ムサまも5題
「あれからもう10年か。」
「早いものね。」
ムサシの言葉に、まもりが同意した。
栗田が静かに頷き、ヒル魔は無言でコーヒーを飲んでいる。
10年分歳を重ねた4人の視線の先。
写真の中で微笑む少年だけは、歳を取らない。
10年前の姿のままで、彼の時間は歩みを止めている。
写真の中の笑顔の少年がこの世を去ったのは10年前の今日だ。
当時の彼らはまだ学生で、アメフトに熱中していた。
その頂点を極めようと、仲間内で切磋琢磨していたあの頃。
彼らの人生には一点の曇りもなく、未来は光に満ち溢れていると思っていた。
そんな矢先に起こった不運な事故。
彼らの誰もが弟のように可愛いと思っていた少年。
いずれは世界に駆け登ると思われていたRB。
写真の少年、小早川瀬那はあっけなくこの世を去った。
そして今は栗田の実家の寺に眠っている。
それから10年。
彼らは毎年この日には、ここに集まる。
彼の墓前に花を飾り、線香を上げて、瀬那を偲ぶのだ。
「テメーももし生きてたら、ブラックコーヒーくらい飲めるようになってたか?」
栗田の寺の瀬那の写真の前に座ったヒル魔が、コーヒーを飲みながら話しかけている。
そんなヒル魔の様子に、まもりはムサシと栗田と顔を見合わせてため息をつく。
寺の広い本堂に置かれた大きな座卓を囲んでいるのは、今は4人だけだ。
先程までは後輩たちや他校の好敵手たちも来ていて、酒などを飲みながら思い出話に花を咲かせていた。
だがヒル魔だけはその輪には加わらず、ただコーヒーを飲みながらずっと瀬那の写真の前に座っていた。
そんなヒル魔を心配して、ムサシとまもりが帰らないでいるのも毎年のことだ。
事故に遭う直前、瀬那はヒル魔の部屋にいた。
2人は恋人同士で、何度も肌を合わせて身体を重ねた関係だった。
その日もヒル魔の部屋に泊まって、恋人の夜を過ごすはずだったのだ。
だが2人は些細なことで口喧嘩をして、瀬那はヒル魔の部屋を飛び出した。
そして信号も速度制限も無視した無謀運転の車にはね飛ばされた。
10年立っても、ヒル魔は立ち直っていない。
ヒル魔は瀬那の葬儀の後、学校も退学してフィールドに立つこともやめてしまった。
パソコンを駆使して収入は得ているようで、暮らし向きは普通だ。
だが仲間の絆から背を向けて、ほとんど引きこもるように暮らしている。
まもりもムサシも栗田も、そのことをずっと心配している。
ヒル魔は瀬那が死んだのは自分のせいだと思っている。
そして今も自分を責め続けている。
まもりは10年間、そんなヒル魔をずっと見守ってきた。
瀬那のことは今でも大事に思っている。
だが死んだ人間よりも、今生きているヒル魔の方が気がかりなのだ。
「私、そろそろ帰らないと。タクシー呼んでもらえる?」
まもりがそう言いながら、立ち上がった。
もう夜も遅い。明日も仕事がある。
瀬那が大事でも、ヒル魔が心配でも、現実を投げ出すわけにはいかない。
「ヒル魔、送ってやれよ。」
ムサシがそう言うと、ヒル魔に向かってキーホルダーを投げつけた。
ムサシはここまで実家の工務店の車で来ており、キーホルダーにはその鍵がついている。
ヒル魔はキーホルダーをキャッチする。
ムサシも栗田もこのまま夜通しヒル魔と話をするつもりで、かなり酒が入っている。
ヒル魔がまもりを車で送るのは、不自然なことではない。
手の中で鍵を転がしながら何か言おうとしたヒル魔だったが、結局無言だった。
カップに残っていた冷めたブラックコーヒーを一息に飲み干すと、立ち上がる。
何で俺がと言いたかったのだろうが、それを口に出すことさえ面倒だったようだ。
立ち上がった拍子に、ヒル魔の耳を飾るピアスが揺れた。
それを見たまもりが、悲しげに目を伏せる。
「じゃあね。ムサシくん、栗田くん。」
「おう。ヒル魔、頼むぞ。」
「またね。姉崎さん。」
まもりの挨拶にムサシと栗田が応じると、ヒル魔とまもりが本堂を出て行く。
そして廊下を歩く足音が完全に聞こえなくなると、ムサシと栗田は大きくため息をついた。
まもりはチラリと、並んで歩くヒル魔を横目で見た。
かつてのヒル魔のトレードマークは、逆立てた金髪と両耳を飾る二連のリングピアス。
だがもう髪を染めるのはやめてしまったので、今は黒い短髪だ。
そしてあの日以来、左耳のピアスは1つしかない。
瀬那の葬儀のとき、ヒル魔は瀬那の手に自分のピアスを1つ握らせた。
金属など不燃性の物は入れられないのだと葬儀社の担当者に断られたのに、ヒル魔は譲らなかったのだ。
呆然とした様子のヒル魔が唯一この時だけは、声を荒げた。
ついに担当者が「特別ですよ」とうんざりした声で折れた。
そして瀬那はピアスを1つ持って、天へと昇っていった。
それはヒル魔の決意だったのだと、まもりは思う。
ヒル魔は最期に自分の分身として、ピアスを瀬那に贈った。
瀬那はそれを持ったまま、二度と戻らない旅に出たのだ。
2人は生と死をも乗り越えて、深く結ばれた。
もうまもりも他の誰も、2人の間に割り込むことは出来ない。
ヒル魔はもう瀬那以外は誰も愛さないと、永遠の愛を捧げてしまったのだ。
まもりは、未だにそのことに心を縛られている。
あの頃から変わらず、まもりはヒル魔が好きだ。
今はもういない少年を想いながら、抜け殻のように生きるヒル魔を諦め切れない。
「少しは何とかなるといいけど。」
栗田がポツリとそう言うと、ムサシはグラスに残っていた酒をグイっと喉に流し込んだ。
ムサシと栗田はヒル魔のことと同じくらい、まもりのことを心配している。
瀬那がまだ生きていた頃から、まもりがヒル魔を好きだったことは彼らも気がついていた。
ヒル魔と瀬那が恋人同士になったことで、まもりが静かに身を引いたことも。
早くまもりのことを受け止める男が現れて、幸せになればいいと思っていた。
そして瀬那がこの世を去った後には、ヒル魔がまもりと結ばれればいいと思った。
瀬那を失った悲しみは、ヒル魔だけのものではない。
まもりだって、幼い時から弟のように可愛がっていた大事な存在を失ったのだ。
同じ傷を負った2人が、支え合って愛し合って生きていければいい。
瀬那だって、きっと許してくれるだろう。
だが10年の歳月が流れても、ヒル魔は未だに瀬那を想い続けている。
そしてまもりはそんなヒル魔を想い続けている。
だからムサシと栗田は何かあるたびに、ヒル魔の心をまもりに向けようとする。
時には4人で集まり、時にはこんな風に2人になるように仕向けたり。
ヒル魔とまもりを結び付けようと、あれやこれやと心を砕く。
「瀬那くんがもし今のヒル魔や姉崎さんを見たら、何て言うかな。」
「心配で泣いちまうかもしれねぇな。」
2人はどちらからともなくため息をつき、またグラスに酒を注ぎ足した。
建物を出て、ヒル魔と共に寺の駐車場に向かうまもりはふと足を止めた。
ちょうど墓地の入口の辺りに倒れている人影を見つけたからだ。
まもりは慌てて、その人影に駆け寄った。
白いシャツに、黒っぽい半ズボン。
小柄な身体はひどく痩せている。
多分小学校の低学年くらいの少年だろう。
真っ暗なので顔はよくわからないが、すこし長めの黒い髪がピョンピョンと跳ねている。
「大丈夫?しっかりして!」
まもりはその場にしゃがみこんで、少年の身体を軽く揺すったが、反応はない。
慌てて少年の細い首筋に指を当てて、脈を確認するとまもりはホッと安堵した。
「病院に。。。いえ、救急車かしら。」
まもりが困ったように呟くと、不意にヒル魔がまもりの身体を押しのけた。
「とりあえず寺に運ぶ。」
少年の横に屈んだヒル魔はそれだけ言うと、その身体を無造作に抱き上げた。
そしてスタスタと元来た道を歩いて戻っていく。
まもりは一拍遅れて「わかった」と答え、ヒル魔の後を追う。
本堂へ戻る廊下を歩きながら、まもりはふと考える。
ヒル魔の腕の中で眠るように身体を預けている少年の横顔が、屋内の明かりに照らされる。
その顔にどこかで逢ったことがあるような気がするのだ。
でもこの少年は7歳か8歳か、そんな年頃の知り合いはいない。
とにかく少年の身元が判れば、この疑問は解消するだろう。
まずはこの少年の容態を確認することだと、まもりは思い直した。
まもりが先に立って、本堂の扉を開けた。
ムサシと栗田は、戻ってきたまもりに「どうした?」と気安い口調で声をかけてきた。
だがその次の瞬間、見知らぬ小さな子供を抱きかかえたヒル魔にギョッとした表情になった。
「お寺の入口のところに倒れてたの」
まもりが簡単にそう説明している間に、ヒル魔が少年を抱いたまま床にそっと腰を下ろした。
「見たことない子だな。どこの子だろう?」
栗田が首を傾げながら、少年の顔を覗き込む。
「何か身元がわかるものとか、持ってねぇのか?」
ムサシがそう言いながら視線を走らせて、ふと少年の手に目を留めた。
「右手に何か握ってるな。」
ムサシの言葉に、皆が少年の右手を見る。
握りこまれた小さな拳が不自然に膨らんでいる。
その瞬間、少年が「うーん」と小さく声を上げた。
まだ声変わりもしていない高い声だ。
そしてゆっくりと目を開いた少年を見て、4人は驚愕した。
少年はかつてヒル魔が愛して、皆が弟のように可愛がった小早川瀬那と瓜二つだったのだ。
「瀬那、か」
ヒル魔はそう言いながら、腕の中の少年をしっかりと深く抱きなおした。
そして左腕でしっかりと抱きかかえながら、右手で少年の頬に触れる。
少年はキョトンとした表情だが、特に嫌がる素振りはなかった。
瀬那が戻ってきた。
ヒル魔がそう思っているのは明らかだった。
「その子は、瀬那じゃないわ!」
まもりが思わず上げた大声に、少年がビクリと身を震わせた。
その瞬間に少年の手から零れ落ちた物を見て、まもりの表情が凍りついた。
それはピアスだった。
ヒル魔の耳を飾る3つのピアスと同じリングのピアスだ。
「まさか、そんなことが。」
まもりは少年とピアスを見比べながら、呆然とした。
ヒル魔のピアスを持って現れた瀬那そっくりの少年。
瀬那であるはずはないのに。
「とにかく病院に連れて行った方がいい。倒れてたんだろ?」
ムサシの言葉に、栗田とまもりが頷く。
だがヒル魔だけは聞こえてない様子で、少年の髪を撫でている。
そして少年はいつの間にか、ヒル魔の首にしっかりと細い腕を回してしがみついていた。
周りが何と言おうと離れない。
ヒル魔と少年はそう主張しているように見えた。
【続く】
「早いものね。」
ムサシの言葉に、まもりが同意した。
栗田が静かに頷き、ヒル魔は無言でコーヒーを飲んでいる。
10年分歳を重ねた4人の視線の先。
写真の中で微笑む少年だけは、歳を取らない。
10年前の姿のままで、彼の時間は歩みを止めている。
写真の中の笑顔の少年がこの世を去ったのは10年前の今日だ。
当時の彼らはまだ学生で、アメフトに熱中していた。
その頂点を極めようと、仲間内で切磋琢磨していたあの頃。
彼らの人生には一点の曇りもなく、未来は光に満ち溢れていると思っていた。
そんな矢先に起こった不運な事故。
彼らの誰もが弟のように可愛いと思っていた少年。
いずれは世界に駆け登ると思われていたRB。
写真の少年、小早川瀬那はあっけなくこの世を去った。
そして今は栗田の実家の寺に眠っている。
それから10年。
彼らは毎年この日には、ここに集まる。
彼の墓前に花を飾り、線香を上げて、瀬那を偲ぶのだ。
「テメーももし生きてたら、ブラックコーヒーくらい飲めるようになってたか?」
栗田の寺の瀬那の写真の前に座ったヒル魔が、コーヒーを飲みながら話しかけている。
そんなヒル魔の様子に、まもりはムサシと栗田と顔を見合わせてため息をつく。
寺の広い本堂に置かれた大きな座卓を囲んでいるのは、今は4人だけだ。
先程までは後輩たちや他校の好敵手たちも来ていて、酒などを飲みながら思い出話に花を咲かせていた。
だがヒル魔だけはその輪には加わらず、ただコーヒーを飲みながらずっと瀬那の写真の前に座っていた。
そんなヒル魔を心配して、ムサシとまもりが帰らないでいるのも毎年のことだ。
事故に遭う直前、瀬那はヒル魔の部屋にいた。
2人は恋人同士で、何度も肌を合わせて身体を重ねた関係だった。
その日もヒル魔の部屋に泊まって、恋人の夜を過ごすはずだったのだ。
だが2人は些細なことで口喧嘩をして、瀬那はヒル魔の部屋を飛び出した。
そして信号も速度制限も無視した無謀運転の車にはね飛ばされた。
10年立っても、ヒル魔は立ち直っていない。
ヒル魔は瀬那の葬儀の後、学校も退学してフィールドに立つこともやめてしまった。
パソコンを駆使して収入は得ているようで、暮らし向きは普通だ。
だが仲間の絆から背を向けて、ほとんど引きこもるように暮らしている。
まもりもムサシも栗田も、そのことをずっと心配している。
ヒル魔は瀬那が死んだのは自分のせいだと思っている。
そして今も自分を責め続けている。
まもりは10年間、そんなヒル魔をずっと見守ってきた。
瀬那のことは今でも大事に思っている。
だが死んだ人間よりも、今生きているヒル魔の方が気がかりなのだ。
「私、そろそろ帰らないと。タクシー呼んでもらえる?」
まもりがそう言いながら、立ち上がった。
もう夜も遅い。明日も仕事がある。
瀬那が大事でも、ヒル魔が心配でも、現実を投げ出すわけにはいかない。
「ヒル魔、送ってやれよ。」
ムサシがそう言うと、ヒル魔に向かってキーホルダーを投げつけた。
ムサシはここまで実家の工務店の車で来ており、キーホルダーにはその鍵がついている。
ヒル魔はキーホルダーをキャッチする。
ムサシも栗田もこのまま夜通しヒル魔と話をするつもりで、かなり酒が入っている。
ヒル魔がまもりを車で送るのは、不自然なことではない。
手の中で鍵を転がしながら何か言おうとしたヒル魔だったが、結局無言だった。
カップに残っていた冷めたブラックコーヒーを一息に飲み干すと、立ち上がる。
何で俺がと言いたかったのだろうが、それを口に出すことさえ面倒だったようだ。
立ち上がった拍子に、ヒル魔の耳を飾るピアスが揺れた。
それを見たまもりが、悲しげに目を伏せる。
「じゃあね。ムサシくん、栗田くん。」
「おう。ヒル魔、頼むぞ。」
「またね。姉崎さん。」
まもりの挨拶にムサシと栗田が応じると、ヒル魔とまもりが本堂を出て行く。
そして廊下を歩く足音が完全に聞こえなくなると、ムサシと栗田は大きくため息をついた。
まもりはチラリと、並んで歩くヒル魔を横目で見た。
かつてのヒル魔のトレードマークは、逆立てた金髪と両耳を飾る二連のリングピアス。
だがもう髪を染めるのはやめてしまったので、今は黒い短髪だ。
そしてあの日以来、左耳のピアスは1つしかない。
瀬那の葬儀のとき、ヒル魔は瀬那の手に自分のピアスを1つ握らせた。
金属など不燃性の物は入れられないのだと葬儀社の担当者に断られたのに、ヒル魔は譲らなかったのだ。
呆然とした様子のヒル魔が唯一この時だけは、声を荒げた。
ついに担当者が「特別ですよ」とうんざりした声で折れた。
そして瀬那はピアスを1つ持って、天へと昇っていった。
それはヒル魔の決意だったのだと、まもりは思う。
ヒル魔は最期に自分の分身として、ピアスを瀬那に贈った。
瀬那はそれを持ったまま、二度と戻らない旅に出たのだ。
2人は生と死をも乗り越えて、深く結ばれた。
もうまもりも他の誰も、2人の間に割り込むことは出来ない。
ヒル魔はもう瀬那以外は誰も愛さないと、永遠の愛を捧げてしまったのだ。
まもりは、未だにそのことに心を縛られている。
あの頃から変わらず、まもりはヒル魔が好きだ。
今はもういない少年を想いながら、抜け殻のように生きるヒル魔を諦め切れない。
「少しは何とかなるといいけど。」
栗田がポツリとそう言うと、ムサシはグラスに残っていた酒をグイっと喉に流し込んだ。
ムサシと栗田はヒル魔のことと同じくらい、まもりのことを心配している。
瀬那がまだ生きていた頃から、まもりがヒル魔を好きだったことは彼らも気がついていた。
ヒル魔と瀬那が恋人同士になったことで、まもりが静かに身を引いたことも。
早くまもりのことを受け止める男が現れて、幸せになればいいと思っていた。
そして瀬那がこの世を去った後には、ヒル魔がまもりと結ばれればいいと思った。
瀬那を失った悲しみは、ヒル魔だけのものではない。
まもりだって、幼い時から弟のように可愛がっていた大事な存在を失ったのだ。
同じ傷を負った2人が、支え合って愛し合って生きていければいい。
瀬那だって、きっと許してくれるだろう。
だが10年の歳月が流れても、ヒル魔は未だに瀬那を想い続けている。
そしてまもりはそんなヒル魔を想い続けている。
だからムサシと栗田は何かあるたびに、ヒル魔の心をまもりに向けようとする。
時には4人で集まり、時にはこんな風に2人になるように仕向けたり。
ヒル魔とまもりを結び付けようと、あれやこれやと心を砕く。
「瀬那くんがもし今のヒル魔や姉崎さんを見たら、何て言うかな。」
「心配で泣いちまうかもしれねぇな。」
2人はどちらからともなくため息をつき、またグラスに酒を注ぎ足した。
建物を出て、ヒル魔と共に寺の駐車場に向かうまもりはふと足を止めた。
ちょうど墓地の入口の辺りに倒れている人影を見つけたからだ。
まもりは慌てて、その人影に駆け寄った。
白いシャツに、黒っぽい半ズボン。
小柄な身体はひどく痩せている。
多分小学校の低学年くらいの少年だろう。
真っ暗なので顔はよくわからないが、すこし長めの黒い髪がピョンピョンと跳ねている。
「大丈夫?しっかりして!」
まもりはその場にしゃがみこんで、少年の身体を軽く揺すったが、反応はない。
慌てて少年の細い首筋に指を当てて、脈を確認するとまもりはホッと安堵した。
「病院に。。。いえ、救急車かしら。」
まもりが困ったように呟くと、不意にヒル魔がまもりの身体を押しのけた。
「とりあえず寺に運ぶ。」
少年の横に屈んだヒル魔はそれだけ言うと、その身体を無造作に抱き上げた。
そしてスタスタと元来た道を歩いて戻っていく。
まもりは一拍遅れて「わかった」と答え、ヒル魔の後を追う。
本堂へ戻る廊下を歩きながら、まもりはふと考える。
ヒル魔の腕の中で眠るように身体を預けている少年の横顔が、屋内の明かりに照らされる。
その顔にどこかで逢ったことがあるような気がするのだ。
でもこの少年は7歳か8歳か、そんな年頃の知り合いはいない。
とにかく少年の身元が判れば、この疑問は解消するだろう。
まずはこの少年の容態を確認することだと、まもりは思い直した。
まもりが先に立って、本堂の扉を開けた。
ムサシと栗田は、戻ってきたまもりに「どうした?」と気安い口調で声をかけてきた。
だがその次の瞬間、見知らぬ小さな子供を抱きかかえたヒル魔にギョッとした表情になった。
「お寺の入口のところに倒れてたの」
まもりが簡単にそう説明している間に、ヒル魔が少年を抱いたまま床にそっと腰を下ろした。
「見たことない子だな。どこの子だろう?」
栗田が首を傾げながら、少年の顔を覗き込む。
「何か身元がわかるものとか、持ってねぇのか?」
ムサシがそう言いながら視線を走らせて、ふと少年の手に目を留めた。
「右手に何か握ってるな。」
ムサシの言葉に、皆が少年の右手を見る。
握りこまれた小さな拳が不自然に膨らんでいる。
その瞬間、少年が「うーん」と小さく声を上げた。
まだ声変わりもしていない高い声だ。
そしてゆっくりと目を開いた少年を見て、4人は驚愕した。
少年はかつてヒル魔が愛して、皆が弟のように可愛がった小早川瀬那と瓜二つだったのだ。
「瀬那、か」
ヒル魔はそう言いながら、腕の中の少年をしっかりと深く抱きなおした。
そして左腕でしっかりと抱きかかえながら、右手で少年の頬に触れる。
少年はキョトンとした表情だが、特に嫌がる素振りはなかった。
瀬那が戻ってきた。
ヒル魔がそう思っているのは明らかだった。
「その子は、瀬那じゃないわ!」
まもりが思わず上げた大声に、少年がビクリと身を震わせた。
その瞬間に少年の手から零れ落ちた物を見て、まもりの表情が凍りついた。
それはピアスだった。
ヒル魔の耳を飾る3つのピアスと同じリングのピアスだ。
「まさか、そんなことが。」
まもりは少年とピアスを見比べながら、呆然とした。
ヒル魔のピアスを持って現れた瀬那そっくりの少年。
瀬那であるはずはないのに。
「とにかく病院に連れて行った方がいい。倒れてたんだろ?」
ムサシの言葉に、栗田とまもりが頷く。
だがヒル魔だけは聞こえてない様子で、少年の髪を撫でている。
そして少年はいつの間にか、ヒル魔の首にしっかりと細い腕を回してしがみついていた。
周りが何と言おうと離れない。
ヒル魔と少年はそう主張しているように見えた。
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