ヒルセナ朝5題

「朝練!!って朝練??」
「そう。朝練!!」
ベットの中から問いかける瀬那は、唖然とした表情だ。
その場にいた全員がそれに答え、その声が見事にハモった。

魔物に血を大量に取られた瀬那は、ベットから起き上がれずにいた。
その間に蛭魔たちは事態の収拾に当たっていた。
とはいえ、実際に手を下すことはほとんどない。
魔物を管理する「組織」が、マニュアル通りに処理していくだけだ。

三宅の身柄は拘束されてしまった。
表向き、三宅は女子生徒を誘拐、監禁したが、それを生徒に発見されたことになっている。
そして通報され、逃げ切れないと観念して、自ら命を絶ったとされた。
ニュースでもそんな報道がされ、学校は一時、騒然となった。
だが実際三宅がどうなったのか、蛭魔は知らないし、聞きたくもなかった。
おそらくもう生きてはいないのだろうと、想像するだけだ。

実際の蛭魔の仕事は、三宅に監禁されていた女子生徒、瀧鈴音の記憶操作だった。
血を吸われたという記憶は、吸血鬼の存在を肯定することになる。
蛭魔は魔力で、三宅に捕まってから救出されるまでの鈴音の記憶を消した。
本当は血を取られた部分の記憶だけ消してしまえば、問題ない。
だが怖い思いをした記憶などない方がいいだろう。

こうして三宅の凶行は、変質者の犯罪に塗り替えられた。
やがて時と共に、人々の記憶から消え去ってしまうだろう。



「瀬那、これ、休んでいる間の授業のノート」
「ありがとう。助かる!」
ベットの横に陣取る十文字が瀬那にノートのコピーを渡している。
上半身を起こせるようになった瀬那は、ニコニコと笑顔でそれを受け取った。
まったく魔物と吸血鬼の「伴侶」の会話ではないと思う。
蛭魔はそんな2人を横目に見ながら、苦笑するしかなかった。

瀬那は校舎裏の使われていない廃屋で鈴音を発見したものの、三宅に襲撃されて怪我をした。
そういう理由で学校を休んでいる。
これはほぼ事実なのだが、少しだけ違う。
負わされた怪我は、蛭魔の魔力によってとっくに治癒している。
瀬那は大量に血を失ったことによる貧血で、ベットから起き上がれないでいた。
こればかりはどういうわけか蛭魔にも治せない。
とにかく寝て、たっぷりと休養するしかないのだ。

「数学、明日小テストだぜ。」
「え?嘘!全然勉強してないよ!」
黒木の言葉に瀬那が慌てた声で、悲鳴を上げた。
「瀬那は事情があって休んでたんだから、免除されんじゃねーの?」
戸叶がフォローするように口を挟むが、瀬那は「そうかな」と言いつつ、不安そうだ。

瀬那が休んだ日から、十文字、黒木、戸叶は毎日のように、蛭魔たちの住まいにやって来る。
そしてベットから起き上がれない瀬那の横で、学校であった事などを話して帰る。
まったく普通の人間の高校生のような、平和な会話だ。



「いいのか?蛭魔」
武蔵が苦笑しながら、瀬那とじゃれ合う3人を目で示す。
蛭魔は憮然とした表情で「フン」と鼻を鳴らした。
いいわけなんかない。
本当は学校に行っている間、瀬那と離れているのだって嫌なのだ。
帰宅してようやく瀬那と過ごせる時間に、押しかけてくる魔物たちは迷惑でしかない。

「仕方ねーだろ」
蛭魔は呻くように吐き捨てる。
不本意ながらも彼らの訪問を許しているのは、瀬那のためだ。
蛭魔の「伴侶」となったために数奇な運命を生きることになった瀬那にはほとんど友人がいない。
だから普通の人間のように高校に通い、クラスメイトと話をするのが楽しくて仕方ないのだ。

「明日も休むなら、モン太と小結も来るって言ってたぜ」
十文字がそう言った瞬間、蛭魔の頬が引きつった。
これ以上、自分のテリトリーに瀬那ファンの魔物が増えるのかと思うとクラクラする。
だから瀬那が「明日はもう学校に行けるよ」と言った時には、ホッとした。

三宅を捕まえたが、蛭魔の任務はまだ終わらない。
依然泥門高校には、魔物の気配が漂っているからだ。
つまりまだ蛭魔と瀬那の高校生活は続くということだ。
そのことを瀬那は喜んでいるように見えた。



「それにしても朝練には驚きましたよ。」
武蔵や十文字たちが帰宅すると、瀬那は開口一番そう言った。
先程十文字たちは、明日は部活の朝練なのだと言っていた。
しかも瀬那が寝込んでいる間に、蛭魔が作ってしまった部なのだという。

「仕方ねーだろ。あの部屋に公然と出入りするためには、部にするのが手っ取り早いんだ。」
蛭魔は涼しい顔で、そう答えた。
瀧鈴音が監禁され、瀬那が襲われた廃屋のことだ。
あの部屋には魔の気配が異常に満ちている。
それに生徒が何日も監禁されていたのに、誰も気付かないのもおかしい。
なんらかの魔の力が働いていると考えるべきだろう。

だから蛭魔は新しい部を作り、あの部屋を部室にしてしまった。
学校としても、悪いイメージを払拭するにはちょうどいいと思ったようだ。
許可はすんなり下り、武蔵や十文字たちを引き込んで規定の人数も揃った。
かくして廃屋は、蛭魔の管理下になったのだ。

「お前の分も出してるからな。入部届」
「やった!実を言うと部活っていうのも経験してみたかったんですよね。」
「物好きだな」
「そうですか?高校生の醍醐味でしょ?」

まったく瀬那はこの生活をすっかり楽しんでいる。
だがその瀬那のおかげで、蛭魔も楽しい。
危険な任務だというのに、こんな気分でいられるのは喜ばしいことだと思う。



「本当に朝練だぁ。。。」
瀬那は早朝のグラウンドを見ながら、感嘆の声を上げた。

蛭魔が作ったのはアメフト部だった。
なぜアメフトなのか、理由は簡単だ。
あの廃屋は元々アメフト部の部室で、使わなくなったボールや防具が転がっていた。
部員の人数が足りなくて、廃部になってしまったのだという。
それをそのまま再始動させようという安易な発想だ。
そもそもメジャーな部はもうすでに存在していて、新設できないという事情もある。

かくして新生アメフト部はスタートした。
蛭魔と武蔵、十文字、黒木、戸叶、そしてモン太と小結。
7人がグラウンドを走っている。
そして瀬那はグラウンドの隅で、古い道具類を引っ張り出して磨いていた。

正直言ってママゴト遊びのようなものだ。
魔物である彼らは人間より体力もあり、正面から当たられてもビクともしない。
人間離れした腕力も跳躍力もあるから、キャッチ争いだって負けない。
ボールだって念を込めて投げれば、ほぼ思い通りに投げられる。
つまり人間がやるスポーツは、魔物にとって子供だましのようなものだ。
そもそもランニングなどしても疲れないし、鍛えたところで体力も変わらない。

それでも魔物たちは、楽しそうに朝練をしている。
人間の中で自分を偽りながら生きる彼らは、きっと人間らしいことをするのが楽しいのだ。
それが高校生とか、部の朝練とか、実に些細なことだとしても。
こうして何かに熱中している間は、普通の人間と変わらないと思うことができる。

早く任務は終えたいけど、高校生活は続けたい。
瀬那はまっすぐ前を見据えて走る蛭魔の横顔を見ながら、そう思った。

【続く】
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