雷8題
【雷光(らいこう)】
雪名皇は、目的の部屋のドアの横にあるボタンを押した。
だがいつまで経っても、ドアが開かない。
呼び鈴の音は聞こえたし、中に人の気配もするのに。
業を煮やした雪名は、拳でドアをガンガンと叩き始めた。
「雪名といいます!小野寺さん!いらっしゃいますか!」
雪名は大声で叫ぶと、微かにドアスコープを覗く人影が見えた。
どうやらかなり警戒されている。
だけど無理もないことだ。
今はとにかく治安が悪い状態なのだから。
「メモを見て来たんです。開けてください!」
雪名は律の名刺をドアスコープの前にかざしながら、なおも声を張り上げた。
するとようやくゆっくりとドアが開く。
中から顔を出した小柄な青年が「どうぞ」と雪名を招き入れてくれる。
雪名はその青年の顔を見て驚き、思わず「大丈夫ですか?」と声をかけた。
どうやら何度も殴られたらしい青年の顔は、ひどく腫れていた。
口の中も切れているようで、唇の端に血がこびり付いている。
その上首には絞められたと思われる手の形の痕がくっきりと残っていた。
何より彼のシャツの胸元は、血でベッタリと染まっている。
青年は小さく「大丈夫です」と答えたが、少しも大丈夫そうには見えなかった。
「小野寺律です。あちらは吉野千秋さん。」
「雪名皇です。」
雪名はそう言われて、初めてもう1人青年がいることに気がついた。
ベットの上で身体を丸めた青年は、雪名に気付いているのかいないのか。
誰もいない壁の方を見ながら、身体をブルブルと震わせている。
また雷が鳴った。
その瞬間、雷光はベットの横のサイドテーブルに置かれた拳銃を照らした。
雪名は驚き、目を見開き、そして思い出す。
エレベーター前の銃で撃たれた死体。
「ええと、これはですね。。。」
雪名の視線を読み取った傷だらけの青年が口を開いた。
だが雪名はその言葉を手で遮った。
事情はすごく気になるところだが、その前にしなくてはいけないことがある。
「まず着替えた方がいいです。それから怪我の手当てをしましょう。」
雪名はそう言って、洗面所に入った。
そしてホテルのロゴ入りのタオルを見つけて、水で濡らしはじめる。
まずは早くあの痛々しい痕を冷やして、後で実家に薬を取りに戻ろう。
話を聞くのは、それからでいい。
*****
「やっぱり営業してないな。」
高野は諦めたように言うと、羽鳥が頷いた。
木佐はもう何も言う元気も残っていない。
車を捨てて歩き始めてから、すでに4日経っている。
青函トンネルを抜けて、どうにか北海道へ入っていた。
だが札幌までは約300キロもある。
時々休憩や睡眠を挟みながら歩き続けても、1週間くらいは覚悟しなくてはならない。
途中何度か乱闘に巻き込まれそうになったり、暴走する車にはねられそうになったりした。
その都度どうにか切り抜けてきたものの、3人ともボロボロだった。
全身かなり汚れているし、服もあちこち破れている。
だがそれより深刻なのは、空腹と喉の渇きだった。
喉が渇いた。腹が減った。疲れた。
とにかく食事をとって、休憩したかった。
3人はレストランの前にいた。
東京にもある有名なファミリーレストランのチェーン店で、普段は24時間営業だ。
だが今は扉には鍵が掛かっており、電気も消えている。
営業はしていないようだった。
ひょっとして営業してくれていることを祈りながら、看板を目印に来てみたものの、やはり無駄足だった。
「仕方がないな。」
高野はさほど残念ではないような口調でそう言うと、入口付近にあったプランターを持ち上げた。
いくつも並べてあるプランターには花が植えられていて、営業時なら客の目を楽しませるだろう。
だが高野はそれを頭上に掲げると、レストランの窓に叩きつけた。
派手な音がして、窓ガラスが割れる。
途中のコンビニや自動販売機はもう商品がないし、ホテルなども開いていない。
だがこのファミレスは中も綺麗なようだから、食料や飲料水が残っているかもしれない。
何よりもソファがあるから、身体を休められるだろう。
そう思った高野は、不法侵入を試みたのだ。
高野の意図がわかった羽鳥も、別のプランターを取り、窓に叩きつける。
そして人が入れるくらいまでガラスを取り払うと、3人は店内に侵入した。
「木佐、座ってろ。何か食い物を捜す。」
「俺も捜します。」
店内は無人で、幸いなことに綺麗なままだった。
高野と羽鳥が迷いもなく、店内を物色し始めた。
申し訳ないと思いながら、木佐はドッカリとソファに身体を投げ出した。
年齢のせいなのか、体格のせいなのか、どうやら3人の中で木佐は一番体力がないらしい。
高野と羽鳥のペースに合わせて歩くのがひどくつらかったのだ。
だが凄腕編集長はこの期に及んでも、鋭かった。
木佐の疲労を見抜いて、こうやって休憩を取るなど、さり気なく助けてくれる。
これが仕事なら悔しいと思ったかもしれないが、今はただただありがたかった。
「まさかファミレス強盗をすることになるとはな。」
「本当ですね。あ、こっちに食べ物がありますよ。」
高野と羽鳥がガサゴソと物色しながら、喋っている。
木佐はその声を聞きながら、ゆっくりと目を閉じた。
2人の厚意に今は甘えさせてもらおう。
足手まといにならないように、少しでも休んでおかなくてはならない。
*****
吉野千秋はソファでウトウトと眠っている律を見て、ため息をついた。
改めてよく見ると、律は本当にひどいことになっている。
吉野は自分の弱さが悔しくてたまらなかった。
あの男を撃退した後、吉野はまず律の心配をしなければいけなかったのだ。
実際にあの男に危害を加えられたのは、律なのだ。
いきなり襲われて怖かっただろうし、怪我だって痛むだろう。
だが吉野は初めて銃を手にして、しかも人を傷つけたことがショックで何もできなかった。
ふさぎこんでしまって、1つしかないベットを占領してしまった。
律は自分の身体も心も癒す暇もなく、吉野の心配をし続けたのだ。
雪名は律からこの部屋で遭った出来事を聞くと、テキパキと動いた。
律の怪我を冷やした後、1回家に戻り、食料や湿布などを持ってきた。
怪我の手当てをされて、久しぶりの食事をとった律は、スゥスゥと寝息を立てている。
多分雪名もいることもあり、安心したのだろう。
「吉野さんもどうですか?」
雪名は実家で作ってきたというおにぎりを差し出した。
ラップに巻かれた海苔もついていない、大きくて少し歪なおにぎりだ。
吉野は「俺は。。。」と躊躇った。
食料が尽きてしばらく経ち、もう長いこと食べ物を口にしていない。
それなのに、少しも空腹を感じなかった。
「無理してでも食べた方がいいです。大事な人にやつれた姿は見せたくないでしょう?」
雪名はそう言って、吉野の手におにぎりを押し付けた。
そして「お茶でも淹れましょう」と言って、また動き始める。
吉野が「ありがとうございます」とおにぎりを食べ始めたのを見て、雪名はホッと胸を撫で下ろした。
雪名は1回家へ戻る時に、銃で撃たれた男の死体をホテルの裏手の倉庫に隠していた。
男が死んだことを知れば、さらに苦しみ悩むであろう吉野のためだ。
このことはもう誰にも秘密にしようと、雪名は心に決めていた。
「小野寺さん、ベットで休んだ方がいいですよ。」
おにぎりを食べ終わった吉野が、ソファに眠る律をそっと揺り起こした。
雪名が気を利かせて、部屋の照明を落とす。
その瞬間、部屋の呼び鈴が鳴り、吉野と雪名は顔を見合わせた。
眠っていた律も飛び起きて、今まで寝ていたとは思えない動きでドアに駆け寄る。
「小野寺!俺だ!」
ガンガンと扉を叩く音と、律が愛する男の声が重なる。
ドアスコープを覗くと、懐かしい3人が涙で霞んで見えた。
「来てくれたんですね。」
律は涙声でそう言うと、勢いよくドアを開けた。
その時、また雷が鳴った。
雷光が、ようやく再会できた3組の恋人たちを照らし出す。
次の瞬間、全員が最愛の恋人に向かって足を踏み出した。
【続く】
雪名皇は、目的の部屋のドアの横にあるボタンを押した。
だがいつまで経っても、ドアが開かない。
呼び鈴の音は聞こえたし、中に人の気配もするのに。
業を煮やした雪名は、拳でドアをガンガンと叩き始めた。
「雪名といいます!小野寺さん!いらっしゃいますか!」
雪名は大声で叫ぶと、微かにドアスコープを覗く人影が見えた。
どうやらかなり警戒されている。
だけど無理もないことだ。
今はとにかく治安が悪い状態なのだから。
「メモを見て来たんです。開けてください!」
雪名は律の名刺をドアスコープの前にかざしながら、なおも声を張り上げた。
するとようやくゆっくりとドアが開く。
中から顔を出した小柄な青年が「どうぞ」と雪名を招き入れてくれる。
雪名はその青年の顔を見て驚き、思わず「大丈夫ですか?」と声をかけた。
どうやら何度も殴られたらしい青年の顔は、ひどく腫れていた。
口の中も切れているようで、唇の端に血がこびり付いている。
その上首には絞められたと思われる手の形の痕がくっきりと残っていた。
何より彼のシャツの胸元は、血でベッタリと染まっている。
青年は小さく「大丈夫です」と答えたが、少しも大丈夫そうには見えなかった。
「小野寺律です。あちらは吉野千秋さん。」
「雪名皇です。」
雪名はそう言われて、初めてもう1人青年がいることに気がついた。
ベットの上で身体を丸めた青年は、雪名に気付いているのかいないのか。
誰もいない壁の方を見ながら、身体をブルブルと震わせている。
また雷が鳴った。
その瞬間、雷光はベットの横のサイドテーブルに置かれた拳銃を照らした。
雪名は驚き、目を見開き、そして思い出す。
エレベーター前の銃で撃たれた死体。
「ええと、これはですね。。。」
雪名の視線を読み取った傷だらけの青年が口を開いた。
だが雪名はその言葉を手で遮った。
事情はすごく気になるところだが、その前にしなくてはいけないことがある。
「まず着替えた方がいいです。それから怪我の手当てをしましょう。」
雪名はそう言って、洗面所に入った。
そしてホテルのロゴ入りのタオルを見つけて、水で濡らしはじめる。
まずは早くあの痛々しい痕を冷やして、後で実家に薬を取りに戻ろう。
話を聞くのは、それからでいい。
*****
「やっぱり営業してないな。」
高野は諦めたように言うと、羽鳥が頷いた。
木佐はもう何も言う元気も残っていない。
車を捨てて歩き始めてから、すでに4日経っている。
青函トンネルを抜けて、どうにか北海道へ入っていた。
だが札幌までは約300キロもある。
時々休憩や睡眠を挟みながら歩き続けても、1週間くらいは覚悟しなくてはならない。
途中何度か乱闘に巻き込まれそうになったり、暴走する車にはねられそうになったりした。
その都度どうにか切り抜けてきたものの、3人ともボロボロだった。
全身かなり汚れているし、服もあちこち破れている。
だがそれより深刻なのは、空腹と喉の渇きだった。
喉が渇いた。腹が減った。疲れた。
とにかく食事をとって、休憩したかった。
3人はレストランの前にいた。
東京にもある有名なファミリーレストランのチェーン店で、普段は24時間営業だ。
だが今は扉には鍵が掛かっており、電気も消えている。
営業はしていないようだった。
ひょっとして営業してくれていることを祈りながら、看板を目印に来てみたものの、やはり無駄足だった。
「仕方がないな。」
高野はさほど残念ではないような口調でそう言うと、入口付近にあったプランターを持ち上げた。
いくつも並べてあるプランターには花が植えられていて、営業時なら客の目を楽しませるだろう。
だが高野はそれを頭上に掲げると、レストランの窓に叩きつけた。
派手な音がして、窓ガラスが割れる。
途中のコンビニや自動販売機はもう商品がないし、ホテルなども開いていない。
だがこのファミレスは中も綺麗なようだから、食料や飲料水が残っているかもしれない。
何よりもソファがあるから、身体を休められるだろう。
そう思った高野は、不法侵入を試みたのだ。
高野の意図がわかった羽鳥も、別のプランターを取り、窓に叩きつける。
そして人が入れるくらいまでガラスを取り払うと、3人は店内に侵入した。
「木佐、座ってろ。何か食い物を捜す。」
「俺も捜します。」
店内は無人で、幸いなことに綺麗なままだった。
高野と羽鳥が迷いもなく、店内を物色し始めた。
申し訳ないと思いながら、木佐はドッカリとソファに身体を投げ出した。
年齢のせいなのか、体格のせいなのか、どうやら3人の中で木佐は一番体力がないらしい。
高野と羽鳥のペースに合わせて歩くのがひどくつらかったのだ。
だが凄腕編集長はこの期に及んでも、鋭かった。
木佐の疲労を見抜いて、こうやって休憩を取るなど、さり気なく助けてくれる。
これが仕事なら悔しいと思ったかもしれないが、今はただただありがたかった。
「まさかファミレス強盗をすることになるとはな。」
「本当ですね。あ、こっちに食べ物がありますよ。」
高野と羽鳥がガサゴソと物色しながら、喋っている。
木佐はその声を聞きながら、ゆっくりと目を閉じた。
2人の厚意に今は甘えさせてもらおう。
足手まといにならないように、少しでも休んでおかなくてはならない。
*****
吉野千秋はソファでウトウトと眠っている律を見て、ため息をついた。
改めてよく見ると、律は本当にひどいことになっている。
吉野は自分の弱さが悔しくてたまらなかった。
あの男を撃退した後、吉野はまず律の心配をしなければいけなかったのだ。
実際にあの男に危害を加えられたのは、律なのだ。
いきなり襲われて怖かっただろうし、怪我だって痛むだろう。
だが吉野は初めて銃を手にして、しかも人を傷つけたことがショックで何もできなかった。
ふさぎこんでしまって、1つしかないベットを占領してしまった。
律は自分の身体も心も癒す暇もなく、吉野の心配をし続けたのだ。
雪名は律からこの部屋で遭った出来事を聞くと、テキパキと動いた。
律の怪我を冷やした後、1回家に戻り、食料や湿布などを持ってきた。
怪我の手当てをされて、久しぶりの食事をとった律は、スゥスゥと寝息を立てている。
多分雪名もいることもあり、安心したのだろう。
「吉野さんもどうですか?」
雪名は実家で作ってきたというおにぎりを差し出した。
ラップに巻かれた海苔もついていない、大きくて少し歪なおにぎりだ。
吉野は「俺は。。。」と躊躇った。
食料が尽きてしばらく経ち、もう長いこと食べ物を口にしていない。
それなのに、少しも空腹を感じなかった。
「無理してでも食べた方がいいです。大事な人にやつれた姿は見せたくないでしょう?」
雪名はそう言って、吉野の手におにぎりを押し付けた。
そして「お茶でも淹れましょう」と言って、また動き始める。
吉野が「ありがとうございます」とおにぎりを食べ始めたのを見て、雪名はホッと胸を撫で下ろした。
雪名は1回家へ戻る時に、銃で撃たれた男の死体をホテルの裏手の倉庫に隠していた。
男が死んだことを知れば、さらに苦しみ悩むであろう吉野のためだ。
このことはもう誰にも秘密にしようと、雪名は心に決めていた。
「小野寺さん、ベットで休んだ方がいいですよ。」
おにぎりを食べ終わった吉野が、ソファに眠る律をそっと揺り起こした。
雪名が気を利かせて、部屋の照明を落とす。
その瞬間、部屋の呼び鈴が鳴り、吉野と雪名は顔を見合わせた。
眠っていた律も飛び起きて、今まで寝ていたとは思えない動きでドアに駆け寄る。
「小野寺!俺だ!」
ガンガンと扉を叩く音と、律が愛する男の声が重なる。
ドアスコープを覗くと、懐かしい3人が涙で霞んで見えた。
「来てくれたんですね。」
律は涙声でそう言うと、勢いよくドアを開けた。
その時、また雷が鳴った。
雷光が、ようやく再会できた3組の恋人たちを照らし出す。
次の瞬間、全員が最愛の恋人に向かって足を踏み出した。
【続く】