年下5題

クリスマスボウルを終えて数日後。
泥門デビルバッツの部室では、年末最後のイベントが始まろうとしていた。
1年を締めくくるそのイベントの名は、大掃除だ。
担当場所はセナが用意したくじを引いて、決められた。
比較的楽な場所を引き当てたものの歓声や、作業が多い場所に当たったものの悲鳴。
そんなものを合図にして、今年最後の大仕事が始まった。

カジノテーブルの担当になった中坊は、内心で悪態をついていた。
最初は「当たり」だと思ったのだ。
いくら大きいとはいえ、所詮はテーブルだ。
ゴミがあれば取り去り、汚れがあれば拭き取る。
それだけでいい、楽な場所だと思ったのに。

木ではなく、布のような素材で出来たテーブル上のゴミは繊維に絡んで、取りにくい。
また何か飲み物をこぼしたようなシミや、書き物をしたときにペン先が当たったような汚れも同じだ。
ただでさえ拭き取りにくいのに、時間がたってしまったためにさらに落ちにくい。
それにルーレットの部分などの凹凸の場所には、埃が溜まってしまっていた。
球が落ちる38個のポケットをすべて綺麗にするのは、地味にめんどくさい。

中坊がこんな災難に見舞われた原因は、実は昨年度の敏腕マネージャー姉崎まもりだったりする。
マメな彼女は常に丁寧に清掃していたので、年末の大掃除まで汚れが残ることなどなかった。
だからセナもカジノテーブルの掃除がこれほど大変だとは思わず、割り当ても1人だったのだ。


中坊がようやくカジノテーブルの掃除を終えたときには、ほかの部員は全員割り当ての掃除を終えていた。
あとはセナたち2年生が、自分たちのロッカーを片付けているだけだ。
引退する彼らは、自分たちの私物を引き取り、来年入部する部員たちの為にロッカーを明け渡すのだ。

昨年までは1階にあったロッカールームは、今は地下にある。
今年になって部員が増えたので、1階では入りきれなくなったのだ。
だから昨年はヒル魔の武器倉庫であった地下が、武蔵工務店の手によって改装された。
中坊は大急ぎで、地下へ続く階段を駆け下りた。
まだ間に合うといいけど、と心の中で祈るように念じながら。

どうしたの?
あまりの勢いで駆け下りてきた中坊を、セナは不思議そうに見ていた。
他の2年生たちはもう片づけを終えてしまったらしく、誰もいなかった。
だがセナのロッカーは扉が開いていて、もう中には何も入っていない。
どうやら遅かったらしい。
中坊は何でもいいから、何かセナの私物を譲り受けたかったのだ。
すでにハイエナ-同じ目的の他の1年生によって持っていかれた後だった。

そもそもアメフト部員は、案外私物が少なかったりする。
ジャージやヘルメットやパッドなどの類は、個人ではなく部の所有物なのだ。
だからセナの持ち物をもらうのは、すごく競争率が高いことなのだ。

ああ、カジノテーブルなんかの掃除に当たってしまったばかりに。
中坊はがっくりと肩を落とした。


セナのことが好きだと思う。
主将であるセナ、先輩であるセナ、アメフトプレーヤーとしてのセナ。
すべてをひっくるめて、人間として好きだ。
そして何よりも特別な、唯一の存在。
どんなにつらいときでも笑顔を絶やさないセナは、可愛いし健気だと思う。

中坊は、もうはっきりとセナへの恋心を自覚していた。
高校へ入学する前までは、憧れ。
入学してから、夏合宿の辺りまでは尊敬。
だが本格的にクリスマスボウルへの戦いが始まった頃から、その想いは形を変えていった。
いや本当は初めから恋だったのかもしれない。

セナを守って、自由に走らせるのが自分の義務だ。
そしてヤードを獲得したとき、そしてTDを決めたときのセナの笑顔。
いつしかそれが、中坊の原動力になった。
いくら好きでも男同士で先輩なのだから、結ばれることなどないのはわかっている。
それでも同じサイドで戦ううちは、セナを守ることが出来る。

だがそれも終わってしまった。
だから中坊は、セナの可愛いエガオを思い出せる記念品が欲しかったのだ。


あの、もしよかったら。
中坊の気持ちを知ってか知らずか、セナが少し遠慮がちに切り出した。
そして空になったロッカーをパタンと閉じると、足元に置かれていた鞄に手を伸ばす。
セナが取り出したのは、赤い布のようなものだった。

差し出されたそれは試合用のユニフォームだった。
泥門デビルバッツのチームカラー、ナンバーは21だ。
セナは「あと、これも」と言って差し出したのは黒いリストバンドだった。
どちらもセナが使っていたものだろう。

それらのものを受け取った中坊は、あれ?と思う。
リストバンドはともかく、ユニフォームをセナが持っているのはおかしい。
他の学校の事は知らないが、泥門ではユニフォームは部の所有物なのだ。
そしてそれ以上におかしいことは、どちらもちぎられたように破れていることだった。
ユニフォームは肩の部分から無残に裂けているし、リストバンドはゴムが伸びた上に切れている。
どちらももう使うことは出来ないだろう。

去年、王城との試合で進さんと勝負したときに、ね。
セナがそう言うのを聞いて、中坊はハッとした。
その試合は、ビデオで見て知っている。
去年の関東大会の準決勝、ラスト1秒の攻防。
セナと進がやりあった、あのときのユニフォームとリストバンドだ。

もう使えないし、でも捨てられなくてずっと持ってたんだ。
セナはそう言って、照れくさそうに笑った。


本当に、もらっていいんですか?
思わず身を乗り出して聞き返した中坊の声が、裏返った。
おそらくは高校アメフトの歴史に残るあのシーン
そのときのユニフォームをもらえるなんて。
セナは中坊の剣幕に驚いたようだったが、すぐに「こんなのでよかったら」と笑顔になった。

セナの大事な記念の品物。
喜んでそれを受け取ろうと伸ばした中坊の手が止まった。
その瞬間、脳裏に浮かんだのはヒル魔のことだ。

気になっていた石のペンダントは、クリスマスボウルの祝勝会の場に登場した。
中坊が思ったとおりペンダントは2つあり、RBとQBにそれぞれ渡されたのだ。
やはりヒル魔が持っていたのか、と思ったときに、中坊は自分の気持ちを持て余していた。
心臓の奥がツキンと痛い、切ない気持ちをどうしたらいい?と。

セナがヒル魔のことを特別に思っているのは、間違いないと思う。
そして多分、ヒル魔もまたセナのことを大事に思っていることも。
昨年、泥門デビルバッツの礎を作った2人の絆は強い。
そこに中坊が入る隙などないのだろう。

ならセナの破れたユニフォームとリストバンドは、ヒル魔が受け取るべきではないのだろうか。
石のペンダントを後輩に譲ってしまったのなら、なおのこと。
セナがギリギリまで戦い抜いた証であるこれらの品々を、ヒル魔はきっと欲しがるはずだ。


本当に、いいんですか?
中坊の言葉に、セナがキョトンとした表情になった。
だが中坊は確かめなくてはいけないと思った。
だから言葉を続ける。

ヒル魔先輩にあげた方がいいんじゃないですか?
だってセナ先輩と、ヒル魔先輩は。
中坊の声が小さく掠れる。
その言葉を聞き取ったセナの目が、驚きに見開かれた。

やっぱり気がついてたんだね。僕とヒル魔さんのこと。
セナが驚いていたのはほんの一瞬だった。
次の瞬間には「付き合ってるんだ」と付け加えて、笑う。
その言葉に今度は中坊が固まった。
お互いに相手を想っていることまでは察していたが、言葉にされるとやはり衝撃だった。

2年生も3年生は、多分みんな気付いてる。
でもこうやって言葉にして教えたのは、チューボーくんが初めてだ。
そう言って、セナがまた笑った。


ヒル魔さんがね、これはチューボーくんに譲れって言ったんだよ。
セナはそう言うと、もう一度ユニフォームとリストバンドを差し出した。
中坊は「そうですか、それじゃ」と、笑う。
そして今度こそセナの思い出の品物を受け取った。

多分セナは気がついていないが、ヒル魔は気がついている。
中坊がセナに恋をしているということを。
だがそれは叶わない。
セナの可愛いエガオは、ヒル魔のものなのだ。

自分はセナに失恋したのだ。
中坊はそのことをはっきりと理解した。
セナとヒル魔は付き合っており、その2人の合意の上で大事な記念品をくれるのだ。
それならば恋心ではなく、泥門デビルバッツを引き継ぐ後輩として受け取るべきだ。

ありがとうございます。
中坊は、ユニフォームとリストバンドを捧げ持つと、セナに深々と頭を下げた。
こうして中坊の初めての恋は、切なく幕を閉じたのだった。

【終】
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