生きる5題+
「帝黒のクォーターバックって、女の子なんだ。。。」
セナは意外な事実に驚いていた。
泥門デビルバッツは関東大会を制覇し、クリスマスボウルへの出場を決めた。
だがもちろんそこで終わりではない。
最後にして最大の難関、帝黒アレキサンダーズ。
クリスマスボウルを第1回から去年まで制覇。
その偉業から「全ての始まりにして全ての頂点」と呼ばれる超強豪校だ。
セナはモン太、鈴音と共に偵察に来た。
部員数は200人超、1軍から6軍まであり、設備も充実している。
そのスケールの大きさにも、偵察に来たセナたちを少しも嫌がらないことにも驚かされる。
だが何より驚いたのは、1軍のQBが1年生の女子だったことだ。
女子にはアメフトはできない。
セナはそう思い込んでいた。
ひょっとしたら無意識のうちに、自分の病気を言い訳にしていたかもしれない。
力を出し切れないとしたら、それはこの身体のせいだと。
だが彼女-小泉花梨を前にして、そんなことは何の理由にもならないと思い知らされた。
もちろんそれは励みになる。
帝黒という強豪校で1軍を務める女子がいる。
女の子の身体でも活躍できるという事実は、頼もしいことなのだが。
「花梨さん、美人、だよね。」
セナは思わずため息をついてしまう。
小泉花梨はまぎれもなく美少女だ。
セナのように、性別が曖昧な存在ではない。
正真正銘の女子で、美人で、アメフトが上手いのだ。
彼女がもし、帝黒ではなく泥門高校にいたら。
ヒル魔は花梨に惹かれるのではないだろうか。
ひとたび心に生まれてしまった疑念は、どうしても消えない。
それ以来、セナは考え込んでいる。
練習の間は必死で、そんなことは忘れていられる。
だがそれ以外の時間には、どうしても花梨の顔が頭にチラついてしまうのだ。
「元気がないのは花梨ちゃんを見てから、だと思う。」
鈴音は、きっぱりと断言した。
隣のモン太も、ウンウンと頷いている。
それを聞いているヒル魔は、酸素カプセルの中にいるせいか、いつも以上に偉そうに見えた。
帝黒の偵察に行ってから、セナは元気がない。
練習中は試合に集中しているが、それ以外の時には黙りがちになっている。
そして今日、練習中のモン太と鈴音は、ヒル魔に部室に呼ばれた。
偵察に行ったときに何かなかったかと問われたのだ。
さすがにヒル魔も、セナの様子がおかしいことに気付いたのだろう。
だが鈴音にもその理由はわからなかった。
元気がないことを指摘すると、セナは「ゴメンね」といつもの気弱な表情で謝るだけだ。
だが鈴音は謝ってほしいわけではなく、理由が知りたいだけなのに。
「もしかして、セナは、あの子に一目惚れ、したとか。」
モン太が恐る恐るそう切り出した。
鈴音の様子をうかがっているのは、鈴音がセナを好きであることに気付いているからだろう。
だが鈴音は「それはない!」と言い切った。
「モンモンって、時々信じられないくらい、鈍いよね!」
鈴音は容赦なく切って捨てた。
セナが好きなのは、鈴音でも花梨でもないのは明白だ。
そんなの目の前の酸素カプセルの中の男を見れば、わかるはずだ。
なぜなら彼の手には、セナがお土産に貰った帝黒のプレーブックがあるのだから。
「なるほどな。わかった。練習に戻れ。」
ヒル魔は花梨の名前を聞いただけで、何かに思い当たったらしい。
鈴音に自分の意見を一刀両断されたモン太は、納得いかない表情で部室を出て行く。
だが鈴音はその場に残って、じっとヒル魔を見た。
「何だ?」
「みんなで何を隠しているの?」
ヒル魔が探るような目で、鈴音を見ている。
だが鈴音は引かなかった。
巨深戦の辺りから、セナは体調を崩すことが多かったし、ごく一部の部員たちの素振りが怪しかった。
「セナはおかしい。妖ー兄とムサシャンとクリタン、モンジとまも姉も知ってると思う。」
「・・・そのうちわかる。」
「ずるい!そんな言い方!」
「そんなに先の話じゃねぇ。それまで少しだけ待ってやってくれ。」
怒鳴られることも覚悟していた鈴音は、拍子抜けした。
ヒル魔の口調は、思いのほか優しかったのだ。
だがこれ以上は話せないという決意だけは、はっきりと聞き取れた。
「わかった。待つよ。」
鈴音は静かにそう答えると、部室を出た。
悔しいけれと、セナを支えられるのはヒル魔だけなのだと認めるしかなかった。
「テメー、勘違いしてんじゃねーぞ。」
耳元で、不意に聞き慣れた声が聞こえた。
目を閉じて、すっかり油断していたセナは思わず飛び起きてしまい、額をぶつけることになった。
クリスマスボウルが近づき、練習はどんどん激しくなっていく。
セナの身体はすでに悲鳴を上げていた。
眩暈や吐き気のために、途中で抜けることもしばしばだ。
さすがに他の部員たちもおかしいと思い始めていることだろう。
だが無理して練習を続けて、倒れるわけにはいかない。
今もどうしても吐き気が堪えられずに、トイレに駆け込んだ。
洗面台で蛇口をひねり、勢いよく水を出す。
できれば戻すようなことはしたくない。
ただでさえ最近食が細いのだし。体力を落としたくないのだ。
セナは何とか吐き気をやり過ごし、口をすすぐだけで水道の水を止めた。
その時、セナは鏡に自分以外の男が写っているのを見て、ギクリとした。
背後に守護霊よろしく立っているのは、泥門の悪魔。
その迫力は、半端なものではない。
セナが思わず「ひゃあ!」と悲鳴を上げて飛びのいたのも、無理からぬことだ。
だが当の本人、ヒル魔は不本意だったらしい。
怒りを示すように、眉がピクリと揺れる。
だが特にそのことには触れず「ついて来い」とばかりに顎をしゃくった。
そして無言のまま、先に立って歩き出す。
怒られるのだろうか?
セナは恐る恐る、その後に続いた。
だからヒル魔が最近お気に入りのセグウェイ付の移動型酸素カプセルに入っていないことに気付かなかった。
それに気付いたのは、ヒル魔と一緒に部室に入った時だ。
件の酸素カプセルは、部室の床に寝かせられていた。
そしてヒル魔はそれを指さして、また顎をしゃくる。
どうやら「ここに横になれ」ということらしい。
セナはおっかなびっくりの慣れない動作で、酸素カプセルに横になった。
外から入口が閉じられ、程なくして微かな空気の流れを感じる。
どうやら酸素のスイッチが入れられたようだ。
練習で疲れた身体には、思いのほか心地がいい。
セナはじわじわと訪れる眠気に耐えられず、目を閉じる。
「テメー、勘違いしてんじゃねーぞ。」
耳元で、不意に聞き慣れた声が聞こえた。
すっかり油断して、睡眠の世界に向かいかけたセナは飛び起きてしまい、額をぶつけた。
どうやらどこかにスピーカーがついているのだろう。
そう言えば、ヒル魔はいつも酸素カプセルの中から、皆に指示を飛ばしていた。
「いいから楽にして、そのまま聞け」
呆れたようなヒル魔の声に、セナは再び目を閉じた。
怒られるのかもしれないが、このカプセルの中でなら心穏やかに聞けそうだ。
「いいから楽にして、そのまま聞け」
ヒル魔は、少々呆れながらそう言った。
閉じた酸素カプセルの中で起き上がるなんて、間抜け過ぎる。
だがそれがかわいいと思う自分も、また間抜けなのかもしれない。
この酸素カプセルは特注品だ。
セグウェイに装着して可動式になっているだけじゃない。
マイクとスピーカーを搭載していて、カプセルの中と外で会話ができる。
だがこんな使い方をすることになるとは思っていなかったが。
「帝黒のQB、見たか?」
『見ました。』
ヒル魔が専用のマイクで中に呼びかけると、スピーカーからセナの声がする。
ずっとカプセルの中にいたヒル魔には、新鮮な感覚だ。
「あいつが泥門にいようが、関係ねーぞ。」
『え?』
「テメーはテメーだ。俺はテメーを選ぶ。」
『それって、奴隷とか、パシリ。。。』
「ファッキン!」
ヒル魔はマイクのスイッチを切ると、思い切り悪態をついた。
せっかく恥を忍んで、甘いことを言おうとしているのに。
どうしても綺麗なラブシーンにならないのが、セナのセナたる所以だ。
何とか気を取り直して、再びマイクのスイッチを入れる。
「誰と比べてもテメーを選ぶ。大事な相棒として。」
『相棒、ですか?』
「ランニングバック。それとアメフト以外でのパートナーだ。」
『パートナーって、奴隷やパシリとは違うんですよね?』
鈍い。鈍すぎる。
ヒル魔はまたしても頭を抱えたくなった。
だがどうやらはっきり言葉にしなければ、この鈍感な少年には伝わらない。
「俺が部を引退したら、テメーは俺の恋人だ!いいな!」
『ハィィ!』
もはや自棄だ。
こうしてヒル魔はムードもへったくれもない告白をし、セナはほとんど脊髄反射で承諾した。
セナはそのまま酸素カプセルの中で眠ってしまった。
そして起きた時にはあの告白は夢なのか現実なのかと困惑したが、すぐに現実だと理解した。
カプセルの外でヒル魔が待ち構えていて「夢じゃねーからな」と念押ししたからだ。
「隠しててごめんなさい。」
セナは深々と頭を下げた。
だが衝撃の事実を知らされた部員たちには、不思議と落ち着いていた。
クリスマスボウルまであと数日。
セナは部員全員が集まるミーティングの場で、自分の病気を告白した。
実は自分の性別は女であること。
それを打ち明けるのは、かなりつらいことだった。
「なるほど、納得!」
セナが全てを話し終えた後、最初に口を開いたのはモン太だった。
そして他の者たちも、同じような表情をしている。
黒木が「セナ、最近かわいいもんな!」と言い、戸叶が「マジでイケてる」と応じる。
セナは訳が分からずに、首を傾げた。
「セナくんは最近ずっと体調が悪かったでしょ?でもすごく綺麗になってて。みんな不思議だったんだ。」
雪光がセナの表情を読んで、補足してくれる。
だがそれでもセナにはよくわからなかった。
綺麗とか、かわいいとか。
いったい何のことを言っているのか。
「セナはかわいいよ。花梨ちゃんにも負けてないって!」
今度は鈴音が元気よく教えてくれた。
セナはチラリとヒル魔の方を見た。
あの告白の後だからだろうか。
かわいいなんて男として屈辱だと思うけど、微妙に嬉しい。
少しでもヒル魔もそう思ってくれるといいなんて、思ってしまう。
「セナはセナなんだから、病気も性別も関係ねーよ。」
「そうそう。一緒にクリスマスボウルで勝つだけだし!」
黒木と戸叶がいつもと変わらない笑顔で、そう言った。
誰も変な目で見ないで、友情を約束してくれる。
セナは目頭が熱くなるのを感じて、慌てて服の袖で拭う。
「クリスマスボウルが終わったら、俺と付き合わねぇ?」
不意に穏やかな雰囲気を破る発言をしたのは、モン太だった。
セナは驚き「ええ?」と声を上げる。
すぐに黒木と戸叶が「それズリーぞ!」「俺も俺も」と手を上げた。
「何だよ。性別関係ねーんじゃなかったのかよ?」
すかさず十文字が突っ込みを入れた。
だがモン太たちは「だってセナかわいいし!」とまったく悪びれる様子がない。
十文字はそんな彼らを見ながら、なぜか憮然とした表情をしていた。
とにかく身体のことは、部員のみんなに受け入れてもらえた。
その喜びで、セナは久しぶりに心の底から笑うことができた。
実はこのとき、ヒル魔は十文字以上に憮然としていたのだが、そのことには気づかなかった。
「セナ、具合はどう?」
鈴音は花束を差し出しながら、明るい声で聞いた。
セナは花束を受け取ると「ありがとう」と微笑した。
クリスマスボウル、そしてワールドユース。
2つの大きな大会が終わった。
帰国したセナは、そのまま入院している。
クリスマスボウルはともかく、ワールドユースはきつかった。
遠い異国での大会は、セナの体力を容赦なく奪っていた。
セナは帰りの飛行機で体調が悪くなり、そのまま病院に直行となったのだ。
病室は個室だった。
しかもVIPが入院するようなホテル並みに豪華な部屋だ。
これはヒル魔が手配した。
恐縮したセナは普通の病室でいいと訴えたのだが、聞き入れられなかった。
セナのベットの横には、ヒル魔が陣取っている。
地獄の番犬ケルベロスよろしく見舞客をチェックしているようだ。
ヒル魔は無言でセナから花束を奪い取ると、空いている花瓶と一緒に抱えて立ち上がった。
どうやら花瓶に生けてくるつもりのようだ。
「妖ー兄!私、自分でやるから!」
鈴音は慌てて、声を上げる。
だがヒル魔は無視して、そのまま病室を出て行ってしまった。
「何か、ヒル魔さん、キャラが変わっちゃったでしょ?」
セナはヒル魔が出て行ったドアの方を見ながら、苦笑していた。
鈴音も「確かに」と同意する。
だがヒル魔の考えていることは、わかるような気がした。
セナは多分、これからどんどん綺麗になっていく。
外見は女子に近づいていくだろうし、試練を乗り越えるたびにますます美しくなるだろう。
だからきっとかなりモテるようになるはずだ。
すでに泥門だけでなく、他校の生徒たちも色めき立っているようだし。
だからヒル魔は徹底的にセナに張り付き、寄り付く悪い虫を排除することにしたに違いない。
何もなかった泥門高校をクリスマスボウルまで導いたあの手腕を、虫退治に発揮するのだろう。
さようなら。私の初恋。
鈴音は密やかに心の中で別れを告げた。
部を引退したヒル魔は、きっと全力でセナを愛して、守る。
もはや鈴音に勝ち目はない。
「でも私たち、ずっと親友だよね!」
鈴音はセナの手を取って、叫んだ。
恋人の地位は譲っても、無二の親友の地位は渡せない。
いつかセナとまもりと3人で「女子会」なんてするのも、いいかもしれない。
セナはキョトンとした表情のまま「当たり前だよ」と笑っている。
その表情は何とも無防備だ。
これじゃ妖ー兄、大変だわ、と鈴音はひとりごちた。
「まったく変われば変わるもんだな。」
武蔵は心の底から呆れながら、呟いた。
武蔵はセナの入院する病院に見舞いに来た。
ここは彼の父親も入院している、いわば勝手知ったる場所だ。
そこで武蔵は信じられないものを見た。
廊下を花を生けた花瓶を持って歩いているのは、泥門の悪魔と恐れられた男だ。
「お前の奴隷たちが見たら、ひっくり返るぞ」
武蔵は名を呼ぶ代わりに、そう言った。
当のヒル魔は涼しい表情で、顔色1つ変えなかった。
2人は並んで、セナの病室へと歩いていく。
クリスマスボウルとワールドユースが終わり、ヒル魔や武蔵の高校アメフトは終わった。
武蔵と栗田は高校卒業後の進路を考え始めている。
だがヒル魔は全力で、セナの恋人になることにしたらしい。
セナの病気も含めて、丸ごとすべてを受け止める覚悟を決めたのだろう。
「セナはアメフト、続けられるのか?」
「次のクリスマスボウルも目指すってよ。」
ヒル魔は落ち着いた様子で、そう告げる。
だがもう1年、アメフトを続けることは、セナの身体に大変な負担を強いることになるだろう。
内心は心配で仕方ないはずだ。
「心配だな」
「いきてるきがするから」
「ああ?」
「ベットで寝てるより、苦しくてもフィールドの方が生きてる気がするんだそうだ。」
武蔵は「そりゃそうだな」と答えた。
フィールドが一番、いきてるきがするから。
アメフトプレーヤーなら、誰でもそう思う。
「クリスマスボウルも終わったし、このまま治療に専念すればいいって言ったんだが」
「もう1年、やりたいんだろうさ。」
「まったく心配ばかりかけてくれる」
「だったら俺がセナをもらってやろうか?」
「誰がやるか、糞ジジィ」
冗談めかして言ったセリフに、ヒル魔は思いのほか過敏に反応した。
アメフトにすべての力を注いだ男は、今度は全力でセナを愛することに決めたようだ。
「セナもとんだ男に見込まれたものだな。」
武蔵は心の底から同情のため息をつく。
ヒル魔は済ました顔で「それは同感だ」と応じた。
たどり着いた病室からは、セナと鈴音の笑い声が響いていた。
【終】お付き合いいただき、ありがとうございました。
セナは意外な事実に驚いていた。
泥門デビルバッツは関東大会を制覇し、クリスマスボウルへの出場を決めた。
だがもちろんそこで終わりではない。
最後にして最大の難関、帝黒アレキサンダーズ。
クリスマスボウルを第1回から去年まで制覇。
その偉業から「全ての始まりにして全ての頂点」と呼ばれる超強豪校だ。
セナはモン太、鈴音と共に偵察に来た。
部員数は200人超、1軍から6軍まであり、設備も充実している。
そのスケールの大きさにも、偵察に来たセナたちを少しも嫌がらないことにも驚かされる。
だが何より驚いたのは、1軍のQBが1年生の女子だったことだ。
女子にはアメフトはできない。
セナはそう思い込んでいた。
ひょっとしたら無意識のうちに、自分の病気を言い訳にしていたかもしれない。
力を出し切れないとしたら、それはこの身体のせいだと。
だが彼女-小泉花梨を前にして、そんなことは何の理由にもならないと思い知らされた。
もちろんそれは励みになる。
帝黒という強豪校で1軍を務める女子がいる。
女の子の身体でも活躍できるという事実は、頼もしいことなのだが。
「花梨さん、美人、だよね。」
セナは思わずため息をついてしまう。
小泉花梨はまぎれもなく美少女だ。
セナのように、性別が曖昧な存在ではない。
正真正銘の女子で、美人で、アメフトが上手いのだ。
彼女がもし、帝黒ではなく泥門高校にいたら。
ヒル魔は花梨に惹かれるのではないだろうか。
ひとたび心に生まれてしまった疑念は、どうしても消えない。
それ以来、セナは考え込んでいる。
練習の間は必死で、そんなことは忘れていられる。
だがそれ以外の時間には、どうしても花梨の顔が頭にチラついてしまうのだ。
「元気がないのは花梨ちゃんを見てから、だと思う。」
鈴音は、きっぱりと断言した。
隣のモン太も、ウンウンと頷いている。
それを聞いているヒル魔は、酸素カプセルの中にいるせいか、いつも以上に偉そうに見えた。
帝黒の偵察に行ってから、セナは元気がない。
練習中は試合に集中しているが、それ以外の時には黙りがちになっている。
そして今日、練習中のモン太と鈴音は、ヒル魔に部室に呼ばれた。
偵察に行ったときに何かなかったかと問われたのだ。
さすがにヒル魔も、セナの様子がおかしいことに気付いたのだろう。
だが鈴音にもその理由はわからなかった。
元気がないことを指摘すると、セナは「ゴメンね」といつもの気弱な表情で謝るだけだ。
だが鈴音は謝ってほしいわけではなく、理由が知りたいだけなのに。
「もしかして、セナは、あの子に一目惚れ、したとか。」
モン太が恐る恐るそう切り出した。
鈴音の様子をうかがっているのは、鈴音がセナを好きであることに気付いているからだろう。
だが鈴音は「それはない!」と言い切った。
「モンモンって、時々信じられないくらい、鈍いよね!」
鈴音は容赦なく切って捨てた。
セナが好きなのは、鈴音でも花梨でもないのは明白だ。
そんなの目の前の酸素カプセルの中の男を見れば、わかるはずだ。
なぜなら彼の手には、セナがお土産に貰った帝黒のプレーブックがあるのだから。
「なるほどな。わかった。練習に戻れ。」
ヒル魔は花梨の名前を聞いただけで、何かに思い当たったらしい。
鈴音に自分の意見を一刀両断されたモン太は、納得いかない表情で部室を出て行く。
だが鈴音はその場に残って、じっとヒル魔を見た。
「何だ?」
「みんなで何を隠しているの?」
ヒル魔が探るような目で、鈴音を見ている。
だが鈴音は引かなかった。
巨深戦の辺りから、セナは体調を崩すことが多かったし、ごく一部の部員たちの素振りが怪しかった。
「セナはおかしい。妖ー兄とムサシャンとクリタン、モンジとまも姉も知ってると思う。」
「・・・そのうちわかる。」
「ずるい!そんな言い方!」
「そんなに先の話じゃねぇ。それまで少しだけ待ってやってくれ。」
怒鳴られることも覚悟していた鈴音は、拍子抜けした。
ヒル魔の口調は、思いのほか優しかったのだ。
だがこれ以上は話せないという決意だけは、はっきりと聞き取れた。
「わかった。待つよ。」
鈴音は静かにそう答えると、部室を出た。
悔しいけれと、セナを支えられるのはヒル魔だけなのだと認めるしかなかった。
「テメー、勘違いしてんじゃねーぞ。」
耳元で、不意に聞き慣れた声が聞こえた。
目を閉じて、すっかり油断していたセナは思わず飛び起きてしまい、額をぶつけることになった。
クリスマスボウルが近づき、練習はどんどん激しくなっていく。
セナの身体はすでに悲鳴を上げていた。
眩暈や吐き気のために、途中で抜けることもしばしばだ。
さすがに他の部員たちもおかしいと思い始めていることだろう。
だが無理して練習を続けて、倒れるわけにはいかない。
今もどうしても吐き気が堪えられずに、トイレに駆け込んだ。
洗面台で蛇口をひねり、勢いよく水を出す。
できれば戻すようなことはしたくない。
ただでさえ最近食が細いのだし。体力を落としたくないのだ。
セナは何とか吐き気をやり過ごし、口をすすぐだけで水道の水を止めた。
その時、セナは鏡に自分以外の男が写っているのを見て、ギクリとした。
背後に守護霊よろしく立っているのは、泥門の悪魔。
その迫力は、半端なものではない。
セナが思わず「ひゃあ!」と悲鳴を上げて飛びのいたのも、無理からぬことだ。
だが当の本人、ヒル魔は不本意だったらしい。
怒りを示すように、眉がピクリと揺れる。
だが特にそのことには触れず「ついて来い」とばかりに顎をしゃくった。
そして無言のまま、先に立って歩き出す。
怒られるのだろうか?
セナは恐る恐る、その後に続いた。
だからヒル魔が最近お気に入りのセグウェイ付の移動型酸素カプセルに入っていないことに気付かなかった。
それに気付いたのは、ヒル魔と一緒に部室に入った時だ。
件の酸素カプセルは、部室の床に寝かせられていた。
そしてヒル魔はそれを指さして、また顎をしゃくる。
どうやら「ここに横になれ」ということらしい。
セナはおっかなびっくりの慣れない動作で、酸素カプセルに横になった。
外から入口が閉じられ、程なくして微かな空気の流れを感じる。
どうやら酸素のスイッチが入れられたようだ。
練習で疲れた身体には、思いのほか心地がいい。
セナはじわじわと訪れる眠気に耐えられず、目を閉じる。
「テメー、勘違いしてんじゃねーぞ。」
耳元で、不意に聞き慣れた声が聞こえた。
すっかり油断して、睡眠の世界に向かいかけたセナは飛び起きてしまい、額をぶつけた。
どうやらどこかにスピーカーがついているのだろう。
そう言えば、ヒル魔はいつも酸素カプセルの中から、皆に指示を飛ばしていた。
「いいから楽にして、そのまま聞け」
呆れたようなヒル魔の声に、セナは再び目を閉じた。
怒られるのかもしれないが、このカプセルの中でなら心穏やかに聞けそうだ。
「いいから楽にして、そのまま聞け」
ヒル魔は、少々呆れながらそう言った。
閉じた酸素カプセルの中で起き上がるなんて、間抜け過ぎる。
だがそれがかわいいと思う自分も、また間抜けなのかもしれない。
この酸素カプセルは特注品だ。
セグウェイに装着して可動式になっているだけじゃない。
マイクとスピーカーを搭載していて、カプセルの中と外で会話ができる。
だがこんな使い方をすることになるとは思っていなかったが。
「帝黒のQB、見たか?」
『見ました。』
ヒル魔が専用のマイクで中に呼びかけると、スピーカーからセナの声がする。
ずっとカプセルの中にいたヒル魔には、新鮮な感覚だ。
「あいつが泥門にいようが、関係ねーぞ。」
『え?』
「テメーはテメーだ。俺はテメーを選ぶ。」
『それって、奴隷とか、パシリ。。。』
「ファッキン!」
ヒル魔はマイクのスイッチを切ると、思い切り悪態をついた。
せっかく恥を忍んで、甘いことを言おうとしているのに。
どうしても綺麗なラブシーンにならないのが、セナのセナたる所以だ。
何とか気を取り直して、再びマイクのスイッチを入れる。
「誰と比べてもテメーを選ぶ。大事な相棒として。」
『相棒、ですか?』
「ランニングバック。それとアメフト以外でのパートナーだ。」
『パートナーって、奴隷やパシリとは違うんですよね?』
鈍い。鈍すぎる。
ヒル魔はまたしても頭を抱えたくなった。
だがどうやらはっきり言葉にしなければ、この鈍感な少年には伝わらない。
「俺が部を引退したら、テメーは俺の恋人だ!いいな!」
『ハィィ!』
もはや自棄だ。
こうしてヒル魔はムードもへったくれもない告白をし、セナはほとんど脊髄反射で承諾した。
セナはそのまま酸素カプセルの中で眠ってしまった。
そして起きた時にはあの告白は夢なのか現実なのかと困惑したが、すぐに現実だと理解した。
カプセルの外でヒル魔が待ち構えていて「夢じゃねーからな」と念押ししたからだ。
「隠しててごめんなさい。」
セナは深々と頭を下げた。
だが衝撃の事実を知らされた部員たちには、不思議と落ち着いていた。
クリスマスボウルまであと数日。
セナは部員全員が集まるミーティングの場で、自分の病気を告白した。
実は自分の性別は女であること。
それを打ち明けるのは、かなりつらいことだった。
「なるほど、納得!」
セナが全てを話し終えた後、最初に口を開いたのはモン太だった。
そして他の者たちも、同じような表情をしている。
黒木が「セナ、最近かわいいもんな!」と言い、戸叶が「マジでイケてる」と応じる。
セナは訳が分からずに、首を傾げた。
「セナくんは最近ずっと体調が悪かったでしょ?でもすごく綺麗になってて。みんな不思議だったんだ。」
雪光がセナの表情を読んで、補足してくれる。
だがそれでもセナにはよくわからなかった。
綺麗とか、かわいいとか。
いったい何のことを言っているのか。
「セナはかわいいよ。花梨ちゃんにも負けてないって!」
今度は鈴音が元気よく教えてくれた。
セナはチラリとヒル魔の方を見た。
あの告白の後だからだろうか。
かわいいなんて男として屈辱だと思うけど、微妙に嬉しい。
少しでもヒル魔もそう思ってくれるといいなんて、思ってしまう。
「セナはセナなんだから、病気も性別も関係ねーよ。」
「そうそう。一緒にクリスマスボウルで勝つだけだし!」
黒木と戸叶がいつもと変わらない笑顔で、そう言った。
誰も変な目で見ないで、友情を約束してくれる。
セナは目頭が熱くなるのを感じて、慌てて服の袖で拭う。
「クリスマスボウルが終わったら、俺と付き合わねぇ?」
不意に穏やかな雰囲気を破る発言をしたのは、モン太だった。
セナは驚き「ええ?」と声を上げる。
すぐに黒木と戸叶が「それズリーぞ!」「俺も俺も」と手を上げた。
「何だよ。性別関係ねーんじゃなかったのかよ?」
すかさず十文字が突っ込みを入れた。
だがモン太たちは「だってセナかわいいし!」とまったく悪びれる様子がない。
十文字はそんな彼らを見ながら、なぜか憮然とした表情をしていた。
とにかく身体のことは、部員のみんなに受け入れてもらえた。
その喜びで、セナは久しぶりに心の底から笑うことができた。
実はこのとき、ヒル魔は十文字以上に憮然としていたのだが、そのことには気づかなかった。
「セナ、具合はどう?」
鈴音は花束を差し出しながら、明るい声で聞いた。
セナは花束を受け取ると「ありがとう」と微笑した。
クリスマスボウル、そしてワールドユース。
2つの大きな大会が終わった。
帰国したセナは、そのまま入院している。
クリスマスボウルはともかく、ワールドユースはきつかった。
遠い異国での大会は、セナの体力を容赦なく奪っていた。
セナは帰りの飛行機で体調が悪くなり、そのまま病院に直行となったのだ。
病室は個室だった。
しかもVIPが入院するようなホテル並みに豪華な部屋だ。
これはヒル魔が手配した。
恐縮したセナは普通の病室でいいと訴えたのだが、聞き入れられなかった。
セナのベットの横には、ヒル魔が陣取っている。
地獄の番犬ケルベロスよろしく見舞客をチェックしているようだ。
ヒル魔は無言でセナから花束を奪い取ると、空いている花瓶と一緒に抱えて立ち上がった。
どうやら花瓶に生けてくるつもりのようだ。
「妖ー兄!私、自分でやるから!」
鈴音は慌てて、声を上げる。
だがヒル魔は無視して、そのまま病室を出て行ってしまった。
「何か、ヒル魔さん、キャラが変わっちゃったでしょ?」
セナはヒル魔が出て行ったドアの方を見ながら、苦笑していた。
鈴音も「確かに」と同意する。
だがヒル魔の考えていることは、わかるような気がした。
セナは多分、これからどんどん綺麗になっていく。
外見は女子に近づいていくだろうし、試練を乗り越えるたびにますます美しくなるだろう。
だからきっとかなりモテるようになるはずだ。
すでに泥門だけでなく、他校の生徒たちも色めき立っているようだし。
だからヒル魔は徹底的にセナに張り付き、寄り付く悪い虫を排除することにしたに違いない。
何もなかった泥門高校をクリスマスボウルまで導いたあの手腕を、虫退治に発揮するのだろう。
さようなら。私の初恋。
鈴音は密やかに心の中で別れを告げた。
部を引退したヒル魔は、きっと全力でセナを愛して、守る。
もはや鈴音に勝ち目はない。
「でも私たち、ずっと親友だよね!」
鈴音はセナの手を取って、叫んだ。
恋人の地位は譲っても、無二の親友の地位は渡せない。
いつかセナとまもりと3人で「女子会」なんてするのも、いいかもしれない。
セナはキョトンとした表情のまま「当たり前だよ」と笑っている。
その表情は何とも無防備だ。
これじゃ妖ー兄、大変だわ、と鈴音はひとりごちた。
「まったく変われば変わるもんだな。」
武蔵は心の底から呆れながら、呟いた。
武蔵はセナの入院する病院に見舞いに来た。
ここは彼の父親も入院している、いわば勝手知ったる場所だ。
そこで武蔵は信じられないものを見た。
廊下を花を生けた花瓶を持って歩いているのは、泥門の悪魔と恐れられた男だ。
「お前の奴隷たちが見たら、ひっくり返るぞ」
武蔵は名を呼ぶ代わりに、そう言った。
当のヒル魔は涼しい表情で、顔色1つ変えなかった。
2人は並んで、セナの病室へと歩いていく。
クリスマスボウルとワールドユースが終わり、ヒル魔や武蔵の高校アメフトは終わった。
武蔵と栗田は高校卒業後の進路を考え始めている。
だがヒル魔は全力で、セナの恋人になることにしたらしい。
セナの病気も含めて、丸ごとすべてを受け止める覚悟を決めたのだろう。
「セナはアメフト、続けられるのか?」
「次のクリスマスボウルも目指すってよ。」
ヒル魔は落ち着いた様子で、そう告げる。
だがもう1年、アメフトを続けることは、セナの身体に大変な負担を強いることになるだろう。
内心は心配で仕方ないはずだ。
「心配だな」
「いきてるきがするから」
「ああ?」
「ベットで寝てるより、苦しくてもフィールドの方が生きてる気がするんだそうだ。」
武蔵は「そりゃそうだな」と答えた。
フィールドが一番、いきてるきがするから。
アメフトプレーヤーなら、誰でもそう思う。
「クリスマスボウルも終わったし、このまま治療に専念すればいいって言ったんだが」
「もう1年、やりたいんだろうさ。」
「まったく心配ばかりかけてくれる」
「だったら俺がセナをもらってやろうか?」
「誰がやるか、糞ジジィ」
冗談めかして言ったセリフに、ヒル魔は思いのほか過敏に反応した。
アメフトにすべての力を注いだ男は、今度は全力でセナを愛することに決めたようだ。
「セナもとんだ男に見込まれたものだな。」
武蔵は心の底から同情のため息をつく。
ヒル魔は済ました顔で「それは同感だ」と応じた。
たどり着いた病室からは、セナと鈴音の笑い声が響いていた。
【終】お付き合いいただき、ありがとうございました。
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