ムサまも5題
まもり姉ちゃん、僕がいなくなって嬉しい?
少年の問いに、まもりは激しく首を振った。
瀬那が死んだのだと聞かされたとき、本当に悲しかった。
嬉しいはずなどないではないか。
これでヒル魔さんを僕から奪えるって思わなかった?
少年は唇を歪めて嗤う。
まもりは一瞬だけ躊躇った。
瀬那さえいなければ、ヒル魔と生きていけるかもしれないと思った。
いや今もそう思っていて、ヒル魔を諦め切れずにいる。
まもり姉ちゃんがそう思っているのがわかったから、僕は帰ってきたんだ。
そう言われて、まもりは少年の顔をまじまじと見た。
この少年は瀬那じゃない。
栗田の寺に倒れていたあの小さな少年だ。
ヒル魔さんは永遠に僕のものなんだ。
まもり姉ちゃんにも誰にも渡さないよ。
少年は真っ直ぐにまもりを見据えて、宣言した。
どうして、どうして。
まもりは少年が発する威圧感に、叫び声を上げた。
「大丈夫か?」
そう言われて肩を揺すぶられて、まもりは目を開けた。
目を開けて、あまりをキョロキョロと見回して、まもりは大きく息をはいた。
夢だった。
栗田の寺で倒れていた少年を、救急病院まで連れてきた。
その待合室で、診察を待っている途中で眠ってしまったのだ。
壁に掲げられている大きな時計を見て、もう一度大きく息をはく。
午前3時。もう深夜ではなく早朝といえる時間だ。
「うなされてたみたいだから、起こしたぞ。」
長椅子でまもりの隣に座っていたムサシが、さらにそう言う。
「ありがとう。あの子は?」
「ああ、とりあえず入院して検査するらしい。今ヒル魔が手続きの話を聞いてる。」
まもりは「そう」と答えると、諦めたように目を閉じた。
瀬那にそっくりの少年。
それだけで衝撃を受けているまもりを、ムサシは黙って見守っていた。
ヒル魔はあの少年を、瀬那の生まれかわりだと思っているようだった。
確かにあれだけ似ていて、しかもピアスなど持っていたら。
今もなお瀬那のことだけを想い続けているヒル魔なら、そう思っても不思議はない。
生まれかわり。もう一度その言葉を思い浮かべたムサシはハッとした。
少年をまず診察した小児科の医師は、少年が10歳くらいではないかと言っていた。
栄養状態が悪く、発育障害が見られるから、多分見た目よりは年齢が高いと。
10歳だとしたら、少年は瀬那が死んだ年に生まれたことになる。
生まれかわり。まさかそんな馬鹿なことが。
「セナ、今日もいい天気だな。」
病室のドアを開けたヒル魔は、一直線に少年のベットへと向かう。
そしてすっかり指定席になった傍らのパイプ椅子に座る。
少年は少し舌足らずな声で「ヒル魔さん」と言いながら笑う。
あの日からヒル魔は、すっかり少年の病室に入り浸っていた。
少年はこの病院で、診察の他に様々な検査を受けた。
その結果、発育障害以外には悪いところはなかった。
だが少年の知能はひどく遅れていた。
そちらは障害ではなく、どうやら学校に通った経験がない様子なのだ。
語彙がきわめて少ないし、文字の読み書きも出来ない。
極めつけは自分の名前も、親の名や住所も、少年は何も答えることが出来なかった。
どうやらかなり特殊な環境で育った少年であるということだけはわかった。
結局警察に通報したのだが、少年の正体はわからなかった。
保護者から行方不明や捜索願いが出されているかもしれないと思ったが、それもない。
少年が何者であるのか、まったくわからないままに時が過ぎる。
その間もヒル魔はせっせと少年の病室に通い続けた。
そしてついに少年に「セナ」と名前をつけてしまったのだ。
ヒル魔は何度も少年を「セナ」と呼び、髪を撫でたり、頬に触れて、抱きしめる。
少年もヒル魔にすっかり懐いて、ヒル魔に愛らしい笑顔を見せていた。
「調子はどうだ?」
ムサシはそう言いながら、病室のドアを開けた。
ヒル魔はムサシなどにチラリと視線を向けることさえしない。
相変わらず少年だけを見て、構い倒していた。
だが少年はムサシにフワリとした笑顔で「こんにちは」と手を振った。
10年前にいなくなった少年とよく似た所作に、ムサシはドキリとした。
ムサシも流石に毎日とはいかないが、時間を見つけて病室に顔を出している。
そしてヒル魔と少年の様子を見て、困惑していた。
少年の表情は、あまりにも小早川瀬那に酷似している。
そしてヒル魔はそんな少年にすっかり心を奪われてしまっている。
学生時代、ヒル魔と瀬那の恋愛には少しも違和感を感じなかった。
2人を見ていると、性別など全然問題ないと思えた。
だがこれは違う。
ヒル魔はそろそろ30歳に手が届こうという年齢なのに、少年はまだ10歳。
何よりヒル魔はあの少年の後ろに瀬那を見ている。
ヒル魔が愛してやまないのは、この少年ではなく瀬那なのだ。
「ヒル魔、ちょっと話があるんだけど。タバコでも吸いにいかないか?」
ムサシの言葉に、ヒル魔が顔を顰める。
「大事な話だ。それに時間はそんなに取らせない。」
ムサシは有無を言わさぬ口調で、さらにダメ押しをする。
諦めた様子のヒル魔は、いかにも渋々といった風情で立ち上がった。
「1本どうだ?」
喫煙室にヒル魔を誘ったムサシは、タバコの箱を差し出した。
アメフトに打ち込んでいた頃のヒル魔は、タバコになど手を出さなかった。
でも瀬那を失い、アメフトをやめたヒル魔は、今やヘビースモーカーだ。
だがヒル魔は、ムサシが差し出したタバコには目もくれなかった。
そして「話って何だ」と急いた口調で聞いてくる。
さっさと話を済ませて、少年の傍らに戻りたいのだろう。
だがムサシは、それを許すわけにはいかない。
「あの子をどうするつもりなんだ?」
「俺が引き取る。」
ムサシの問いに、ヒル魔は当たり前のようにそう答えた。
やはりそのつもりか。
ムサシはタバコに火をつけて、ため息と共に煙を吐き出した。
「正気か?あの子は本当にまだ子供なんだぞ。テメーに世話ができるわけねぇ。」
「世話?関係ねぇ。瀬那は俺に会うために、生まれ変わって戻ってきたんだ。」
ムサシはヒル魔の目とその口調にゾクリと背筋を振るわせた。
それは正気の範疇を超えてしまったように思えたからだ。
気はすすまないが、やはり方法は1つしかない。
ムサシはタバコを備え付けの灰皿に押しつぶしながら、覚悟を決める。
そしておもむろに口を開いた。
「瀬那のご両親にあの子の話をしたんだ。」
ムサシはそう言いながら、新しいタバコに火をつけた。
ヒル魔は微かに怪訝な表情を浮かべながら、黙ってムサシの話を聞いている。
「おまえや姉崎と同じくらい、あの人たちもずっと悲しんでいた。だから。」
「ムサシ、テメー、まさか」
「あの子を養子にしたいと言ってる。その方があの子も。」
「セナは俺のものだ!」
ヒル魔が声を荒げるなど、何年ぶりだろう。
ムサシはそんなことを思いながら、またため息と共に煙を吐き出した。
これから一番言いたくないことを言わなくてはならない。
「残念だが、ヒル魔。あの子はおまえのものじゃない。」
「何だと?」
「いいかげんに目を覚ませ。あの子は瀬那じゃない。それよりも生きている人間を見ろ。」
「どういう意味だ!」
「あの子のことは忘れろ。姉崎のことを考えてやれ。」
「俺は瀬那しかいらねぇ!」
「もう遅い。今頃は。。。」
ムサシが言い終わらないうちに、ヒル魔にはムサシの計略がわかった。
ハッとした表情のヒル魔が、ムサシに背を向け、身を翻した。
その拍子に備え付けの灰皿を倒して、吸殻と灰が盛大に飛び散った。
だがヒル魔は見向きもせずに、喫煙室を飛び出していった。
「だぁれ?」
ヒル魔がムサシに連れられて病室を出て行った後、少年はウトウトしていた。
だが入れ替わるように病室に現れた人物に揺すられて、目を開けた。
「まぁ!この子が---!」
「本当によく似ている。」
少年の顔を見知らぬ中年の夫婦が覗き込んでいる。
その後ろには、少年が知っている女性がいて、こちらをじっと見ていた。
「まも、姉ちゃん」
よくわからない事態に、少年は唯一顔見知りのまもりに声をかける。
だがまもりは何も答えない。
「お父さんとお母さんよ。」
中年の女性がそう言うと、中年の男性が少年の身体を抱き上げる。
そして女性は少年の頭を撫でながら「うちに帰りましょう」と言った。
「ヒル魔、さん、は?」
少年がそう言うと、夫婦は困ったように顔を見合わせる。
だがここまで黙っていたまもりが、初めて口を開いた。
「ごめん、ね。許して、ね。」
声を詰まらせながら、まもりは静かに泣いていた。
少年は戸惑ったように、まもりの頬を伝って落ちる涙を見つめていた。
「セナ!」
病室に駆け戻ったヒル魔は、少年を呼びながら乱暴にドアを開けた。
だがそこには少年はもういない。
ベットの上にポツンとリングのピアスが残されているだけだ。
ヒル魔はピアスを拾い上げると、窓から外を見た。
視界に映ったのは瀬那の両親とまもり。
そして瀬那の父親に抱きかかえられている小さな少年。
4人はタクシーに乗り込んで、ちょうど病院を出て行くところだった。
追いかけようと身を翻したヒル魔の前に、息を切らしたムサシが立ちはだかった。
「あの子を離してやれ。あの子は瀬那じゃないんだ。」
ムサシの言葉に、ヒル魔の顔が歪んだ。
「セナは瀬那の生まれかわりだ。それで俺に逢いにきてくれたんだ。。。」
ヒル魔はその場にガクンと膝をついた。
そしてピアスを握りしめた拳で、空のベットを何度も殴る。
「生まれかわりだと言うなら、なおさらだ。あの子を普通に生きさせてやれ。」
ムサシは上ずってしまいそうな声を懸命に抑えて、そう言った。
残酷なことを言っているのは、わかっている。
だがどう考えても、これがヒル魔とあの少年のための最善の道だ。
ヒル魔が嗚咽を漏らしながら、なおもベットを殴り続ける。
ムサシはベットのスプリングが軋む音を、ただ黙って聞いていた。
【続く】
少年の問いに、まもりは激しく首を振った。
瀬那が死んだのだと聞かされたとき、本当に悲しかった。
嬉しいはずなどないではないか。
これでヒル魔さんを僕から奪えるって思わなかった?
少年は唇を歪めて嗤う。
まもりは一瞬だけ躊躇った。
瀬那さえいなければ、ヒル魔と生きていけるかもしれないと思った。
いや今もそう思っていて、ヒル魔を諦め切れずにいる。
まもり姉ちゃんがそう思っているのがわかったから、僕は帰ってきたんだ。
そう言われて、まもりは少年の顔をまじまじと見た。
この少年は瀬那じゃない。
栗田の寺に倒れていたあの小さな少年だ。
ヒル魔さんは永遠に僕のものなんだ。
まもり姉ちゃんにも誰にも渡さないよ。
少年は真っ直ぐにまもりを見据えて、宣言した。
どうして、どうして。
まもりは少年が発する威圧感に、叫び声を上げた。
「大丈夫か?」
そう言われて肩を揺すぶられて、まもりは目を開けた。
目を開けて、あまりをキョロキョロと見回して、まもりは大きく息をはいた。
夢だった。
栗田の寺で倒れていた少年を、救急病院まで連れてきた。
その待合室で、診察を待っている途中で眠ってしまったのだ。
壁に掲げられている大きな時計を見て、もう一度大きく息をはく。
午前3時。もう深夜ではなく早朝といえる時間だ。
「うなされてたみたいだから、起こしたぞ。」
長椅子でまもりの隣に座っていたムサシが、さらにそう言う。
「ありがとう。あの子は?」
「ああ、とりあえず入院して検査するらしい。今ヒル魔が手続きの話を聞いてる。」
まもりは「そう」と答えると、諦めたように目を閉じた。
瀬那にそっくりの少年。
それだけで衝撃を受けているまもりを、ムサシは黙って見守っていた。
ヒル魔はあの少年を、瀬那の生まれかわりだと思っているようだった。
確かにあれだけ似ていて、しかもピアスなど持っていたら。
今もなお瀬那のことだけを想い続けているヒル魔なら、そう思っても不思議はない。
生まれかわり。もう一度その言葉を思い浮かべたムサシはハッとした。
少年をまず診察した小児科の医師は、少年が10歳くらいではないかと言っていた。
栄養状態が悪く、発育障害が見られるから、多分見た目よりは年齢が高いと。
10歳だとしたら、少年は瀬那が死んだ年に生まれたことになる。
生まれかわり。まさかそんな馬鹿なことが。
「セナ、今日もいい天気だな。」
病室のドアを開けたヒル魔は、一直線に少年のベットへと向かう。
そしてすっかり指定席になった傍らのパイプ椅子に座る。
少年は少し舌足らずな声で「ヒル魔さん」と言いながら笑う。
あの日からヒル魔は、すっかり少年の病室に入り浸っていた。
少年はこの病院で、診察の他に様々な検査を受けた。
その結果、発育障害以外には悪いところはなかった。
だが少年の知能はひどく遅れていた。
そちらは障害ではなく、どうやら学校に通った経験がない様子なのだ。
語彙がきわめて少ないし、文字の読み書きも出来ない。
極めつけは自分の名前も、親の名や住所も、少年は何も答えることが出来なかった。
どうやらかなり特殊な環境で育った少年であるということだけはわかった。
結局警察に通報したのだが、少年の正体はわからなかった。
保護者から行方不明や捜索願いが出されているかもしれないと思ったが、それもない。
少年が何者であるのか、まったくわからないままに時が過ぎる。
その間もヒル魔はせっせと少年の病室に通い続けた。
そしてついに少年に「セナ」と名前をつけてしまったのだ。
ヒル魔は何度も少年を「セナ」と呼び、髪を撫でたり、頬に触れて、抱きしめる。
少年もヒル魔にすっかり懐いて、ヒル魔に愛らしい笑顔を見せていた。
「調子はどうだ?」
ムサシはそう言いながら、病室のドアを開けた。
ヒル魔はムサシなどにチラリと視線を向けることさえしない。
相変わらず少年だけを見て、構い倒していた。
だが少年はムサシにフワリとした笑顔で「こんにちは」と手を振った。
10年前にいなくなった少年とよく似た所作に、ムサシはドキリとした。
ムサシも流石に毎日とはいかないが、時間を見つけて病室に顔を出している。
そしてヒル魔と少年の様子を見て、困惑していた。
少年の表情は、あまりにも小早川瀬那に酷似している。
そしてヒル魔はそんな少年にすっかり心を奪われてしまっている。
学生時代、ヒル魔と瀬那の恋愛には少しも違和感を感じなかった。
2人を見ていると、性別など全然問題ないと思えた。
だがこれは違う。
ヒル魔はそろそろ30歳に手が届こうという年齢なのに、少年はまだ10歳。
何よりヒル魔はあの少年の後ろに瀬那を見ている。
ヒル魔が愛してやまないのは、この少年ではなく瀬那なのだ。
「ヒル魔、ちょっと話があるんだけど。タバコでも吸いにいかないか?」
ムサシの言葉に、ヒル魔が顔を顰める。
「大事な話だ。それに時間はそんなに取らせない。」
ムサシは有無を言わさぬ口調で、さらにダメ押しをする。
諦めた様子のヒル魔は、いかにも渋々といった風情で立ち上がった。
「1本どうだ?」
喫煙室にヒル魔を誘ったムサシは、タバコの箱を差し出した。
アメフトに打ち込んでいた頃のヒル魔は、タバコになど手を出さなかった。
でも瀬那を失い、アメフトをやめたヒル魔は、今やヘビースモーカーだ。
だがヒル魔は、ムサシが差し出したタバコには目もくれなかった。
そして「話って何だ」と急いた口調で聞いてくる。
さっさと話を済ませて、少年の傍らに戻りたいのだろう。
だがムサシは、それを許すわけにはいかない。
「あの子をどうするつもりなんだ?」
「俺が引き取る。」
ムサシの問いに、ヒル魔は当たり前のようにそう答えた。
やはりそのつもりか。
ムサシはタバコに火をつけて、ため息と共に煙を吐き出した。
「正気か?あの子は本当にまだ子供なんだぞ。テメーに世話ができるわけねぇ。」
「世話?関係ねぇ。瀬那は俺に会うために、生まれ変わって戻ってきたんだ。」
ムサシはヒル魔の目とその口調にゾクリと背筋を振るわせた。
それは正気の範疇を超えてしまったように思えたからだ。
気はすすまないが、やはり方法は1つしかない。
ムサシはタバコを備え付けの灰皿に押しつぶしながら、覚悟を決める。
そしておもむろに口を開いた。
「瀬那のご両親にあの子の話をしたんだ。」
ムサシはそう言いながら、新しいタバコに火をつけた。
ヒル魔は微かに怪訝な表情を浮かべながら、黙ってムサシの話を聞いている。
「おまえや姉崎と同じくらい、あの人たちもずっと悲しんでいた。だから。」
「ムサシ、テメー、まさか」
「あの子を養子にしたいと言ってる。その方があの子も。」
「セナは俺のものだ!」
ヒル魔が声を荒げるなど、何年ぶりだろう。
ムサシはそんなことを思いながら、またため息と共に煙を吐き出した。
これから一番言いたくないことを言わなくてはならない。
「残念だが、ヒル魔。あの子はおまえのものじゃない。」
「何だと?」
「いいかげんに目を覚ませ。あの子は瀬那じゃない。それよりも生きている人間を見ろ。」
「どういう意味だ!」
「あの子のことは忘れろ。姉崎のことを考えてやれ。」
「俺は瀬那しかいらねぇ!」
「もう遅い。今頃は。。。」
ムサシが言い終わらないうちに、ヒル魔にはムサシの計略がわかった。
ハッとした表情のヒル魔が、ムサシに背を向け、身を翻した。
その拍子に備え付けの灰皿を倒して、吸殻と灰が盛大に飛び散った。
だがヒル魔は見向きもせずに、喫煙室を飛び出していった。
「だぁれ?」
ヒル魔がムサシに連れられて病室を出て行った後、少年はウトウトしていた。
だが入れ替わるように病室に現れた人物に揺すられて、目を開けた。
「まぁ!この子が---!」
「本当によく似ている。」
少年の顔を見知らぬ中年の夫婦が覗き込んでいる。
その後ろには、少年が知っている女性がいて、こちらをじっと見ていた。
「まも、姉ちゃん」
よくわからない事態に、少年は唯一顔見知りのまもりに声をかける。
だがまもりは何も答えない。
「お父さんとお母さんよ。」
中年の女性がそう言うと、中年の男性が少年の身体を抱き上げる。
そして女性は少年の頭を撫でながら「うちに帰りましょう」と言った。
「ヒル魔、さん、は?」
少年がそう言うと、夫婦は困ったように顔を見合わせる。
だがここまで黙っていたまもりが、初めて口を開いた。
「ごめん、ね。許して、ね。」
声を詰まらせながら、まもりは静かに泣いていた。
少年は戸惑ったように、まもりの頬を伝って落ちる涙を見つめていた。
「セナ!」
病室に駆け戻ったヒル魔は、少年を呼びながら乱暴にドアを開けた。
だがそこには少年はもういない。
ベットの上にポツンとリングのピアスが残されているだけだ。
ヒル魔はピアスを拾い上げると、窓から外を見た。
視界に映ったのは瀬那の両親とまもり。
そして瀬那の父親に抱きかかえられている小さな少年。
4人はタクシーに乗り込んで、ちょうど病院を出て行くところだった。
追いかけようと身を翻したヒル魔の前に、息を切らしたムサシが立ちはだかった。
「あの子を離してやれ。あの子は瀬那じゃないんだ。」
ムサシの言葉に、ヒル魔の顔が歪んだ。
「セナは瀬那の生まれかわりだ。それで俺に逢いにきてくれたんだ。。。」
ヒル魔はその場にガクンと膝をついた。
そしてピアスを握りしめた拳で、空のベットを何度も殴る。
「生まれかわりだと言うなら、なおさらだ。あの子を普通に生きさせてやれ。」
ムサシは上ずってしまいそうな声を懸命に抑えて、そう言った。
残酷なことを言っているのは、わかっている。
だがどう考えても、これがヒル魔とあの少年のための最善の道だ。
ヒル魔が嗚咽を漏らしながら、なおもベットを殴り続ける。
ムサシはベットのスプリングが軋む音を、ただ黙って聞いていた。
【続く】