理性と本能8題
瀬那が蛭魔家の別宅に暮らすようになって、2ヶ月が過ぎた。
表面的には、穏やかな蜜月のような日々だった。
学校の登下校は、蛭魔の車に同乗させた。
最初恐縮する瀬那は、同じ車に乗ることを断固として拒んだ。
だが蛭魔は半ば力ずくで車に押し込んだのだ。
そんなことを数日続けた結果、ようやくすんなりと車に乗るようになった。
授業中はもちろん学年も違う2人は別の教室だ。
だが昼休みには、校内の学食で蛭魔と武蔵と共に昼食を摂らせた。
それまでは節約のために、瀬那は昼食を食べないことが多かったらしい。
姉崎家は小早川美生の給料をそこまでケチっていたのかと蛭魔は改めて憤った。
そこでも当初は食事を拒んだ瀬那だったが、今では美味しそうに食べるようになった。
別宅に戻れば、蛭魔は瀬那を片時も離すことはない。
多忙な時でも常に同じ部屋にいさせて、視界から瀬那を逃がさない。
時間があるときには、髪を撫でたり、抱き締めたり、頬をつついたり、とにかく瀬那をかまいたおした。
瀬那は蛭魔の行為1つ1つにいちいち恐縮し、顔を真っ赤にして恥ずかしがる。
それでも嫌ではないようで、初々しくも可憐な笑顔を見せるようになった。
人間とは何と欲が深い生き物なのだろうと、蛭魔は思う。
最初は瀬那の笑顔を守れればいいと思っていたのに。
こうして手に入れて、近くに置けば、触りたくてたまらなくなるのだ。
抱き締めて、キスをして、組み敷いてめちゃめちゃにしたい。
蛭魔は狂いそうな本能を持て余していた。
夜、スーツ姿の蛭魔と制服を着た瀬那は、車に乗り込んだ。
父親の幽也に会うために、蛭魔家の本宅へ向かうためだ。
瀬那の蛭魔家への養子縁組の手続きが完了した。
瀬那本人が未成年であったために、家庭裁判所で養子縁組の審判を受けなければならなかった。
その手続きなどがようやくすべて終了したのだ。
それを祝して食事をしようと父親から誘われていた。
「やっぱりおまえのスーツを作らせた方がよかったな。」
高級外車の後部座席に座る蛭魔が、隣に座る瀬那に言う。
ほとんど服を持っていない瀬那の正装は、制服しかない。
買い与えてやるのは簡単だが、贅沢というものに慣れていない瀬那はそういうことにひどく恐縮する。
「制服がありますから。」
案の定、瀬那は可愛くも慎ましやかに笑いながら答えた。
その笑顔に弱いのだとひとりごちながら、蛭魔は苦笑した。
蛭魔は2人きりになると、いつも瀬那に「好きだ」と告げる。
それを毎日飽くことなく、繰り返す。
だが瀬那は決して蛭魔にはそういうことを言わない。
蛭魔の言葉を聞くと、困ったような顔で笑うだけだ。
瀬那の気持ちも確かめずに、攫うようにして連れてきた。
だから瀬那が嫌がるようであれば、距離を置こうと思った。
だが瀬那もまた蛭魔のことを好きだと思っているのは、明らかだった。
蛭魔が瀬那に恋してるように、瀬那の瞳は雄弁に蛭魔への恋情を語っている。
だから蛭魔は待っている。
瀬那がいつか心を開いて、蛭魔の想いを受け入れてくれる日を。
瀬那は未だに不安な気持ちを拭うことが出来ずにいた。
蛭魔邸で穏やかな時を過ごし、蛭魔の優しさに触れて、ますます蛭魔が好きになった。
それなのに素直に甘えることも、その手を振り払うことも出来ずにいる。
最初はただただ身分不相応だといちいち差し出される行為に恐縮していた。
だが呆れることなく差し出される蛭魔の好意に、最近は少しだけ笑えるようになってきた。
なんと甘い毒なのだと瀬那は思う。
蛭魔が隣にいて、常に気を配ってくれて、愛情を注いでくれる。
こんな風に優しく慣らされてしまっては、もう蛭魔から離れられない。
だが瀬那はこの甘い生活は長いものではないと思ってた。
その果てに突き放されるようなことがあったら、もう生きていける自信がなかった。
「道が違うんじゃないか?」
不意に隣に座る蛭魔が、運転手にそう告げた。
瀬那は窓の外を流れる景色を見て、確かにそうだと思う。
蛭魔家の本宅には、1回だけ行ったことがある。
方角が違うのはすぐにわかった。
なぜならここは瀬那がよく知っている界隈だったからだ。
「姉崎邸に向かっています。旦那様からそちらへお連れするようにと言われています。」
運転手が感情のない声で、そう言った。
その瞬間、瀬那の身体が強張った。今さら姉崎邸に行くのは怖い。
「大丈夫だ。」
蛭魔が瀬那の肩に腕を回すと、ぐいっと瀬那を抱き寄せた。
そして安心させるように、肩をポンポンと叩いてくれる。
それでも不安を拭い去ることが出来ずに、瀬那は身体を震わせていた。
姉崎家の客間には、一連の出来事に関わった者たちが顔を揃えていた。
並んで座る蛭魔父子、瀬那、武蔵。長いテーブルを挟んで、姉崎母子と三宅。
唯一いないのは、未だ入院中の瀬那の母親、小早川美生だけだ。
その代わりのように、蛭魔の父と姉崎夫人の間に、姉崎家の顧問弁護士である雪光が立っている。
「まずは蛭魔様と瀬那様の養子縁組の申請をしておりましたが、その手続きが本日完了いたしました。」
婚約を解消した蛭魔家と姉崎家では会話が弾むはずもない。
すべて心得ているであろう弁護士の雪光は、前置きもなしに話し始める。
姉崎母子と三宅は、養子縁組の話を初めて聞いたようで驚いた顔をしていた。
「瀬那様が蛭魔様の息子、妖一様の弟となられましたことをご報告いたします。」
瀬那は姉崎夫人とまもりが自分を睨みつけているのを見て、身を縮めた。
しばらく会わなかった2人は、何だか少しやつれてしまったように見える。
まだこの屋敷に住んでいた2ヶ月前ならば、蛭魔とまもりの結婚を嘘でも喜ぶ素振りは出来た。
だが今はもう無理だ。蛭魔に身も心も奪われてしまった今では。
もうまもりにも他の誰にも蛭魔を渡したくないと思う。
それにしてもなぜわざわざ姉崎邸に皆が集まっているのだろう。
瀬那が蛭魔家の養子になったと知らしめる目的ならば、ここまで仰々しくする必要などない。
しかも今この場を仕切っている雪光の態度も変だ。
姉崎家の顧問弁護士であるのに、蛭魔の父をいちいち確認しながら話をしているように見える。
どうにも解せないこの状況に、瀬那はまた不安を募らせる。
横に座る蛭魔が瀬那の手を握ってくれたが、狂いそうな本能は少しも収まる気配を見せなかった。
「次に先代会長が生前、私に個人的にお申しつけられていたことについてお話いたします。」
その言葉に顔色を変えたのは、姉崎夫人と執事の三宅だ。
だが2人の反応に驚いたのは瀬那の他は、まもりだけだった。
つまり瀬那とまもり以外の者は、雪光がこれから話す内容を知っている様子だ。
「先代会長は、後継者はご自分の実子と遺言されておられます。そしてその折には」
ここで雪光は言葉を切って、一同の顔を見回し、さらに続ける。
「まもり様とご自分のDNAを検査し、実子であるかどうか判定せよとのことでした。」
「何ですって!」
声を荒げて、立ち上がったのはまもりだった。
「私がお父様の子供かどうか調べるですって?」
「いいえ、もう調べました。」
怒りをあらわにするまもりに、雪光は冷静に答える。
「先代は生前のうちにこの検査の為に毛髪を預けておられました。まもり様の毛髪は先日武蔵様が。」
そう言われて、まもりは思い至った。
三宅と武蔵が言い争っていたあの日、武蔵はまもりの髪を乱暴に掴んだ。
あれはまもりの毛髪を採取するためだったのだ。
同時に瀬那も「あ」と小さく声を上げて、武蔵を見た。
あの日、ライターだと名乗り、取材と称して質問をした武蔵。
武蔵は瀬那の髪をかき回して、髪の毛が何本か抜けたような気がする。
瀬那が思わず武蔵を見ると、武蔵も瀬那に笑いかけてきた。
「DNA鑑定の結果、まもり様は先代の姉崎会長の実子ではありませんでした。」
その瞬間、まもりの表情が変わった。怒りから絶望へ。
そして隣に座る姉崎夫人を振り返る。
姉崎夫人が両手で顔を覆い「ああ」と搾り出すように呻いた。
「そして瀬那様が先代会長の実子であると判明いたしました。」
嘘だ、と瀬那は小さく言った。
ずっと存在感がなかった瀬那の実の父親。美生と瀬那につらくあたる姉崎夫人。
確かに辻褄は合うが、まさかそんなことが。
「嘘ではありません。つまり姉崎ホールディングスの正当な後継者は瀬那様です。」
雪光は瀬那を見て、にっこりと笑った。
「雪光!貴様、姉崎家の顧問弁護士のくせに!」
「その通りです。だからこそ正当な遺言を執行しなくてはなりません。」
くってかかった三宅を、雪光は軽くいなした。
そして姉崎夫人をまっすぐに見ると、厳しい目になった。
「奥様、あなたは知っていましたね。瀬那様が先代会長の息子であることを。」
雪光の言葉に、俯いていた姉崎夫人の肩がビクリと震えた。
「でもその事実を隠して、まもり様を実子と偽って財産を相続させようとした。」
露呈した事実に、ついに姉崎夫人は泣き出してしまった。
嗚咽をもらして、しゃくりあげるが、雪光は容赦なく続ける。
「その上、瀬那様を騙して売春行為をさせた。これは断じて許させることではありません。」
裁判所に相続人の廃除を申し立てます、と雪光はそう断じて締めくくった。
先代会長の配偶者である姉崎夫人は財産の相続権を持っている。
廃除とは、それを剥奪する手続きだ。
蛭魔は自分の迂闊さを心の底から呪った。
瀬那を手元に置いて、ひとときの蜜月に酔って、事の重大さをまるで理解していなかったのだ。
父は瀬那のこともまもりのことも知っていた。
周到に調べ上げた上で、まもりを切り捨てて瀬那を選んだのだ。
瀬那はまだ未成年であるから、後見人として姉崎ホールディングスをより思いのままにできる。
瀬那の愛らしさに父もまた惹かれたのか、などとなんと浅はかなことを考えていたのだろう。
「僕が権利を放棄すれば、奥様とまもり様は今まで通りには。。。」
「いえお2人には権利がありません。瀬那様が放棄されれば国庫のものになるでしょう。」
救いを求めるように発した瀬那の言葉は、雪光によってあっさりと拒否された。
「蛭魔、様はご存知だったんですか?」
瀬那が蛭魔を見た。
今までのような遠慮がちな微笑ではなく、はっきりと不信を湛えた目だ。
「僕を、利用したんですか?」
瀬那がまた蛭魔に問いかける。
違う。蛭魔はただ瀬那の幸せを望んだ。
そして瀬那と2人で生きる未来を夢見た。
だが結局は瀬那と共に、策略に絡め取られてしまったのだ。
蛭魔が愛したあどけない瞳が、また涙で濡れている。
もう2度と悲しい涙で曇らせないと誓ったはずなのに。
蛭魔はなす術もなく、ただ呆然と泣き崩れる瀬那を見ていた。
【続く】
表面的には、穏やかな蜜月のような日々だった。
学校の登下校は、蛭魔の車に同乗させた。
最初恐縮する瀬那は、同じ車に乗ることを断固として拒んだ。
だが蛭魔は半ば力ずくで車に押し込んだのだ。
そんなことを数日続けた結果、ようやくすんなりと車に乗るようになった。
授業中はもちろん学年も違う2人は別の教室だ。
だが昼休みには、校内の学食で蛭魔と武蔵と共に昼食を摂らせた。
それまでは節約のために、瀬那は昼食を食べないことが多かったらしい。
姉崎家は小早川美生の給料をそこまでケチっていたのかと蛭魔は改めて憤った。
そこでも当初は食事を拒んだ瀬那だったが、今では美味しそうに食べるようになった。
別宅に戻れば、蛭魔は瀬那を片時も離すことはない。
多忙な時でも常に同じ部屋にいさせて、視界から瀬那を逃がさない。
時間があるときには、髪を撫でたり、抱き締めたり、頬をつついたり、とにかく瀬那をかまいたおした。
瀬那は蛭魔の行為1つ1つにいちいち恐縮し、顔を真っ赤にして恥ずかしがる。
それでも嫌ではないようで、初々しくも可憐な笑顔を見せるようになった。
人間とは何と欲が深い生き物なのだろうと、蛭魔は思う。
最初は瀬那の笑顔を守れればいいと思っていたのに。
こうして手に入れて、近くに置けば、触りたくてたまらなくなるのだ。
抱き締めて、キスをして、組み敷いてめちゃめちゃにしたい。
蛭魔は狂いそうな本能を持て余していた。
夜、スーツ姿の蛭魔と制服を着た瀬那は、車に乗り込んだ。
父親の幽也に会うために、蛭魔家の本宅へ向かうためだ。
瀬那の蛭魔家への養子縁組の手続きが完了した。
瀬那本人が未成年であったために、家庭裁判所で養子縁組の審判を受けなければならなかった。
その手続きなどがようやくすべて終了したのだ。
それを祝して食事をしようと父親から誘われていた。
「やっぱりおまえのスーツを作らせた方がよかったな。」
高級外車の後部座席に座る蛭魔が、隣に座る瀬那に言う。
ほとんど服を持っていない瀬那の正装は、制服しかない。
買い与えてやるのは簡単だが、贅沢というものに慣れていない瀬那はそういうことにひどく恐縮する。
「制服がありますから。」
案の定、瀬那は可愛くも慎ましやかに笑いながら答えた。
その笑顔に弱いのだとひとりごちながら、蛭魔は苦笑した。
蛭魔は2人きりになると、いつも瀬那に「好きだ」と告げる。
それを毎日飽くことなく、繰り返す。
だが瀬那は決して蛭魔にはそういうことを言わない。
蛭魔の言葉を聞くと、困ったような顔で笑うだけだ。
瀬那の気持ちも確かめずに、攫うようにして連れてきた。
だから瀬那が嫌がるようであれば、距離を置こうと思った。
だが瀬那もまた蛭魔のことを好きだと思っているのは、明らかだった。
蛭魔が瀬那に恋してるように、瀬那の瞳は雄弁に蛭魔への恋情を語っている。
だから蛭魔は待っている。
瀬那がいつか心を開いて、蛭魔の想いを受け入れてくれる日を。
瀬那は未だに不安な気持ちを拭うことが出来ずにいた。
蛭魔邸で穏やかな時を過ごし、蛭魔の優しさに触れて、ますます蛭魔が好きになった。
それなのに素直に甘えることも、その手を振り払うことも出来ずにいる。
最初はただただ身分不相応だといちいち差し出される行為に恐縮していた。
だが呆れることなく差し出される蛭魔の好意に、最近は少しだけ笑えるようになってきた。
なんと甘い毒なのだと瀬那は思う。
蛭魔が隣にいて、常に気を配ってくれて、愛情を注いでくれる。
こんな風に優しく慣らされてしまっては、もう蛭魔から離れられない。
だが瀬那はこの甘い生活は長いものではないと思ってた。
その果てに突き放されるようなことがあったら、もう生きていける自信がなかった。
「道が違うんじゃないか?」
不意に隣に座る蛭魔が、運転手にそう告げた。
瀬那は窓の外を流れる景色を見て、確かにそうだと思う。
蛭魔家の本宅には、1回だけ行ったことがある。
方角が違うのはすぐにわかった。
なぜならここは瀬那がよく知っている界隈だったからだ。
「姉崎邸に向かっています。旦那様からそちらへお連れするようにと言われています。」
運転手が感情のない声で、そう言った。
その瞬間、瀬那の身体が強張った。今さら姉崎邸に行くのは怖い。
「大丈夫だ。」
蛭魔が瀬那の肩に腕を回すと、ぐいっと瀬那を抱き寄せた。
そして安心させるように、肩をポンポンと叩いてくれる。
それでも不安を拭い去ることが出来ずに、瀬那は身体を震わせていた。
姉崎家の客間には、一連の出来事に関わった者たちが顔を揃えていた。
並んで座る蛭魔父子、瀬那、武蔵。長いテーブルを挟んで、姉崎母子と三宅。
唯一いないのは、未だ入院中の瀬那の母親、小早川美生だけだ。
その代わりのように、蛭魔の父と姉崎夫人の間に、姉崎家の顧問弁護士である雪光が立っている。
「まずは蛭魔様と瀬那様の養子縁組の申請をしておりましたが、その手続きが本日完了いたしました。」
婚約を解消した蛭魔家と姉崎家では会話が弾むはずもない。
すべて心得ているであろう弁護士の雪光は、前置きもなしに話し始める。
姉崎母子と三宅は、養子縁組の話を初めて聞いたようで驚いた顔をしていた。
「瀬那様が蛭魔様の息子、妖一様の弟となられましたことをご報告いたします。」
瀬那は姉崎夫人とまもりが自分を睨みつけているのを見て、身を縮めた。
しばらく会わなかった2人は、何だか少しやつれてしまったように見える。
まだこの屋敷に住んでいた2ヶ月前ならば、蛭魔とまもりの結婚を嘘でも喜ぶ素振りは出来た。
だが今はもう無理だ。蛭魔に身も心も奪われてしまった今では。
もうまもりにも他の誰にも蛭魔を渡したくないと思う。
それにしてもなぜわざわざ姉崎邸に皆が集まっているのだろう。
瀬那が蛭魔家の養子になったと知らしめる目的ならば、ここまで仰々しくする必要などない。
しかも今この場を仕切っている雪光の態度も変だ。
姉崎家の顧問弁護士であるのに、蛭魔の父をいちいち確認しながら話をしているように見える。
どうにも解せないこの状況に、瀬那はまた不安を募らせる。
横に座る蛭魔が瀬那の手を握ってくれたが、狂いそうな本能は少しも収まる気配を見せなかった。
「次に先代会長が生前、私に個人的にお申しつけられていたことについてお話いたします。」
その言葉に顔色を変えたのは、姉崎夫人と執事の三宅だ。
だが2人の反応に驚いたのは瀬那の他は、まもりだけだった。
つまり瀬那とまもり以外の者は、雪光がこれから話す内容を知っている様子だ。
「先代会長は、後継者はご自分の実子と遺言されておられます。そしてその折には」
ここで雪光は言葉を切って、一同の顔を見回し、さらに続ける。
「まもり様とご自分のDNAを検査し、実子であるかどうか判定せよとのことでした。」
「何ですって!」
声を荒げて、立ち上がったのはまもりだった。
「私がお父様の子供かどうか調べるですって?」
「いいえ、もう調べました。」
怒りをあらわにするまもりに、雪光は冷静に答える。
「先代は生前のうちにこの検査の為に毛髪を預けておられました。まもり様の毛髪は先日武蔵様が。」
そう言われて、まもりは思い至った。
三宅と武蔵が言い争っていたあの日、武蔵はまもりの髪を乱暴に掴んだ。
あれはまもりの毛髪を採取するためだったのだ。
同時に瀬那も「あ」と小さく声を上げて、武蔵を見た。
あの日、ライターだと名乗り、取材と称して質問をした武蔵。
武蔵は瀬那の髪をかき回して、髪の毛が何本か抜けたような気がする。
瀬那が思わず武蔵を見ると、武蔵も瀬那に笑いかけてきた。
「DNA鑑定の結果、まもり様は先代の姉崎会長の実子ではありませんでした。」
その瞬間、まもりの表情が変わった。怒りから絶望へ。
そして隣に座る姉崎夫人を振り返る。
姉崎夫人が両手で顔を覆い「ああ」と搾り出すように呻いた。
「そして瀬那様が先代会長の実子であると判明いたしました。」
嘘だ、と瀬那は小さく言った。
ずっと存在感がなかった瀬那の実の父親。美生と瀬那につらくあたる姉崎夫人。
確かに辻褄は合うが、まさかそんなことが。
「嘘ではありません。つまり姉崎ホールディングスの正当な後継者は瀬那様です。」
雪光は瀬那を見て、にっこりと笑った。
「雪光!貴様、姉崎家の顧問弁護士のくせに!」
「その通りです。だからこそ正当な遺言を執行しなくてはなりません。」
くってかかった三宅を、雪光は軽くいなした。
そして姉崎夫人をまっすぐに見ると、厳しい目になった。
「奥様、あなたは知っていましたね。瀬那様が先代会長の息子であることを。」
雪光の言葉に、俯いていた姉崎夫人の肩がビクリと震えた。
「でもその事実を隠して、まもり様を実子と偽って財産を相続させようとした。」
露呈した事実に、ついに姉崎夫人は泣き出してしまった。
嗚咽をもらして、しゃくりあげるが、雪光は容赦なく続ける。
「その上、瀬那様を騙して売春行為をさせた。これは断じて許させることではありません。」
裁判所に相続人の廃除を申し立てます、と雪光はそう断じて締めくくった。
先代会長の配偶者である姉崎夫人は財産の相続権を持っている。
廃除とは、それを剥奪する手続きだ。
蛭魔は自分の迂闊さを心の底から呪った。
瀬那を手元に置いて、ひとときの蜜月に酔って、事の重大さをまるで理解していなかったのだ。
父は瀬那のこともまもりのことも知っていた。
周到に調べ上げた上で、まもりを切り捨てて瀬那を選んだのだ。
瀬那はまだ未成年であるから、後見人として姉崎ホールディングスをより思いのままにできる。
瀬那の愛らしさに父もまた惹かれたのか、などとなんと浅はかなことを考えていたのだろう。
「僕が権利を放棄すれば、奥様とまもり様は今まで通りには。。。」
「いえお2人には権利がありません。瀬那様が放棄されれば国庫のものになるでしょう。」
救いを求めるように発した瀬那の言葉は、雪光によってあっさりと拒否された。
「蛭魔、様はご存知だったんですか?」
瀬那が蛭魔を見た。
今までのような遠慮がちな微笑ではなく、はっきりと不信を湛えた目だ。
「僕を、利用したんですか?」
瀬那がまた蛭魔に問いかける。
違う。蛭魔はただ瀬那の幸せを望んだ。
そして瀬那と2人で生きる未来を夢見た。
だが結局は瀬那と共に、策略に絡め取られてしまったのだ。
蛭魔が愛したあどけない瞳が、また涙で濡れている。
もう2度と悲しい涙で曇らせないと誓ったはずなのに。
蛭魔はなす術もなく、ただ呆然と泣き崩れる瀬那を見ていた。
【続く】