自由3題

【玩具だった】

「よくもやってくれましたね」
高野は目の前の女性、母親の琴子を睨みつけた。
琴子はその怒りの視線を、ふてぶてしい表情で受け止めている。

高野政宗は琴子の経営する弁護士事務所に来ていた。
ここに来るのは初めてのことだ。
来ることになるとは思っていなかったし、そもそも会うつもりもなかった。
だがそんなことは言っていられない。
琴子が恋人の律に別れるように迫ったなどと聞かされれば。

「貴方が俺に関心を持つなんて、思ってもみませんでしたよ。」
「関心なんかないわ。」
エメラルド編集部の面々なら震え上がりそうな表情の高野。
だが琴子は恐れる様子もなく、素っ気ない。

「そうでした。俺に関しては完全に育児放棄でしたね。」
「ええ」
「金だけ渡して、それ以外は親らしいことは何もせず」
「そうね」
「こんなときだけ俺の恋人を脅迫とは。本当に貴方らしいです。」

高野は大げさにため息をつく。
琴子は「フン」とつまらなそうに鼻を鳴らした。
まったく弁護士らしからぬ態度に、高野は笑ってしまう。

いくら来客ではないとはいえ、茶の1杯も出てこない。
会社帰りの遅い時間ではあるが、事務員らしき人影はあるのに。
本当に歓迎されていないのだと痛感してしまう。
だがもうそんなことでいちいち傷ついたり、怒ったりしない。

「まぁ貴方に愛情なんか注がれなくて幸せです。貴方のお子さんに同情しますよ。」
「ちょっと。喧嘩を売りに来たわけ?」
「いいえ」
少しだけ琴子を怒らせたところで、高野は本題に入ることにした。
こっちだって余計なことに時間を使いたくない。

*****

「これ以上、小野寺律と接触するのは止めてください。」
「困るのよ。よりによって同性愛なんて。先方の耳に入ったら」
「俺たちの知ったこっちゃない。その程度で壊れるなら縁がないんだ。」
「何ですって?」

高野は琴子の声が尖るのを聞いて、戦闘モードに切り替えた。
律は要求を突っぱねたと聞いたが、琴子は諦めていないらしい。
ならば徹底的に戦うしかなさそうだ。

「もしこれ以上律になにかするなら、こっちも容赦しません。」
「何をするって言うの?」
「貴方が俺に対しては最低の母親だって世間に知らしめますよ。」
「どうやって、そんなことを」
「俺は出版社の人間ですよ。それにネットとかね。手段はいくらでもある。」

ここでようやく琴子の顔色が変わった。
琴子は弁護士であり、女性であることから女性の依頼が多い。
特に離婚訴訟やDV、ストーカー行為など、男に不当に苦しめられる女性がほとんどだ。
そんな琴子が実の息子に対して育児放棄をしていた。
それは今まで得てきた依頼人の信頼を裏切る行為だ。
弁護士の琴子のキャリアに大きなダメージとなる。

「そんなの貴方が言うだけで、証拠なんか。。。」
琴子が喋っているのも構わず、高野はポケットからICレコーダーを取り出した。
ボタンを押すと、先程の会話が再生される。
完全に育児放棄、金だけ渡して親らしいことはしない、恋人を脅迫。
高野が言ったそれらのことを、琴子は全て肯定している。
冒頭の無駄なやり取りは、今さら恨みを言いたかった訳じゃない。
切り札を、確実に手に入れたかっただけだ。

とりあえず勝ったようだ。
琴子が言葉もなく項垂れて肩を落とすのを見て、高野は立ち上がった。

*****

あの人にちゃんと育てられたら、今どうなっていただろう。
高野はもう何度考えたかわからない問いを繰り返す。
だがやはり答えは出ないままだった。

琴子の事務所を出た高野は、重い足取りで家路につく。
正直言って、後味はよくない。
琴子に対して、またその子供に対して、思うことは何もなかった。
好きもなければ、嫌いもない。
愛してもいないし、憎んでもいない。
そもそも関わることなどないと思っていた。
もし会うことがあるとしたら、きっとどちらかの葬儀の時だろうと思っていた。
そんな相手にこんな脅迫まがいのことをすることになるとは。

琴子がちゃんと自分を育てていたら。
高野はもう1度、同じ問いを繰り返す。
琴子は愛する者には徹底的に愛情を注ぐ女性だ。
きっと溺愛されたのだろう。
ひょっとすると琴子の玩具だったかもしれない。
母親の引いたレールの上を、真っ直ぐに生きる息子になっていたかも。
それはそれできっと幸せな人生なのだろう。

だが高野はそうならなくてよかったと思う。
育児放棄されて、図書室に入り浸っていたから律と出会えた。
親への愛情がなかったから、その分まで律を愛せたのだと思う。
こっちの人生の方が、絶対に幸せだ。

それにしてもこのことは律の口から聞きたかった。
律はこのことを何1つ言わないし、顔色1つ変えなかった。
いつも甘い言葉を囁くと真っ赤になって照れる律と、琴子の要求を突っぱねる律。
それは高野の中でどうしてもうまく結びつかなかった。

*****

「小野寺さんの恋人ってどんな人なんだろう。」
ウットリと目を閉じる吉野は、まるで乙女のようだ。
羽鳥はそれを見ながら、深いため息をついた。

律と琴子の話を、高野に知らせたのは吉野千秋。
正確には吉野がカフェで見聞きしたことを羽鳥に告げた。
それを羽鳥が高野に伝えたのだ。

吉野本人は律の恋人が誰かなんて知らない。
ただその時の会話から、律の恋愛を想像しているだけだ。
それでも妄想だけで萌えているらしい。
どうやら吉野の脳内では、律の恋人は美少女に設定されているようだ。

さてどうしたものか。
話を聞いたとき、羽鳥は悩んだ。
高野と律が恋人同士であることを、羽鳥は知っている。
聞かされたわけじゃないが、見ていればわかる。
吉野によると、律が恋人-おそらく高野の母親に別れろと言い渡されたという。

悩んだ末、羽鳥は高野に話すことにした。
はっきり言って、大きなお世話という気もする。
それでもやはり高野の気持ちを考えると、話した方がいいと思った。
もし律が高野に喋らなかった場合、高野は何も知らずに終わってしまう。
でも自分に置き換えて考えたら、絶対に知りたい。
もし自分の母親が吉野に「息子と別れろ」などと言ったとしたら。
それを自分だけ知らないなんて、許せないことだと思う。

「わかった。知らせてくれてありがとう。」
高野は羽鳥の話を聞き終えたとき、ただそれだけ言った。
律と高野がそれでどうなったのかは知らない。
吉野に相手は高野だと教えることもしていない。

それでもこれでいい作品ができるなら。
羽鳥は開き直って、そう思うことにした。
何となく告げ口をしたような後味の悪さはある。
だが吉野がいろいろと想像力をたくましくしているのはいいことだ。
これが作品のアイディアにつながるなら、まぁこっちの勝ちとも言える。

*****

「きっと恋人さんは深窓の令嬢で、親に逆らわない大人しい人なんだ。」
「は?」
深窓の令嬢?相手はお前がよく知ってる「男」だぞ?
想像の翼を際限なく広げる吉野に、羽鳥は目を剥いた。

「で、小野寺さんと出逢って、親の玩具だった人生を捨てて、愛に生きる!」
「おい」
「小野寺さんは身分違いに負けず、彼女を愛するんだ!」
「あのなぁ、千秋」

またしても炸裂する吉野の妄想に、羽鳥はもう言葉も出ない。
身分違い?これまた勘違いも甚だしい。
律こそ小野寺出版の社長令息なのだ。
どういう会話を聞いて、何を間違えているのか。
まったく能天気すぎる。

それにしても。
羽鳥は天真爛漫すぎる吉野に、不安を感じてしまう。
律は表向きは素直な性格だが、実際はしたたかだ。
かわいい顔をして、野心家でもある。
高野の事だって、恋人と腹を括ったならきっと手段を選ばない。
誰とやりあっても、誰を傷つけても、徹底して恋人を続けるだろう。
相手の親に言われたくらいで、引いたりしない。

同じ状況に陥った時、吉野はきっとこうはいかない。
例えば羽鳥の親に反対されたら、きっと平静ではいられない。
影で泣きながら、身を引くくらいしそうだ。

ならば自分が目を光らせて、絶対に離さないことだ。
羽鳥はなおもウットリと妄想の世界を旅する恋人を見ながら、誓いを立てた。

【続く】
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