ヒルセナ昼5題
「あなたはいったい誰なんですか?」
瀬那は冷静な口調で、そう聞いた。
少しでも情報を聞き出さないと、捕まり損だ。
だが内心は冷静ではない。
懸命にそう見せているだけだ。
男に負わされた肩口の傷は出血が止まらないし、ズキズキと痛む。
後手に縛られて、足も括られて、床に転がされているのもつらい。
そもそもどこだがわからない場所に監禁されている状況は、不気味だ。
それに男のほっぺたについてる血も気になる。
吸血鬼の「伴侶」である瀬那には、血のにおいを嗅ぎ分けられるのだ。
それが自分のものでなく、仲間の魔物-武蔵のものであることがわかった。
武蔵の身に何かあったのかと思うと不安だ。
「室サトシ。2年生。表向きはな。」
男は瀬那を冷ややかに見下ろしながら、そう答えた。
瀬那は唇を噛みしめるようにしながら、必死に冷静な表情を保つ。
自分の素性を明かすということ。
それは瀬那を生きて返すつもりがないということだ。
だが恐怖に震えていたところで、何にもならない。
「お前、蛭魔の『伴侶』なんだろう?」
今度はその男-室サトシが、瀬那に質問を投げてきた。
顔は笑っているのに、目は少しも笑っていない。
魔物が見下している相手、主に人間に見せる特有の表情だ。
それにしてもどうして、この男を見逃してきたのだろう?
瀬那は男を睨み上げながら、考える。
これほど禍々しい魔の気配を放ち、顔だって魔物特有の表情。
校内で魔物を捜していた蛭魔たちの包囲網に、どうしてかからなかったのか?
「武蔵は大丈夫だ。まったく頑丈だな。普通なら死んでる。」
蛭魔の昔馴染みの男は、事もなげにそう言った。
口調も、酒臭い息までいつも変わらない。
ただ年齢と長年の飲酒のせいで、容貌や声は以前とかなり違っていた。
男の名は酒奇溝六。通称「どぶろく」。
魔物ではなく、普通の人間だ。
正確な年齢は蛭魔も知らないが、50年ほど前に初めて会った時には高校生だった。
溝六は、いわゆる「霊感」とか「霊力」などと称される能力が高い。
その能力を買われて、ずっと「組織」の仕事をしている。
魔物から人間を守るために、秘かに結成された「組織」。
溝六はその中では古株であり、蛭魔も武蔵も瀬那も信頼を寄せている。
教室で倒れている瀬那を発見した時。
瀬那を武蔵に託し、犯人を追いかけた蛭魔は、校内にいた佐竹と山岡を見つけた。
だが確かに少し前まで魔の気配をまとっていたはずの2人から、それが消えていた。
彼らの気はまったく普通の人間のものだったのだ。
からくりはよくわからないが、嵌められた。
それを悟った蛭魔は、慌てて瀬那がいた教室に駆け戻る。
だがすでに瀬那は連れ去られた後で、武蔵だけが残っていた。
武蔵は首を切りつけられて出血した上に、毒に侵されていた。
犯人を見たと言った生徒こそ、犯人だったのだ。
まったくふざけている。
わざわざ武蔵を傷つけた上に、これみよがしに瀬那を連れ去るやり方は卑劣だ。
怒りは収まらないが、とにかく冷静にならなければ。
蛭魔はひとまず「組織」に連絡して、自分のマンションに溝六を呼んだ。
十文字たちの手を借りて、武蔵も運び込む。
魔物に詳しい溝六に意見を求めて損はない。
何より武蔵は重症で、治療は蛭魔の手に負えなかった。
「そいつはきっと『ムサシ』だな。」
武蔵の手当てを終えた溝六がそう言った。
長時間手の平を翳して、念で毒を浄化していたので、消耗しているようだ。
そんな状態なのに、小脇に抱えた酒瓶の中身をゴクゴクと喉に流し込んでいる。
「おい、どういうこった?この糞アル中ジジィ」
その言葉の意味がわからず、蛭魔はイライラとそう聞いた。
武蔵があやうく死にかけるほどの重症を負ったのに「きっとムサシ」とは意味不明だ。
蛭魔のあんまりの物言いに、十文字たちは唖然としている。
長い付き合いで遠慮のない間柄とはいえ、助けを求めておいて、少々口が悪い。
だが諌める役の瀬那はいないし、武蔵の意識も戻らない。
「犯人の名前も『ムサシ』ってんだ。」
「どんなヤツだ?」
「人間の血肉を食う。食人鬼だな。多分1000年以上生きてる。」
「なんでそんなのが捕まらずにのさばってる?」
「自分の妖気を消せるのさ。それどころか自分の気配を人間に送ることができる。」
「何?」
「関係ない人間に一時的に自分の妖気を移しちまうんだよ。」
蛭魔は唖然とするしかなかった。
そんな魔物がいるなんて、長く生きてきた蛭魔も初耳だ。
だがそれで起きている出来事への説明はつく。
その「ムサシ」なる魔物は、自分の魔の気配を消し、関係ない佐竹と山岡に飛ばした。
蛭魔たちはまんまとその気配を追いかけ、混乱させられたのだ。
「どうすりゃいいんだよ。」
「こうしている間にも、瀬那が危ねーだろ!」
モン太と十文字が焦った声を上げる。
だが蛭魔は「手はまだある」と冷静だった。
まだ打てる手は残っている。
敵の能力もわかった今、勝機はまだ残っている。
瀬那をこの手に取り返すまで、諦めるつもりなどなかった。
「今、何て言ったんです?」
瀬那は震える声で聞き返す。
だが室サトシは事もなげに「殺した」と答えた。
「何人も『ムサシ』がいても、面倒だろ?」
「・・・では、あなたのほっぺたについてる血はやはり」
「お前らが『武蔵』って呼んでる男のもんだ。」
室サトシは不敵な笑みと共に、吐き捨てた。
男は本名を「ムサシ」というらしい。
室サトシは「ムサシ」からひねり出した嘘の人間名だと言う。
そして何人も「ムサシ」がいても面倒という理由で、武蔵を殺したという。
「武蔵さんを殺して、僕を誘拐して、このままですむと思ってるんですか?」
「まさか。逃げるつもりだ。お前たちみたいに組織の配下でなんか生きたくない。」
「でもそれが魔物と人間が交わした共存の取り決めです。」
「知ったことか。」
室サトシの目の色が変わった。
瀬那をずっと蔑むように見ていた目に、凶暴な色が加わる。
この色には覚えがある。
魔物が人間をまさに捕食しようとしているときの色。
知性より食欲が勝っている魔物の目だ。
「蛭魔さんに恨みでもあるんですか?」
「恨みだと?あるに決まってる。組織の手先になって、仲間を売りやがって!」
「武蔵さんを殺そうとして、何が仲間ですか!」
「挙句にテメーらばっかり、楽しく部活ごっこだと?ふざけるな!」
「それって、もう嫌がらせのレベルじゃないですか。」
室サトシが次第に激高しているのを見て、瀬那はため息をついた。
この男が何を考えているのか知ろうと、懸命に質問を繰り返した。
だが伝わってくるのは、身勝手な妬みばかりだ。
人間との「契約」を守れないだけでなく「契約」を守るものを陥れる。
それはもう恨みですらなく、単なる意地悪とか嫌がらせだ。
「だそうですよ。蛭魔さん」
瀬那がそう告げた瞬間、部屋の扉がバキバキと不穏な音を立てた。
程なくしてぶち破られた扉から、まず顔を出したのは蛭魔。
そして十文字やモン太らも雪崩れ込んでくる。
「まさか。どうしてこの場所が!」
十文字と黒木に取り押さえられた室サトシが、納得いかない様子で叫んだ。
吸血鬼と「伴侶」は、念で会話ができる。
だが瀬那本人が自分の監禁場所を知らないのだから、すぐに所在はわからないはずだ。
「それより、借りを返すぜ。」
魔物たちの一番背後に立っていた男が、冷ややかにそう告げる。
室サトシのほっぺたについてる血の主、武蔵だ。
武蔵は十文字と黒木に両脇を固められた室サトシの前に立つ。
そして次の瞬間、勢いよく顔面に拳を振り下ろした。
先程まで死にかけていた武蔵のタフさに、魔物たちは苦笑する。
「怪我はないな。」
蛭魔が瀬那を抱き起こすと、拘束を解いてくれる。
何とか危機を脱したことに、瀬那はホッと安堵の息をついた。
【続く】
瀬那は冷静な口調で、そう聞いた。
少しでも情報を聞き出さないと、捕まり損だ。
だが内心は冷静ではない。
懸命にそう見せているだけだ。
男に負わされた肩口の傷は出血が止まらないし、ズキズキと痛む。
後手に縛られて、足も括られて、床に転がされているのもつらい。
そもそもどこだがわからない場所に監禁されている状況は、不気味だ。
それに男のほっぺたについてる血も気になる。
吸血鬼の「伴侶」である瀬那には、血のにおいを嗅ぎ分けられるのだ。
それが自分のものでなく、仲間の魔物-武蔵のものであることがわかった。
武蔵の身に何かあったのかと思うと不安だ。
「室サトシ。2年生。表向きはな。」
男は瀬那を冷ややかに見下ろしながら、そう答えた。
瀬那は唇を噛みしめるようにしながら、必死に冷静な表情を保つ。
自分の素性を明かすということ。
それは瀬那を生きて返すつもりがないということだ。
だが恐怖に震えていたところで、何にもならない。
「お前、蛭魔の『伴侶』なんだろう?」
今度はその男-室サトシが、瀬那に質問を投げてきた。
顔は笑っているのに、目は少しも笑っていない。
魔物が見下している相手、主に人間に見せる特有の表情だ。
それにしてもどうして、この男を見逃してきたのだろう?
瀬那は男を睨み上げながら、考える。
これほど禍々しい魔の気配を放ち、顔だって魔物特有の表情。
校内で魔物を捜していた蛭魔たちの包囲網に、どうしてかからなかったのか?
「武蔵は大丈夫だ。まったく頑丈だな。普通なら死んでる。」
蛭魔の昔馴染みの男は、事もなげにそう言った。
口調も、酒臭い息までいつも変わらない。
ただ年齢と長年の飲酒のせいで、容貌や声は以前とかなり違っていた。
男の名は酒奇溝六。通称「どぶろく」。
魔物ではなく、普通の人間だ。
正確な年齢は蛭魔も知らないが、50年ほど前に初めて会った時には高校生だった。
溝六は、いわゆる「霊感」とか「霊力」などと称される能力が高い。
その能力を買われて、ずっと「組織」の仕事をしている。
魔物から人間を守るために、秘かに結成された「組織」。
溝六はその中では古株であり、蛭魔も武蔵も瀬那も信頼を寄せている。
教室で倒れている瀬那を発見した時。
瀬那を武蔵に託し、犯人を追いかけた蛭魔は、校内にいた佐竹と山岡を見つけた。
だが確かに少し前まで魔の気配をまとっていたはずの2人から、それが消えていた。
彼らの気はまったく普通の人間のものだったのだ。
からくりはよくわからないが、嵌められた。
それを悟った蛭魔は、慌てて瀬那がいた教室に駆け戻る。
だがすでに瀬那は連れ去られた後で、武蔵だけが残っていた。
武蔵は首を切りつけられて出血した上に、毒に侵されていた。
犯人を見たと言った生徒こそ、犯人だったのだ。
まったくふざけている。
わざわざ武蔵を傷つけた上に、これみよがしに瀬那を連れ去るやり方は卑劣だ。
怒りは収まらないが、とにかく冷静にならなければ。
蛭魔はひとまず「組織」に連絡して、自分のマンションに溝六を呼んだ。
十文字たちの手を借りて、武蔵も運び込む。
魔物に詳しい溝六に意見を求めて損はない。
何より武蔵は重症で、治療は蛭魔の手に負えなかった。
「そいつはきっと『ムサシ』だな。」
武蔵の手当てを終えた溝六がそう言った。
長時間手の平を翳して、念で毒を浄化していたので、消耗しているようだ。
そんな状態なのに、小脇に抱えた酒瓶の中身をゴクゴクと喉に流し込んでいる。
「おい、どういうこった?この糞アル中ジジィ」
その言葉の意味がわからず、蛭魔はイライラとそう聞いた。
武蔵があやうく死にかけるほどの重症を負ったのに「きっとムサシ」とは意味不明だ。
蛭魔のあんまりの物言いに、十文字たちは唖然としている。
長い付き合いで遠慮のない間柄とはいえ、助けを求めておいて、少々口が悪い。
だが諌める役の瀬那はいないし、武蔵の意識も戻らない。
「犯人の名前も『ムサシ』ってんだ。」
「どんなヤツだ?」
「人間の血肉を食う。食人鬼だな。多分1000年以上生きてる。」
「なんでそんなのが捕まらずにのさばってる?」
「自分の妖気を消せるのさ。それどころか自分の気配を人間に送ることができる。」
「何?」
「関係ない人間に一時的に自分の妖気を移しちまうんだよ。」
蛭魔は唖然とするしかなかった。
そんな魔物がいるなんて、長く生きてきた蛭魔も初耳だ。
だがそれで起きている出来事への説明はつく。
その「ムサシ」なる魔物は、自分の魔の気配を消し、関係ない佐竹と山岡に飛ばした。
蛭魔たちはまんまとその気配を追いかけ、混乱させられたのだ。
「どうすりゃいいんだよ。」
「こうしている間にも、瀬那が危ねーだろ!」
モン太と十文字が焦った声を上げる。
だが蛭魔は「手はまだある」と冷静だった。
まだ打てる手は残っている。
敵の能力もわかった今、勝機はまだ残っている。
瀬那をこの手に取り返すまで、諦めるつもりなどなかった。
「今、何て言ったんです?」
瀬那は震える声で聞き返す。
だが室サトシは事もなげに「殺した」と答えた。
「何人も『ムサシ』がいても、面倒だろ?」
「・・・では、あなたのほっぺたについてる血はやはり」
「お前らが『武蔵』って呼んでる男のもんだ。」
室サトシは不敵な笑みと共に、吐き捨てた。
男は本名を「ムサシ」というらしい。
室サトシは「ムサシ」からひねり出した嘘の人間名だと言う。
そして何人も「ムサシ」がいても面倒という理由で、武蔵を殺したという。
「武蔵さんを殺して、僕を誘拐して、このままですむと思ってるんですか?」
「まさか。逃げるつもりだ。お前たちみたいに組織の配下でなんか生きたくない。」
「でもそれが魔物と人間が交わした共存の取り決めです。」
「知ったことか。」
室サトシの目の色が変わった。
瀬那をずっと蔑むように見ていた目に、凶暴な色が加わる。
この色には覚えがある。
魔物が人間をまさに捕食しようとしているときの色。
知性より食欲が勝っている魔物の目だ。
「蛭魔さんに恨みでもあるんですか?」
「恨みだと?あるに決まってる。組織の手先になって、仲間を売りやがって!」
「武蔵さんを殺そうとして、何が仲間ですか!」
「挙句にテメーらばっかり、楽しく部活ごっこだと?ふざけるな!」
「それって、もう嫌がらせのレベルじゃないですか。」
室サトシが次第に激高しているのを見て、瀬那はため息をついた。
この男が何を考えているのか知ろうと、懸命に質問を繰り返した。
だが伝わってくるのは、身勝手な妬みばかりだ。
人間との「契約」を守れないだけでなく「契約」を守るものを陥れる。
それはもう恨みですらなく、単なる意地悪とか嫌がらせだ。
「だそうですよ。蛭魔さん」
瀬那がそう告げた瞬間、部屋の扉がバキバキと不穏な音を立てた。
程なくしてぶち破られた扉から、まず顔を出したのは蛭魔。
そして十文字やモン太らも雪崩れ込んでくる。
「まさか。どうしてこの場所が!」
十文字と黒木に取り押さえられた室サトシが、納得いかない様子で叫んだ。
吸血鬼と「伴侶」は、念で会話ができる。
だが瀬那本人が自分の監禁場所を知らないのだから、すぐに所在はわからないはずだ。
「それより、借りを返すぜ。」
魔物たちの一番背後に立っていた男が、冷ややかにそう告げる。
室サトシのほっぺたについてる血の主、武蔵だ。
武蔵は十文字と黒木に両脇を固められた室サトシの前に立つ。
そして次の瞬間、勢いよく顔面に拳を振り下ろした。
先程まで死にかけていた武蔵のタフさに、魔物たちは苦笑する。
「怪我はないな。」
蛭魔が瀬那を抱き起こすと、拘束を解いてくれる。
何とか危機を脱したことに、瀬那はホッと安堵の息をついた。
【続く】