消滅3題

【全部消えてしまえばいい】

「こんな想いは、全部消えてしまえばいい。」
横澤はポツリとそう呟いた。
その言葉は主のいない部屋の空気に溶けて消えた。

桐嶋の部屋で最期の時を迎えようと思った横澤だったが、思わぬハプニングが起きた。
食料は買えるだけ集めたし、桐嶋家の備蓄もある。
だが1つだけ、問題が発生した。
ソラ太のキャットフードが足りなくなったのだ。
ソラ太が気に入っているブランドのものが底をついたのだ。

最後にスーパーとコンビニを回った時にも在庫がなくて、やむなく他のメーカーの物を購入した。
だがソラ太の口に合わないらしい。
ほんの1、2口食べたところで、止めてしまうのだ。
ごはんと鰹節で「ねこまんま」を作ったり、味をつけない卵焼きを作ったりしたが、結果は同じだ。

「ちょっと出かけてくる。」
横澤は意を決して、腰を上げた。
このままソラ太が弱っていくのを見るのは、忍びない。
それに最期の瞬間くらい、食べたいものを食べさせてやりたい。
外は激しい雷雨だったが、行けないことはない。

「当てはあるのか?」
「ああ。多分。」
心配そうな桐嶋に、横澤は頷いた。
闇雲に捜し歩くわけではない。
心当たりの場所はたった1つ、高野の部屋だ。
桐嶋も横澤も多忙の時、高野に世話を頼んだことが何度もある。
ソラ太のフードが残っている可能性はあるだろう。
高野本人は不在だと思うが、合鍵も預かったままだ。
横澤は心配する桐嶋と日和に見送られながら、車で高野の部屋に向かった。

予想通り、高野の部屋には誰もいなかった。
きっと今頃は、北海道に向かって車を走らせているのだろう。
だが横澤は、勝手知ったる高野の部屋のキッチンで目的のものを見つけた。
ソラ太の好きな缶詰とドライフードとおやつ。
高野はきちんと備蓄しておいてくれたのだ。

「助かった。政宗。」
横澤はソラ太の食料を全て持参したカバンに入れると、ここにはいない家主に礼を言った。
そしてもう二度と来ることがない部屋を見回す。
この部屋には、かつて想いを遂げられなかった男への未練が漂っているような気がした。

「こんな想いは、全部消えてしまえばいい。」
横澤はポツリとそう呟いた。
高野への恋は過去のこと。
このままこの部屋と共に、封印してしまおう。

横澤はカバンを抱えて、部屋を出た。
そしてキーホルダーから合鍵を外して、ポストに放り込む。
おそらく高野がそれを知ることはなく、まったく無駄な行為だ。
だがそれが横澤なりのけじめだった。

*****

「ごめんね。ソラちゃん。」
日和は意味もなく、自分の部屋のベットでゴロゴロしながら過ごしていた。
いつも気まぐれなソラ太は、そんな日和にピッタリと寄り添ってくれている。

食欲がないソラ太のために、横澤は出かけて行った。
ソラ太の前の飼い主の人が、ソラ太の好きなキャットフードを持っているかもしれない。
それを分けてもらうためだ。

「本当は私のせい、だよね。」
日和はソラ太の喉を指でなでながら、そう聞いた。
もちろんソラ太は何も答えない。
だがじっと日和を見つめる瞳は、肯定しているように思えた。

桐嶋と横澤の関係が「恋人」であると、日和は確信している。
そしてそのことを受け入れられないでいた。
恋をするのに性別なんか関係ないし、父のことも横澤のことも大好きだ。
だけど2人の恋愛となると、どうしても素直に「おめでとう」とは言えない。
やっぱり変だという感覚は消えないし、母のことを思うと悲しくなる。

ソラ太はそんな日和の気持ちを察しているのではないかと思う。
心配してくれているから、ソラ太まで元気がないのだ。
せめてうわべだけでも元気な振りをしようと思うのだが、うまくできない。
微笑は引きつってしまうし、笑い声は何となく白々しい。

「こんな気持ち、全部消えてしまえばいいのに。」
日和はソラ太に愚痴ってしまう。
桐嶋と横澤の関係を祝福できないこの気持ち、そもそも気付いてしまった事実を消したい。
横澤は桐嶋の友達で、日和にとってはいい兄貴分。
そう思っていた頃に戻って、最期の時を迎えたい。

「あれ?」
ぼんやりと過ごしていた日和は、ふと我に返って時計を見た。
外は雷雨、ずっと薄暗いせいで気が付かなかったが、もう時間は夕方だ。
横澤がソラ太の食料を取りに行ったのは、朝。
帰りが遅くはないだろうか?
日和はベットから起き上がると、ソラ太を抱いて部屋を出た。

「パパ。横澤のお兄ちゃんは?」
最近父親を呼びとき「パパ」から「お父さん」に直した。
だが地球があと1ヶ月で終わると聞いて「パパ」に戻したのだ。
残り時間が短いのなら、慣れ親しんだ呼び名の方がいい。

「まだ帰ってない。」
桐嶋はリビングのソファに座っていた。
確か昼過ぎに日和が自分の部屋に入った時も、同じ場所にいた。
じっと身じろぎもせずに、横澤の帰りを待っているのだろうか。

「え?遅い、よね?」
「遅すぎる。車ならすぐだし、歩いて行ったって帰ってておかしくない時間だ。」
父はすごく怖い顔をしていると思った。
横澤の身に何かあったのかと、心配でたまらないのだ。

「捜しに行った方がいいんじゃない?もし動けなくなっていたら」
「行かない。」
桐嶋は固い声で、日和の言葉を遮った。
そんなことは初めてで、日和は思わず父の顔をマジマジと見てしまう。

「ひよを置いて捜しに行ったら、横澤に怒られるからな。」
桐嶋はキッパリと言い切って、微笑する。
日和は驚き、目を見開いたが、すぐに「そっか」と答えた。

「ソラちゃん。横澤のお兄ちゃん、早く帰るといいね。」
日和はソラ太を抱えたまま、桐嶋の隣に腰を下ろした。
ソラ太が日和の腕の中で、小さく「にゃあ」と鳴いた。

桐嶋も横澤もちゃんと日和のことを思ってくれている。
そんな2人が恋愛したっていいじゃない。
日和にはソラ太が、そう言っているように思えた。

*****

遅い。
桐嶋は時計を睨みながら、心の中で何度も悪態をついた。
だが待っている人物は、一向に帰る気配がなかった。

横澤がソラ太の食料を取りに、高野のマンションへ向かったのは朝食後すぐ。
車を使えば、30分程度で充分だ。
もちろんそれは通常の道路状態であればだが。

やっぱり行かせなければよかったか。
桐嶋はもう何度も心の中で繰り返した問いを、また考える。
電話も使えないから、場所どころか安否も確認できない。
捜しに出てもすれ違いになるかもしれないし、日和を1人置いておけない。
とにかくただ待つしかなかった。

「やっぱり捜しに行った方がよくない?ひよはソラちゃんと待ってるし。」
日和も心配しており、何度も捜しに出ることを勧める。
だけどそれはできなかった。
もし横澤も桐嶋も戻って来られなかったら、日和だけ残されてしまう。
世界が終わるという恐ろしい瞬間を、独りで迎えさせるなんてできない。

「パパも横澤のお兄ちゃんも、ひよを大事にしてくれて嬉しい。」
日和は腕に抱いたソラ太の背中をなでながら、そう言った。
ソラ太に話しかけるような形で、実は桐嶋に話している。
感謝の言葉を直接言うのは、恥ずかしいのかもしれない。

「ママもきっと横澤のお兄ちゃんがいてくれてよかったって思ってるよね。」
さらにそう続けたとき、桐嶋は驚き、弾かれたように日和の顔を見た。
日和は桐嶋と目を合わせることなく、腕の中のソラ太を見下ろしている。

「夕飯作るね。横澤のお兄ちゃんが帰ってきたら、みんなで食べよう。」
日和がソファにソラ太をそっと下ろすと、立ち上がった。
キッチンに立つと冷蔵庫を開け、在庫をチェックしている。
その姿が一瞬、亡き妻に重なって見えた。

聡い娘は、桐嶋と横澤の関係を理解している。
そして戸惑いながらも、受け入れようとしてくれているのだ。
子供だと思っていたのに、いつの間にかしっかりと成長していたということだろう。

桐嶋が熱くなりそうな目頭をそっと押さえた瞬間。
玄関の扉が大きくバンと音を立てて開いた。
足音や鍵穴が回る音は、雷雨でかき消されてしまったようだ。

「遅かったな。横澤。。。」
横澤を迎えようと玄関に向かった桐嶋は、息を飲んだ。
すぐに我に返って「大丈夫か!」と叫ぶ。
だが玄関先に座り込んでしまった横澤は、ひどい有様だった。

ずぶ濡れの服は泥だらけで身体に貼り付き、ぐしょ濡れの髪からも滴が落ちている。
そして頭に怪我をしているらしく、滴の中には血が混じっていた。
その他に服もあちこちに血が滲んでおり、怪我は数か所以上ありそうだ。
帰り着くために体力を全て使い果たしたのだろう。
横澤は、座り込んだまま立ち上がることもできない。

「きゃあ!お兄ちゃん?」
玄関に出てきた日和は、悲鳴を上げる。
桐嶋は日和に「お湯とタオルを用意してくれ」と頼んだ。
小学生の女の子に、この姿は刺激が強すぎる。

「立てるか?おい」
桐嶋は横澤の腕を自分の肩に回させて、立ち上がらせた。
横澤が細い声で何かを言っている。
おそらく「すまない」とでも言っているのだろう。
桐嶋は「黙ってろ」と一喝すると、横澤に手を貸しながら歩き出した。

本当は医者に見せたいところだが、この状況では無理だろう。
どうか深刻な怪我がないようにと、桐嶋は強く願っていた。

【続く】
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