女王3題

【ハートのクィーンの命令に】

「え?新連載が。。。延期?」
吉野は思わず大声で聞き返した。
まだ事態がよくわからず、困惑している。
だが羽鳥は深く頭を下げると「俺のせいだ。すまない」と告げた。

売れっ子少女漫画家、吉川千春こと吉野千秋は現在充電期間中。
長く続けていた連載が終了し、次の連載への構想を練っている状態だった。
連載が終わったばかりの解放感はなんとも心地いい。
いつも心にのしかかる「締め切り」という枷がないのだ。
この状態は受験を終えたばかりの学生に似ていると吉野は思う。

他の作家はこんなとき、どうしているのだろうか。
例えば締め切り破りをしないと有名な一之瀬絵梨佳なら、きっちり休んでいるような気がする。
仕事のことを一切考えず、旅行とか読書とか好きなことを楽しむ。
そして新しい連載が決まれば、しっかりと切り替えて構想を練り始める。

だが吉野はダメだった。
遊び倒すぞと決めても、そのテンションは続かない。
2、3日もすれば早く描きたいと思い始めてしまい、ストーリーやキャラクターを考えてしまう。
締め切りに追われている時には、連載が終わったらいっぱい遊ぶぞと思っていたはずなのに。
仕事熱心と言えば聞こえはいいが、要は不器用なのだ。
結局切り替えができず、うまくガス抜きができない。

「早く次の連載、やりたい!」
結局入稿を終えて大して日数も経たないうちに、吉野は担当編集の羽鳥にそう言った。
羽鳥は「もう少し休養したらどうだ?」と渋い表情だ。
だが早く描きたいと連呼する吉野の勢いに、ついに折れた。
かくして新連載の大筋が詰められ、掲載開始の号も決まったはずだった。
それなのに詳細の打ち合わせに来た羽鳥は、その延期を告げたのだった。

「どうして?何があったの?」
「お前は何も悪くない。俺の落ち度だ。」
吉野が聞き返しても、羽鳥は答えてはくれたものの頭を上げない。
困った吉野は「やめろよ!」と叫んだ。

「あやまるより先に、何があったのか教えてくれよ。」
吉野はそう言いながらも、聞きたくない気持ちの方が強かった。
冷静な羽鳥が事情説明よりも先に謝罪をした。
きっとかなり理不尽な出来事が起こったのだろう。

*****

「この前『ハートのクィーン』の企画会議があっただろう?」
羽鳥はようやく頭を上げると、重々しく切り出した。
吉野は一瞬考えたが、すぐに「ああ」と頷いた。
「ハートのクィーン」は、先日連載が終わったばかりの吉野の作品だった。
アニメ化もされたし、今はドラマ化の話も進んでいる。
その企画会議が先日行なわれたばかりだった。

「その件はトリに一任したよな?」
吉野はその会議に参加しなかった。
単に吉野が人前に出るのが苦手という理由ではない。
吉野は顔も性別も秘密にしているのだ。
主要な関係者にだけ挨拶して、人が多く出入りする場所には行かないのが無難だ。

「ああ。だが問題が起きた。主役候補だったタレント」
羽鳥は忌々しそうに前置きすると、あるアイドルタレントの名前を言った。
吉野は「うん」と深く頷いた。
主役の最有力候補だと事前に聞かされていた。

「会議で彼女の起用は反対した。彼女主演ならドラマ化はしないと。」
「うん。俺もそれでいいと思うけど。」
羽鳥の言葉に吉野は頷いた。

主役はタイトル通り、あの有名な児童文学小説のハートのクィーンをイメージした女の子だ。
強気で凛としていて、自分の信念を絶対に曲げない。
ハートのクィーンの命令に、誰もが従い、逆らえない。
そんなタフなヒロインを、描いたつもりだった。

だから事前に最有力候補のアイドルタレントの名を聞いたときには難色を示した。
イメージが合わな過ぎたからだ。
女優ならまだ本人のキャラではない役柄だって演じてくれるかもしれない。
だが件のアイドルはそういうことができるタイプには思えなかった。
それにバラエティ番組で見る彼女はいわゆる「おバカタレント」というジャンルらしい。
可愛くて人気はあるのだろうが、言葉使いが汚くて、下品な印象だった。
参考までに彼女が出演する映画やドラマも見たが、ひどい演技だと思った。

作家は自分の作品をドラマにしてもらえるのは嬉しいが、作品のイメージを壊されるのは嫌なものだ。
作品の知名度も収入も上がるからいいではないかという考えもあるだろうが、吉野は違う。
気に入らない形でドラマになるくらいなら、ない方がマシだ。
羽鳥はそういう吉野の意図を汲んで、強気にことわってくれたのだろう。

*****

「だけど彼女の親戚筋に、服飾メーカーの会社社長がいてな。」
「え?それとどういう関係が。。。」
「丸川書店の大手広告主なんだ。彼女を起用しないなら、広告を取り下げると言ってきた。」
「そんなこと!」

鈍い吉野にも、ようやく事の次第がわかった。
雑誌などでは本の売り上げの他に、掲載される広告料金も大きな収入源となる。
それがなくなるとなれば大問題、ということなのだろう。

「とりあえずこの件が決着するまで新連載はストップだ。無駄に相手の神経を逆なでしかねない。」
「そうか。。。仕方ないな。」
「彼女が広告主と縁続きってことは、調べればわかったことだ。迂闊だった。」
「それはもういいって。で、今後は?」
「高野さんが上層部にかけあってる。だから新連載の構想はそのままで」
「わかった。待つよ。休養が延びてラッキーって思うことにする。」

吉野が怒る素振りもなく「待つ」と言ったことで、羽鳥はホッとしたようだ。
本も売れているのに、暮らし向きにあまり金をかけない吉野はそれなりに貯金もある。
正直言って余程の贅沢をしない限り、もう仕事をしなくても生きていけるだろう。
そんな吉野が何よりつらいのは、描けなくなることだ。
作品発表の場がなくなることほど怖いことはない。
それでも連載の掲載の延期を受け入れたのは、羽鳥や高野を信頼しているからに他ならない。

「千秋、俺は何があっても、お前の味方だから。」
「え?」
「会社の方針や利益よりお前が大事だ。絶対にお前とお前の作品を守る」
「大げさだなぁ」

真剣な表情の羽鳥に、吉野は笑った。
だがこの時吉野は、事態の深刻さを本当に理解していなかった。
かのアイドルタレントの親戚筋の会社は、年間で億単位の広告費を払っており、なくなれば被害は甚大だ。
しかも広告は「月刊エメラルド」だけではなく、他にも数種類の雑誌にも掲載されている。
雑誌によっては、それがなくなると赤字になってしまうところもある。
大げさなことなどなにもない、丸川書店を揺るがす大事件なのだった。

*****

「あ~もうダメだぁ!」
本来なら締め切り時期、アシスタントたちが忙しなく働いてくれている時期。
吉野は仕事場も兼ねている自宅に、ポツンと1人でいた。
本当なら今、新連載の第1回目の原稿を仕上げている時期なのだ。
だが結局、問題は解決しなかったらしい。
吉野の休暇は、終わりが見えないままに長引いていた。

「描けないことがこんなにつらいって思わなかったなぁ。」
吉野の呟きが、誰もいない部屋に響いた。
元々独り言は多い方だが、最近特に増えた気がする。
羽鳥に待つと言った手前、認めたくないが、ストレスは溜まっていると思う。
自分でここまでと決めて休むのと、いつまで休むのかわからないのでは、気持ちが全然違うと痛感した。

吉野は机の上に投げ出してあるネーム原稿を見た。
せっかく時間があるので、新連載の原稿に着手したのだ。
だが羽鳥は「ちゃんと連載開始が決まってからにしよう」と言って、見てくれなかった。
吉野は思わず「何でだよ」と文句を言ったが、もっともなことだとも思う。
自分で自覚するほどストレスが溜まっている状態で、いい原稿は出来ないだろう。

「とりあえず何も考えない!休養、休養!」
吉野は両手でパンパンと頬を叩くと、パソコンの電源を入れた。
羽鳥も柳瀬も他の作家の締め切り作業に追われている。
1人で出かけても楽しくもないし、家でのんびり過ごすのがいいだろう。
テレビも面白くなさそうだし、ネットでニュースのチェックでもしよう。

ブラウザを立ち上げて、よく閲覧するニュースのサイトを開いた。
だが記事のヘッドラインをチェックした吉野は「嘘!」と声を上げる。
慌ててその記事をクリックすると、吉野は貪るように読んだ。

*****

それは例のドラマ化の件で問題になっているアイドルタレントのニュースだった。
ドラマの主演が決まったとある。
その作品の名は「ハートのクィーン」-原作は吉川千春の漫画とはっきり書かれていた。

「どうして!俺、聞いてないぞ!」
吉野はリンクが貼られていた彼女のブログをクリックする。
彼女はブログで、ファン向けにドラマの主演決定の喜びを綴っていた。
タイトルは「ハートのクィーンの命令に」日付は昨日だ。
文章もタイトルに負けず、ちょっと高飛車な感じだ。
おそらく吉野の作品のヒロインのイメージを意識したものだろう。

大事な作品を汚された。
吉野ははっきりとそう思った。
同時に羽鳥やエメラルド編集部に対する怒りもこみ上げてくる。
信じて作品を預けているのに。
こんな大事な報告をネットで知らされるなんて、ひどい裏切りだ。
不本意な報告ならなおの事、きちんと羽鳥から説明を聞きたい。

一言文句を言ってやろうと、吉野は携帯電話を取る。
だがすぐに思い直すと、着替え始めた。
どうしてこんなことになったのか、直接問い質さなければ気が済まない。
今から丸川書店に押しかけてやる!

手早く着替え終えた吉野は、カバンを掴むと自宅を飛び出した。
このまま彼女演じるハートのクィーンの命令に従うことだけは、嫌だった。

【続く】
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