生きる5題+

「セナは何かの病気なのか?」
ノックもなく部室に入ってきた十文字が、単刀直入にそう聞いてきた。
ヒル魔はノートパソコンを叩く手を止めて、十文字を見た。

神龍寺を破り、泥門の次の対戦相手は王城だ。
ヒル魔が1人部室で作戦を練っていたところに、十文字が来た。

来るべき時が来たかと思った。
次にセナの異変に気がつくのはこの男だろうと思っていたのだから。
そもそもアイシールド21の正体も、言われる前に気がついていた。
洞察力がするどい男なのだ。

セナではなくヒル魔に聞いてきたという点も、評価してやろうと思う。
十文字はちゃんと見抜いている。
セナ本人が隠したがっているということも、ヒル魔が真相を知っているということも。

セナは自分の身体のことを、クリスマスボウル後には打ち明けたいと考えていた。
だがそれ以前に気がついた部員には、真実を話すのも止むなしと思っている。
疑念を持たれたままでギクシャクするのは本意ではない。
最悪、試合で命取りになりかねない。
だからセナはヒル魔が必要と判断したら、独断で話してもいいと言ってくれていた。

「十文字。秘密、守れるか。」
ヒル魔の真剣な口調に十文字は頷いた。
いつもの「糞長男」ではなく「十文字」と呼ばれたことに、驚いているようだ。
だがそれだけ重要な秘密なのだと感じ取ってくれただろう。

ヒル魔は包み隠さず、十文字に真実を告げた。
十文字はセナが背負った運命を知り、驚きを隠せないようだった。


「おい、セナにもマスク付けさせて大丈夫なのかよ。」
十文字はヒル魔の耳元で小さく問い詰めたが、ヒル魔は答えない。
そこでチラリと武蔵と栗田を見たが、目を反らされてしまった。

対王城のトレーニングとして、溝六は全員に濡れたマスクを付けさせていた。
その状態で、日常生活も部活もこなすのは、とてもきつい。
ヒル魔は持ち前の我慢強さで、そんな素振りは露ほども見せなかった。

わかっている。
ヒル魔だって心配なのだろうが、セナだけマスクをしないのは不自然だ。
何より当のセナは、きっとみんなと同じトレーニングを希望している。
だがヒル魔は、そんな心配や葛藤を決して表に出さない。
そんなヒル魔の沈着冷静さが羨ましく、憎らしい。

十文字はセナのことがずっと気になっていた。
最初にその光速の走りを見たのは、入学したばかりの4月。
パシリにしようと思っていた少年は、鮮やかに逃げた。
人込みの中をすり抜けて、本当に見事な逃走劇だった。

それからずっとセナを見ている。
走る姿はまるで大空へ羽ばたくように、力強く美しい。
セナ本人に惹かれるようになるのに、大して時間もかからなかった。

だがセナ本人に目が行くと、どうしてもヒル魔の影が見える。
アメフトでは息の合ったクォーターバックとランニングバック。
だが2人の間には、それ以上の絆が見える。
ヒル魔はいつもセナを見守っているし、セナはヒル魔を信頼して何もかも預けている。
それはまるで恋人、いやそれ以上のつながりだ。

どうしてセナは、自分に直接、病気のことを話してくれなかったのか。
心を開いてくれていないのだろうか。
つらつらと考えると、ついついセナの動きを目で追っている自分に気がつく。

ダメだ、と十文字は頭を振った。
一番つらいはずのセナがクリスマスボウルを選んだのだ。自分が迷ってどうする。
十文字はセナから視線をそらし、きつく前を見据えた。


「最近、セナ君って綺麗になったよね?」
いきなり呼び止められて、妙なことを言われた。
セナはたじろぎ、思わず1歩後ずさる。
だが相手は逆に1歩踏み出し、セナとの間合いを詰めてきた。

放課後、部活に向かおうとしていたセナは、男子生徒に呼び止められた。
嫌いな人間がほとんどいないセナにして、あまり好きではない人物。
同じ1年生で、アメフト部の入部テストに来ていた。
掛け持ちでいいなら入ってもいいなどと、不愉快な発言が多かった。

「どういう、意味かな?」
「そのまんま。綺麗になったなって思って。」
そこでセナは、彼の名前が三宅だったと思い出す。
だが薄笑いの下にある彼の真意はわからない。

「好きな人とかいる?恋する女は綺麗って言うし」
「気のせいじゃない?僕は女じゃない。」
「恋する、の方は否定しないんだ。」
セナは三宅の目が攻撃的であることに気付いて、困惑した。
綺麗になったなんて、普通に考えれば褒め言葉だ。
だが三宅の口調や表情を見れば、少しも褒めてなどいないことがわかる。

それに「恋する女」というフレーズも気になった。
恋をしているなんてカッコいいモノではないけど、好きな人はいる。
それに自分が女であることは、つい最近わかった衝撃事実だ。

「うちのエースに、変な因縁つけるのは止めろ。」
不意に背後から、聞き慣れた声がした。
声の主、十文字が2人の間に割り込み、三宅を睨みつける。
そしてセナの両側に黒木と戸叶が立ち、守るように固めている。
援軍の登場に、三宅は面白くなさそうな表情で踵を返した。

「ありがとう。助かった。」
セナは笑顔で3人に礼を言う。
少し前なら、庇ってくれたチームメイトに心から感謝しただろう。
だが今は違う。
もちろん感謝はしているし、助けてもらって嬉しい。
だがそれとは別に、こんな風に守られるのは女の子みたいで嫌だと思ってしまう。

女の子だから、助けてくれたのかな。
セナはふとそう思ったが、口に出す勇気はない。
先に立って歩く3人の背中に、重い足取りで従った。


「10分休憩!」
セナは合図と共にその場にへたり込んだ。
マスクトレーニングはつらいが、ありがたい。
どうしても夜寝るときには、いろいろと考えてしまうのだ。
ヘトヘトになるまで身体を酷使すれば、不眠にはならずにすみそうだ。

「ほら」
「あ、ありがとう。」
へたり込んだ横に十文字が来て、セナにスポーツドリンクのボトルを差し出す。
セナはありがたくそれを受け取った。

「大丈夫か?」
「うん。」
十文字が、セナの隣に腰を下ろした。
セナは俯いて、ドリンクボトルに口をつける。

「十文字君、聞いたんだよね?」
セナは俯いたまま、そう聞いた。
十文字はすぐに何のことだかわかったのだろう。
少し躊躇った後「聞いた」と答えた。

「さっき助けてくれたのは、僕が。。。女の子だから?」
「何を言って。。。」
「三宅君も、僕のこと『女』って言った。そう見えるのかな?」
「あの野郎!」

セナは口からどんどんネガティヴな言葉が出てくるのを止めることができなかった。
思えば病気が発覚してから、こんな風に弱音を吐いたことがなかった。
両親はセナがアメフトを続けることに反対だから、家では何もいえない。
ヒル魔にだって、言えなかった。
セナのわがままで、極力みんなと同じに扱って欲しいと頼んでいる。
それに主将であるヒル魔は、セナだけでなくチーム全体の心配をしなくてはならないのだ。

「男でも女でも、セナはセナだろ。」
沈み込みそうになるセナに、十文字がポツリと告げる。
その言葉は砂に落とした水のように、セナの心に沁みていった。


「男でも女でも、セナはセナだろ。」
十文字は俯くセナの横顔に、そう告げた。
それは嘘偽りのない、十文字の本心だった。

「俺らがセナを助けたのはセナだからだ。男も女も関係ねぇよ。」
「ほんとに?」
「本当だ。第一ヤツらは、セナの身体のこと、知らねぇし」
十文字はそう言いながら、斜め前方を指差す。
そこには黒木と戸叶が並んで座り、何かを話している。

「セナは大事なダチだから助けた。それだけだ。」
「ありがとう。」
セナのことを「ダチ」と表現した時、少しだけ心が痛む。
だけどセナの笑顔を見れば、わだかまりも吹っ飛んだ。

十文字は視線を感じて、そちらを見る。
すると少し離れたところから、ヒル魔がこちらを見ていた。
いつもの通りの冷静な表情から、何も読み取ることは出来ない。
だがなぜかヒル魔が嫉妬しているように見えた。
特に根拠もないのだが、この直感は当たっているような気がする。

「セナが男でも女でも、俺たちはみんなセナが好きだぜ。」
十文字はそう言いながら、セナの肩に手を回した。
セナは逆らわず、十文字に身体を寄せると、フワリと笑った。

これくらいしてもいいだろう?
十文字はもう1度ヒル魔に視線を送る。
相変わらず無表情のヒル魔だったが、なんだか妙に気分がよかった。


プレイが止まったのに、王城の狂犬は気づいていなかった。
怒りのプリズンチェーンが倒れたセナに突進する。
十文字はとっさにセナを庇うべく間に割って入った。
大丈夫かと顔を覗き込み、小さく「ありがとう」と微笑むセナの顔を見て安心する。

「そんなに心配しないで。大丈夫だから。」
セナは困ったようにそう言った。
十文字はハッと我に返る。
今は試合、セナを守って走らせることが仕事なのだ。

そしてゲームクロックは、ラスト1秒。
大田原のキックをモン太がキャッチしてタイムアップ。
モン太の足ではボールを運べない。頼みのセナは逆サイド。。。
0%という数字がヒル魔の頭を過ぎった瞬間。ヒル魔の真ん前を疾風が通り過ぎた。
ヒル魔が囲まれたセナをとっさの思いつきでアシストし、進との戦いに押し出してやる。

その後のセナは美しかった。
大空に羽ばたくように、エンドゾーンに向かって疾走する。
十文字はその姿に見蕩れた。
みんなの夢を乗せて光速で駆け抜けるセナは神々しくさえある。
男だ女だなんて、どうでもいいことだ。

セナはユニフォームとリストバンドを引き千切られながら、タッチダウンを決めた。
劇的な逆転勝利だ。
十文字は歓喜の声を上げるセナに駆け寄りながら、チラリとヒル魔を見た。
予想通り、相変わらずのポーカーフェイスを決め込んでいる。

ヒル魔がそういう態度なら、セナは俺が守る。
十文字はそう決意していた。
同じ1年、しかも同じクラスで、ヒル魔よりも長く一緒にいるのだ。
報われない恋だとわかっている。
だができる限り支えて守るのは、十文字の自由だ。


「そのときには僕ももっとずっと強くなっているようにします。」
進に再戦の決意を伝えられたとき、セナは思わずそう答えてしまった。

再戦。
また王城と戦えるときがくるだろうか。
そのとき僕はフィールドに立てるんだろうか。
セナはゆっくりと首を振った。
その前に今はクリスマスボウルだ。

「うっっ」
進と話していたために他の部員より遅れて引き上げたセナは、声を上げた。
急にこみ上げてきた吐き気に、慌てて口を押さえる。
ロッカールームに戻らず、慌ててトイレの洗面台に駆け込んだ。
洗面台の前に身体を折り曲げて、水道の水を勢いよく出す。

「う、ぐ。。。」
吐くものなんかない。
最近食欲も落ちている。
実は今日もどうにかゼリー状のバランス栄養食をとっただけだ。
だが吐き気は止まらなかった。
セナは酸っぱい胃液を吐き続けた。

どうにもいうことを聞かない身体。
そしてクリスマスボウルまでの遠い道のり。
考えただけで絶望的な気分になる。

それでもどうにか頑張れるのは、支えてくれる仲間がいるからだ。
セナの身体のことを知って、気遣ってくれるヒル魔や武蔵。
男も女も関係ないと言ってくれた十文字。
彼らと一緒に夢を叶えるためなら、このくらい耐えられる。

ようやく吐き気がおさまると、顔を洗って口をすすいだ。
具合が悪そうなところなんて、絶対に見せない。
セナは鏡の中の自分の顔を確認すると、ロッカールームへ急いだ。

【続く】
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