女王3題

【ひとりぼっちのクィーン】

「俺って無力だなぁ。。。」
「もうそれ、何度目だよ。」
吉野はソファに寝転がって、ため息をつく。
呆れたようにそれを見下ろしているのは、友人兼アシスタントの柳瀬優だった。

「ほら、コーヒー」
柳瀬は勝手知ったる吉野宅のキッチンでコーヒーを淹れて、持ってきてくれる。
吉野は「サンキュ」と礼を言うと、寝転んでいた身体を起こした。
まったくどちらが家主なのかわからない。
だが昔からの友人である2人にとっては、違和感はない。

「何でこんなに拗れたかなぁ。。。」
吉野はコーヒーに砂糖とミルクを入れてかき回しながら、またため息をつく。
その横に腰を下ろした柳瀬は、ブラックのままコーヒーを飲んだ。

「なるようにしかならないだろ。」
答える柳瀬の口調は、静かでどこか突き放すようなクールなものだ。
だが一応、柳瀬なりに心配してくれているのだろう。
あちこちの仕事を掛け持ちしていて忙しい身なのに、こうして来てくれるのだから。

吉野は柳瀬に大方の事情を説明していた。
自分の作品のドラマ化にあたってトラブルがあり、新連載の目処がたたないことだ。
単に友人である柳瀬に話したのではない。
アシスタントもしてくれている柳瀬の仕事にも影響があるのだ。
いわば仕事の業務連絡として、伝えないわけにはいかなかった。

*****

「彼女が勝手にやったこと~!?」
吉野は思わず大きな驚きの声を上げてしまう。
羽鳥は苦々しい表情で頷いた後「静かにしろ」と注意する。
あまりの大声に、部屋の外を同席している高野と律が微かに目を瞠るような表情になったからだ。

それは数日前のこと。
吉野はドラマの主演が問題のアイドルタレントに決まったというニュースを見た。
彼女に決めるにしても、事前連絡がないのはひどい。
怒りにまかせて丸川書店に乗り込んだ吉野だったが、羽鳥はすぐに理由を察したようだ。
編集長の高野と羽鳥、そして一番若い編集の小野寺律が応対してくれた。
会議室に通され、テーブルの向かい側に高野と律、そして隣には羽鳥が座る。

「本当にご迷惑をおかけして、申し訳ありません。」
高野がまずは謝罪をした後、事情を説明してくれる。
ドラマ化される「ハートのクィーン」の主役は、実はまだ決まっていない。
候補として上がっていたアイドルタレントが、先走って勝手にブログに書いてしまったことだった。
つまり羽鳥たち丸川サイドの者たちも、吉野と同じニュースを見て驚いている状態だった。

「彼女の所属事務所に確認をしている最中だ。それを聞いてからお前に知らせるつもりだった。」
吉野も神妙な表情でそう言うと立ち上がり「すまなかった」と頭を下げる。
高野と律もそれに倣って頭を下げるのを見て、吉野は慌てて「やめて下さい!」と声を上げた。

事情を知ってしまえば、自分が先走ってしまったことが恥ずかしくなる。
よく考えればわかることだ。
彼らは掲載作品を誇りにしており、当の作家以上に大事に思っている。
作品に悪い影響を及ぼすようなことを、勝手に進めるはずがなかった。

*****

「実は小野寺の父親が問題の広告主と知り合いで、仲介を頼もうとしてたんですが。」
再び席に座った高野が、おもむろにそう言った。
吉野は意味がわからず、首を傾げる。
そう言えばどうして担当でもない律が、この場にいるのだろう。
吉野は今さらのようにそんなことを思う。

「社長と俺の父親とゴルフ仲間で、俺も面識があるんです。だから何とかお会いしてお願いしようかと」
「え~!?小野寺さんって、もしかして御曹司??」
律の言葉に吉野がまたしても大声を上げる。
羽鳥はコホンと咳払いをすると「今それはどうでもいいだろ」と呟く。
慌てて前を見ると、高野は穏やかに、律は困ったように笑っていた。

「こういう手はあまり使いたくないんですが、穏便にすませたいと思いまして。」
高野は穏やかな表情のまま、そう続ける。
確かに裏で手を回すようなやり方は、エメラルド編集部っぽくないやり方だ。
苦渋の決断ということなのだろう。
表立って騒ぎ立てるのは、作品にとってもプラスにならない。

「でもそれもわからなくなりました。事情が変わってしまいましたので。」
高野はそう言うと、今度は座ったまま頭を下げる。
律もそれに従った。
吉野はまたしても「いや、頭を上げて下さい」と慌てふためくしかなかった。

吉野はもう申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
吉野が暇を持て余している間、彼らは作品にダメージを与えないように慎重に事を進めていた。
しかも担当の羽鳥や編集長の高野だけでなく、律まで巻き込んでだ。
その上多忙なのに、こうしていきなり押しかけた吉野の相手もしてくれるのだ。

「お時間を取らせてしまって、本当に申し訳ありません。」
吉野は心からそう告げると、丸川書店を後にしたのだった。

*****

「千秋が気にすることじゃないと思うけど」
柳瀬の言葉に、数日前の丸川書店でのことを思い出していた吉野はハッとする。
その心遣いはありがたいが、どうにも後味が悪い気持ちは晴れなかった。

その数日の間に事態は一気に急変した。
件の女性アイドルタレントは、今ネット上でバッシングの渦中にいた。
本人は親戚関係にある服飾メーカーの会社社長の後押しで、主役は確実と思っていたらしい。
それなのになかなかキャスティングの発表がないことから、焦れてブログに書いてしまったそうだ。
そのことでドラマ担当のプロデューサーからクレームが上がったらしい。

キャスティング発表だってドラマ制作の大事なプロセスの一環なのだ。
時期や場所を見計らって、慎重に行なう。
何よりも芸能界には守秘義務が多く存在する。
例えばドラマの結末などは収録が終わっていても、放送が終わるまでは口外しないとか。
そういう秘密を守れない人間は、安心して起用できないということになる。
ドラマを放送する予定のテレビ局は、彼女の主役決定を「事実無根」と発表したのだ。

「結果的に千秋は何もしないで、嫌なタレントに主役をやらえずにすんだわけだろ?」
「そう。。。だけど」
「ラッキーってことでいいんじゃないの?」
「う~ん。。。」

柳瀬は努めて軽くそう言ってくれるが、吉野には非常に気分の悪いことだった。
元々吉野は何となく彼女は「ハートのクィーン」のイメージじゃないと思っただけだ。
それなのにエメラルド編集部の面々を巻き込み、ついには彼女を追い詰めてしまったのだ。

暴走。ひとりぼっちのクィーン。
今日のネットのニュースには、そんな見出しの悪趣味な記事が載っていた。
その記事によると、彼女は一時期はかなりの人気だったが、最近は少々落ちてきている。
再起をかけるためにこの役が欲しくて暴走したのだと、意地悪な目線で結論付けられていた。
こんなところにも吉野の作品の「ハートのクィーン」が引用されているのは、不本意だ。

*****

「モメるのが嫌なら、いっそ原作から名前を外しちゃえば?」
「え?優、それってどういうこと?」
「ドラマのエンドロールに原作者って名前出るだろ?あれを出さないでもらうんだよ。」
「つまり俺の作品じゃないってことにするの?」
「そういう作家も結構いるぜ?自分の作品を勝手にいじられて嫌になるんだって」
「なるほど。。。」
「あ、もちろん契約料はちゃんと貰えよ?まぁその辺は羽鳥がやってくれるだろうけど」

プロのアシスタントとして経験豊富な柳瀬は、そういう例も見聞きしているのだろう。
確かに原作から名前を外して、ドラマは勝手に歪曲されたものだと意思表示するのもありかもしれない。
だけどそれもまた後味が悪いことだと思う。
血の滲む思いで描き上げた作品を、後は関係ないとするのはどうなのだろう。
もちろんそういう手段を取った作家たちは、それが大人の解決とおもったのだろうが。

その時、電話が鳴った。
携帯電話ではなく、部屋の電話だ。
火急の用事はほとんど携帯の方にかかってくるので、こちらはセールスなどの電話ばかりだ。
だからいつも留守番電話にして、必要のあるメッセージにだけ折り返し連絡する。
今回も吉野は電話に出ず、耳を澄ませていた。

『もしもし、吉川千春先生ですか。』
御用の方はメッセージをという機械音声の後、聞こえてきたのは聞き覚えのない男の声だ。
そしてすぐに問題の女性アイドルタレントの名を挙げ、彼女のマネージャーだと名乗る。
吉野と柳瀬は驚き、顔を見合わせると、またじっとメッセージを聞く。

『例のドラマの件、先生からお口添えをいただけないでしょうか』
『本人も張り切っておりまして、精一杯やらせていただきます』
『謝礼の方も善処させていただきますので』

一方的に言うだけ言って、電話は切れた。
男のメッセージを聞いた吉野は途方に暮れた。
つまり金を払うから、彼女を主役にするようにテレビ局に口添えしろということだ。
吉野は半ば呆然としながら「芸能界って、大変だ」と呟いた。
まったく現実のものと思えない。
口添えだとか、謝礼だとか、自分に告げられた言葉とは到底信じられなかった。

「1人でこの男と会うなよ?お前、すぐに丸め込まれそうだ。」
「そんなこと、ないって!」
柳瀬が空のカップにコーヒーを注ぎ足してくれながら、そう警告する。
吉野は反論しながら、その通りかもしれないとも思った。
芸能界の中でしたたかに生きる人たちと、対等にやり合う自信などない。

作品への思いも、ひとりぼっちのクィーンも、流れに飲み込まれて消えてしまうしかないのだろうか。
ドラマ化するってそんなに寂しいことなんだろうか。
吉野は思わず出てしまったため息を、コーヒーの湯気を吹いている振りで誤魔化した。

【続く】
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