生きる5題+
「タッチダ~ゥン」
勝利のデビルバットダイブを決めた直後、小早川セナは地面に横たわっていた。
審判のコールで、ハッと我に返る。
試合終了。巨深ポセイドンになんとか勝ったのだ。
それにしても今日はどうしたんだろう?
身体が全然思うように動かなかった。
デビルバットゴーストを駆使しても、筧をなかなか抜けなかった。
苦肉の策のハリケーンゴーストを使ったら、今度は水町に止められた。
最後のダイブも長身の巨深のラインの上を行けるはずだった。
なのに最後は小結のフォローでようやく抜けたのだ。
今も身体が重いし、頭痛がする。
おまけに、めまいと吐き気までこみ上げてきた。
それでも勝った喜びに顔を綻ばせ、何とかフラフラと身体を起こす。
でも立ちくらみが襲ってきて、その場にしゃがみ込んでしまった。
「セナ?」
「どっかケガしたのか?」
デビルバッツのメンバーたちがセナに駆け寄ってきた。
再度ヨロヨロと立ち上がったセナを後ろから支えたのは、心優しい巨漢の先輩だ。
栗田が「大丈夫?」と心配そうな表情で、セナを見下ろしている。
「す、すみません。肩を打ったみたいです。」
セナは力なく笑った。
最後のデビルバットダイブで肩を打ったのは嘘ではない。
肩からは鈍い痛みが伝わってくる。
でもそれ以上に身体が辛い。
「でも大丈夫です!次も頑張りましょう!」
不安な気持ちを押し隠して、セナは笑った。
自分が充分に動けなかったせいで、最後まで綱渡りの試合になってしまった。
それを身体のせいにしたくない。
それ以上に勝利に沸いているチームメイトたちを不安にしたくなかった。
セナは気付かなかった。
泥門の主将、ヒル魔がこちらを凝視していることを。
地獄の司令塔はかすかに顔をしかめながら、セナの動きを目で追っていた。
「糞チビ、テメーは残れ。」
西部ワイルドガンマンズとの試合の翌日、ヒル魔はセナにそう言い渡した。
そんなことは初めてだったので、セナだけでなく全員が驚く。
だが部員たちはヒル魔が理由なくそんなことをしないとわかっており、何も聞かない。
唯一まもりだけが「セナを苛めないで」と喚き、帰らせるのが少々大変だった。
「身体の調子はどうなんだ?」
他の部員たちが帰宅した後、ヒル魔は単刀直入に切り出した。
カジノテーブルの上に足を投げ出して、ガムを噛んでいる。
その態度とは似つかわしくない真剣な口調だ。
ヒル魔には、巨深戦でセナの体調が悪いことはわかっていた。
スピードも身体のキレもよくない。
だが実に些細で、気がついたのはおそらくヒル魔だけだろう。
他のメンバー、まして他校の選手たちは気づいていないはずだ。
単にその日に調子悪いということなら、特に問題ないと思っていた。
だがセナの身体の不調は、日によって波はあるものの快方には向かわなかった。
そして西部ワイルドガンマンズとの試合でも、セナは力を発揮しきれなかった。
結果は痛恨の敗北だ。
いくら3位決定戦があると言っても、負けるのはやはり愉快ではない。
もちろん負けたことがセナの責任だというつもりなど、毛頭ない。
だがセナの体調が万全だったらと思うと、悔いは残る。
さすがに主将としては、このまま放ってはおけない事態だった。
「あ、あの」
対するセナは、チョコンと椅子に腰掛けていた。
不自然に肩に力が入っていることから緊張しているのがわかる。
目が落ち着きなく泳いでいるのは、この場を切り抜ける方法を考えているのだろう。
ヒル魔はこれ見よがしに溜め息をついた。
このヒル魔相手に騙せると思っているなら、それは大間違いだ。
それにクリスマスボウルという大事な目標があるのだ。
誤魔化されるのは時間の無駄だし、迷惑だ。
「さっさと言いやがれ、この糞チビ」
「身体がだるくて、重いんです。あと時々頭痛やめまいや吐き気がして。」
とどめとばかりに凄むと、ようやくセナは白状した。
「さっさと言いやがれ、この糞チビ」
「身体がだるくて重いんです。あと時々頭痛やめまいや吐き気がして。」
「夜は眠れてるか?食欲は?」
「眠れてはいますが、寝が浅い感じで。食欲はあまりないです。」
「何で今まで黙ってた。」
「怖かったんです。重い病気でアメフトは禁止なんて言われたらと思うと。」
やはり隠し切れなかった。
セナは肩を落とし俯くと、淡々とヒル魔の問いに答えていく。
クリスマスボウルに行くまでは何とか我慢しようと思っていたのだ。
だが案外穏やかなヒル魔の様子に、セナは驚いていた。
もっと怒ると思った。
最悪の場合、銃撃でもされるかと思っていたのに。
「明日は学校も部活も休め。精密検査受けて来い。」
「そんな。まだ練習しなくちゃ!次の盤戸戦で負けたら、クリスマスボウルが!」
ヒル魔の命令に、セナは大声で抗議した。
練習を休むなど、冗談ではない。
巨深戦もギリギリだったし、西部戦は負けた。
セナはそれを全て自分のせいだと思っている。
むしろ練習量を増やさなければならないくらいだ。
「皆に迷惑かけたくないんです。休んでいる暇なんかない。もっと、もっと!」
セナの語気が激しくなり、落ち着きを失っていく。
次第に呼吸が苦しくなって、ヒル魔の驚いた表情がかすみ始める。
だが蛭魔に「セナ!」と滅多に呼ばれない名前を呼ばれて、我に返った。
「よく聞け。盤戸に勝ったら次は関東大会だ。もっと強ぇ学校が相手なんだぞ。」
「ヒル魔さん。。。」
「そんな身体で通用するほど甘かねぇ。今のうちにちゃんと身体を直すんだ。」
セナはガックリと首を項垂れた。
ヒル魔の言うことはまったく正しい。
「明日、朝一番で行け。城下町病院だ。手はずは整えてあるから受付で名前を言えばいい。」
「わかりました。ご迷惑おかけしてすみませんでした。ありがとうございます。」
セナは悲しげな口調でヒル魔に頭を下げ、部室を出て行こうとした。
「糞チビ」
そのセナをヒル魔が呼び止める。
セナは無言で振り返りヒル魔を見た。
「・・・必ず行けよ。行かなかったら盤戸戦、出さねぇぞ。」
ヒル魔にしては珍しく少々の間の後に、念押しされた。
セナは無言でもう一度頭を下げて、しょんぼりと出て行った。
セナが走る。
盤戸スパイダースのキックから最後のリターンラン。
とにかく抜いていくしかない。タッチダウンしかない。
最高速を必死で維持しながら21番が疾走する。
デビルバッツの全てのメンバーの夢を乗せて。
ヒル魔は盤戸の選手をブロックしながら、セナの後姿を視界の片隅に捕らえていた。
セナはヒル魔の言う通り、病院で精密検査を受けた。
結果が出るのはこの試合の後だ。
最近のセナはますます調子が落ちている。
こんな状態で試合に出場させ、きついプレーをさせている自分は本当に悪魔だと思う。
そうしないと勝てないと思う気持ち。
セナの身体を心配する気持ち。
そんな思いを全て力に変えて、ヒル魔は盤戸の選手をブロックする。
そしてセナは限界速を維持しながら、そのままゴールラインに倒れこんだ。
タッチダウン。泥門デビルバッツは関東大会出場を決めた。
「誰か、手を貸して~」
試合後の通路に、鈴音の大声が響いた。
ロッカールームで勝利のビールかけをしていたデビルバッツのメンバーが通路に出る。
ぐったりと目を閉じ、意識を失ったセナを鈴音が必死に支えている。
そりゃ倒れもするだろう。
全員が納得しながら、疲れ切った21番の背中に見入った。
「もうダメ、倒れる~~~~」
鈴音が限界を訴えた瞬間、部員たちが慌てて駆け寄ろうとする。
だがその前に、セナの身体がふわりと浮いた。
誰よりも先に、ヒル魔がセナの身体を持ち上げたのだ。
バランスを失った鈴音が尻餅をつく。
ヒル魔は無表情のまま、セナを抱き上げてロッカールームへ引き返していった。
衝撃に顔を顰めた鈴音と事の成り行きを見ていたデビルバッツの面々は呆然とした。
ヒル魔が。セナを。お姫様抱っこ!?
だが喜び浮かれていた部員たちは、何も言えなかった。
どうにも茶化せない雰囲気なのだ。
そんな部員たちなどおかまいなしに、ヒル魔は数日前のことを思い出していた。
セナに病院に行けと命じたあの時、ヒル魔は最後にこう言おうとしたのだ。
巨深戦はセナがいたから勝てた。
西武戦で試合こそ負けたが、セナは走りの師匠である陸を抜いて見せた。
セナは理不尽に課せられた期待に充分答えていると。
でもそんなことを言うのは自分らしくないと思って止めた。
そして心の中でそっと「セナ、早く治せ」と呟くだけにしたのだ。
結局セナはヒル魔によってロッカールームに運ばれ、祝宴は再開された。
セナは意識が朦朧としたまま樽酒を頭からぶちまけられる。
そしてそのときの写真は長いこと部室の壁を飾った。
この後セナは自分の存在理由を根底から覆されるような理不尽な運命を迎える。
部室の壁の写真を見るたびに無邪気だったあの頃を思い出し、懐かしむのだ。
ヒル魔は部室でノートパソコンに向かっていた。
練習は終わり、他の部員はすでに帰宅している。
窓から差し込む光が、夕焼けのオレンジが夕暮れの黒に変わろうとしていた。
関東大会の初戦・神龍寺ナーガの対策を練ろうとしていたが、集中できない。
ヒル魔はひたすら待っていた。
本当は検査の結果が出た日にセナから病状を教えてもらうはずだった。
だが、その日の約束は果たされなかった。
ただセナからは1通のメールが送られていた。
命にかかわる病気ではなかったこと。
今は動揺しすぎているが、近いうちに必ず全てを話すこと。
そして今まで通り部活を続ける。
関東大会もクリスマスボウルも必ず出場すると書かれていた。
ヒル魔が精密検査の手配をしたのは、計算もあった。
万一命にかかわるような病気で、セナがそれを隠そうとする可能性もある。
だから黒い手帳の影響下にある病院を選び、手配したのだった。
だから別に知ろうと思えば調べることは簡単だ。
しかし必ず全てを話すというセナのメールを信じ、待ち続けているのだった。
やはり集中できない。
諦めてパソコンの電源を落とし、ヒル魔は部室を出た。
すでに完全に日が落ち、真っ暗になっている。
ヒル魔は夜の涼しさに小さく身を震わせた。
昼間はまだ気温も高いし、練習の余韻で身体も熱を持っている。
だが夜は確実に涼しい秋の空気だ。
校舎から洩れてくるかすかな灯りが頼りなく校庭を照らしている。
そしてその中に儚げな小さな少年が浮かび上がっていた。
「糞チビ?」
ヒル魔は目を凝らした。
声で確認しなければ、さながら幻影のようだ。
このままではセナが消えてしまう。
そんな根拠もない焦燥を感じて、ヒル魔はセナに駆け寄った。
セナはヒル魔を待ちながら、ぼんやりと校庭に立っていた。
夕方から夜へと変貌していく無人の校庭。
色と温度が消失していく。
それは妙に今のセナの気分に合っていた。
このまま闇に飲み込まれてしまえれば。
このまま融けてしまえれば。。。
目を閉じたセナの身体が大きく前に傾いだ。
「セナ!」
不意に横から伸びてきた腕にセナの身体は受け止められた。
長い腕の持ち主を見上げたセナはその名を呼ぶ。
「ヒル魔さん。。。」
「何やってんだ!」
「ヒル魔さん。。。」
「バカ!身体が冷え切ってんじゃねぇか!体調が悪いくせに何やってやがる!」
「すみません。」
ヒル魔が怒っている。
ああ、また迷惑をかけちゃったな。
セナは自分を支えるヒル魔の腕をそっと押しのけた。
「もしかして俺を待ってたのか?」
セナは頷いた。
ヒル魔はセナが自力で立てるのを確認して、安堵のため息をついている。
「検査の結果、お話します。気持ちの整理がつかなくてお待たせしちゃいました。」
長い話になりそうだ。
ここは寒いし、セナの身体に悪いだろう。
部室に行こうと誘うヒル魔をセナは断った。
ここがいいんです、と。
結局二人はその場に腰を下した。
制服のまま、地面に体育座りで並ぶ。
そしてセナは語った。
自分の身体のこと、そして決意を余さず。
ヒル魔は内心の驚愕を押し隠して、衝撃的な告白と決意を黙って聞いていた。
セナは長い長い話の間中、ヒル魔の方は見ず、目の前の闇に顔を向けていた。
「僕はきっと毎日ちょっとずつ僕じゃなくなっていくんです。」
「いいのか、ほんとにそれで?」
最後にポツリと弱音を漏らしたセナにヒル魔が確認するように問いかけた。
「仕方ありません。僕は僕自身をなくしてもクリスマスボウルに行きたい。」
それまであえてセナの方を向かずに視線を前方に向けていたヒル魔が、セナを見た。
セナには珍しくきっぱりとした口調だ。
だが辺りが闇に包まれ始めていたせいか、セナの姿はひどく頼りなげだった。
タダでさえデビルバッツの期待を一心に背負っているのに。
その上こんな運命まで背負って、それに打ち勝とうとしている小さなエース。
ヒル魔は隣に座るセナの両肩を掴み、自分の方を向かせた。
だが急にこみ上げる愛おしさに動揺する。
「どうなってもテメーはテメーだ。」
ヒル魔は迷いながら、セナを自分の胸と腕の中に閉じ込め、抱きしめた。
セナはヒル魔の腕の中で涙を堪えて歯を食いしばっている。
セナを抱きしめるヒル魔の手に力が込められた。
「きっと痛い思いをした分、いいことがある。」
ヒル魔はセナの耳元で、そう囁いた。
言ってしまってから安っぽい気休めだと思う。
だがセナは「そうですね、それなら」と真剣に答える。
「もっともっと強いイタミを。そうすればきっとクリスマスボウルに行けます。」
ヒル魔はその言葉に驚き、目を見開いた。
これほどの悲運の中で、セナは揺るがない。
クリスマスボウルという夢を見据えて、少しも諦めていないのだ。
脆そうに見えて強い。そして健気でかわいい。
ヒル魔ははっきりと自覚した。
自分がセナに向ける想い。これは恋だ。
【続く】
勝利のデビルバットダイブを決めた直後、小早川セナは地面に横たわっていた。
審判のコールで、ハッと我に返る。
試合終了。巨深ポセイドンになんとか勝ったのだ。
それにしても今日はどうしたんだろう?
身体が全然思うように動かなかった。
デビルバットゴーストを駆使しても、筧をなかなか抜けなかった。
苦肉の策のハリケーンゴーストを使ったら、今度は水町に止められた。
最後のダイブも長身の巨深のラインの上を行けるはずだった。
なのに最後は小結のフォローでようやく抜けたのだ。
今も身体が重いし、頭痛がする。
おまけに、めまいと吐き気までこみ上げてきた。
それでも勝った喜びに顔を綻ばせ、何とかフラフラと身体を起こす。
でも立ちくらみが襲ってきて、その場にしゃがみ込んでしまった。
「セナ?」
「どっかケガしたのか?」
デビルバッツのメンバーたちがセナに駆け寄ってきた。
再度ヨロヨロと立ち上がったセナを後ろから支えたのは、心優しい巨漢の先輩だ。
栗田が「大丈夫?」と心配そうな表情で、セナを見下ろしている。
「す、すみません。肩を打ったみたいです。」
セナは力なく笑った。
最後のデビルバットダイブで肩を打ったのは嘘ではない。
肩からは鈍い痛みが伝わってくる。
でもそれ以上に身体が辛い。
「でも大丈夫です!次も頑張りましょう!」
不安な気持ちを押し隠して、セナは笑った。
自分が充分に動けなかったせいで、最後まで綱渡りの試合になってしまった。
それを身体のせいにしたくない。
それ以上に勝利に沸いているチームメイトたちを不安にしたくなかった。
セナは気付かなかった。
泥門の主将、ヒル魔がこちらを凝視していることを。
地獄の司令塔はかすかに顔をしかめながら、セナの動きを目で追っていた。
「糞チビ、テメーは残れ。」
西部ワイルドガンマンズとの試合の翌日、ヒル魔はセナにそう言い渡した。
そんなことは初めてだったので、セナだけでなく全員が驚く。
だが部員たちはヒル魔が理由なくそんなことをしないとわかっており、何も聞かない。
唯一まもりだけが「セナを苛めないで」と喚き、帰らせるのが少々大変だった。
「身体の調子はどうなんだ?」
他の部員たちが帰宅した後、ヒル魔は単刀直入に切り出した。
カジノテーブルの上に足を投げ出して、ガムを噛んでいる。
その態度とは似つかわしくない真剣な口調だ。
ヒル魔には、巨深戦でセナの体調が悪いことはわかっていた。
スピードも身体のキレもよくない。
だが実に些細で、気がついたのはおそらくヒル魔だけだろう。
他のメンバー、まして他校の選手たちは気づいていないはずだ。
単にその日に調子悪いということなら、特に問題ないと思っていた。
だがセナの身体の不調は、日によって波はあるものの快方には向かわなかった。
そして西部ワイルドガンマンズとの試合でも、セナは力を発揮しきれなかった。
結果は痛恨の敗北だ。
いくら3位決定戦があると言っても、負けるのはやはり愉快ではない。
もちろん負けたことがセナの責任だというつもりなど、毛頭ない。
だがセナの体調が万全だったらと思うと、悔いは残る。
さすがに主将としては、このまま放ってはおけない事態だった。
「あ、あの」
対するセナは、チョコンと椅子に腰掛けていた。
不自然に肩に力が入っていることから緊張しているのがわかる。
目が落ち着きなく泳いでいるのは、この場を切り抜ける方法を考えているのだろう。
ヒル魔はこれ見よがしに溜め息をついた。
このヒル魔相手に騙せると思っているなら、それは大間違いだ。
それにクリスマスボウルという大事な目標があるのだ。
誤魔化されるのは時間の無駄だし、迷惑だ。
「さっさと言いやがれ、この糞チビ」
「身体がだるくて、重いんです。あと時々頭痛やめまいや吐き気がして。」
とどめとばかりに凄むと、ようやくセナは白状した。
「さっさと言いやがれ、この糞チビ」
「身体がだるくて重いんです。あと時々頭痛やめまいや吐き気がして。」
「夜は眠れてるか?食欲は?」
「眠れてはいますが、寝が浅い感じで。食欲はあまりないです。」
「何で今まで黙ってた。」
「怖かったんです。重い病気でアメフトは禁止なんて言われたらと思うと。」
やはり隠し切れなかった。
セナは肩を落とし俯くと、淡々とヒル魔の問いに答えていく。
クリスマスボウルに行くまでは何とか我慢しようと思っていたのだ。
だが案外穏やかなヒル魔の様子に、セナは驚いていた。
もっと怒ると思った。
最悪の場合、銃撃でもされるかと思っていたのに。
「明日は学校も部活も休め。精密検査受けて来い。」
「そんな。まだ練習しなくちゃ!次の盤戸戦で負けたら、クリスマスボウルが!」
ヒル魔の命令に、セナは大声で抗議した。
練習を休むなど、冗談ではない。
巨深戦もギリギリだったし、西部戦は負けた。
セナはそれを全て自分のせいだと思っている。
むしろ練習量を増やさなければならないくらいだ。
「皆に迷惑かけたくないんです。休んでいる暇なんかない。もっと、もっと!」
セナの語気が激しくなり、落ち着きを失っていく。
次第に呼吸が苦しくなって、ヒル魔の驚いた表情がかすみ始める。
だが蛭魔に「セナ!」と滅多に呼ばれない名前を呼ばれて、我に返った。
「よく聞け。盤戸に勝ったら次は関東大会だ。もっと強ぇ学校が相手なんだぞ。」
「ヒル魔さん。。。」
「そんな身体で通用するほど甘かねぇ。今のうちにちゃんと身体を直すんだ。」
セナはガックリと首を項垂れた。
ヒル魔の言うことはまったく正しい。
「明日、朝一番で行け。城下町病院だ。手はずは整えてあるから受付で名前を言えばいい。」
「わかりました。ご迷惑おかけしてすみませんでした。ありがとうございます。」
セナは悲しげな口調でヒル魔に頭を下げ、部室を出て行こうとした。
「糞チビ」
そのセナをヒル魔が呼び止める。
セナは無言で振り返りヒル魔を見た。
「・・・必ず行けよ。行かなかったら盤戸戦、出さねぇぞ。」
ヒル魔にしては珍しく少々の間の後に、念押しされた。
セナは無言でもう一度頭を下げて、しょんぼりと出て行った。
セナが走る。
盤戸スパイダースのキックから最後のリターンラン。
とにかく抜いていくしかない。タッチダウンしかない。
最高速を必死で維持しながら21番が疾走する。
デビルバッツの全てのメンバーの夢を乗せて。
ヒル魔は盤戸の選手をブロックしながら、セナの後姿を視界の片隅に捕らえていた。
セナはヒル魔の言う通り、病院で精密検査を受けた。
結果が出るのはこの試合の後だ。
最近のセナはますます調子が落ちている。
こんな状態で試合に出場させ、きついプレーをさせている自分は本当に悪魔だと思う。
そうしないと勝てないと思う気持ち。
セナの身体を心配する気持ち。
そんな思いを全て力に変えて、ヒル魔は盤戸の選手をブロックする。
そしてセナは限界速を維持しながら、そのままゴールラインに倒れこんだ。
タッチダウン。泥門デビルバッツは関東大会出場を決めた。
「誰か、手を貸して~」
試合後の通路に、鈴音の大声が響いた。
ロッカールームで勝利のビールかけをしていたデビルバッツのメンバーが通路に出る。
ぐったりと目を閉じ、意識を失ったセナを鈴音が必死に支えている。
そりゃ倒れもするだろう。
全員が納得しながら、疲れ切った21番の背中に見入った。
「もうダメ、倒れる~~~~」
鈴音が限界を訴えた瞬間、部員たちが慌てて駆け寄ろうとする。
だがその前に、セナの身体がふわりと浮いた。
誰よりも先に、ヒル魔がセナの身体を持ち上げたのだ。
バランスを失った鈴音が尻餅をつく。
ヒル魔は無表情のまま、セナを抱き上げてロッカールームへ引き返していった。
衝撃に顔を顰めた鈴音と事の成り行きを見ていたデビルバッツの面々は呆然とした。
ヒル魔が。セナを。お姫様抱っこ!?
だが喜び浮かれていた部員たちは、何も言えなかった。
どうにも茶化せない雰囲気なのだ。
そんな部員たちなどおかまいなしに、ヒル魔は数日前のことを思い出していた。
セナに病院に行けと命じたあの時、ヒル魔は最後にこう言おうとしたのだ。
巨深戦はセナがいたから勝てた。
西武戦で試合こそ負けたが、セナは走りの師匠である陸を抜いて見せた。
セナは理不尽に課せられた期待に充分答えていると。
でもそんなことを言うのは自分らしくないと思って止めた。
そして心の中でそっと「セナ、早く治せ」と呟くだけにしたのだ。
結局セナはヒル魔によってロッカールームに運ばれ、祝宴は再開された。
セナは意識が朦朧としたまま樽酒を頭からぶちまけられる。
そしてそのときの写真は長いこと部室の壁を飾った。
この後セナは自分の存在理由を根底から覆されるような理不尽な運命を迎える。
部室の壁の写真を見るたびに無邪気だったあの頃を思い出し、懐かしむのだ。
ヒル魔は部室でノートパソコンに向かっていた。
練習は終わり、他の部員はすでに帰宅している。
窓から差し込む光が、夕焼けのオレンジが夕暮れの黒に変わろうとしていた。
関東大会の初戦・神龍寺ナーガの対策を練ろうとしていたが、集中できない。
ヒル魔はひたすら待っていた。
本当は検査の結果が出た日にセナから病状を教えてもらうはずだった。
だが、その日の約束は果たされなかった。
ただセナからは1通のメールが送られていた。
命にかかわる病気ではなかったこと。
今は動揺しすぎているが、近いうちに必ず全てを話すこと。
そして今まで通り部活を続ける。
関東大会もクリスマスボウルも必ず出場すると書かれていた。
ヒル魔が精密検査の手配をしたのは、計算もあった。
万一命にかかわるような病気で、セナがそれを隠そうとする可能性もある。
だから黒い手帳の影響下にある病院を選び、手配したのだった。
だから別に知ろうと思えば調べることは簡単だ。
しかし必ず全てを話すというセナのメールを信じ、待ち続けているのだった。
やはり集中できない。
諦めてパソコンの電源を落とし、ヒル魔は部室を出た。
すでに完全に日が落ち、真っ暗になっている。
ヒル魔は夜の涼しさに小さく身を震わせた。
昼間はまだ気温も高いし、練習の余韻で身体も熱を持っている。
だが夜は確実に涼しい秋の空気だ。
校舎から洩れてくるかすかな灯りが頼りなく校庭を照らしている。
そしてその中に儚げな小さな少年が浮かび上がっていた。
「糞チビ?」
ヒル魔は目を凝らした。
声で確認しなければ、さながら幻影のようだ。
このままではセナが消えてしまう。
そんな根拠もない焦燥を感じて、ヒル魔はセナに駆け寄った。
セナはヒル魔を待ちながら、ぼんやりと校庭に立っていた。
夕方から夜へと変貌していく無人の校庭。
色と温度が消失していく。
それは妙に今のセナの気分に合っていた。
このまま闇に飲み込まれてしまえれば。
このまま融けてしまえれば。。。
目を閉じたセナの身体が大きく前に傾いだ。
「セナ!」
不意に横から伸びてきた腕にセナの身体は受け止められた。
長い腕の持ち主を見上げたセナはその名を呼ぶ。
「ヒル魔さん。。。」
「何やってんだ!」
「ヒル魔さん。。。」
「バカ!身体が冷え切ってんじゃねぇか!体調が悪いくせに何やってやがる!」
「すみません。」
ヒル魔が怒っている。
ああ、また迷惑をかけちゃったな。
セナは自分を支えるヒル魔の腕をそっと押しのけた。
「もしかして俺を待ってたのか?」
セナは頷いた。
ヒル魔はセナが自力で立てるのを確認して、安堵のため息をついている。
「検査の結果、お話します。気持ちの整理がつかなくてお待たせしちゃいました。」
長い話になりそうだ。
ここは寒いし、セナの身体に悪いだろう。
部室に行こうと誘うヒル魔をセナは断った。
ここがいいんです、と。
結局二人はその場に腰を下した。
制服のまま、地面に体育座りで並ぶ。
そしてセナは語った。
自分の身体のこと、そして決意を余さず。
ヒル魔は内心の驚愕を押し隠して、衝撃的な告白と決意を黙って聞いていた。
セナは長い長い話の間中、ヒル魔の方は見ず、目の前の闇に顔を向けていた。
「僕はきっと毎日ちょっとずつ僕じゃなくなっていくんです。」
「いいのか、ほんとにそれで?」
最後にポツリと弱音を漏らしたセナにヒル魔が確認するように問いかけた。
「仕方ありません。僕は僕自身をなくしてもクリスマスボウルに行きたい。」
それまであえてセナの方を向かずに視線を前方に向けていたヒル魔が、セナを見た。
セナには珍しくきっぱりとした口調だ。
だが辺りが闇に包まれ始めていたせいか、セナの姿はひどく頼りなげだった。
タダでさえデビルバッツの期待を一心に背負っているのに。
その上こんな運命まで背負って、それに打ち勝とうとしている小さなエース。
ヒル魔は隣に座るセナの両肩を掴み、自分の方を向かせた。
だが急にこみ上げる愛おしさに動揺する。
「どうなってもテメーはテメーだ。」
ヒル魔は迷いながら、セナを自分の胸と腕の中に閉じ込め、抱きしめた。
セナはヒル魔の腕の中で涙を堪えて歯を食いしばっている。
セナを抱きしめるヒル魔の手に力が込められた。
「きっと痛い思いをした分、いいことがある。」
ヒル魔はセナの耳元で、そう囁いた。
言ってしまってから安っぽい気休めだと思う。
だがセナは「そうですね、それなら」と真剣に答える。
「もっともっと強いイタミを。そうすればきっとクリスマスボウルに行けます。」
ヒル魔はその言葉に驚き、目を見開いた。
これほどの悲運の中で、セナは揺るがない。
クリスマスボウルという夢を見据えて、少しも諦めていないのだ。
脆そうに見えて強い。そして健気でかわいい。
ヒル魔ははっきりと自覚した。
自分がセナに向ける想い。これは恋だ。
【続く】
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