ヒルセナ昼5題

今だったら、授業中のメールなんだろうな。
瀬那は黄色く変色した紙片を見ながら、苦笑した。
約30年くらい前、瀬那は蛭魔と共に、ある高校に潜入して調査をしていた。
この紙片はそのときの思い出だ。

古文の授業中、瀬那の前の席の生徒がそっと振り返る。
そして瀬那の席に小さく畳んだ白い紙片を置いた。
教師の目を盗んで、生徒から生徒へ回すメモ。
それは携帯電話がない時代の、数少ない連絡ツールだ。

紙片には「瀬那くんへ」と書かれている。
瀬那はそれを見て思わず目を瞠った。
今までこういうものを目にしたことはあるし、他の生徒宛てのメモを回したこともある。
だが自分宛てのメモが回ってきたのは初めてだ。

お話があります。
昼休みに屋上で待ってます。

女の子らしい文字で書かれたメモの内容は短かった。
驚いてキョロキョロと教室を見回すと、斜め前方の女子生徒と目が合った。
その瞬間、女子生徒が目立たないように机の下で手を振る。
彼女の名は瀧鈴音。
先日吸血鬼の男に監禁され、重症を負わされたが、先日ようやく登校したばかりの少女だ。



「瀬那君が好きです。」
昼休み、屋上に向かうと、鈴音はすでに待っていた。
そして遅れたことを詫びようとした瀬那が口を開くより先に、告白したのだった。

鈴音が学校に戻った時、歓迎ムードはあまりなかった。
むしろ嫌悪するような雰囲気が強かったのだ。
その理由は、事件の異常さによる。

吸血鬼に襲われて、血を吸われていたなどという話は、当然秘密にされている。
公表したところで混乱するし、そもそも誰も信じないだろう。
警察も学校もこの事実を知らないし、何より鈴音本人が記憶操作されている。
真実が隠されてしまったとき、誰もが同じ事を想像した。
瀧鈴音は、性的な暴行をされたに違いない。
鈴音はそんな悪意のある噂のせいで、孤立した。

「そんな事実はないよ。」
それを瀬那は一笑に付した。
瀬那は鈴音を救出しようとして怪我をした、言わば事件の関係者だ。
その瀬那が否定し、鈴音とはまったく普通に接していたのだ。
十文字たちもそれに倣い、影で中傷する者がいれば、鈴音をかばうことさえした。
おかげで鈴音はすっかり元の平穏な学校生活を取り戻したのだ。

瀬那からすれば、単に魔物に襲われた少女を気遣っただけのこと。
だが鈴音にとっては、瀬那に恋をするには充分な出来事だった。



「おい、瀬那は?」
昼休み、アメフト部の部室に入ってきた3人を見て、武蔵が聞いた。
戸叶が悪戯っぽく「恋愛してる」と答える。
すると部室のあちこちから「はぁ?」と声が響いた。

表向きアメフト部員、実は魔物である彼らは、昼休みは部室で過ごすことが多かった。
人間と「食事」の内容が違うので、教室にはいづらいからだ。
だが今日は瀬那の姿が見せない。
いつも同じクラスの十文字、黒木、戸叶と一緒に行動するのに、今日は違うらしい。

「瀬那、今頃きっと告白されてるぜ?」
高らかにそう報告したのは黒木だ。
その横ではどこか面白くなさそうな顔の十文字と、面白がっている戸叶。
すでに部室に来ていたモン太こと雷門太郎が「ホントかよ!」と声を上げる。
いつも無口な小結大吉も「フゴフゴ」と興奮した声を上げた。

「いいのかよ、蛭魔。」
部室の隅の椅子に腰掛けて涼しい表情で新聞を読んでいる蛭魔に、十文字が声をかける。
蛭魔は新聞から目を上げると「別に」と答えて、また視線を戻す。
その余裕たっぷりな態度に、十文字はチッと舌打ちをした。

瀬那は蛭魔の「伴侶」であり、もう「血の契約」を交わしている。
この絆を切るものは「死」しかない。
そしてそれ以前に蛭魔と瀬那が共に生きた年月は長い。
つかの間に現れた少女の告白程度では揺らがないものだ。

「あまり騒ぐなよ。そっとしておいてやれ。」
蛭魔の横でアメフト雑誌を読んでいた武蔵が、フォローするように言う。
本当は慌てふためく蛭魔が見たかった1年生たちは、すっかり白けた気分で頷いた。



「ごめんなさい。僕、好きな人がいるんだ。」
瀬那は慌てて頭を下げた。
テレビのドラマや漫画などで、よく見るシーン。
だがそれはあくまで普通の人間社会での話だ。
吸血鬼の「伴侶」として、何百年も生きる自分とは無縁と思っていた。

「それってうちの学校の人?」
「え、まぁ。。。」
「私も知ってる人?」
「ど、どうかな」
「相手の人も瀬那君のことが好きなの?」
「・・・うん」

鈴音は畳み掛けるように聞いてくる。
こういうのもドラマみたいだと、瀬那はぼんやりとそう思う。
ただ1つ、はっきりしていることは絶対に相手の名を言えないということだけだ。
蛭魔は兄弟ということになっているし、そもそも吸血鬼とその「伴侶」だから。

「そっかぁ。失恋、かぁ~」
曖昧な返事しかしなかったが、鈴音は納得したようだ。
だがやはり鈴音の表情がぎこちない。
無理矢理笑顔を作っているものの、泣き笑いのような顔になっている。

瀬那は申し訳ない気持ちになり、そして戸惑った。
告白なんて、自分にとってはありえないもののはずなのに。
心だけは後ろめたいなんて、ひどく損したような気がする。

そしてその戸惑いのせいで、瀬那は気付かなかった。
屋上のサボりスポットの定番、給水塔の裏に潜んでいた者がいたことに。
その男は2人の会話を聞きながら、口元を歪めて笑っていた。



「お兄さん。」
午後の授業が終わり、部活に行こうとしていた蛭魔は、聞き覚えのある声に振り向いた。
教室のドアの向こうから顔をのぞかせたのは、瀬那だ。
そうか、学校では兄弟だったと、蛭魔は「兄さん」と呼ばれる度に思い出す。
蛭魔はいつも「瀬那」と呼べばいいが、瀬那は使い分けが大変だろう。

「今日、部活は中止です。グラウンドが使えなくなりまして。」
「ああ?何でだよ?」
「サッカー部が使いたいんだそうです。来週、練習試合だって。」
「仕方ねーな。」

蛭魔は文句を言いながらも、すんなりと納得する。
所詮こちらは魔物たちの高校生ごっこ、部活ごっこなのだ。
真剣にスポーツに取り組む部を優先することに異議はない。

「わざわざ教室に来なくても、よかっただろ?」
蛭魔は瀬那の髪をくしゃくしゃとかき回しながら、そう言った。
授業中のメールなどない時代だが、蛭魔と瀬那は念を飛ばすことができる。
校内ならば、わざわざ顔を合わせなくても会話ができるのだ。

「この方が高校生っぽいじゃないですか。」
「高校生っぽいって言えば、お前、告白されたって?」
「何で、それを?」
「恋愛ごっこはどうだった?」
「気分は、あまりよくないです。っていうか、もう2度と嫌だ。」

十文字たちの前では平気な顔をしていたが、やはり少しは嫉妬する。
ついつい意地悪い口調になってしまった蛭魔に、瀬那はため息をつく。
鈴音の告白をことわったことを気に病んでいるのだろう。
蛭魔はそれをかわいそうだと思う反面、嬉しくもある。
誰が何度告白しても、瀬那は絶対に受け入れない。
なぜなら蛭魔の「伴侶」なのだから。

「帰るぞ。瀬那」
「はい。お兄さん。」
蛭魔はそれ以上もう聞かずに、教室を後にする。
瀬那はごく当たり前のように、並んで歩き出した。

【続く】
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