雷8題
【雷火(らいか)】
「はぁぁ」
木佐は夜風に当たりながら、大きくため息をついた。
横から羽鳥が「大丈夫か?」と声をかけてくれる。
大丈夫と答えたいところだが、そんな元気もなかった。
車酔いがひどくて、身体がフラフラするのだ。
木佐は手だけで高野を指差して、そちらを手伝うようにと合図した。
昼前に高野の車で東京を出て、すでに15時間以上も走り続けている。
止まったのはほんの数回、給油のときだけだ。
彼らは編集部に備蓄されていた栄養補助食品や菓子類を持って出たから、食料にはまだ困らない。
最大の問題はこの給油だった。
ガソリンスタンドはどこももう営業しておらず、無人になっている。
だが機器を動かせる店舗はあった。
3人は何とかそういう店舗を見つけると、自分たちの手で給油を繰り返していた。
今も無人のガソリンスタンドで給油中だ。
木佐は給油をする高野と羽鳥を見ながら、少し離れた場所で車酔いの身体を休めていた。
「あの、すみません」
ふと声をかけられて、木佐は振り返った。
高野でも羽鳥でもない声を聞くのは、ひどく懐かしいような気がする。
立っていたのは、20歳くらいの若い女性だった。
可愛らしい顔立ちだが、化粧っ気もなく、長い髪も乱れている。
「東京まで、乗せてくれませんか?」
「え?」
女はヨロヨロと木佐に向かって、手を伸ばす。
木佐は彼女の迫力に押されて、思わず後ずさった。
「どうしても東京に、逢いたい人がいるんです!」
「ごめんなさい。。。」
この女性もきっと最期の瞬間に一緒にいたい人がいるのだろう。
だが木佐たちは力にはなれない。
東京に戻るわけにはいかないし、そもそも2シーターの車に無理矢理3人乗っているのだ。
これ以上、他の誰かを乗せることなどできない。
「お願いします!お願いします!」
女は両手で木佐のジャケットの襟元を掴んで揺すぶった。
その思わぬ強い力は、きっと彼女が逢いたいという想いなのだろう。
車酔いも相まって、木佐はただ彼女に揺すぶられながら何もできない。
「すみません。俺たちも逢いたい人がいる。東京へは行けません。」
羽鳥が2人の間に割って入り、木佐から女の手を引き剥がした。
高野の給油を手伝っていたのだが、異変に気付いて駆け寄ってきたのだ。
女はなおも「お願い、乗せて!」と言いながら、今度は羽鳥に手を伸ばす。
木佐は無意識のうちに両手を伸ばし、女の身体を強い力で突き飛ばした。
「早く乗れ!」
高野が給油を終えた車を動かし、タイヤを軋ませながら急停車した。
木佐と羽鳥が急いで助手席に乗り込み、ドアを閉める。
高野が再びアクセルを踏み込むのと、尻餅をついた女が立ち上がったのはほぼ同時だった。
ガソリンスタンドと「乗せて!」と泣き叫ぶ女の姿が一気に遠ざかる。
「気にするな。どうせ彼女を乗せてはいけないんだから。」
「わかってるよ。」
羽鳥と木佐がそう言うと、車内はまた沈黙に包まれた。
仕方がないのだ。
他の誰かを傷つけても、悲しませても、逢いたい人がいるのだから。
3人は無言のまま、スピードを上げて北を目指す。
そろそろ車は青森県へと入ろうとしていた。
*****
「嘘だろ?」
雪名は小さく声を上げると、驚愕に目を見開いた。
雷が断続的に鳴り響いていて、だいぶ耳が慣れてきたはずだった。
だがそれでも驚いてしまうほどの、大きな音がした。
雷というよりは、むしろ爆発音だ。
しかも長身の雪名でさえ、足元がふらついてしまうほどの衝撃をともなっていた。
音のする方角を見た雪名は思わず「嘘だろ?」と小さく声を上げた。
住宅街の向こうに炎が見えたからだ。
雷火-どうやら落雷によって火災が発生したらしい。
思いも寄らぬ光景に驚愕した雪名は、あることに気付いて一気に動揺する。
現在火の手の上がっている場所は、雪名の実家の方角だ。
まさか俺の家に?
雪名は混乱する頭で、懸命に考える。
単に同じ方角というだけで、雪名の家が炎上している可能性は低い。
だが警察も機能していない状態の今、消防だって同じだろう。
延焼で雪名の家まで火に包まれてしまう可能性だって低くないはずだ。
両親の顔が頭に浮かんだ。
最後に東京に行きたいと言ったら、反対した父と母。
勢いで逆らうように家を飛び出してしまったけれど、こんな形の別れは嫌だ。
雪名の心は揺れる。
どうしても木佐に逢いたい気持ちは変わらないが、東京へいく術がない。
札幌から東京までは直線距離で約1000キロ。
多分徒歩で向かっても、おそらく最期の日に間に合うかどうかは微妙だ。
間に合ったとしても、木佐に逢える保証もない。
逢えたとしても、一緒にいられる時間はほんの少しだ。
それでも一緒にいたい。逢いたい。
だがこんな危険な状態を目の当たりにしてしまったら。
両親を置きざりにすることなど出来なかった。
せめて兄がいてくれればまだいいが、少なくても雪名が家を出た時には戻っていなかった。
わかっているのだ。
どう考えても正解はこのまま家に戻ることだ。
木佐さん、ごめんなさい。
雪名は何度も心の中で詫びた。
照れ屋な木佐は、実際に雪名の前で笑顔を見せることは少なかった。
それでも思い浮かぶのは、木佐の笑顔ばかりだ。
雪名は未練がましい気持ちを振り切るように、身を翻した。
そしてきつく唇を噛みしめながら、走り出す。
向かう先は東京とは逆方向の、両親が待つ実家だ。
*****
雪名が見た雷火を、吉野と律は滞在するホテルの部屋の窓から見ていた。
たまたま落雷が炎に変わる瞬間を見てしまった吉野は「うわ!」と声を上げる。
吉野の声に驚き、思わずその視線を目で追った律は「これは」と呻くように呟く。
遠くに見える炎に、2人はただ呆然としていた。
地図を手に入れた吉野と律は、雪名皇の実家の住所を捜し当てた。
だがあいにく雪名本人は不在だったのだ。
そこにいたのは雪名の両親と兄だった。
待たせてもらおうかとも思ったが、今はひどく治安が悪い状態だ。
見知らぬ人間を家に入れることには、抵抗があるだろう。
それにそうしている間にも、高野たちがホテルに来るかもしれない。
律は自分の名刺の裏にメッセージを走り書きすると、渡して欲しいと頼んで雪名家を出た。
そうしてホテルに戻ってしまうと、もうできることはなかった。
吉野と律は、元々シングルルーム2部屋をとってこのホテルにチェックインしている。
だが今は律の部屋に2人で過ごしていた。
高野たちや雪名がいつ来るのかわからない状態で、1人でいるのは不安だからだ。
それに雪名に残した伝言には、こちらの部屋番号を書いていたのだ。
「まさかここまでは燃え移らないですよね。」
「遠いから、大丈夫だと思いますが。。。」
不安そうな吉野の言葉に、律が答えた瞬間、部屋の呼び鈴が鳴った。
吉野と律は顔を見合わせると笑顔になった。
「トリたちかな?雪名さんかな?」
「時間的には雪名さんじゃないですか?」
一応この部屋の主である律がドアに向かった。
予想通りドアスコープに目を当てて見えたのは、知らない男だった。
律は振り返って「雪名さんですね」と吉野に知らせると、ドアを開けた。
部屋に入ってきた長身の男が、いきなり律の顔を殴りつける。
そして床に倒れた律に馬乗りになり、無理矢理組み敷いた。
この男は雪名皇ではない。
自暴自棄になっているただの暴漢だ。
「何だよ?男かよ。」
悪態をつく暴漢は適当にホテルの部屋を回って、獲物を物色していたらしい。
たまたま不用意にドアを開けてしまったこの部屋に、入ってきたのだ。
「死ぬ前に男相手も経験しておくか。綺麗な顔だし。」
男は事も無げにそう言うと、律のシャツに手をかける。
逃れようと暴れる律を苦もなく押さえつけ、さらにもう1回、頬を殴りつけた。
「おい、やめろ!」
吉野はすかさず駆け寄り、男を律から引き剥がそうとした。
だががっしりとした体躯の男は、ビクとも動かない。
逆に男が吉野を蹴り飛ばし、吉野は壁に叩きつけられてしまった。
なにか格闘技の心得でもあるのか、男は2人を相手にしても余裕の表情だ。
それだけではない。
吉野は男の後ろ姿を見て、驚きに目を見開く。
男のジーパンの後ろポケットに無造作に差し込まれているのは、拳銃だった。
「吉野さん、逃げてください!」
律もまた拳銃を見つけたのだろう。
すかさず吉野にそう叫ぶと、男は「うるせぇ!」と声を上げ、律の首を締め上げる。
そして律がぐったりと動かなくなったのを見ると、律の着衣を脱がせにかかった。
このままでは、律が危ない。
だが吉野の力では、この男の暴挙を止めることができないだろう。
どうしよう。どうすれば。
悩み、焦る吉野は次の瞬間、自分でも信じられないような行動に出た。
窓の外の雷火だけが、それを見ていた。
【続く】
「はぁぁ」
木佐は夜風に当たりながら、大きくため息をついた。
横から羽鳥が「大丈夫か?」と声をかけてくれる。
大丈夫と答えたいところだが、そんな元気もなかった。
車酔いがひどくて、身体がフラフラするのだ。
木佐は手だけで高野を指差して、そちらを手伝うようにと合図した。
昼前に高野の車で東京を出て、すでに15時間以上も走り続けている。
止まったのはほんの数回、給油のときだけだ。
彼らは編集部に備蓄されていた栄養補助食品や菓子類を持って出たから、食料にはまだ困らない。
最大の問題はこの給油だった。
ガソリンスタンドはどこももう営業しておらず、無人になっている。
だが機器を動かせる店舗はあった。
3人は何とかそういう店舗を見つけると、自分たちの手で給油を繰り返していた。
今も無人のガソリンスタンドで給油中だ。
木佐は給油をする高野と羽鳥を見ながら、少し離れた場所で車酔いの身体を休めていた。
「あの、すみません」
ふと声をかけられて、木佐は振り返った。
高野でも羽鳥でもない声を聞くのは、ひどく懐かしいような気がする。
立っていたのは、20歳くらいの若い女性だった。
可愛らしい顔立ちだが、化粧っ気もなく、長い髪も乱れている。
「東京まで、乗せてくれませんか?」
「え?」
女はヨロヨロと木佐に向かって、手を伸ばす。
木佐は彼女の迫力に押されて、思わず後ずさった。
「どうしても東京に、逢いたい人がいるんです!」
「ごめんなさい。。。」
この女性もきっと最期の瞬間に一緒にいたい人がいるのだろう。
だが木佐たちは力にはなれない。
東京に戻るわけにはいかないし、そもそも2シーターの車に無理矢理3人乗っているのだ。
これ以上、他の誰かを乗せることなどできない。
「お願いします!お願いします!」
女は両手で木佐のジャケットの襟元を掴んで揺すぶった。
その思わぬ強い力は、きっと彼女が逢いたいという想いなのだろう。
車酔いも相まって、木佐はただ彼女に揺すぶられながら何もできない。
「すみません。俺たちも逢いたい人がいる。東京へは行けません。」
羽鳥が2人の間に割って入り、木佐から女の手を引き剥がした。
高野の給油を手伝っていたのだが、異変に気付いて駆け寄ってきたのだ。
女はなおも「お願い、乗せて!」と言いながら、今度は羽鳥に手を伸ばす。
木佐は無意識のうちに両手を伸ばし、女の身体を強い力で突き飛ばした。
「早く乗れ!」
高野が給油を終えた車を動かし、タイヤを軋ませながら急停車した。
木佐と羽鳥が急いで助手席に乗り込み、ドアを閉める。
高野が再びアクセルを踏み込むのと、尻餅をついた女が立ち上がったのはほぼ同時だった。
ガソリンスタンドと「乗せて!」と泣き叫ぶ女の姿が一気に遠ざかる。
「気にするな。どうせ彼女を乗せてはいけないんだから。」
「わかってるよ。」
羽鳥と木佐がそう言うと、車内はまた沈黙に包まれた。
仕方がないのだ。
他の誰かを傷つけても、悲しませても、逢いたい人がいるのだから。
3人は無言のまま、スピードを上げて北を目指す。
そろそろ車は青森県へと入ろうとしていた。
*****
「嘘だろ?」
雪名は小さく声を上げると、驚愕に目を見開いた。
雷が断続的に鳴り響いていて、だいぶ耳が慣れてきたはずだった。
だがそれでも驚いてしまうほどの、大きな音がした。
雷というよりは、むしろ爆発音だ。
しかも長身の雪名でさえ、足元がふらついてしまうほどの衝撃をともなっていた。
音のする方角を見た雪名は思わず「嘘だろ?」と小さく声を上げた。
住宅街の向こうに炎が見えたからだ。
雷火-どうやら落雷によって火災が発生したらしい。
思いも寄らぬ光景に驚愕した雪名は、あることに気付いて一気に動揺する。
現在火の手の上がっている場所は、雪名の実家の方角だ。
まさか俺の家に?
雪名は混乱する頭で、懸命に考える。
単に同じ方角というだけで、雪名の家が炎上している可能性は低い。
だが警察も機能していない状態の今、消防だって同じだろう。
延焼で雪名の家まで火に包まれてしまう可能性だって低くないはずだ。
両親の顔が頭に浮かんだ。
最後に東京に行きたいと言ったら、反対した父と母。
勢いで逆らうように家を飛び出してしまったけれど、こんな形の別れは嫌だ。
雪名の心は揺れる。
どうしても木佐に逢いたい気持ちは変わらないが、東京へいく術がない。
札幌から東京までは直線距離で約1000キロ。
多分徒歩で向かっても、おそらく最期の日に間に合うかどうかは微妙だ。
間に合ったとしても、木佐に逢える保証もない。
逢えたとしても、一緒にいられる時間はほんの少しだ。
それでも一緒にいたい。逢いたい。
だがこんな危険な状態を目の当たりにしてしまったら。
両親を置きざりにすることなど出来なかった。
せめて兄がいてくれればまだいいが、少なくても雪名が家を出た時には戻っていなかった。
わかっているのだ。
どう考えても正解はこのまま家に戻ることだ。
木佐さん、ごめんなさい。
雪名は何度も心の中で詫びた。
照れ屋な木佐は、実際に雪名の前で笑顔を見せることは少なかった。
それでも思い浮かぶのは、木佐の笑顔ばかりだ。
雪名は未練がましい気持ちを振り切るように、身を翻した。
そしてきつく唇を噛みしめながら、走り出す。
向かう先は東京とは逆方向の、両親が待つ実家だ。
*****
雪名が見た雷火を、吉野と律は滞在するホテルの部屋の窓から見ていた。
たまたま落雷が炎に変わる瞬間を見てしまった吉野は「うわ!」と声を上げる。
吉野の声に驚き、思わずその視線を目で追った律は「これは」と呻くように呟く。
遠くに見える炎に、2人はただ呆然としていた。
地図を手に入れた吉野と律は、雪名皇の実家の住所を捜し当てた。
だがあいにく雪名本人は不在だったのだ。
そこにいたのは雪名の両親と兄だった。
待たせてもらおうかとも思ったが、今はひどく治安が悪い状態だ。
見知らぬ人間を家に入れることには、抵抗があるだろう。
それにそうしている間にも、高野たちがホテルに来るかもしれない。
律は自分の名刺の裏にメッセージを走り書きすると、渡して欲しいと頼んで雪名家を出た。
そうしてホテルに戻ってしまうと、もうできることはなかった。
吉野と律は、元々シングルルーム2部屋をとってこのホテルにチェックインしている。
だが今は律の部屋に2人で過ごしていた。
高野たちや雪名がいつ来るのかわからない状態で、1人でいるのは不安だからだ。
それに雪名に残した伝言には、こちらの部屋番号を書いていたのだ。
「まさかここまでは燃え移らないですよね。」
「遠いから、大丈夫だと思いますが。。。」
不安そうな吉野の言葉に、律が答えた瞬間、部屋の呼び鈴が鳴った。
吉野と律は顔を見合わせると笑顔になった。
「トリたちかな?雪名さんかな?」
「時間的には雪名さんじゃないですか?」
一応この部屋の主である律がドアに向かった。
予想通りドアスコープに目を当てて見えたのは、知らない男だった。
律は振り返って「雪名さんですね」と吉野に知らせると、ドアを開けた。
部屋に入ってきた長身の男が、いきなり律の顔を殴りつける。
そして床に倒れた律に馬乗りになり、無理矢理組み敷いた。
この男は雪名皇ではない。
自暴自棄になっているただの暴漢だ。
「何だよ?男かよ。」
悪態をつく暴漢は適当にホテルの部屋を回って、獲物を物色していたらしい。
たまたま不用意にドアを開けてしまったこの部屋に、入ってきたのだ。
「死ぬ前に男相手も経験しておくか。綺麗な顔だし。」
男は事も無げにそう言うと、律のシャツに手をかける。
逃れようと暴れる律を苦もなく押さえつけ、さらにもう1回、頬を殴りつけた。
「おい、やめろ!」
吉野はすかさず駆け寄り、男を律から引き剥がそうとした。
だががっしりとした体躯の男は、ビクとも動かない。
逆に男が吉野を蹴り飛ばし、吉野は壁に叩きつけられてしまった。
なにか格闘技の心得でもあるのか、男は2人を相手にしても余裕の表情だ。
それだけではない。
吉野は男の後ろ姿を見て、驚きに目を見開く。
男のジーパンの後ろポケットに無造作に差し込まれているのは、拳銃だった。
「吉野さん、逃げてください!」
律もまた拳銃を見つけたのだろう。
すかさず吉野にそう叫ぶと、男は「うるせぇ!」と声を上げ、律の首を締め上げる。
そして律がぐったりと動かなくなったのを見ると、律の着衣を脱がせにかかった。
このままでは、律が危ない。
だが吉野の力では、この男の暴挙を止めることができないだろう。
どうしよう。どうすれば。
悩み、焦る吉野は次の瞬間、自分でも信じられないような行動に出た。
窓の外の雷火だけが、それを見ていた。
【続く】