ムサまも5題
まもりはふと立ち止まって、それを見た。
交番の前に貼られている指名手配犯の写真。
きっと他に写真がなかったのだろうが、10年以上も昔の学生時代の写真だ。
かつてまもりが愛した男の自信に満ちた不敵な笑顔が、そこにある。
この1年、いろいろなことがあった。
まもりは男の写真を真っ直ぐに見据えて、挑むような視線を返した。
ちょうど1年前の今日、瀬那にそっくりな少年、セナと出会ったのだ。
10年目の瀬那の命日に現れた謎めいた少年に、皆の心が揺れた。
突然にコンビニから走り去ったセナ。
ムサシはヒル魔のマンションに向かったのだと思った。
だがヒル魔の部屋には、セナも、そしてヒル魔本人もいなかった。
相変わらず鍵はかかっていなかったし、パソコンも携帯電話も財布も置きっぱなしだ。
まもりにもその事実が知らされ、懸命にその行方を捜したが、2人は発見できなかった。
周囲の人間を散々翻弄したヒル魔とセナは、姿を消してしまったのだ。
そして数日後、憔悴した瀬那の両親に、電話があった。
お父さん、お母さん、ありがとう。ごめんなさい。
僕はヒル魔さんといきます。
セナはそれだけ言って、一方的に通話を切ってしまったという。
「いきます」は「行きます」なのか、それとも「生きます」なのだろうか。
まもりは時折、そんなことを考える。
周囲に引き離されても、死が2人を分かっても、まためぐり逢う。
そんな2人には、どちらも正解なのかもしれない。
だが瀬那の両親は、警察に届け出た。
彼らもまたセナを諦めきれなかったのだ。
当然のことながら、警察は生まれ変わりなどという非科学的な話を信じない。
高校時代のヒル魔と瀬那の同性同士の禁断の恋。
そして瀬那の死で精神を病んだヒル魔が、よく似た少年を誘拐した。
警察は事件と判断して、犯人であるヒル魔を指名手配した。
メディアはかつての高校アメフトのスター選手の犯罪を、興味本位に取り上げた。
今や日本では「誘拐犯、蛭魔妖一」の名を知らないものはいないだろうと思われるほどだ。
長いこと立ち止まって、思い出に浸ってしまったせいだろう。
交番の中にいた制服の警察官が、まもりに「どうしました?」と声を掛けてきた。
まもりは「すみません。何でもありません。」と答える。
そしてまた雑踏の街へと、足を踏み出した。
2人だけで生きられる世界へ、ヒル魔とセナは消えた。
それほどの相手と出逢い、そのために全てを捨てられる2人は幸せなのだ。
だが残された人間はそうはいかない。
後悔や喪失感や悲しみを乗り越えて、生きていかなくてはならない。
でも大丈夫。大丈夫にする。
まもりはもう一度振り返ろうとして、小さく首を振った。
そして携帯電話を取り出すと、昔なじみの友人の番号を呼び出した。
「ああ、悪いな。また連絡するから。」
ムサシはそう言って、携帯電話をポケットに戻した。
電話の相手は栗田だ。
瀬那の命日である今日、寺には行かないと告げたのだった。
ムサシにとってこの1年は、後悔ばかりの1年だった。
あの少年の存在を小早川家に知らせたらどうか、と言い出したのはムサシだった。
ヒル魔にはいつまでも過去にこだわらずに、目の前の想い-まもりを見て欲しいと思った。
それにあの少年だって、愛情を注いでくれる家庭で育てられるのがいいと思った。
瀬那の両親だって、瓜二つの少年を育てることで、悲しみを忘れられるかもしれない。
すべて皆の為によかれと思ったことだったのに。
その結末はまさに悲劇だと思う。
瀬那の両親は、再びセナを失うことになった。
まもりは、想いを受け入れられない悲しみを2度も味わうことになった。
ヒル魔は犯罪者として、社会からはみ出した存在になった。
かつてのデビルバッツのメンバーは、単に友人を失っただけでない。
歪んだ恋愛を知る者として、世間から好奇の目で見られることになったのだ。
それにしてもあの少年-セナは何者なのだろう。
ヒル魔のピアスと、瀬那とそっくりの容姿と記憶を持つ少年。
ヒル魔は最初から、セナは瀬那の生まれ変わりであると言っていた。
だからセナと引き離された後は、ただひたすら待っていた。
マンションの自室の鍵もかけず、オートロックの暗証番号だってセナのための数字だった。
セナは瀬那であり、ヒル魔の元に戻ってくることを、信じて待っていたのだ。
だがムサシは、それを受け入れられずにいた。
現実主義者であるムサシは、超常現象などは一切信じていなかった。
生まれ変わりなどという途方もない話、実際にはありえない。
だがことセナに関しては、心のどこかで受け入れている自分に気づくのだ。
セナは間違いなく瀬那であり、またヒル魔の傍に戻ったのだと。
この先、俺は大丈夫なのか。
ムサシはこの1年を振り返って、不安な気持ちになる。
後悔して、あの少年は誰だと自問自答して、答えが出せずにまた迷う。
もしかしたら、それを一生繰り返すのだろうか。
とにかくこんな気持ちで、墓参りなど出来ない。
行けばきっと、この墓の下で眠るのは誰なのだとまた考え込んでしまうだろう。
ムサシはすっかり習慣になってしまったため息を1つつくと、ゆっくりと歩き出した。
「そっか。残念だね。じゃあまた。」
栗田はそう言って、通話を切った。
まもりに続いてムサシも、今日は来ないと連絡してきたのだ。
「今年は寂しいね。」
栗田はそう言いながら、墓前に手を合わせた。
瀬那の命日には、毎年まもりやムサシやかつての仲間たちが集まっていたのに。
今年はどうやら誰も来ないようだ。
小早川家の両親ですら、今年は来ない。
セナがヒル魔と共に行方不明になった後、瀬那の母親は寝込んでしまったのだ。
だから栗田が1人で、墓石を磨き、水を掛け、花を手向けて、線香を灯したのだ。
ここにはかつてチームメイトだった瀬那が眠っている。
セナが生まれ変わりだろうと何だろうと、それは紛れもない事実なのだ。
だから誰が墓参りに来ようと、来なくても、関係ない。
栗田は、この墓を守っていくのは自分の義務なのだと思っている。
不意に背後に足音が聞こえた。
誰も来ないと思っていたけれど、誰か来てくれたのだろうか?
栗田が嬉しさを顔に浮かべながら、振り向く。
そしてそこにいた人物に驚き、目を見開いた。
「よぉ、糞デブ。」
「お久しぶりです。栗田さん。」
そこにはいたのは、懐かしい2人だった。
しばらく見ない間に背も伸びて、声も面差しもますます瀬那に似たセナ。
そしてその肩を抱いているのは、昔のように髪を金色に染めて逆立てているヒル魔だった。
「ヒル魔ぁ!セナくん!」
大声で叫んでから、栗田は慌てて周囲を見回した。
ヒル魔が指名手配された当時は、栗田の寺には警察官が張り込んでいたのだ。
「大丈夫だ。警察はいねぇよ。」
ヒル魔がフンと鼻で笑いながら言う。
その不敵な笑顔は、かつて悪魔と恐れられた学生時代のものと同じだった。
「2人とも幸せそうだね。」
栗田が涙ぐみながらも、微笑した。
もし2人に会うことができたら、言いたいと思っていたことはたくさんあった。
いなくなってからどうしていたのか?
元気なのか?ちゃんと生活できているのか?
でも今現実に笑顔で寄り添う2人を見られたのだから、もうどうでもいい。
ヒル魔とセナは、顔を見合わせて笑う。
そして瀬那の墓前に進み出ると、ゆっくりと手を合わせた。
「栗田さん、僕のお墓を綺麗にしてくれて、ありがとうございます。」
セナが照れくさそうに笑う。
だがヒル魔は「それがこいつの仕事なんだよ」と素っ気なく言った。
そんな2人を見て、栗田はふと考える。
やはりセナは自分のことを瀬那だと思っている。
ではここに眠るのは、いったい誰なのだろう?
「ここに眠っているのは、アイシールド21だった僕です。」
セナがまるで栗田の疑問に答えるように、そう言った。
アイシールド21だった瀬那。
そして泥門デビルバッツの輝くようなあの日々が眠っているというのだろうか?
「テメーらは大丈夫なのか?」
多くを語ることもなく立ち去ろうとしたヒル魔とセナだったが、不意にヒル魔が足を止めた。
そして微かに表情を歪めて、ポツリと呟くように問いかけてくる。
テメーら。きっとムサシやまもりや栗田たちのことだろう。
ようやく周囲の人間に気が使えるほどに、ヒル魔は戻ることができたのだ。
「大丈夫だよ。」
栗田は穏やかな笑顔でそう答えた。
だって皆、ヒル魔とセナのことを心配していたのだ。
その2人が大丈夫で、こんなに幸せそうなんだから。
だからきっと皆、大丈夫だ。
ヒル魔は「そうか」と言い残すと、セナの肩を抱いて歩き出した。
栗田はその後ろ姿をいつまでも見送った。
それが栗田がヒル魔とセナを見た最後になった。
その後の2人の消息を知る者は、誰もいない。
【終】お付き合いいただき、ありがとうございました。
交番の前に貼られている指名手配犯の写真。
きっと他に写真がなかったのだろうが、10年以上も昔の学生時代の写真だ。
かつてまもりが愛した男の自信に満ちた不敵な笑顔が、そこにある。
この1年、いろいろなことがあった。
まもりは男の写真を真っ直ぐに見据えて、挑むような視線を返した。
ちょうど1年前の今日、瀬那にそっくりな少年、セナと出会ったのだ。
10年目の瀬那の命日に現れた謎めいた少年に、皆の心が揺れた。
突然にコンビニから走り去ったセナ。
ムサシはヒル魔のマンションに向かったのだと思った。
だがヒル魔の部屋には、セナも、そしてヒル魔本人もいなかった。
相変わらず鍵はかかっていなかったし、パソコンも携帯電話も財布も置きっぱなしだ。
まもりにもその事実が知らされ、懸命にその行方を捜したが、2人は発見できなかった。
周囲の人間を散々翻弄したヒル魔とセナは、姿を消してしまったのだ。
そして数日後、憔悴した瀬那の両親に、電話があった。
お父さん、お母さん、ありがとう。ごめんなさい。
僕はヒル魔さんといきます。
セナはそれだけ言って、一方的に通話を切ってしまったという。
「いきます」は「行きます」なのか、それとも「生きます」なのだろうか。
まもりは時折、そんなことを考える。
周囲に引き離されても、死が2人を分かっても、まためぐり逢う。
そんな2人には、どちらも正解なのかもしれない。
だが瀬那の両親は、警察に届け出た。
彼らもまたセナを諦めきれなかったのだ。
当然のことながら、警察は生まれ変わりなどという非科学的な話を信じない。
高校時代のヒル魔と瀬那の同性同士の禁断の恋。
そして瀬那の死で精神を病んだヒル魔が、よく似た少年を誘拐した。
警察は事件と判断して、犯人であるヒル魔を指名手配した。
メディアはかつての高校アメフトのスター選手の犯罪を、興味本位に取り上げた。
今や日本では「誘拐犯、蛭魔妖一」の名を知らないものはいないだろうと思われるほどだ。
長いこと立ち止まって、思い出に浸ってしまったせいだろう。
交番の中にいた制服の警察官が、まもりに「どうしました?」と声を掛けてきた。
まもりは「すみません。何でもありません。」と答える。
そしてまた雑踏の街へと、足を踏み出した。
2人だけで生きられる世界へ、ヒル魔とセナは消えた。
それほどの相手と出逢い、そのために全てを捨てられる2人は幸せなのだ。
だが残された人間はそうはいかない。
後悔や喪失感や悲しみを乗り越えて、生きていかなくてはならない。
でも大丈夫。大丈夫にする。
まもりはもう一度振り返ろうとして、小さく首を振った。
そして携帯電話を取り出すと、昔なじみの友人の番号を呼び出した。
「ああ、悪いな。また連絡するから。」
ムサシはそう言って、携帯電話をポケットに戻した。
電話の相手は栗田だ。
瀬那の命日である今日、寺には行かないと告げたのだった。
ムサシにとってこの1年は、後悔ばかりの1年だった。
あの少年の存在を小早川家に知らせたらどうか、と言い出したのはムサシだった。
ヒル魔にはいつまでも過去にこだわらずに、目の前の想い-まもりを見て欲しいと思った。
それにあの少年だって、愛情を注いでくれる家庭で育てられるのがいいと思った。
瀬那の両親だって、瓜二つの少年を育てることで、悲しみを忘れられるかもしれない。
すべて皆の為によかれと思ったことだったのに。
その結末はまさに悲劇だと思う。
瀬那の両親は、再びセナを失うことになった。
まもりは、想いを受け入れられない悲しみを2度も味わうことになった。
ヒル魔は犯罪者として、社会からはみ出した存在になった。
かつてのデビルバッツのメンバーは、単に友人を失っただけでない。
歪んだ恋愛を知る者として、世間から好奇の目で見られることになったのだ。
それにしてもあの少年-セナは何者なのだろう。
ヒル魔のピアスと、瀬那とそっくりの容姿と記憶を持つ少年。
ヒル魔は最初から、セナは瀬那の生まれ変わりであると言っていた。
だからセナと引き離された後は、ただひたすら待っていた。
マンションの自室の鍵もかけず、オートロックの暗証番号だってセナのための数字だった。
セナは瀬那であり、ヒル魔の元に戻ってくることを、信じて待っていたのだ。
だがムサシは、それを受け入れられずにいた。
現実主義者であるムサシは、超常現象などは一切信じていなかった。
生まれ変わりなどという途方もない話、実際にはありえない。
だがことセナに関しては、心のどこかで受け入れている自分に気づくのだ。
セナは間違いなく瀬那であり、またヒル魔の傍に戻ったのだと。
この先、俺は大丈夫なのか。
ムサシはこの1年を振り返って、不安な気持ちになる。
後悔して、あの少年は誰だと自問自答して、答えが出せずにまた迷う。
もしかしたら、それを一生繰り返すのだろうか。
とにかくこんな気持ちで、墓参りなど出来ない。
行けばきっと、この墓の下で眠るのは誰なのだとまた考え込んでしまうだろう。
ムサシはすっかり習慣になってしまったため息を1つつくと、ゆっくりと歩き出した。
「そっか。残念だね。じゃあまた。」
栗田はそう言って、通話を切った。
まもりに続いてムサシも、今日は来ないと連絡してきたのだ。
「今年は寂しいね。」
栗田はそう言いながら、墓前に手を合わせた。
瀬那の命日には、毎年まもりやムサシやかつての仲間たちが集まっていたのに。
今年はどうやら誰も来ないようだ。
小早川家の両親ですら、今年は来ない。
セナがヒル魔と共に行方不明になった後、瀬那の母親は寝込んでしまったのだ。
だから栗田が1人で、墓石を磨き、水を掛け、花を手向けて、線香を灯したのだ。
ここにはかつてチームメイトだった瀬那が眠っている。
セナが生まれ変わりだろうと何だろうと、それは紛れもない事実なのだ。
だから誰が墓参りに来ようと、来なくても、関係ない。
栗田は、この墓を守っていくのは自分の義務なのだと思っている。
不意に背後に足音が聞こえた。
誰も来ないと思っていたけれど、誰か来てくれたのだろうか?
栗田が嬉しさを顔に浮かべながら、振り向く。
そしてそこにいた人物に驚き、目を見開いた。
「よぉ、糞デブ。」
「お久しぶりです。栗田さん。」
そこにはいたのは、懐かしい2人だった。
しばらく見ない間に背も伸びて、声も面差しもますます瀬那に似たセナ。
そしてその肩を抱いているのは、昔のように髪を金色に染めて逆立てているヒル魔だった。
「ヒル魔ぁ!セナくん!」
大声で叫んでから、栗田は慌てて周囲を見回した。
ヒル魔が指名手配された当時は、栗田の寺には警察官が張り込んでいたのだ。
「大丈夫だ。警察はいねぇよ。」
ヒル魔がフンと鼻で笑いながら言う。
その不敵な笑顔は、かつて悪魔と恐れられた学生時代のものと同じだった。
「2人とも幸せそうだね。」
栗田が涙ぐみながらも、微笑した。
もし2人に会うことができたら、言いたいと思っていたことはたくさんあった。
いなくなってからどうしていたのか?
元気なのか?ちゃんと生活できているのか?
でも今現実に笑顔で寄り添う2人を見られたのだから、もうどうでもいい。
ヒル魔とセナは、顔を見合わせて笑う。
そして瀬那の墓前に進み出ると、ゆっくりと手を合わせた。
「栗田さん、僕のお墓を綺麗にしてくれて、ありがとうございます。」
セナが照れくさそうに笑う。
だがヒル魔は「それがこいつの仕事なんだよ」と素っ気なく言った。
そんな2人を見て、栗田はふと考える。
やはりセナは自分のことを瀬那だと思っている。
ではここに眠るのは、いったい誰なのだろう?
「ここに眠っているのは、アイシールド21だった僕です。」
セナがまるで栗田の疑問に答えるように、そう言った。
アイシールド21だった瀬那。
そして泥門デビルバッツの輝くようなあの日々が眠っているというのだろうか?
「テメーらは大丈夫なのか?」
多くを語ることもなく立ち去ろうとしたヒル魔とセナだったが、不意にヒル魔が足を止めた。
そして微かに表情を歪めて、ポツリと呟くように問いかけてくる。
テメーら。きっとムサシやまもりや栗田たちのことだろう。
ようやく周囲の人間に気が使えるほどに、ヒル魔は戻ることができたのだ。
「大丈夫だよ。」
栗田は穏やかな笑顔でそう答えた。
だって皆、ヒル魔とセナのことを心配していたのだ。
その2人が大丈夫で、こんなに幸せそうなんだから。
だからきっと皆、大丈夫だ。
ヒル魔は「そうか」と言い残すと、セナの肩を抱いて歩き出した。
栗田はその後ろ姿をいつまでも見送った。
それが栗田がヒル魔とセナを見た最後になった。
その後の2人の消息を知る者は、誰もいない。
【終】お付き合いいただき、ありがとうございました。
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