ヒルセナ昼5題

「吸血鬼と『伴侶』?」
少女は小首を傾げて、考え込んでいるようだ。
普通、信じないだろう。
笑い出すか、それとも怒るか。
瀬那は覚悟を決めて、彼女の答えを待っている。

「そっか~なるほどね。で、三宅先生も室センパイも魔物だったんだ。」
彼女-瀧鈴音の反応に、瀬那は思わず「え?」と声を上げる。
数百年ほど生きて、自分の境遇を人に話すことは何度かあった。
でもすんなりと信じた人間は、鈴音が初めてだ。
瀬那は逆に驚いてしまい、言葉が出なかった。

鈴音は室サトシことムサシに狙われ、操られていたのだ。
いわゆるマインドコントロールのようなものだ。
暗示をかけて、瀬那に言い寄るように仕向けた。
何度ことわられても諦めず、それを繰り返すように。
魔力を使った術であるから、普通の人間に逃れる術などない。

その目的は瀬那への嫌がらせ。
そしてあわよくば蛭魔たちが混乱すればいいと思ったらしい。
長く生きて心が捻じ曲がった魔物は、何とも手口が陰湿だ。



捕らえられた瀬那が、すぐに救出されたのは鈴音のおかげだった。
蛭魔は瀬那を連れ去るやり方に、悪意を感じた。
そして思い当たったのが、鈴音だった。
ことわっても何度も瀬那に言い寄る鈴音に、尋常でないものを感じた。
魔物に操られているのだとピンと来た。

蛭魔たちは急いで鈴音を捜し当てた。
そしてその身体からかすかに漂う魔の気配を感じ取った。
それを手がかりに、室サトシと瀬那を発見したのだ。

室サトシがまず瀬那に怪我を負わせたのは、瀬那を弱らせるためだ。
そうして瀬那自身が発する気の力も弱めて、捜しにくくさせた。
だが鈴音から自分の気配を追って来られるとは、思わなかったらしい。
そして室サトシは溝六に引き渡された。

この件はそれで終わりではない。
鈴音のことが残っている。
もう室サトシがかけた暗示からは解放されている。
だが一連の出来事の真相は打ち明けていない。
当然妙だと感じている。
人ならざるものの力が介在していることも察しているかもしれない。

瀬那は鈴音を屋上に呼び出した。
蛭魔が鈴音の記憶の一部を消去するためだ。
だがその前に瀬那は鈴音に事情を説明した
どうせ消してしまう記憶なのだから、はっきり言って無駄だ。
それでも瀬那は鈴音にはちゃんと話したいと思った。



「困ったな。」
瀬那が全ての事実を説明し、鈴音はそれを信じた。
その後に瀬那がポツリと呟いたのだ。

「どうして困るの?」
「信じると思わなかったから。」
「信じるよ。だって瀬那はそんな冗談、言う人じゃないもん。」
「それって冗談も言えないって意味?」
「そういうことで人を騙したりしない、いい人って意味だよ。」

だから好きなの、と鈴音は笑う。
一途な鈴音の気持ちに答えられないことが、瀬那には心苦しい。
またしても返す言葉が見つからず、瀬那は沈黙してしまう。

ちなみに今は授業中だ。
瀬那のクラスはたまたま自習なので、こうして屋上を独占している。
だがここも授業中特有のどこか張り詰めた雰囲気だ。
こんな場所ではなく、もっとのんびりした空気のところで話せばよかった。
後悔したものの、もう遅い。

「もう忘れて。僕のことも、嫌なことも全部。」
瀬那は後ろを振り返りながら、そう告げた。
後方-屋上入口のドアには、蛭魔が立っている。
話を終えた鈴音の記憶を消すためだ。
少し斜に構えてドアに寄りかかる立ち姿は、モデルのように美しかった。

「2人はもうこの学校からいなくなるの?」
鈴音がチラリと蛭魔を一瞥すると、寂しそうに聞いた。
瀬那は「ううん」と首を振る。

室サトシが去っても、校内にはまだ魔の気配がする。
つまりまだ蛭魔の任務は終わらないということだ。
だからこそ鈴音は瀬那から離れた方がいいのだ。
純粋な鈴音が、魔物に利用されるようなことは2度とあってはならない。



「で、結局、鈴音の記憶を消せなかったのか」
「消せないんじゃない。消さなかったんだ。」
武蔵は憮然とする蛭魔の横顔を楽しそうに眺めている。
多分こうなることを予想していたのだろう。
蛭魔も表情こそ不満げだが、内心はこれでよかったと思っている。

深手を負った武蔵は、命の危機を脱した。
だがまだ全快せず、学校を休んでいる。
そして一時的に蛭魔と瀬那の住居に身を寄せていた。
看病などという軟弱な理由ではない。
瀬那の近くで「気」を感じることで、回復が早くなるのだ。

瀬那は一時的にでも、武蔵と同居できることを喜んだ。
ご機嫌の笑顔で「いっそこのまま一緒に暮らしましょうよ」とも言った。
だが蛭魔も武蔵も頑として、拒否した。
2人が何百年も友人でいられたのは、ある程度の距離を置いていたからだ。
主張が強い2人の魔物が四六時中一緒にいたら、きっと衝突するだろう。

ちなみに現在、居候である武蔵は一応気を使うらしい。
掃除や洗濯などの家事を進んでやろうとする。
蛭魔はこれ幸いと、武蔵に押し付けようとしていた。
だが瀬那は慌てて「身体を治すことに専念してください」とこれを止めた。
そして蛭魔には「サボりはだめですよ」と怒る。
随分待遇が違うと文句を言いつつ、蛭魔は掃除機をかけ、洗濯機を回した。

そんな3人のつかの間の同居生活。
学校から戻った蛭魔は、家で療養中の武蔵に報告した。
瀧鈴音に自分たちの正体を明かし、そしてその記憶を消さなかったことを。



「私の記憶を勝手に消さないで!」
鈴音は蛭魔にそう叫んだ。
どうしても消すなら、せめて瀬那が好きだったことは忘れたくない。
ひたむきな想いをぶつけられた蛭魔は、困惑する。

「とりあえず僕たちが学校を去るまではこのままってことで、どうですか?」
微妙な沈黙を破ったのは、瀬那だった。
瀬那も鈴音の安全を考え、とにかく早く記憶操作をした方がいいと思っていた。
だが鈴音本人の気持ちを聞いて、考えが変わったようだ。

「とりあえずって」
「僕たちが学校を去るときに決めるってことで。どうでしょう?」
瀬那の提案に蛭魔は折れた。
結局ただ問題を先送りにしただけのことだ。
だが蛭魔も内心、ホッとしていた。

実は蛭魔は鈴音を気に入っていた。
真っ直ぐで、素直で明るく、前向きなところは瀬那に似ている。
自分の「伴侶」がこんな少女に想いを寄せられることが誇らしくさえある。
その記憶を操作することに、やはり抵抗があるのだ。

「わかった。そうしよう。」
蛭魔が瀬那の提案に同意すると、鈴音の表情がパッと明るくなった。
瀬那もホッと安堵の表情だ。
いい決断をしたと思った、次の瞬間。

「お兄さん。サボりはだめですよ。」
蛭魔の方に向き直った瀬那は、悪戯っぽく笑う。
今は授業中、するべき事がなくなった蛭魔は、単なるサボりだ。
蛭魔は「ハイハイ」と苦笑しながら、2人を残して屋上を出た。

いろいろ危なくもあったが、それ以上に楽しいことが多い。
そんな蛭魔と瀬那の高校生活は、まだ終わらない。

【終】続編「ヒルセナ放課後5題」に続きます。
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