雷8題

【雷霆(らいてい)】

「雪名さんって面白い人だね。」
吉野千秋はソファに腰掛けて、膝の上に乗せたスケッチブックにサラサラと鉛筆を動かしていく。
描かれていたのは、雪名と木佐が並んでいるイラストだった。
羽鳥はその正面に座って、絵を描いている吉野を見つめている。

吉野と羽鳥は、律の部屋から同じフロアの吉野の部屋に移動していた。
1日のほとんどをこうやって部屋でのんびりとすごしている。
食料は雪名が時々実家に戻って、手に入れてきてくれる。
スケッチブックと鉛筆も、美大生の雪名の私物を分けてもらったものだ。
同じ絵を描く者として、描いていた方が心が落ち着くということもわかっているのだろう。
申し訳ない、何か手伝いたい。
2人が雪名にそう申し出ると、雪名は「申し訳ないんですが」と言って、吉野にあるお願いをした。

なんと雪名は実家から「吉川千春」の本を持ってきて、サインをしてくれとねだったのだ。
嬉しそうな雪名のキラキラオーラに気圧された吉野は、スラスラとサインをする。
すると雪名は大喜びで、木佐に自慢していた。
吉野が正体を隠していたためにサイン会などをしなかったから「吉川千春」のサイン本は他の作家より希少だ。
そして「他にも持ってるんですけど。残りは東京なんですよ」と悔しがった。

羽鳥たちが東京から北海道にたどり着くのに、10日程かかっている。
つまり地球の滅亡まで、あと20日も残っていないのに。
無邪気にサイン本に喜ぶ雪名に、メンバー全員が癒されている。

「トリ、俺、生まれて初めて、銃で人を撃ったんだ。」
鉛筆を動かしながら、吉野はポツリとそう言った。
羽鳥は微かに表情を歪ませたものの、何も言わずに吉野の次の言葉を待った。

そのことは律と雪名から聞いていた。
しかも羽鳥と吉野の関係を知った雪名は、羽鳥にこっそり彼しか知らない事実を教えてくれた。
吉野が撃った男は死んでしまったが、吉野と律はそれを知らないということ。
その死体を雪名が隠したことまで知り、羽鳥は雪名に感謝していた。
だがそのことを含めて、吉野には何も話していない。
つらい出来事だから、吉野自身が話さない限りは羽鳥からは言わないつもりでいた。

「あの人だって、友達とか恋人とかいたかもしれないよね?」
「大事な人間が傍にいないから、押し入ってきたんだろう。」
「俺にもっと力があれば怪我させずに撃退できた!俺が頭が良ければうまくやれたかもしれない!」
「それは違う!」
「俺がもっと。。。」
「千秋!」
やはり吉野は落ち着いてはきたものの、悩んでいたのだ。
だがこれ以上苦しむ吉野は見ていられない。
羽鳥は立ち上がると、吉野の隣に立ってその身体を抱きしめた。
引きずり立たされた状態の吉野の膝から、スケッチブックが落ちる。

「お前は小野寺を助けたんだ。何も気にすることはない。」
「でも。。。」
「何もしなかったら小野寺もお前も生きていなかったかもしれない。だけどお前は守れたんだ。」
「俺が?」
「そうだ。お前は俺の大事な恋人と後輩を守ったんだよ。」
「トリ。。。」
吉野は羽鳥の背中に腕を回して、すがりついた。
羽鳥は腕の中の吉野の髪をなで、落ち着かせるようにポンポンと叩いた。

「千秋。好きだ。」
羽鳥の手が吉野の頬をなで、そして唇が重なる。
今度は自分の番、最期の瞬間まで吉野を守るのだと羽鳥は固く決意していた。

*****

「見てくださいよ、木佐さん!」
キラキラオーラは通常比の2倍、満面の笑顔の雪名が見せたのは1枚の紙片。
スケッチブックから1枚破り取られたイラストは、吉野が書いた雪名と木佐だった。
だがベットに寝転んだ木佐は、チラリと一瞥しただけで動かなかった。
照れくさいせいだけでなく、とにかく疲れていたからだ。

木佐たちはホテルの空き部屋を見つけて移動し、そこで時間を過ごしている。
のんびりと過ごすメンバーの中で、雪名は忙しかった。
毎日1回実家に戻り、6人分の食料を持ってくるのだ。
雪名家は地元でいろいろ付き合いもあるらしく、知り合いの農家や店舗から食料を入手できるらしい。
その相伴に預かる6人は、食事の心配もなく過ごすことができている。
木佐はせっせと働く雪名に「お前、疲れないの?」と聞いた。
だが雪名は「全然平気です」と答えて、本当に何ともないという顔をしている。

「皆さんのおかげで最期に木佐さんに逢えたんです。これぐらい何でもないですよ。」
「でも。。。」
「心配してくださるのでしたら、1つお願いがあるんですが。」
心配する木佐に雪名がした1つのお願い。
それを受け入れたために、木佐は現在疲れきってベットに沈んでいるわけだ

雪名の「お願い」は、両親と兄に会って欲しいというものだった。
雪名の家族は、律がメッセージを託したことで雪名の恋人が東京からわざわざここまで来たことを知っている。
大事な人なら連れて来い、紹介しろと言われたらしい。
雪名本人もそれを希望した。
これが普段の時なら、当然拒否しただろう。
どの面下げて「息子さんの彼氏です」などと挨拶できるというのか。
だが今はもう地球の滅亡までカウントダウンに入っている。
どうせ死んでしまうのなら、何をしてもいいという気になれた。

「初めまして。木佐翔太といいます。」
雪名家に出向き、雪名の両親と兄に挨拶すると、3人は本当に驚いた様子だった。
だがすぐに笑顔になり、木佐を迎え入れてくれた。
おそらくもうほとんど生きている時間がないのだから、揉め事は避けたのだと思う。
木佐は自分の仕事や雪名との出逢いの話をし、雪名の家族は雪名の子供時代の話を聞かせてくれた。
それは楽しかったが、気疲れしたのも間違いない。
ホテルに戻って、ドッと疲れて、ベットに倒れこんで、冒頭のシーンとなる。
「疲れちゃいましたか?すみません。」
心配そうに覗き込む雪名を見上げて、木佐は「謝るなよ」と答えた。

「お前が何でそういう人間なのか、わかった気がする。」
木佐はボソリとそう言った。
現れた息子の恋人が男だという衝撃的な事実があったのに、彼らは笑顔だった。
東京から来た木佐の身体を心配し、歓迎してくれた。
何よりもさすが雪名の親兄弟、みなどこか綺麗な顔をしていた。
あんな家で生まれ育って、雪名という人間が形成されたのだ。
雪名という人間のルーツを見せられた気分だ。

「それにしても木佐さんってホントに若いですよね。メンバー唯一の三十路には見えませんよ。」
雪名が吉野にもらったイラストを壁に飾りながら、そう言った。
イラストの角度が気に入らないようで、位置を細かく何度も直しては数歩離れて確認を繰り返している。
その言葉に悪気がないことはわかっている。
雪名は描かれた2人に年齢的なギャップがないことを喜んでいるだけだ。
でも木佐にすれば年齢のことはどうにも拭いきれないコンプレックスだった。
だが若く見えるうちに終わりを迎えてしまうのだから、もう関係ない。

「俺は幸せです。親も兄貴も大好きな人もそばにいるんですから。」
ようやくイラストの角度に満足したらしい雪名がベットにダイビングし、木佐の隣に横たわる。
雪名のいつもの笑顔に、木佐は苦笑する。
最期の瞬間、この笑顔が隣にあるなら死に方としてはかなり幸せな方だろう。

*****

「すごい雷。雷霆ってやつですね。」
窓際に立った律が、今までにない大きな雷をそう評した。
むずかしい言い回しをサラリと口にするあたりは、いかにも文学青年らしい。
ベットに腰掛けた高野は、何をするでもなく律をずっと目で追っている。

高野たちも雪名たち同様、ホテルの空き部屋に移動していた。
律たちが高野たちを待ちながら過ごした部屋は、押し入っていた男の血でカーペットが汚れていたからだ。
男の返り血に濡れた律の衣類や、血を拭いたタオルなども置きっぱなしだ。
律につらいことを思い出させたくない高野は、律を連れてさっさとその部屋を出た。

「動くこと雷霆の如し。孫子でしたっけ?」
「律。こっちに来い。」
いつまでも窓の外を見ている律を、焦れた高野が呼んだ。
自分が座るベットの横を叩いて、座るようにと促す。
律は「はい」と小さく答えると、高野の隣に座った。

高野は律の肩を抱き寄せて、自分の身体にもたれ掛けさせた。
律は黙って高野にされるがままになっている。
まるで高校生に戻ったように、律は素直だった。
態度だけではなく、表情も穏やかだ。
編集部でいつもつんけんしていた律とは別人のようだ。

もちろん残された日を、高野と穏やかに過ごそうという思いがあるのだろう。
それは高野と同じで、10年分の逢えなかった時間を取り返そうと思っている。
だがそれとは別に、律はまだショックから完全に立ち直れていないのだ。

律の顔は未だに腫れが残っているし、首には手の形が残っている。
随分日数が経っているのに、そんな状態なのだ。
律を襲った暴漢は、律に対してまったく容赦がなかったことがわかる。
向けられた悪意と暴力に対する恐怖。
そして守ろうとした吉野に助けられ、吉野の心に傷を負わせた。
律は未だに恐怖に怯えながら、自分を責めているのだ。

「トリが言ってた。吉野さんはお前に感謝してるって。」
「え?」
「呆然としてたとき、食べ物を集めて、生き残ろうって言ってくれたって。」
律は一瞬考えて、そう言えばと思い当たる。
地図を捜していた時、コンビニでそんなことを言った気がする。
ほんの数日前なのに、遥か昔のことのようだ。

「それに気にしてるらしい。お前が怪我してるのに、自分のことで手一杯だったって。」
「そんな!それは吉野さんが気にすることじゃありません!」
「そうだ。何も気にしなくていいんだ。吉野さんも、お前も。」
高野は律を安心させるように、優しくの髪をなでた。
そして「好きだ」と囁くと、唇を寄せる。
律は高野の言葉に従うように、キスを受け入れ、笑顔になった。

外では雷霆が轟き、残された時間が短いことを告げている。
だが恋人たちはそれに動じることはない。
仕事もしがらみもない場所で、濃密な時間を過ごすことができるからだ。

【終】お付き合いいただき、ありがとうございました。
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