。
「見事に使われたなぁ」
律はあの会議室でのやり取りを思い出して、ひとりごちた。
吉野の恋愛観に異議を唱えたかったが、さすがに口に出せなかった。
だから少しだけ皮肉を込めて「自由な恋愛」などと言ったのだ。
ヒロインとその親友がやり合うセリフは、あのときの言葉が多く使われている。
それに「自由って何?」は、吉野から律へのメッセージのような気さえする。
「純愛も金儲けのコンテンツってことだろ」
高野はそのネームを見て、そう評した。
羽鳥も澄ました顔をしている。
少女漫画に関わる者は、本のためなら自分の純愛も切り売りするということか。
「結局吉野さんの1人勝ちか」
ネーム原稿を読み終えた律は、忌々しげにそのセリフを睨む。
作り物の原稿の中の純愛は、甘く美しくできている。
【終】お付き合いいただき、ありがとうございました。
「それはまた、随分と綺麗な想像ですね。」
目の前の秀麗な青年は冷ややかに告げる。
吉野はその表情に、浮かれていた気持ちが一気に冷えていくのを感じた。
吉野は、小野寺律とその恋人の母親らしき女性との会話を偶然耳にした。
それは決して他言していいような内容ではない。
だが吉野は、沈黙を守れなかった。。
恋人であり、担当編集の羽鳥に話してしまっただけではない。
アイディアに詰まってしまい、次回入稿分のネタにしようとまで考えている。
だがそれはさすがに、罪悪感はある。
だからこうして羽鳥に頼んで、時間を取ってもらったのだ。
吉野と律は、丸川書店の会議室で向かい合っていた。
この場をセッティングした羽鳥は、吉野の横に座っている。
「すみません。小野寺さん。俺。。。」
吉野はおもむろにそう切り出した。
そのままあの日聞いてしまったこと、そしてそれを羽鳥に話したことを打ち明けた。
律は普段と変わらない穏やかな表情で相槌を打っている。
どうやら怒っていないと、吉野はホッとしていた。
「俺、実は感動したんです。小野寺さんの恋ってまさに純愛だと思って。」
「純愛?」
「ええ。妨害されても恋人との愛を貫くって、素敵です!」
「それはまた、随分と綺麗な想像ですね。」
浮かれて、思わず出てきた正直な感想に、律の表情は強張った。
そして冷ややかな声でそう告げたのだ。
今までの有効な雰囲気が嘘のような豹変だった。
どうやら気分を害してしまったらしい。
吉野はオロオロと動揺しながら、次の言葉が発せられずにいた。
*****
「小野寺さんの恋ってまさに純愛だと思って。」
吉野の言葉に、怒りがこみ上げる。
相手は大事な作家であるのに、律は冷ややかになるのを押さえられなかった。
「すみません。何でもないです。」
律は慌てて謝罪をしたが、今度は吉野は納得いかない表情をしている。
チラリと横に座る羽鳥を見たが、冷静な表情で何もうかがえなかった。
吉野の目が雄弁に続きをうながしているのを見て、律はため息をついた。
「吉野さんはあの状況になったら、身を引きますか?」
律は静かにそう聞いた。
あの状況とは恋人の親に「別れろ」と迫られる状況だ。
吉野は少し考えるような素振りだったが、すぐに「多分」と答えた。
「俺と付き合ってることが相手のためにならないなら、別れてあげようって思うかも」
「そんなのは本当の恋愛じゃない。」
律は吉野の言葉をひったくるようにそう言った。
誰に反対されても、世界中を敵に回しても、相手を求めるのが今の律の恋愛だ。
自分自身も持て余すほど、ドロドロと相手に執着する気持ちを「純愛」とは。
それも吉野に無邪気な表情で言われると、妙に腹が立つのだ。
「吉野さんはきっと自由な恋をしてきたんですね。」
律は精一杯の笑顔を作って、そう言った。
言葉こそ丁寧で愛想もいいが、皮肉を少々込めている。
無論吉野はきっと気がつかないだろうが。
こんなに執着してくれない人じゃ、相手は寂しい思いをしているだろう。
そもそも吉野は本当の恋などしたことがないのではないか。
だからそんなにあっさりと「別れてあげよう」などと言えるのだ。
お気楽にカフェでコーヒーを飲みながら別れてやれるほど、本気の純愛は軽くない。
「逆に吉野さんの恋こそ、本当の純愛なのかも」
律はポツリとそう呟いた。
執着心という濁りのない分、透明度が高くて美しい。
お気楽でもそういうのこそ、純愛なのかもしれない。
*****
「自由って何?」
律が立ち去った会議室で、吉野は羽鳥に不貞腐れ気味に問いかける。
羽鳥は無愛想な表情のまま「さぁな」と答えた。
「逆に吉野さんの恋こそ、本当の純愛なのかも」
律が落としていった言葉は、吉野には聞き取れなかったようだ。
その前の「自由な恋」というフレーズに引っかかったせいだろう。
だが羽鳥はしっかりとその言葉を聞き取った。
律はもちろん吉野の相手が羽鳥であることを知らない。
だから吉野への恋愛の評価が、すなわち羽鳥の評価になることに気付いていないだろう。
そして律の言葉はしっかりと羽鳥の心にも突き刺さった。
なぜなら羽鳥も吉野に告白した頃に、身を引こうとした。
担当を外れて、吉野の前から消えようとしたのだ。
それは律曰く「そんなのは本当の恋愛じゃない」ということになる。
「自由ってもしかして幼稚って意味かな?小野寺さんにはそう見えるとか。」
吉野は未だに律の言葉の意味を、真正面から悩んでいる。
律の言葉にこれほど考え込む2人は、不器用すぎるだろう。
吉野の恋こそ本当の純愛なのかもという律の意見には、到底賛同できそうにない。
羽鳥は無意識のうちに、この恋の行方を吉野に委ねていると思う。
吉野との恋愛は、羽鳥が先に好きになったという自覚がある。
吉野は引きずり込まれるように、羽鳥と恋に堕ちたのだ。
だからこれ以上吉野の意思に反することはしたくないと考えている。
そんな羽鳥にとって、絶対に諦めないという律の恋愛スタイルはまさに目からウロコだった。
「とりあえず小野寺は怒ってないってことで、いいんじゃないか?」
羽鳥はおもむろにそう告げた。
いくら考えても、恋愛できっぱりと割り切れる正解はない。
だが少しは律の恋愛を見習ってもいい気がする。
もっと貪欲に吉野を求めて、願わくば吉野からも求めてもらう。
そうして2人だけの愛の形を作っていく。
「このまま次回のプロットの打ち合わせだ。」
羽鳥はそう言いながら、手帳を取り出した。
律の話が吉野の作品にどういう影響を及ぼすのか、少々楽しみでもある。
*****
「俺の知らないところで、何が起きたかわかりましたよ。」
律が呆れたようにそう言って、こちらを睨み上げる。
高野はそんな律の視線をサラリと受け流すと、肩を竦めた。
高野は3人が話す会議室の外にいた。
ぶっちゃけると立ち聞きだ。
吉野が律に話があると聞けば、思い当たることは1つしかない。
そうなれば高野だって無関係ではないし、気になる。
やがて律は1人、先に会議室から出てきた。
そして高野を見つけると、顔をしかめる。
まったくこういうところはかわいくない。
「そんなのは本当の恋愛じゃないってか」
「盗み聞きですか。」
「きっと自由な恋をしてきたんですねって。作家相手に失礼だぞ。」
「俺の知らないところで、何が起きたかわかりましたよ。」
高野が廊下を歩き出すと、律はごく自然に横に並んだ。
そして呆れたように、こちらを睨み上げる。
高野はそんな律の視線をサラリと受け流すと、肩を竦めた。
高野と律は一連の出来事を直接話し合っていない。
律は高野の母に呼び出されたことを言わなかったし、高野も然りだ。
その後高野の母が何も言ってこないのを不思議に思っていたかもしれない。
吉野と話したことで、その謎も解けたことだろう。
誰からどう話が伝わって、高野が何をしたか想像に難くない。
「お前、本当に10年前はかわいかったのになぁ。」
「そりゃすみませんね。」
かわいくない口の聞き方に、高野はため息をつく。
どうしても高野には10年前の律のイメージがあるのだ。
純情で高野の目を見ることさえできなかったシャイな少年。
だから今の律の強さに正直戸惑うこともある。
だが律は大人の男になって、高野に執着してくれている。
それは10年前にはなかった頼もしさだ。
それでも横顔はかわいい。
高野はそれを目で楽しみながら、軽い足取りで編集部へと戻った。
*****
「自由って何?」
ネーム原稿に描かれたセリフを見た律は、苦笑するしかなかった。
進行上はそろそろ作家たちがネーム原稿を描き終える頃。
今月一番最初にネームを上げたのは、何と吉川千春だった。
こんなの俺が入社して初めてだ、と律は思った。
だが編集部全員が驚いているところを見ると、エメラルド史上初かもしれない。
さっそくネーム原稿を見せてもらった律は、もう笑うしかなかった。
ヒロインの恋人が、ヒロインの親友からもアプローチされる。
自分が身を引けばいいのかとヒロインは悩む。
だが親友は好きだから絶対に諦めないと、きっぱりと断言するのだ。
恋人は2人の異なる形の愛情に、揺れている。
「見事に使われたなぁ」
律はあの会議室でのやり取りを思い出して、ひとりごちた。
吉野の恋愛観に異議を唱えたかったが、さすがに口に出せなかった。
だから少しだけ皮肉を込めて「自由な恋愛」などと言ったのだ。
ヒロインとその親友がやり合うセリフは、あのときの言葉が多く使われている。
それに「自由って何?」は、吉野から律へのメッセージのような気さえする。
「純愛も金儲けのコンテンツってことだろ」
高野はそのネームを見て、そう評した。
羽鳥も澄ました顔をしている。
少女漫画に関わる者は、本のためなら自分の純愛も切り売りするということか。
「結局吉野さんの1人勝ちか」
ネーム原稿を読み終えた律は、忌々しげにそのセリフを睨む。
作り物の原稿の中の純愛は、甘く美しくできている。
【終】お付き合いいただき、ありがとうございました。
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