ブラックセナ5題

姉崎まもりは、部室で試合のビデオを見ながらデータをまとめていた。
他の部員たちは校庭で練習している。
栗田たちラインマンがタックルマシンにぶつかるガシャンという音が聞こえる。
それにかぶさるようにヒル魔がレシーバーたちに指示を飛ばす掛け声。
今や形ばかりとはいえ主務であるセナは不足した備品を購入するために出かけている。

セナがアメフト部に入ると言い出した時には本当に驚いた。
アメフトというスポーツは小柄でひ弱なセナとは対極にあると思ったからだ。
セナを守るためという理由で飛び込んだアメフト部だったが、意外と楽しい。
マネージャーの仕事は自分の適性に合っている、とまもりは思う。
事務能力はあると思うし、他人の面倒を見るのも嫌いではないと。

まもり本人は気がついていなかった。
まもりがセナをかばい、やたらと世話を焼くのがセナを思ってのことではないことを。
それはまもりが自分自身を面倒見のいい優しい女性であることを他者にアピールする行為。
そしてセナはそのまもりの行為にすっかり甘えた風で「姉ちゃん」と懐いた態度で接する。
まもりは自分を保つために、ますますセナの世話を焼きたがる。悪循環だ。
だから今ではまもりがセナに依存するという歪んだ関係になっている。

だがセナがあのアイシールド21であることを知ったのはつい最近。
自分が守らなければ何も出来ないと思っていたセナが。
何だか急にセナが遠くに行ってしまった気がする。
そんな心の隙間を埋めるように、まもりの心は急激にヒル魔に傾いていった。
ヒル魔への恋心を、今でははっきりと自覚している。


「ヤー、今日は少し遅れちゃった!」
部室の戸が開いて、鈴音が入ってきた。いつもの元気いっぱいの無邪気で明るい様子で。
「あ、鈴音ちゃん」
まもりが笑顔で応える。鈴音はキョロキョロと部室を見回した。
「あれ?まも姉、1人?セナは?」
「キミドリスポーツ。備品の買出しよ。」
「ちょうどよかった。まも姉に話があるの。」
まるで拭き取ったように、一瞬で鈴音から笑顔が消えた。

「協力してほしいの」
鈴音はカジノテーブルでデータをまとめていたまもりの正面に座った。
そして普段決して見せることのない不敵な表情で笑いながら言う。
「協力?何を?」
まもりはいつもと違う鈴音の態度に戸惑いながら、聞いた。
「私、セナが好きなの。付き合いたいのよ。」
「え?でもそれはセナの気持ちもあることだし。」
「セナが好きなのは私じゃない。だから」
まもりは何を言っていいかわからずに黙り込んだ。
鈴音は探るような目でまもりを見据える。
「協力してくれたら、この前の雨の日のことは黙っててあげる」
挑発的な鈴音の口調に、まもりは目を見開いた。


「まも姉、わざとセナに見られるようにしたんでしょ。この前のコ・ク・ハ・ク」
鈴音は「告白」を一文字ずつゆっくりと区切って言った。
わざとらしいほどの皮肉な口調に、まもりの態度も変わる。
「セナの傘を隠したのは鈴音ちゃんじゃない。」
「やっぱり見てたんだ。それで考えたのね。」
まもりの口調も鈴音につられるように皮肉っぽいものに変わった。
「それで考えついたんじゃないわ。前々から考えてた。タイミングがよかっただけ。鈴音ちゃんのおかげでね。」
「おかげでせっかくセナと一緒に1つの傘で帰るチャンスを逃したわ。」
2人の少女は顔を見合わせて薄く笑った。

「鈴音ちゃんだって傘のことセナにバレたら困るでしょ。協力する義理はないと思うけど。」
まもりは不貞腐れたように言った。
「誰がセナにバラすって言ったのよ。」
鈴音の冷たい声色にまもりがハッとした。
鈴音はセナではなくて、ヒル魔にバラすと言っているのだと悟る。

鈴音が隠した傘のことをセナが知っても。
一緒に帰りたかったのだと謝れば、セナなら罪もない悪戯だと笑って許すだろう。
ただまもりがセナを卑劣な策略に嵌めたことをヒル魔が知れば。
ヒル魔は無茶苦茶なようでいて、意外にきちんと筋を通そうとするようなところがある。
ヒル魔はきっとまもりを軽蔑するだろう。
この事実はあの黒い手帳に書き込まれ、まもりは他の脅迫されている人たちと同じになる。
ヒル魔の特別な人間になるチャンスは永遠になくなる。
そしてセナがこのことをどう考えるか。
許してくれるかもしれないが、もう今までのように「姉ちゃん」と懐いてくることはなくなるかもしれない。
バラされた場合のダメージはまもりの方がはるかに大きいのだ。


「で?どうすればいいの?」
まもりのこの言葉に鈴音はこのやりとりでの勝利を確信する。
「ちょっとした協力でいいのよ。それとなく2人きりにくれるとか、セナと話すときに私のことを話題にしてくれるとかね。」
「わかったわ。協力する。」
まもりは諦めたようにため息をついた。

最初、鈴音はセナが好きなのはまもりだと思っていた。
だがよくよく観察していてわかった。
セナが好きなのは同性であるヒル魔で、まもりもまたヒル魔が好きなのだと。
ヒル魔の心は、鈴音には決して読み取れなかった。
セナにもまもりにも他の部員にも鈴音にも同等に接しているようにしか見えない。

その点については大いに安心するところだが、肝心のセナは鈴音を友人としてしか見ない。
セナの視線は常にヒル魔に向いていた。
そしてそのうちに気付く。セナに熱い視線を向けている者がもう1人いる。十文字だ。
同じクラスで、同じフィールドに立つ十文字の存在は脅威だ。

セナがアイシールド21であることを明かしたのはつい最近。
その途端、セナの周りに集まってくる人間は増えた。
クリスマスボウルなどに行こうものなら。
さらに多くの人間がセナに惹かれて集まってくるだろう。
その前に早くセナを手に入れなければ。鈴音は焦っていた。

「交渉成立ね。」
鈴音がいつもの屈託のない笑顔に戻って笑う。
その豹変振りにまもりは肩を竦めて苦笑した。


やっぱりね。こんな手で騙せると思われるとは。
セナは部室の壁に背を預けて、声を立てずに笑っていた。
買い出しから帰ってきた時、ちょうど鈴音が来たのが見えたのだ。
部員たちは全員グラウンドに出ていた。
今、部室はまもりと鈴音2人だけだ。何か面白い話を聞けるかもしれない。
だから部室に入らずに裏に回りこんで、外から壁越しに2人の話を聞いていた。

セナは密かに自分の想像が当たっていたことを知った。
あの日、確かに傘を鞄に入れていた。いつの間にかなくなっていた。
そしてまるで傘がないことを知っているかのように背後に立っていた鈴音。
それにまもりのあの「告白」だって、タイミングが良すぎる。
セナが傘を取りに戻ってくることを知ってたと考えるのが自然だ。
そしてヒル魔への想いを見抜かれていたことに内心ため息をつく。

勝手なこと言わないで、とセナはまた笑う。
『私、セナが好きなの。付き合いたいのよ』だって
鈴音、僕が好きなのは1人だけだ。他の誰もいらない。
『わかったわ。協力する』だって。
まもり姉ちゃん、協力なんかしている場合じゃないよ。
考えれば考えるほど可笑しくて、セナは慌てて口を押さえた。
このままでは大声で笑い出して、2人に気付かれてしまう。

セナは慎重に気配を消して、部室の正面に戻った。
カジノ仕様の部室の扉の前に来る頃にはいつもの無邪気な顔に戻っている。
「買い出し、行って来たよ。あ、鈴音来てたの。」
セナはまもりと鈴音にニッコリと笑いかけた。

【続く】
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