雷8題
【雷雲(らいうん)】
「高野さん、大丈夫?」
木佐がハンドルを握る高野に、声をかける。
高野は「ああ」と短く答えたが、全然余裕があるようには見えない。
あまり話しかけない方がよさそうだと、木佐は口を噤んだ。
何しろ交通法規などおかまいなしに走っている車が多いのだ。
とにかくスピードを上げて走っているし、信号を無視する車も少なくない。
もうヤケになっているのか、車線すら守っていない車もある。
かくいう高野もかなりのスピードを出している。
交差点で一時停止はするが、大丈夫だと見ると信号など関係なく直進する。
雷雨は止んだが路面はまだ濡れていて、時々車体が横滑りしてしまう。
2シーターの車に無理矢理3人、高野と羽鳥に挟まれて座る木佐はすっかり車酔いしていた。
それに事故になってしまわないかと思うと、かなり怖い。
だがこの危険な道路状態で懸命に運転する高野の横で、それを言うのは躊躇われた。
「どこかでガソリン、入れたいな」
高野はハンドルを握りながら、ポツリと呟いた。
どうしたって途中で給油しなければ、北海道にはたどり着けないだろう。
こんなことならもっと燃費のいい車にしておけばよかったと思っても、もう遅い。
「ガソリンスタンドがないかどうか、注意しておきます。」
羽鳥が窓の外に目を向けながら、そう答える。
だがそれはなかなか困難なことだと思っていた。
目聡い羽鳥は高野に言われるまでもなく、燃料切れのことは考えていた。
だからずっと窓の外を見ていたのだ。
だが通り過ぎるガソリンスタンドはすべて営業をしていなかった。
最悪の場合はガソリンを盗むか、歩くしかない。
だが全員そのことを思いながら、口に出せずにいた。
まるで目の前に広がる雷雲のように、3人の心に暗い影を落としていた。
*****
雪名は自宅近くを走っていた。
とにかく何か移動手段を得たい一心だった。
雪名が最期の瞬間に一緒にいたい人物は、今北海道を目指している。
だが雪名本人はそのことを知る由もなかった。
木佐の自宅や会社に電話をかけても応答はなく、挙句に電話自体がつながらなくなった。
とにかく東京へ戻るしかない。
だがすぐに飛行機も電車も運行していないことがわかった。
東京に戻るから、車を貸して欲しい。
雪名は両親が帰宅するのを待ってから、そう切り出した。
雪名自身は車も持っていないし、自転車などは東京のアパートにあるからだ。
だが両親はそれを許してくれなかった。
多分東京に向かったら、もう二度と会えないだろう。
その上、街は治安が悪い状態だ。
そもそも東京にたどり着くことすらできるかどうかがわからないのだ。
両親は家中の車やバイク、自転車に至るまで、その鍵を隠してしまった。
雪名が勝手に出て行ってしまうことを恐れたのだろう。
雪名はそのまま家を飛び出した。
レンタカー、もしくはバイクか自転車でもいい。
とにかく足を手に入れて、東京へ。
だがもうすでに営業している店舗はほとんどなかった。
途方にくれる雪名はゴロゴロと不穏な音を立てる雷雲の中を、ただ当てもなく走っていた。
ちょうど交番の前を通りかかったとき、雪名は足を止めた。
中から「うわぁぁぁ~~~!!」と悲鳴が聞こえたからだ。
すぐに中から2人の青年が、転がるように飛び出てきた。
黒い髪の青年が「どうしましょう?亡くなられてますよね?」と身体を震わせている。
もう1人の茶髪の青年が「とにかく1度戻りましょう」と答える。
半分腰を抜かしたような黒髪の青年の肩を抱いて、茶髪の青年が歩き始める。
2人は雪名とすれ違い、そのまま立ち去って行く。
雪名は振り返り、ヨロヨロと寄り添って歩く2人を見送った。
そして交番の中を覗きこんだ雪名もまた「うわっ!」と声を上げることになった。
そこには頭部を銃で撃ち抜かれた警察官の死体があったからだ。
*****
「あ、ありました。」
律はそう言って、棚に手を伸ばす。
だが吉野は顔を歪めながら、黙って首を振った。
ホテルに戻った律と吉野は、ホテル内にあるコンビニに来た。
目当てはこの近辺の地図だ。
すでに電気が消され、営業していないコンビニ。
だがドアは開いたままになっていた。
多分店の人間は施錠したのだろうが、抉じ開けられたのだろう。
そして店内は無残に荒らされていた。
弁当や惣菜、パンなどはすべてなくなっている。
菓子類などもほとんどない。
他の食べ物以外の商品が床にばら撒かれていることから、略奪されたと思われる。
だが幸いにも書籍が並べられた棚は、ほとんど無事だった。
律はその中から、札幌市内の地図を発見できたのだった。
「あと食料は。もうほとんどないですね。残ってるのはおせんべいと飴かぁ。。。」
律はそう言いながら、店内のものを物色し始めた。
そんな律の姿を、吉野は信じられないという表情で見ている。
「小野寺さん。それって泥棒ですよ。」
「仕方ないです。地図が欲しいけどお店の方はいらっしゃらないし。」
「でも、食べ物まで!」
「この先、手に入らなくなるかもしれませんから。」
先程死体を見たショックも、まだ癒えていない。
その上、唯一の味方である律が目の前で略奪行為を始めたのだ。
吉野は完全に混乱していた。
「吉野さん。俺たちはまず生き残らなくちゃいけないんです。」
「生き、残る?」
「羽鳥さんや高野さんたちが来るのを生きて待つんです。」
「トリたちを待つ。。。」
「そうです。そのためなら俺は何でもします。吉野さんのことも守ります。」
「俺を?」
「そうです。例え雑誌が終わっても、吉野さんは大事な作家さんですから。」
律は少し照れくさそうにそう言って笑うと、また店内を物色し始める。
吉野はその姿を見て、目が覚めるような思いだった。
同じく死体を見た律は、今がどれだけ危険な状態か理解した。
そして決意を固めたのだ。
絶対に生き残って、大事な人ともう1度逢うのだと。
そうだ。生き残る。
吉野だって、もう1度羽鳥と逢うまでは絶対に死ねない。
吉野は黙って、律と共に店内の物色を始めた。
律は一瞬チラリと吉野の様子を見て、笑う。
だがすぐに真剣な表情に戻ると、また店内を見回した。
【続く】
「高野さん、大丈夫?」
木佐がハンドルを握る高野に、声をかける。
高野は「ああ」と短く答えたが、全然余裕があるようには見えない。
あまり話しかけない方がよさそうだと、木佐は口を噤んだ。
何しろ交通法規などおかまいなしに走っている車が多いのだ。
とにかくスピードを上げて走っているし、信号を無視する車も少なくない。
もうヤケになっているのか、車線すら守っていない車もある。
かくいう高野もかなりのスピードを出している。
交差点で一時停止はするが、大丈夫だと見ると信号など関係なく直進する。
雷雨は止んだが路面はまだ濡れていて、時々車体が横滑りしてしまう。
2シーターの車に無理矢理3人、高野と羽鳥に挟まれて座る木佐はすっかり車酔いしていた。
それに事故になってしまわないかと思うと、かなり怖い。
だがこの危険な道路状態で懸命に運転する高野の横で、それを言うのは躊躇われた。
「どこかでガソリン、入れたいな」
高野はハンドルを握りながら、ポツリと呟いた。
どうしたって途中で給油しなければ、北海道にはたどり着けないだろう。
こんなことならもっと燃費のいい車にしておけばよかったと思っても、もう遅い。
「ガソリンスタンドがないかどうか、注意しておきます。」
羽鳥が窓の外に目を向けながら、そう答える。
だがそれはなかなか困難なことだと思っていた。
目聡い羽鳥は高野に言われるまでもなく、燃料切れのことは考えていた。
だからずっと窓の外を見ていたのだ。
だが通り過ぎるガソリンスタンドはすべて営業をしていなかった。
最悪の場合はガソリンを盗むか、歩くしかない。
だが全員そのことを思いながら、口に出せずにいた。
まるで目の前に広がる雷雲のように、3人の心に暗い影を落としていた。
*****
雪名は自宅近くを走っていた。
とにかく何か移動手段を得たい一心だった。
雪名が最期の瞬間に一緒にいたい人物は、今北海道を目指している。
だが雪名本人はそのことを知る由もなかった。
木佐の自宅や会社に電話をかけても応答はなく、挙句に電話自体がつながらなくなった。
とにかく東京へ戻るしかない。
だがすぐに飛行機も電車も運行していないことがわかった。
東京に戻るから、車を貸して欲しい。
雪名は両親が帰宅するのを待ってから、そう切り出した。
雪名自身は車も持っていないし、自転車などは東京のアパートにあるからだ。
だが両親はそれを許してくれなかった。
多分東京に向かったら、もう二度と会えないだろう。
その上、街は治安が悪い状態だ。
そもそも東京にたどり着くことすらできるかどうかがわからないのだ。
両親は家中の車やバイク、自転車に至るまで、その鍵を隠してしまった。
雪名が勝手に出て行ってしまうことを恐れたのだろう。
雪名はそのまま家を飛び出した。
レンタカー、もしくはバイクか自転車でもいい。
とにかく足を手に入れて、東京へ。
だがもうすでに営業している店舗はほとんどなかった。
途方にくれる雪名はゴロゴロと不穏な音を立てる雷雲の中を、ただ当てもなく走っていた。
ちょうど交番の前を通りかかったとき、雪名は足を止めた。
中から「うわぁぁぁ~~~!!」と悲鳴が聞こえたからだ。
すぐに中から2人の青年が、転がるように飛び出てきた。
黒い髪の青年が「どうしましょう?亡くなられてますよね?」と身体を震わせている。
もう1人の茶髪の青年が「とにかく1度戻りましょう」と答える。
半分腰を抜かしたような黒髪の青年の肩を抱いて、茶髪の青年が歩き始める。
2人は雪名とすれ違い、そのまま立ち去って行く。
雪名は振り返り、ヨロヨロと寄り添って歩く2人を見送った。
そして交番の中を覗きこんだ雪名もまた「うわっ!」と声を上げることになった。
そこには頭部を銃で撃ち抜かれた警察官の死体があったからだ。
*****
「あ、ありました。」
律はそう言って、棚に手を伸ばす。
だが吉野は顔を歪めながら、黙って首を振った。
ホテルに戻った律と吉野は、ホテル内にあるコンビニに来た。
目当てはこの近辺の地図だ。
すでに電気が消され、営業していないコンビニ。
だがドアは開いたままになっていた。
多分店の人間は施錠したのだろうが、抉じ開けられたのだろう。
そして店内は無残に荒らされていた。
弁当や惣菜、パンなどはすべてなくなっている。
菓子類などもほとんどない。
他の食べ物以外の商品が床にばら撒かれていることから、略奪されたと思われる。
だが幸いにも書籍が並べられた棚は、ほとんど無事だった。
律はその中から、札幌市内の地図を発見できたのだった。
「あと食料は。もうほとんどないですね。残ってるのはおせんべいと飴かぁ。。。」
律はそう言いながら、店内のものを物色し始めた。
そんな律の姿を、吉野は信じられないという表情で見ている。
「小野寺さん。それって泥棒ですよ。」
「仕方ないです。地図が欲しいけどお店の方はいらっしゃらないし。」
「でも、食べ物まで!」
「この先、手に入らなくなるかもしれませんから。」
先程死体を見たショックも、まだ癒えていない。
その上、唯一の味方である律が目の前で略奪行為を始めたのだ。
吉野は完全に混乱していた。
「吉野さん。俺たちはまず生き残らなくちゃいけないんです。」
「生き、残る?」
「羽鳥さんや高野さんたちが来るのを生きて待つんです。」
「トリたちを待つ。。。」
「そうです。そのためなら俺は何でもします。吉野さんのことも守ります。」
「俺を?」
「そうです。例え雑誌が終わっても、吉野さんは大事な作家さんですから。」
律は少し照れくさそうにそう言って笑うと、また店内を物色し始める。
吉野はその姿を見て、目が覚めるような思いだった。
同じく死体を見た律は、今がどれだけ危険な状態か理解した。
そして決意を固めたのだ。
絶対に生き残って、大事な人ともう1度逢うのだと。
そうだ。生き残る。
吉野だって、もう1度羽鳥と逢うまでは絶対に死ねない。
吉野は黙って、律と共に店内の物色を始めた。
律は一瞬チラリと吉野の様子を見て、笑う。
だがすぐに真剣な表情に戻ると、また店内を見回した。
【続く】