雷8題

【雷撃(らいげき)】

雪名皇は走っていた。
故郷の町は、今やすっかり荒れ果てている。
それは悲しいことであり、切ないことだ。
だがそれ以上に、気分は高揚していた。
もう逢えないと諦めていた想い人が、北海道に向かっているのだから。

実家近くに火の手が上がったのを見た雪名は、大急ぎで引き返した。
火災現場は雪名の家からはさほど遠くない場所で、近隣の住民たちが懸命に消火活動をしていた。
やはり消防は機能しておらず、通報しても応答はなかったらしい。
雪名もまたバケツリレーという原始的な消火活動に加わり、何とか鎮火を見届けて、帰宅した。
そしてようやく家に帰った時、先に帰宅していた兄から1枚の名刺を受け取ったのだ。

「東京から来たって人が、お前に渡してくれって。若い男2人だった。」
兄は短い言葉で、伝言主の特徴を伝えてくれた。
雪名は表に書かれた彼の所属を見て、ドキリとする。
丸川書店、エメラルド編集部。ひどく聞き覚えのある名前だ。
その下にある名前「小野寺律」という人物は知らないが、木佐に関わることだろう。
名刺を裏返した雪名は驚き、大きく目を見開いた。

『木佐さんが東京からこちらに向かっています。』
その一文の下には、ホテルの名前と部屋番号。
それだけの短いメッセージだったが、今の雪名には充分だった。
ホテルは雪名の家からはさほど遠くない。

木佐に逢える。
そう思うだけで、歓喜に震え、目頭が熱くなった。
兄はそんな雪名の肩を叩いて「うちは大丈夫だから、行って来いよ」と言ってくれる。
両親ももう雪名を止めようとはしなかった。
雪名は3人の笑顔に見送られて、ホテルへと走り出した。

ホテルに入り、指定された回へ上がろうとエレベーターを捜した雪名はギョッとした。
エレベーター前に男が1人倒れている。
左胸部と右足の太ももが血で染まった男は、すでに絶命していた。
恐る恐る近づいた雪名は「あっ!」と小さく声を上げた。

男の2つの傷は、素人目なので断言はできないが、銃で撃たれているように見える。
思い出させるのは、交番で見た光景だ。
頭部を銃で撃ち抜かれていた警察官の遺体と、その場になかった拳銃。
嫌な予感がする。

幸いにもまだエレベーターは動いているようだ。
雪名は逸る気持ちを抑えながら、エレベーターの呼び出しボタンを押した。

*****

「吉野さん、大丈夫ですか?」
律はベットに横たわりながら、震える吉野に声をかけた。
こちらに背を向けながら、身体を丸めている姿はひどく哀れに見える。
そして吉野をここまで追い詰めたのは自分のせいだと、律は内心ため息をついた。

雪名と間違えて、暴漢を部屋に招きいれてしまった律は危機に陥った。
馬乗りにのしかかられて、殴られ、首を絞められ、レイプされかかったのだ。
吉野は懸命に止めようとしたが、暴漢は屈強な男だった。
律を押さえ込みながら、吉野を床に蹴り飛ばすことを軽々とやってのけたのだ。

律は吉野だけでも逃げて欲しいと思った。
男は腕力があるだけではなく、どこで手に入れたのか拳銃まで持っていたのだ。
とても勝ち目はないと思った。
だが吉野は思いも寄らない行動に出た。
素早く男に駆け寄ると、男のポケットから拳銃を抜き取ったのだ。
そして男に向かって「離れろ!」と叫ぶ。
律に気を取られていた男がそれに気づいた時には、吉野は引き金を引いていた。

ちょうどその瞬間、窓の外で大きな雷が鳴った。
まるで雷撃を受けたように、男の身体が律の上で跳ねる。
吉野が撃った弾丸は背中から胸部に抜け、鮮血が律の身体に降り注いだ。
立ち上がった男が怒りの形相で、フラフラと吉野へと歩き出す。
恐怖に慄いた吉野がもう1回発砲し、今度は男の右足を打ち抜く。
形勢が逆転したことを悟った男は、そのままヨロヨロとした足取りで、部屋を出て行った。

「吉野さん!」
「どうしよう。俺、人を傷つけた。。。」
救いを求めるように律を見た吉野は、その姿に愕然とした。
律の顔や服は、男の返り血で赤く染まっていたのだ。

「うわぁぁぁ!」
半狂乱になった吉野が、悲鳴を上げた。
律はかける言葉も見つからず、呆然と叫ぶ吉野を見守るしかなかった。
そして吉野が疲れてその場に倒れこむのを待って、ようやくベットに寝かせることが出来たのだ。

「吉野さん、ごめんなさい。俺のせいです。」
目を覚ました吉野は、ずっとベットの上に寝そべったまま震えている。
律がかけた謝罪の言葉にも、反応を示すことはなかった。

吉野を守りきれなかった。
律は、自分の無力さをただただ悔やむしかなかった。

*****

「ここからは歩きだな。」
高野の言葉に、羽鳥も木佐も頷いた。

ようやく本州の北端に到着した高野たちは、まずフェリーの乗り場へ向かった。
出来れば車のまま、北海道に渡りたかったからだ。
だがやはりフェリーは運航していない。
3人の出した結論は、青函トンネルを歩くことだった。
そして多分そのまま札幌まで歩くことになる。

高野はここまで頑張ってくれた愛車をじっと見た。
かつて律を乗せたこともある、思い出の車だ。
ここまで来る間に何度もぶつけられたりしたので、すでにボロボロだった。
置き去りにするのは切ないが、もうここでお別れだ。

「なぁ車、貸してくれよ。」
不意に背後から声をかけられて、高野は顔をしかめた。
案の定、高野に声をかけてきたのは、ガラの悪そうな男だった。
その傍らには、いわゆるギャル風の目つきの悪い女が立っている。
2人とも金に近い色に染めた髪は傷んでおり、のっぺりとした顔には少しも似合っていない。
その上ヘラヘラとした感じが、いかにも頭が悪そうに見える。
見るからに不愉快になるようなカップルだ。

「やだよ。何でお前らなんかに!」
すかさず答えたのは木佐だった。
いくら乗り捨てていく車でも、こんな連中には渡したくないと思ったようだ。
カップルの男が「何だと!」と怒声を上げながら、いきなり木佐の胸倉を掴んだ。

「やめろ。車はくれてやる。」
高野は無表情にそう言った。
こんな連中に思い出深い愛車を渡したくはないが、今はトラブルは避けるべきだ。
羽鳥も頷いて「荷物だけ取らせてくれ」と、男に声をかける。

「あ~、食べ物があるぅ!」
車を覗きこんだ女が間の抜けた声でそう言うと、男が「何?」と反応する。
そして木佐を突き飛ばすと、さっさと運転席に乗り込んでしまった。
女も「貰っていくね~」と言いながら、助手席に乗り込んだ。
こういうことに慣れているのか、呆れるほどに見事な連係プレーだ。

「ひでーな!降りろよ!」
突き飛ばされた木佐の文句も聞き耳を持たずに、2人はドアをロックした。
そしてつけっぱなしのキーでエンジンをかけ始める。
高野たちは顔を見合わせたが、諦めたように首を振った。

食料ももうさほど残っていなかったし、大事なものは身につけている。
何よりも時間が惜しいし、早く先に進みたいのだ。
ここで得体の知れない連中を相手にしている場合ではないのだ。

諦めて歩き出した途端雷が鳴り響き、3人の背後で爆音がした。
まるで背後から突き飛ばされたような強い衝撃に、3人とも地面に転がった。
そして振り返った彼らが見たのは、炎上する車だった。

雷撃にやられたのだ。
あのカップルの2人は逃げるどころか、何が起こったのかさえわからなかっただろう。
あと少しタイミングがずれていたら、間違いなく死んでいたのは高野たちだった。

「確かに感じ悪い2人だったけど、目の前で死んじゃうなんて。。。」
呆然と呟く木佐に、羽鳥が励ますように肩を叩いた。
高野は努めて淡々と「行こう」と声をかけた。
だが歩き出す膝が震えているのを、止めることが出来なかった。

【続く】
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