自由3題

【僕はもう自由】

男同士の恋愛の終着点って、どこなんだろう?
吉野千秋は、最近よくそんなことを考える。

きっかけは最近増えた友人の結婚の通知だ。
30歳目前になって、彼らはバタバタと先を争うように結婚していく。
特に年齢差が少ないカップルは、その傾向が強いように思う。
やっぱり女は30歳前にという意識があるようだ。
何となくわからないこともない。

男女のカップルには結婚というゴールがある。
そして子供を作って、家庭を作る。
では男同士のカップルは?
もっと言うなら自分と羽鳥はどうなるのだろう。

今はまだいい。
恋に堕ちたばかり、ラブラブと言ってもいい時期だ。
いや?ラブラブという雰囲気はないかもしれない。
何しろ恋人になる以前に、幼なじみで漫画家と編集者。
腐れ縁要素が多すぎる。
でも羽鳥のことを想う気持ちはある。
羽鳥も自分のことを大事にしてくれていると想う。

だけどその気持ちはいつまで続くんだろう。
歳を取って、容貌も衰えて、セックスにも興味がなくなる時がくる。
籍も入れられず、子供も持てない2人。
世の中に「婚姻届」はあっても「恋人届」なんかない。
つまり記録の上では、どこまでも他人なのだ。

そんな縛りのない自由な関係。
2人の愛情は、どこまで続くのだろう。
気持ちだけで永遠に繋がっていられるのだろうか?

*****

吉野はいわゆる「BL」と呼ばれる小説や漫画を、いろいろと読み漁った。
たとえ架空の話でも、芽生えた不安を解決している話はないかと思ったのだ。
だが少なくても吉野が見る限り、そういうストーリーはなかった。
主人公のカップルたちは、ほぼ10代から20代。
稀に年の差カップルと言う設定で30代がいいところだ。

ここで吉野は新たな壁に悩むことになる。
BL作品でいわゆる「受」役になる方には、決まったパターンがある。
小柄または華奢な痩身で、美人またはカワイイ。
さらに肌が綺麗なのは、絶対条件のようだ。
要するに女性をそのまま男に置き換えている設定が多いのだ。

では自分はどうだ?
痩せている方だとは思う。
だけど20歳くらいの頃と比べると、身長はそのままだが体重は少し増えている。
肌だって、昔は何もつけなくても水を弾くほどすべすべだったと思う。
だけど最近は冬場の乾燥時期には、保湿クリームは必須だ。
少しずつ衰えていることは、認めざるを得ない。

容貌が完全に衰えるのは、いつだろう?
40代?それとも50代?
そのとき羽鳥と自分はどうなっているだろう?
もし気持ちが離れたら、別れるのも自由だ。
けどそのとき寂しさに耐えられるだろうか?
また新しい恋ができるのだろうか?

もちろん常日頃そんなことをくよくよと思い悩んでいるわけではない。
だがふとした瞬間、未来に漠然とした不安を感じるのだ。

*****

「俺、いえ、僕はもう自由にさせてもらいます。」
小野寺律は静かだが、きっぱりとした口調でそう答えた。

律は会社帰りに「ブックスまりも」近くのカフェに立ち寄った。
完全に恋に堕ちた後、会社への行き帰りは恋人兼上司である男と一緒のことが多い。
だが今は1人だ。
必ず1人で来るようにという注意と共に、呼び出されたからだ。

律は相手の顔を知らない。
だが相手は律のことを相当に調べているようだ。
このカフェで待っていれば、こちらから声をかけると言われた。
何よりも携帯電話に直接、コールしてきたのだ。
これってプライバシー的にどうなんだ?
個人情報保護法なんてやつに引っかからないのだろうか?

「小野寺律さん、ね?」
ボンヤリと考えていると、声をかけられた。
慌てて見上げると、スーツ姿の1人の女性が立っていた。
多分50代、もしかしたら60代だろうか?
女性は許可を取ることもなく、律の正面の席に腰を下ろした。

「初めまして。その。。。」
律は相手の名前を確認しようとして、彼女の名前さえ知らないことに気付いた。
彼女は電話口で「高野政宗の母」としか言わなかった。

名前なんかどうでもいい。
律はすぐにそう思い直した。
高野に愛情を示さないという話だし、律にもいい感情を持っていないらしい。
だったらさっさと用件を片付けるのが、正解だろう。

*****

「別れて欲しいの」
高野政宗の母、旧姓高野琴子は、単刀直入にそう告げた。
あまりにも予想通りの展開に、律は苦笑する。
その笑顔は琴子の勘に触ったようだ。

「何か可笑しい?」
「いえ。気にかけていらっしゃるのが意外で。放任主義のご両親と聞いていたので。」
「ええ。どうでもいいわ。下の子供に縁談がなければね。」

なるほど。現在の夫との間の子供に結婚の予定がある。
きっとその相手が厳しい家柄なのだろう。
異父とはいえ兄が同性愛者だというのがまずいということらしい。

「これを」
琴子は厚みのある封筒をテーブルに置くと、律の前へと滑らせた。
手切れ金ということか。
それにしても展開が速い。
確か弁護士と聞いた気がするが、こんなにも人の意見を聞かずに仕事が務まるのか。

「受け取って」
「嫌だといったら?」
「あなたのお父様に相談します。」
そこまで調査済か。
それでもって、この理不尽な押しの強さは遺伝か。
律は心の中で小さく毒づく。
とにかく聞く耳を持っていないのは、明らかなようだ。

「あなたもご両親に知られたら、いろいろとまずいでしょ?」
「どうぞご勝手に。俺、いえ、僕はもう自由にさせてもらいます。」
律は静かだが、きっぱりとした口調でそう答えた。
さすがに初対面で、親ほども年齢が離れた人に「俺」というのは気が引ける。
言い直した分、迫力には欠けたが、意思は通じたはずだ。
その証拠に、初めて琴子が驚いた表情になっている。

「あなたの言いなりにはなりません。」
律は封筒を琴子の方へとそっと押し戻すと、立ち上がった。
そして伝票の上に千円札を置く。
琴子が「待って!」と声を上げたが、構わずに店を出た。

*****

BLの常識的には、身を引くのが定番かな。
恋人に別れを告げて、本当のことは隠して、1人でそっと涙するとか。
律はそっと心の中で、ひとりごちる。
そして「馬鹿馬鹿しい」と吐き捨てた。

もう何年も高野を思い続けている。
男を恋人をする悩みも苦しみも、嫌と言うほど味わった。
今さらこんなことで動揺しない。
そもそもそんなに純情可憐な性格じゃない。

それにそろそろ親にも隠しきれなくなってきた時期だ。
逆にバラしてもらえるとありがたい。
それに律の父親は、律を溺愛してる上、手段を選ばないタイプだ。
それこそ権力を使って、琴子を潰そうとするだろう。
下手をすると彼女の弁護士としてのキャリアも終わるかもしれない。
悪趣味だが、それはそれで愉快だ。

律は唇を緩ませて笑う頃、吉野はカフェでため息をついていた。
隣の席で別れ話が始まったときには、本当に驚いた。
子供と別れて欲しいと頼む母と、きっぱりと拒む青年。

そして青年が帰るとき、その顔をチラリと覗き見て、驚いた。
エメラルド編集部の小野寺律。
背中合わせになっていたために、お互いに気付かなかったのだ。
そして律は吉野に気付かずに出て行った。

「僕はもう自由にさせてもらいます、か。」
吉野は律の言葉を反芻しながら、もう1度ため息をつく。
苦難を乗り越えながら、恋愛を貫く律が羨ましかった。

【続く】
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