生きる5題+
「あれ?十文字くん」
昼休み、部室に向かおうとしていた栗田は、後輩の姿を見つけた。
彼は同じラインマンであり、栗田にとっては頼りになる相棒だ。
「1人?珍しいね。」
何となく元気がなさそうに見える十文字に、栗田の声も気づかわしげなものになった。
十文字に精彩を欠いている理由は見当がつく。
三兄弟長男と言われ、いつも次男、三男と呼ばれる2人と行動を共にしている。
2人の弟分は、十文字の様子がおかしいことに気づいているのだ。
そして彼らはそれをおとなしく見守るような性格ではない。
何があったのかと容赦なく追及してくる。
それが鬱陶しくなって、1人になれる場所を捜していたのだろう。
十文字が元気がない理由は、もちろんセナだ。
「セナくん、今は1人なの?」
「黒木たちが一緒だから」
ヒル魔は十文字に、休み時間などはなるべくセナと一緒にいるようにと頼んでいた。
だが十文字だって、気を抜きたくなる瞬間はあるだろう。
「行くトコないなら、部室に来ない?」
「部室、すか」
「ヒル魔も武蔵もいるよ。セナくんの話は教室じゃできないからね。」
十文字は迷っているようだ。
行く場所はないけれど、ヒル魔や武蔵とは会いたくないのだろう。
何故なら十文字は、セナのことを恋愛対象として好きなのだから。
同じようにセナを想うヒル魔と武蔵は恋敵なのだ。
その瞬間、どこかから叫ぶような声が聞こえた。
「十文字くん、今の声」
「セナの声っすね。」
十文字にも聞こえたようだ。
2人のラインマンは声がした方向へと走り出した。
「・・・・・・」
「そんなこと、できませんってば」
栗田と十文字が辺りをつけてきたのは、校舎の裏手だった。
今は部室や倉庫などがいくつか並んでいるが、人気はない。
セナの声は先程よりよく聞こえる。
「・・・・・・」
「そんな、止めてください!」
今度はさらに大きく、はっきりと聞こえた。
ボソボソと喋る声はよく聞き取れないが、大きな声で拒絶している声はセナのものだ。
一番奥の体育用具が置かれている倉庫だ。
2人はその部屋の前に近づくと、中からバタバタと何かが倒れる大きな音がした。
「おい、何やってる!」
十文字が中に向かってそう怒鳴ると、扉に手をかけて開けようとする。
だが中から鍵がかかっているようで、扉にガタガタと揺れるものの開かない。
「うるせぇ!喋ってるだけだ。邪魔すんな、どっか行け!」
セナでない方の声がこちらに向かって怒鳴った。
十文字がさらに扉をゆすったが、やはり開かない。
「だからアメフト部に入ってやるから、ヒル魔に伝えろって言ってんだろ?」
「俺らもクリスマスボウル行きたいんだけど、入部テストで落とされちゃったんだ。」
「アイシールド21が頼んでくれたら、ヒル魔も断んないだろ?」
「主務でもあるんだしねぇ、セナくんは」
どうやらセナの他に中にいるのは2人のようだ。
入部テストで落とされたものの、最近脚光を浴びているアメフト部に入りたいらしい。
だから部員の中では一番気が弱そうなセナを捕まえて、詰め寄ってるということなのだろう。
「もしもし、ヒル魔?」
栗田は携帯電話を取り出して、部室にいるであろうヒル魔を呼びだした。
そして事情を説明して、すぐ来てくれるようにと頼む。
ヒル魔ならば、この扉を開ける一番いい方法を思いついてくれるはずだ
「そうやって、なんでもヒル魔任せだよな」
十文字の冷やかな呟きが、ポツリと落ちた。
それが栗田に発せられたものなのか、十文字自身へのものなのか。
だが栗田の心には、小さな棘のように突き刺さった。
セナを助けるには、ヒル魔の手を借りるのが一番確実な手段だ。
わかっているのに、ヒル魔の手を借りたくないという気持ちもあるのだ。
このもどかしい気持ちは、いったい何だろう。
「アメフト部に入りたいなら、どうして主将のヒル魔さんに言わないんですか?」
「はぁ?俺たちは入部テストに落ちてるんだぜ?」
「それならもう1度受ければいいでしょう。そうやって頼めばよかったんだ。」
「そんなのヒル魔が、してくれるわけねぇし。」
「本当にあなたたちがアメフトを好きなら、ヒル魔さんは切り捨てたりなんかしません!」
部室の中からは、凛としたセナの声が響いた。
男たちの声は無駄に大きいのに、完全に気圧されている。
彼らは外見から、セナを気の弱い少年と思っていたのだろう。
だがセナは泥門デビルバッツのエース、アイシールド21なのだ。
「痛いっ!乱暴はやめて下さい!」
「生意気なことを言うな!」
「ちょっと、何を!」
「よくよく見るとかわいい顔だな。細いし、チビだし。女みたいだ。」
「触らないで!」
セナと男たちの会話は、不穏な方向へと流れていく。
このままではセナが危険だ。
それにセナが一番気にしている「女」という言葉を口にした。
許せない。そう思った瞬間、栗田は渾身の力を込めて、扉にタックルをくらわせた。
扉はその一撃であっけなく壊れ、ドシンと音を立てて中に倒れた。
栗田が中に倉庫に踏み込み、十文字が続く。
知らせを受けて駆け付けてきたヒル魔と武蔵が、その後から飛び込んできた。
倉庫の中では、埃っぽい床の上にセナが倒れている。
2人の男子生徒が両側からセナを押さえつけていた。
男子生徒は飛び込んできたアメフト部の面々を見上げて、表情を強張らせている。
「そいつに触んな」
ヒル魔が、静かだが凄みのある声で威嚇した。
大きい声で怒鳴るより、銃をぶっ放すより、遥かに怖い。
ヒル魔が心の底から怒っていることは、誰の目にも明らかだ。
「今度コイツや俺らの視界に入ったら、ブチ殺すぞ」
そして二人の名前も知らない男子生徒はヒィィィと叫びながら、走り去っていった。
栗田が急いでセナに駆け寄る。
セナは自力で起き上がると、埃だらけになってしまった制服を手で叩いた。
そんなセナの様子に、栗田はようやく安心することができた。
「ありがとうございます。栗田さん。おかげで助かりました。」
セナはすぐに栗田に歩み寄ると、丁寧に頭を下げた。
そして笑顔で「タックル、カッコよかったです」と付け加える。
栗田は瞳を潤ませながら、何度も大きく頷いた。
栗田の中で、セナは特別な存在だ。
単なる後輩でもなく、単なるチームメイトでもない。
他の部員たちに感じる友情とは明らかに違う気持ちがある。
かわいくて、大事で、守りたい。
この気持ちはいったい何だろう。
栗田は微かに戸惑いながら、セナの笑顔を見つめていた。
泥門デビルバッツと白秋ダイナソーズの試合で、恐れていたことが起きた。
ヒル魔が右腕を折られて、戦線を離脱したのだ。
そして二代目QB・セナは峨王に突っ込むという無茶な作戦を提案してきた。
「今の泥門の司令塔はヒル魔じゃねぇ。お前だ。」
そう言いながらムサシの心は揺らぐ。
ヒル魔、これでいいのか?
武蔵はフィールドにいない親友に、心の中で問いかける。
セナを危険に晒したくはないし、守りきる自信もない。
でもこの状況を打破できるのは、セナだけだ。
「テメーを信じて突っ込むぜ!」
十文字は逆に決意を固めていた。
セナがいなければアメフトをやることなどなかった。
ただのパシリだった小さなヒーローは今までたくさんのドラマを生み出してきたのだ。
セナならやれる。信じて進むしかない。
そして栗田は、峨王に突っ込んでいくセナと小結を見た。
その瞬間、栗田は今まではっきりした形を成さなかったセナへの想いが何なのかわかった。
セナが好きなのだ。恋愛として。
ずっと待ち焦がれていたRB。走り抜けていくセナの背中をずっと見ていた。
その光速の足をもつ小さなエースにいつの間にか恋焦がれていた。
ヒル魔も武蔵も十文字もセナに恋をしていて、セナがヒル魔に惹かれていることもわかっている。
それでもセナを想う気持ちは止められない。
勝ち目がないとわかっている恋だ。
だけどセナを護ることだけは、絶対に止めない。
護れるのは自分だけだ。
そして心優しいラインマンは護るための静かな殺意を放ちながら、息を吹き返した。
「無理よ、その怪我でできるわけないわ」
ヒル魔は救護室のベットに身を起こした。
渋るまもりにテーピングをするようにと言う。
今、自分の代わりにQBのポジションにいるセナ。
セナが潰される前に、フィールドに戻らなくてはならない。
「できるかできないかじゃねぇ。やるしかねぇんだ。」
まもりは言葉を失った。
クリスマスボウルへ行くためと、セナを護るため。
今ヒル魔の心の中ではどちらの比重が大きいのだろう。
まもりもまたヒル魔とセナの心に気づいていた。
今まで「セナを苛めないで」とつっかかっていたのは、セナを思う気持ちだけだっただろうか。
2人の強烈な結びつきに、嫉妬していたのではないか。
無茶苦茶なようでひたむきにアメフトに打ち込むヒル魔にまもりは惹かれていた。
そして弟のようなセナも可愛い。
そんな2人に置いて行かれるようなこの感覚に怯えていたのかもしれない。
まもりは自問自答しながら、無言でテーピングをしていった。
そしてヒル魔はフィールドに戻り、泥門デビルバッツは必死に戦った。
セナは折られるのを覚悟で、峨王に突っ込んでいく。
ヒル魔も、武蔵も、栗田も、十文字もその姿に慄然としながら、見惚れた。
ボロボロになり倒れても、前を見据えて立ち上がる小さな身体に。
夢に向かって、精一杯伸ばす細い腕に。
心底惚れた相手の、傷だらけだが美しい勇姿に。
守りたい。男も女も関係ない。夢を叶えたい。
彼らの願いは1つになり、最後の力を振り絞る。
そして彼らは大きな壁を乗り越えた。
夢の最終ステージ、クリスマスボウルの切符を手にしたのだ。
「あれ?」
セナが目を醒ました時見えたのは、保健室の天井だった。
泥門デビルバッツは白秋に勝った。
しかしその代償は大きかった。
そしてそれ以来セナは悪夢にうなされている。
眠るたびに夢の中でヒル魔さんの右腕は何度も折られ、無力感と絶望感に苛まれる。
そして浅い不完全な眠りで疲れを蓄積させていくのだ。
ゆっくりと記憶を辿る。
そうだ、練習中に眩暈がして。。。
そしてまた誰かに運んでもらったであろう保健室で、悪夢に見舞われたのだ。
冷たい汗をびっしょりとかいている。
顔は涙でぐしょぐしょだ。
心臓の鼓動が信じられないほど早い。
呼吸を整えながら身体を起こそうとしたが、眩暈を感じて、再びベットに倒れこんだ。
「何やってやがる、糞チビ。」
不意に声をかけられて驚きながらそちらに目を向けると、そこにはヒル魔が座っていた。
右腕を吊っている姿を見て、セナは悪夢が現実のものだったのだと思い知り、表情が沈んでいく。
「ヒル魔さん。。。大丈夫ですか?」
「テメーに心配される程じゃねぇ。だいたいいつの話してやがる。」
ヒル魔はケケケと笑った。
この人はどんな時でも弱いところを見せない。
セナは不敵に笑うヒル魔を見ながらそう思う。
「練習に戻ります。」
「そんな身体で練習しても無駄だ。何より他の人間が気を使う。」
セナはふらつく身体を起こそうとしたが、ヒル魔の左手がセナの肩を押して留めた。
「そうですね。もう少し休んでます。だからヒル魔さんは。。。」
戻ってくださいと続けようとしたセナは、驚き、言葉を飲みこんだ。
ヒル魔は悲しそうな、切なそうな目でセナを見ていたからだ。
空気が急に張り詰める。
ヒル魔の真剣な眼差しから目を逸らすことができない。
こういうシチュエーションに疎いセナは、言葉を発することも動くことも出来なかった。
「ファッキン!」
緊張感を破ったのはヒル魔の方だった。
「早く腕をなおさねぇと、してぇこともできねぇ。」
「ヒル魔さんのしたいこと?」
するとヒル魔の左の手の平がセナの右頬を包みように触れた。
再びセナの鼓動が早くなる。
ヒル魔はうなされているセナを見て、心が締め付けられる思いだったのだ。
うわ言の内容で、わかった。
セナはあの試合のあの瞬間を追体験して、絶望の涙を流している。
少しでも安心することができるように、強く抱きしめたい。
だが片腕ではそれすらかなわないのだ。
「心配すんな。腕は治る。クリスマスボウルまでには完全に治してやる。」
ヒル魔もまたあの試合の最後のプレーを思い出すと、未だに心が恐怖に震える。
ハンドオフの瞬間に痺れて震えていたセナの手が目に入った瞬間だ。
小さな身体にかなりの無理をさせダメージを負わせてしまったという焦燥感と罪悪感。
「ヒル魔さん、ありがとうございます。ヒル魔さんに見出して貰わなければ、僕は。。。」
「やめろ。まだ終わりじゃねぇんだ。」
ヒル魔はセナの言葉を遮った。聞かなくてもわかるセナの気持ち。
セナは泣き笑いのような表情だ。
ヒル魔はセナの頬にあった左手を滑らせて頭をくしゃりと撫でた。
この時、保健室の扉の外には武蔵と栗田と十文字がいた。
休憩時間になって、倒れたセナが心配で見に来たのだ。
だが先にヒル魔が来て、セナと話し込んでいるのを聞いて、入るに入れなかったのだ。
「結局セナはヒル魔が好きなんだな。」
十文字がため息まじりに、文句を言った。
武蔵と栗田も、苦笑まじりに頷く。
悔しいけれど、きっとセナはヒル魔でなければダメなのだろう。
セナが幸せであるなら、祝福できる。
恋に揺れる彼らに安心する暇はなかった。
最後にして最強の絶対王者との対戦が待っている。
【続く】
昼休み、部室に向かおうとしていた栗田は、後輩の姿を見つけた。
彼は同じラインマンであり、栗田にとっては頼りになる相棒だ。
「1人?珍しいね。」
何となく元気がなさそうに見える十文字に、栗田の声も気づかわしげなものになった。
十文字に精彩を欠いている理由は見当がつく。
三兄弟長男と言われ、いつも次男、三男と呼ばれる2人と行動を共にしている。
2人の弟分は、十文字の様子がおかしいことに気づいているのだ。
そして彼らはそれをおとなしく見守るような性格ではない。
何があったのかと容赦なく追及してくる。
それが鬱陶しくなって、1人になれる場所を捜していたのだろう。
十文字が元気がない理由は、もちろんセナだ。
「セナくん、今は1人なの?」
「黒木たちが一緒だから」
ヒル魔は十文字に、休み時間などはなるべくセナと一緒にいるようにと頼んでいた。
だが十文字だって、気を抜きたくなる瞬間はあるだろう。
「行くトコないなら、部室に来ない?」
「部室、すか」
「ヒル魔も武蔵もいるよ。セナくんの話は教室じゃできないからね。」
十文字は迷っているようだ。
行く場所はないけれど、ヒル魔や武蔵とは会いたくないのだろう。
何故なら十文字は、セナのことを恋愛対象として好きなのだから。
同じようにセナを想うヒル魔と武蔵は恋敵なのだ。
その瞬間、どこかから叫ぶような声が聞こえた。
「十文字くん、今の声」
「セナの声っすね。」
十文字にも聞こえたようだ。
2人のラインマンは声がした方向へと走り出した。
「・・・・・・」
「そんなこと、できませんってば」
栗田と十文字が辺りをつけてきたのは、校舎の裏手だった。
今は部室や倉庫などがいくつか並んでいるが、人気はない。
セナの声は先程よりよく聞こえる。
「・・・・・・」
「そんな、止めてください!」
今度はさらに大きく、はっきりと聞こえた。
ボソボソと喋る声はよく聞き取れないが、大きな声で拒絶している声はセナのものだ。
一番奥の体育用具が置かれている倉庫だ。
2人はその部屋の前に近づくと、中からバタバタと何かが倒れる大きな音がした。
「おい、何やってる!」
十文字が中に向かってそう怒鳴ると、扉に手をかけて開けようとする。
だが中から鍵がかかっているようで、扉にガタガタと揺れるものの開かない。
「うるせぇ!喋ってるだけだ。邪魔すんな、どっか行け!」
セナでない方の声がこちらに向かって怒鳴った。
十文字がさらに扉をゆすったが、やはり開かない。
「だからアメフト部に入ってやるから、ヒル魔に伝えろって言ってんだろ?」
「俺らもクリスマスボウル行きたいんだけど、入部テストで落とされちゃったんだ。」
「アイシールド21が頼んでくれたら、ヒル魔も断んないだろ?」
「主務でもあるんだしねぇ、セナくんは」
どうやらセナの他に中にいるのは2人のようだ。
入部テストで落とされたものの、最近脚光を浴びているアメフト部に入りたいらしい。
だから部員の中では一番気が弱そうなセナを捕まえて、詰め寄ってるということなのだろう。
「もしもし、ヒル魔?」
栗田は携帯電話を取り出して、部室にいるであろうヒル魔を呼びだした。
そして事情を説明して、すぐ来てくれるようにと頼む。
ヒル魔ならば、この扉を開ける一番いい方法を思いついてくれるはずだ
「そうやって、なんでもヒル魔任せだよな」
十文字の冷やかな呟きが、ポツリと落ちた。
それが栗田に発せられたものなのか、十文字自身へのものなのか。
だが栗田の心には、小さな棘のように突き刺さった。
セナを助けるには、ヒル魔の手を借りるのが一番確実な手段だ。
わかっているのに、ヒル魔の手を借りたくないという気持ちもあるのだ。
このもどかしい気持ちは、いったい何だろう。
「アメフト部に入りたいなら、どうして主将のヒル魔さんに言わないんですか?」
「はぁ?俺たちは入部テストに落ちてるんだぜ?」
「それならもう1度受ければいいでしょう。そうやって頼めばよかったんだ。」
「そんなのヒル魔が、してくれるわけねぇし。」
「本当にあなたたちがアメフトを好きなら、ヒル魔さんは切り捨てたりなんかしません!」
部室の中からは、凛としたセナの声が響いた。
男たちの声は無駄に大きいのに、完全に気圧されている。
彼らは外見から、セナを気の弱い少年と思っていたのだろう。
だがセナは泥門デビルバッツのエース、アイシールド21なのだ。
「痛いっ!乱暴はやめて下さい!」
「生意気なことを言うな!」
「ちょっと、何を!」
「よくよく見るとかわいい顔だな。細いし、チビだし。女みたいだ。」
「触らないで!」
セナと男たちの会話は、不穏な方向へと流れていく。
このままではセナが危険だ。
それにセナが一番気にしている「女」という言葉を口にした。
許せない。そう思った瞬間、栗田は渾身の力を込めて、扉にタックルをくらわせた。
扉はその一撃であっけなく壊れ、ドシンと音を立てて中に倒れた。
栗田が中に倉庫に踏み込み、十文字が続く。
知らせを受けて駆け付けてきたヒル魔と武蔵が、その後から飛び込んできた。
倉庫の中では、埃っぽい床の上にセナが倒れている。
2人の男子生徒が両側からセナを押さえつけていた。
男子生徒は飛び込んできたアメフト部の面々を見上げて、表情を強張らせている。
「そいつに触んな」
ヒル魔が、静かだが凄みのある声で威嚇した。
大きい声で怒鳴るより、銃をぶっ放すより、遥かに怖い。
ヒル魔が心の底から怒っていることは、誰の目にも明らかだ。
「今度コイツや俺らの視界に入ったら、ブチ殺すぞ」
そして二人の名前も知らない男子生徒はヒィィィと叫びながら、走り去っていった。
栗田が急いでセナに駆け寄る。
セナは自力で起き上がると、埃だらけになってしまった制服を手で叩いた。
そんなセナの様子に、栗田はようやく安心することができた。
「ありがとうございます。栗田さん。おかげで助かりました。」
セナはすぐに栗田に歩み寄ると、丁寧に頭を下げた。
そして笑顔で「タックル、カッコよかったです」と付け加える。
栗田は瞳を潤ませながら、何度も大きく頷いた。
栗田の中で、セナは特別な存在だ。
単なる後輩でもなく、単なるチームメイトでもない。
他の部員たちに感じる友情とは明らかに違う気持ちがある。
かわいくて、大事で、守りたい。
この気持ちはいったい何だろう。
栗田は微かに戸惑いながら、セナの笑顔を見つめていた。
泥門デビルバッツと白秋ダイナソーズの試合で、恐れていたことが起きた。
ヒル魔が右腕を折られて、戦線を離脱したのだ。
そして二代目QB・セナは峨王に突っ込むという無茶な作戦を提案してきた。
「今の泥門の司令塔はヒル魔じゃねぇ。お前だ。」
そう言いながらムサシの心は揺らぐ。
ヒル魔、これでいいのか?
武蔵はフィールドにいない親友に、心の中で問いかける。
セナを危険に晒したくはないし、守りきる自信もない。
でもこの状況を打破できるのは、セナだけだ。
「テメーを信じて突っ込むぜ!」
十文字は逆に決意を固めていた。
セナがいなければアメフトをやることなどなかった。
ただのパシリだった小さなヒーローは今までたくさんのドラマを生み出してきたのだ。
セナならやれる。信じて進むしかない。
そして栗田は、峨王に突っ込んでいくセナと小結を見た。
その瞬間、栗田は今まではっきりした形を成さなかったセナへの想いが何なのかわかった。
セナが好きなのだ。恋愛として。
ずっと待ち焦がれていたRB。走り抜けていくセナの背中をずっと見ていた。
その光速の足をもつ小さなエースにいつの間にか恋焦がれていた。
ヒル魔も武蔵も十文字もセナに恋をしていて、セナがヒル魔に惹かれていることもわかっている。
それでもセナを想う気持ちは止められない。
勝ち目がないとわかっている恋だ。
だけどセナを護ることだけは、絶対に止めない。
護れるのは自分だけだ。
そして心優しいラインマンは護るための静かな殺意を放ちながら、息を吹き返した。
「無理よ、その怪我でできるわけないわ」
ヒル魔は救護室のベットに身を起こした。
渋るまもりにテーピングをするようにと言う。
今、自分の代わりにQBのポジションにいるセナ。
セナが潰される前に、フィールドに戻らなくてはならない。
「できるかできないかじゃねぇ。やるしかねぇんだ。」
まもりは言葉を失った。
クリスマスボウルへ行くためと、セナを護るため。
今ヒル魔の心の中ではどちらの比重が大きいのだろう。
まもりもまたヒル魔とセナの心に気づいていた。
今まで「セナを苛めないで」とつっかかっていたのは、セナを思う気持ちだけだっただろうか。
2人の強烈な結びつきに、嫉妬していたのではないか。
無茶苦茶なようでひたむきにアメフトに打ち込むヒル魔にまもりは惹かれていた。
そして弟のようなセナも可愛い。
そんな2人に置いて行かれるようなこの感覚に怯えていたのかもしれない。
まもりは自問自答しながら、無言でテーピングをしていった。
そしてヒル魔はフィールドに戻り、泥門デビルバッツは必死に戦った。
セナは折られるのを覚悟で、峨王に突っ込んでいく。
ヒル魔も、武蔵も、栗田も、十文字もその姿に慄然としながら、見惚れた。
ボロボロになり倒れても、前を見据えて立ち上がる小さな身体に。
夢に向かって、精一杯伸ばす細い腕に。
心底惚れた相手の、傷だらけだが美しい勇姿に。
守りたい。男も女も関係ない。夢を叶えたい。
彼らの願いは1つになり、最後の力を振り絞る。
そして彼らは大きな壁を乗り越えた。
夢の最終ステージ、クリスマスボウルの切符を手にしたのだ。
「あれ?」
セナが目を醒ました時見えたのは、保健室の天井だった。
泥門デビルバッツは白秋に勝った。
しかしその代償は大きかった。
そしてそれ以来セナは悪夢にうなされている。
眠るたびに夢の中でヒル魔さんの右腕は何度も折られ、無力感と絶望感に苛まれる。
そして浅い不完全な眠りで疲れを蓄積させていくのだ。
ゆっくりと記憶を辿る。
そうだ、練習中に眩暈がして。。。
そしてまた誰かに運んでもらったであろう保健室で、悪夢に見舞われたのだ。
冷たい汗をびっしょりとかいている。
顔は涙でぐしょぐしょだ。
心臓の鼓動が信じられないほど早い。
呼吸を整えながら身体を起こそうとしたが、眩暈を感じて、再びベットに倒れこんだ。
「何やってやがる、糞チビ。」
不意に声をかけられて驚きながらそちらに目を向けると、そこにはヒル魔が座っていた。
右腕を吊っている姿を見て、セナは悪夢が現実のものだったのだと思い知り、表情が沈んでいく。
「ヒル魔さん。。。大丈夫ですか?」
「テメーに心配される程じゃねぇ。だいたいいつの話してやがる。」
ヒル魔はケケケと笑った。
この人はどんな時でも弱いところを見せない。
セナは不敵に笑うヒル魔を見ながらそう思う。
「練習に戻ります。」
「そんな身体で練習しても無駄だ。何より他の人間が気を使う。」
セナはふらつく身体を起こそうとしたが、ヒル魔の左手がセナの肩を押して留めた。
「そうですね。もう少し休んでます。だからヒル魔さんは。。。」
戻ってくださいと続けようとしたセナは、驚き、言葉を飲みこんだ。
ヒル魔は悲しそうな、切なそうな目でセナを見ていたからだ。
空気が急に張り詰める。
ヒル魔の真剣な眼差しから目を逸らすことができない。
こういうシチュエーションに疎いセナは、言葉を発することも動くことも出来なかった。
「ファッキン!」
緊張感を破ったのはヒル魔の方だった。
「早く腕をなおさねぇと、してぇこともできねぇ。」
「ヒル魔さんのしたいこと?」
するとヒル魔の左の手の平がセナの右頬を包みように触れた。
再びセナの鼓動が早くなる。
ヒル魔はうなされているセナを見て、心が締め付けられる思いだったのだ。
うわ言の内容で、わかった。
セナはあの試合のあの瞬間を追体験して、絶望の涙を流している。
少しでも安心することができるように、強く抱きしめたい。
だが片腕ではそれすらかなわないのだ。
「心配すんな。腕は治る。クリスマスボウルまでには完全に治してやる。」
ヒル魔もまたあの試合の最後のプレーを思い出すと、未だに心が恐怖に震える。
ハンドオフの瞬間に痺れて震えていたセナの手が目に入った瞬間だ。
小さな身体にかなりの無理をさせダメージを負わせてしまったという焦燥感と罪悪感。
「ヒル魔さん、ありがとうございます。ヒル魔さんに見出して貰わなければ、僕は。。。」
「やめろ。まだ終わりじゃねぇんだ。」
ヒル魔はセナの言葉を遮った。聞かなくてもわかるセナの気持ち。
セナは泣き笑いのような表情だ。
ヒル魔はセナの頬にあった左手を滑らせて頭をくしゃりと撫でた。
この時、保健室の扉の外には武蔵と栗田と十文字がいた。
休憩時間になって、倒れたセナが心配で見に来たのだ。
だが先にヒル魔が来て、セナと話し込んでいるのを聞いて、入るに入れなかったのだ。
「結局セナはヒル魔が好きなんだな。」
十文字がため息まじりに、文句を言った。
武蔵と栗田も、苦笑まじりに頷く。
悔しいけれど、きっとセナはヒル魔でなければダメなのだろう。
セナが幸せであるなら、祝福できる。
恋に揺れる彼らに安心する暇はなかった。
最後にして最強の絶対王者との対戦が待っている。
【続く】