ムサまも5題

「どうしてわからないの?あの子は瀬那じゃないわ!」
まもりの振り絞るような叫びにも、ヒル魔は表情を変えなかった。

最近のまもりは、頻繁にヒル魔のマンションに顔を出すようになっていた。
小早川家がセナを連れ帰るときに、手を貸した。
ヒル魔への想いのため、ヒル魔とセナを引き離すため。
後ろめたさは「それが2人のため」という大義名分で正当化した。
そして念願通り、ヒル魔とセナはそれきり会っていないのに。
まもりの心の憂いは、少しも晴れなかった。

だからまたヒル魔の部屋にやって来る。
拒まないところをみると、嫌がられてはいないのだと思う。
ヒル魔の部屋のドアは、常に施錠がされていない状態だった。
そしてオートロックの暗証番号は、ムサシやまもりがあっさり看破できるものだ。
つまりヒル魔の部屋は、簡単に侵入できる状態になっていた。

まもりはヒル魔の部屋に上がりこんで、ただただ一方的に話しかける。
手料理などを作ったこともあったのだが、ヒル魔はそれを口にしなかった。
次に訪問したときに、手をつけないままに腐敗し、悪臭を放っていた。
だから食事を取らせることはあきらめた。
それでも先日置いてあったブロックタイプのバランス栄養食は無くなっている。
どうやら自分なりに少しは食べているのだと思って、まもりはホッと胸を撫で下ろした。


「ムサシくんに『賭け』って言ったって聞いたけど、どういう意味?」
まもりのことなど構わずに、パソコンに何かを打ち込んでいるヒル魔の手が一瞬、止まった。
だがチラリとまもりの方に視線を向けたものの、すぐにまた視線を戻して、キーを打ち始める。
おまえに言ってもわからないだろう?
まるでそう言われているようで、まもりにはひどく癇にさわった。
「言ってよ!」
まもりは思わず声を荒げて、ヒル魔に詰め寄った。

「セナが俺の元に戻るのが早いか、俺が死ぬのが早いか。」
まもりの勢いに折れたのか、何を話しかけてもほとんど答えないヒル魔がポツリと言った。
答えが返ってくるとは思わなかったまもりは一瞬驚いたが、すぐにその意味を考える。
そして次の瞬間には、再び声を荒げていた。

「どうしてわからないの?あの子は瀬那じゃないわ!」
「あいつは瀬那の生まれ変わりだ。俺に逢うために生まれ変わってきたんだ。」
「そんなこと」
「こいつが証拠だ。」
ヒル魔は自分の左耳のピアスを指で弾いた。

「テメーらは俺とセナを引き離した。だけどそんなことをしても無駄だ。」
「無駄って」
「セナは絶対に俺のところへ戻ってくる。」
「絶対にさせないわよ。」
「だったら今度は俺が生まれ変わって、セナのそばにいくだけだ。」
あまりにも非現実的な話を自信たっぷりに話すヒル魔に、まもりは圧倒されていた。


「私、ずっと待ってた。」
まもりは涙に潤んだ目で、ヒル魔を見据えて言った。
「ヒル魔くんが瀬那のことを忘れて、私を見てくれる日を。ずっと、待ってたのに。」
「だったら、もう待つことはねぇよ。」
まもりが俯いた拍子に涙が零れ落ちても、ヒル魔の答えは冷たいものだった。

「あなた、おかしい。狂ってるわ。」
「他のヤツになんて思われてもいい。」
「生まれ変わりなんて、現実にはありえないわ。」
「俺は信じてる。」
まもりが何を言っても、ヒル魔の表情も言葉も、決して揺らぐことがなかった。

「俺はセナしかいらねぇんだ。」
ヒル魔はとどめとばかりにそう言って、不敵に笑った。
それはデビルバッツ時代の笑顔と同じものであり、まもりが大好きな表情だ。
いつまで待っても、ヒル魔の心はまもりのものにはならない。
ヒル魔にこの表情をさせられるのは、セナだけなのだ。

「私、帰るわ。」
まもりは諦めてそう言うと、玄関へと向かう。
ヒル魔はもう何も言うこともなく、そのかわりにパソコンのキーを叩く音が聞こえてきた。
まもりが部屋を出るときに振り返ると、ヒル魔はまもりに目もくれずにパソコンの画面を見ている。
そしてそれが、まもりがヒル魔を見た最後になった。


ムサシはセナの手を引いて、街を歩いていた。
瀬那の母親が急な用事で出かけなくてはならなくなった。
その間、セナの面倒を見て欲しいと依頼されたのだ。
当初それはまもりに依頼されたものだったのだが、都合がつかなかった。
そこで急遽、ムサシの出番となったのだった。

「なんか菓子でも買ってやろうか?」
ファミリーレストランで昼食を済ませた後、ブラブラと周辺を歩く。
瀬那の母親からは夕方には戻るから、それまで預かって欲しいと言われていた。
だが正直言って、この少年と何を話したらいいのかよくわからない。
このまま小早川家に戻っても、気詰まりな時間を持て余してしまうだろう。
それならば気分転換をかねて、歩こうと思った。
「何でも食いたいもん、選びな。」
ムサシはそう言って、セナの手を引いて、目に付いたコンビニに足を踏み入れた。

「何だ?コンビニ初めてか?」
店の入口で立ち止まってしまったセナに、ムサシは声をかけた。
セナはパチパチと瞬きをすると、ムサシを見上げる。
だがすぐにフルフルと首を振ると、店の中へと歩いていった。
ムサシはホッと息をつくと、雑誌のコーナーへと足を進めた。


「ムサシさん、これ、買ってください。」
立ち読みをしていたムサシの横から、セナが声をかけた。
雑誌に熱中してしまっていたムサシは、セナの声に我に返る。
そして「何にしたんだ?」とセナの手の中の物を覗き込んで、言葉を失った。

セナの手に握られていたのは、無糖ガムだった。
高校時代にヒル魔が好んで口にしていたものだ。
なぜこれを?
間違っても、小さな子供が好むような味ではない。
ムサシは、ガムが置かれている棚を見た。
人気商品ではないようで、ガムは棚の右下に置かれていた。
つまり目に付く物を適当に手に取った可能性もほとんどないのだ。

「セナ、どうしてこれなんだ?」
「ヒル魔さんに、あげたいから。」
セナの言葉にムサシは驚き、だが次の瞬間、首を振った。
「ヒル魔にやるのは駄目だ。別の物を選べ。」
なおもセナは縋るような目で、ムサシを見上げている。
だがムサシはいかつい顔をさらに強張らせて「駄目だ」と繰り返した。


「セナ。これは棚に戻せ。」
いつまでたっても無糖ガムを握ったまま、セナは動かない。
焦れたムサシが、セナの前にしゃがんで手を伸ばした。
そしてセナの手の中にある無糖ガムを取り上げようとする。

「やだ!」
セナは小さくそう叫ぶと、ムサシの手をするりとかわした。
捕らえようとする相手の手をすり抜けるその動きに、ムサシは呆然とした。
それはまさに「アイシールド21」小早川瀬那を彷彿とさせるものだったのだ。
そしてムサシが立ち尽くしている間に、セナは無糖ガムを掴んだまま、コンビニを飛び出した。

このときセナが強請った無糖ガムを買ってやっていたらどうなっていただろう。
そもそもヒル魔とセナを引き離すようなことをしなかったら。
ムサシは後になって、そんなことを考えるようになる。

だがこの時はとにかく予想外のセナの行動に、すっかり動転してしまっていた。
無糖ガムの代金を支払い、コンビニを出たときには、もうセナの姿はなかった。
そしてもう2度と、あの小さな少年を見ることはなかった。


思い出した。あの日のことを。
セナは懸命に走っていた。
その小さな手には無糖ガムを握り締めている。
コンビニの棚で無糖ガムを見つけたとき、セナは全てを思い出した。

あの日、ヒル魔と喧嘩をした。
つまらない口喧嘩だ。
そしてヒル魔のマンションを飛び出した。
でも夜の街を当てもなく歩くうちに、頭が冷えた。
だからコンビニで、ヒル魔が好きな無糖ガムを買った。
これを渡して「ごめんなさい」とあやまって、仲直りするはずだった。
でもその途中で車にはねられたのだ。

自分の血がドクドクと流れていくのを感じながら、思った。
生きてまた、あの人に会わなくては。
もしも死んでしまったら、生まれ変わって必ず戻らなくては。
そう思いながら、死んでしまったのだ。

やっと戻ってこられた。
そしてやっと思い出した。
だから今度こそ、彼の部屋へ戻る。
セナはヒル魔のマンションへと、全速力で走り続けた。


オートロックの暗証番号は「1221」セナの誕生日だ。
そして最上階のヒル魔の部屋へ。
鍵はかかっていなかった。
セナは10年ぶりに彼の部屋へと、足を踏み入れた。

「待ってた」
ノートパソコンのキーを叩いていたヒル魔は、セナを見た途端に手を止めて、そう言った。
「ヒル魔さん、ごめんなさい。」
セナは握っていた手を開いて、手の中の無糖ガムを差し出した。
ヒル魔はフッと息だけで笑うと、セナの手からそれを受け取る。
セナの体温で温められて、パッケージもよれてしまった無糖ガム。
ヒル魔はそれを大事そうにポケットに落とした。

「俺と来るか?セナ」
ヒル魔はセナと目線が同じ高さになるように、膝立ちになって、そう問いかけた。
「行きます。」
セナがそう言って、フワリと笑う。
かつてヒル魔が愛した花が咲くような笑顔が、今ここにある。

ヒル魔は手を伸ばして、ようやく戻ってきた少年を抱きしめた。
2度と離さないように、深く、深く。

【続く】
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