年下5題
アメリカでデスマーチじゃないんですか?
中坊は表情にも口調にも不満を滲ませながら、言った。
その言葉に2年生部員はブンブンと首を振った。
今日のミーティングの内容は、夏合宿について。
主将のセナが、その概要を全員に説明しようとしていた。
まずは日程、そして場所。
東京からさほど遠くない海に近い合宿所で、2週間。
それを聞いた中坊は、思わず立ち上がって発言していた。
デスマーチは1年生部員たちの間では、まるで伝説のように語り継がれていた。
夏休みに、アメリカを横断する。
ある者はトラックを押しながら、またある者はパスルートを走りながら。
しかも脱落者は置いて行くという無茶苦茶な内容。
だが彼らは、誰1人脱落することなく、やり遂げたのだ。
そして素人集団だった泥門デビルバッツは、クリスマスボウルを制覇するまでに成長した。
当然今年の夏もデスマーチなのだと、中坊は思い込んでいた。
むしろ中坊の願望とも言えるだろう。
高校に入って、身長も体重もメキメキと増え、栗田の後継者だと評されたりする。
だが中坊本人からすれば、まだまだ栗田はおろか、十文字たちにも遠く及ばない。
その実力差を埋めるために、デスマーチは必須だと思っている。
冗談じゃない。あんな経験は一生に1度で充分だ!
中坊の言葉にすかさず反応したのは黒木だった。
戸叶と小結が真剣な表情で頷き、十文字は顔を顰めて「そうだよな」と苦笑する。
モン太はブルブルと身体を震わせ、瀧夏彦は縋るような目でセナを見た。
今年は、デスマーチはやらないよ。
セナは部員たちの顔を見渡すと、申し訳なさそうな声でそう言った。
あからさまにホッとした様子の2年生に対して、1年生の様子は微妙だった。
中坊同様にデスマーチを希望する者、過酷であろうデスマーチに怯えた表情になる者。
そんな部員全員が、セナの言葉に「ホ~」と声を上げた。
安堵のため息、不満の呻き、そんなものが入り混じった複雑な響きだ。
去年とは事情が違うよ。今あんな無理をする必要はないから。
セナが中坊を見ながら、なおも言う。
確かにそう言えば、そうなのだろう。
何しろクリスマスボウルを経験した2年生部員が、何人もいるのだ。
下手をすれば選手を壊すかもしれない無茶なことをすることはない。
セナがそう考えるのもわからないではない。
溝六先生と相談して、デスマーチに劣らないメニューを考えるから。
そう言って、セナが悪戯っぽい表情で笑った。
セナがそう言うなら、仕方ない。
中坊は「はい!」と元気よく答えて、再び説明を始めたセナの話に耳を傾けた。
じゃあ、10分休憩な。
十文字の声に、前衛の部員たちは動きを止めた。
中坊はマネージャーが配るタオルとドリンクを受け取った。
後衛はまだ練習をしており、指示を出すセナの声が響いている。
中坊はグラウンドの隅に座り、汗を拭き、水分を補給しながら、ぼんやりとそれを見ていた。
よぉ、頑張ってるか?
そう言われて、中坊は後方の声のする方向に視線を向ける。
多分泥門一と言っても過言ではない老け顔の男、ムサシが大工姿で立っていた。
中坊が立ち上がって挨拶しようとするのを手で制して、ムサシは中坊の隣に腰を下ろした。
部員が増えたし、部室の中を少し変えてほしいって、セナが言うからな。
ムサシは中坊に言った。
あまりにもジロジロと、中坊がムサシを見てしまったせいだ。
セナたち2年生は、すっかり見慣れている大工スタイルのムサシ。
だが中坊たち1年生は、初めて見る。
他の前衛の1年生たちも、驚いた表情でムサシをチラチラと見ていた。
合宿でテメーらがいない間にやるから、今日はセナと打ち合わせだ。
そう言って、ムサシが笑う。
それならば何も今日は大工姿でなくてもいいだろうが、そこはムサシのこだわりなのだろう。
そしてその老け顔と相まって、不思議なミリョクを醸し出している。
何となくムサシらしい頑固さに、中坊は微笑した。
夏合宿、デスマーチがよかったです。
中坊は、ポツリとそう言った。
ムサシは片眉を上げると「そうか?」と聞き返してくる。
そりゃそうですよ。だって絶対に強くなりますから!
中坊は勢い込んで、そう答えた。
気持ちはわかるが、今年はむずかしいだろうな。
ムサシは中坊が身を乗り出す様子を見て、苦笑する。
その言葉に、中坊の表情が怪訝なものになったのを見て取ったのだろう。
ムサシは、ゆっくりと話し始めた。
まずは予算だ。
アメリカへの往復の旅費や、滞在費。
前回はNASAエイリアンズとの賭けで、行きの飛行機はタダだった。
その後はビーチフットの賞金やらカジノやらで何とかなったらしいが、2年連続でそうはいかねぇ。
ましてや今年は部員の数も3倍以上だ。
例えばトラックだって何台も必要だし、かかる費用を人数で割っても、去年よりも多いはずだ。
そうか、費用がかかるんだ。
無理を言って、東京の高校に進学して、ただでさえ両親に金銭的な負担をかけているのに。
中坊は「そっかぁ」と言いながら、大きくため息をついた。
ムサシに言われるまで気づかなかったことが恥ずかしく、申し訳なく思う。
それに前衛はともかく、後衛の練習は出来ない。
ムサシの言葉に、中坊は「あっ」と小さく声を上げた。
デスマーチの練習の内容は、2年生たちから聞いている。
指示されたパスルートを走るレシーバーたち。
そして石を蹴りながら追走するランニングバック。
人数は去年の3倍だ。
だがそれを指示する司令塔、QBは昨年以上の運動量と判断力が必要とされる。
1年生QBではできないだろう。
それをやるとしたらセナしかないが、果たしてできるかどうか。
デスマーチができなくて一番悔しいのは、多分セナだと思うぞ。
ムサシは静かに、そう付け加えた。
重い銃器を操りながら、パスルートを指示して走るヒル魔の代わりは多分誰もできない。
費用の工面も含めて、結局昨年のデスマーチは主将であるヒル魔の才覚で成立した荒業なのだ。
いろいろと条件は違うとはいえ、昨年出来たことが、今年は出来ない。
それは主将のセナにとって、かなり悔しいことだろう。
どうでもいいことだが、俺も行ってねぇんだ。デスマーチ。
そろそろ休憩も終わりだ。
そこここで座って休憩していた前衛のメンバーたちが立ち上がる。
それを横目に見て、ムサシが腰を上げながら、言った。
え?そうなんですか?
同じく腰を上げた中坊は、驚きの声を上げた。
昨年のメンバーの結束を思うと、死ぬほどの苦労を共にした結果なのだと頷ける。
参加していないメンバーがいるとは、考えもしなかった。
やつらがアメリカで必死に練習してたとき、俺は大工やってた。
ムサシがどこか遠くを見るような目で、空を見上げる。
昨年の夏を懐かしんでいるのだろう。
それでも何とかやってきた。デスマーチだけがすべてじゃねぇ。
ムサシがそう言う声と、セナが「10分休憩~」と張り上げた声が重なった。
ムサシは「じゃあな」と言い置くと、後手に手を振りながら、セナの方へと歩き出した。
ムサシと話すセナを見ながら、中坊は微笑んでいた。
中坊は1日も早く、2年生に負けない力をつけたいと思っている。
セナもまた主将として、昨年のヒル魔に追いつくために必死なのだ。
でもそんな素振りはまったく見せず、笑顔で中坊たち1年生を導いている。
優しく柔らかいその不思議なミリョクは、中坊を惹きつけてやまない。
再開するぞ!という十文字の声に、中坊は「よし」と拳を握り締めた。
しっかりと今のうちに身体作りをしておかなくてはいけない。
セナ曰く、夏合宿は「デスマーチに劣らないメニュー」なのだから。
【続く】
中坊は表情にも口調にも不満を滲ませながら、言った。
その言葉に2年生部員はブンブンと首を振った。
今日のミーティングの内容は、夏合宿について。
主将のセナが、その概要を全員に説明しようとしていた。
まずは日程、そして場所。
東京からさほど遠くない海に近い合宿所で、2週間。
それを聞いた中坊は、思わず立ち上がって発言していた。
デスマーチは1年生部員たちの間では、まるで伝説のように語り継がれていた。
夏休みに、アメリカを横断する。
ある者はトラックを押しながら、またある者はパスルートを走りながら。
しかも脱落者は置いて行くという無茶苦茶な内容。
だが彼らは、誰1人脱落することなく、やり遂げたのだ。
そして素人集団だった泥門デビルバッツは、クリスマスボウルを制覇するまでに成長した。
当然今年の夏もデスマーチなのだと、中坊は思い込んでいた。
むしろ中坊の願望とも言えるだろう。
高校に入って、身長も体重もメキメキと増え、栗田の後継者だと評されたりする。
だが中坊本人からすれば、まだまだ栗田はおろか、十文字たちにも遠く及ばない。
その実力差を埋めるために、デスマーチは必須だと思っている。
冗談じゃない。あんな経験は一生に1度で充分だ!
中坊の言葉にすかさず反応したのは黒木だった。
戸叶と小結が真剣な表情で頷き、十文字は顔を顰めて「そうだよな」と苦笑する。
モン太はブルブルと身体を震わせ、瀧夏彦は縋るような目でセナを見た。
今年は、デスマーチはやらないよ。
セナは部員たちの顔を見渡すと、申し訳なさそうな声でそう言った。
あからさまにホッとした様子の2年生に対して、1年生の様子は微妙だった。
中坊同様にデスマーチを希望する者、過酷であろうデスマーチに怯えた表情になる者。
そんな部員全員が、セナの言葉に「ホ~」と声を上げた。
安堵のため息、不満の呻き、そんなものが入り混じった複雑な響きだ。
去年とは事情が違うよ。今あんな無理をする必要はないから。
セナが中坊を見ながら、なおも言う。
確かにそう言えば、そうなのだろう。
何しろクリスマスボウルを経験した2年生部員が、何人もいるのだ。
下手をすれば選手を壊すかもしれない無茶なことをすることはない。
セナがそう考えるのもわからないではない。
溝六先生と相談して、デスマーチに劣らないメニューを考えるから。
そう言って、セナが悪戯っぽい表情で笑った。
セナがそう言うなら、仕方ない。
中坊は「はい!」と元気よく答えて、再び説明を始めたセナの話に耳を傾けた。
じゃあ、10分休憩な。
十文字の声に、前衛の部員たちは動きを止めた。
中坊はマネージャーが配るタオルとドリンクを受け取った。
後衛はまだ練習をしており、指示を出すセナの声が響いている。
中坊はグラウンドの隅に座り、汗を拭き、水分を補給しながら、ぼんやりとそれを見ていた。
よぉ、頑張ってるか?
そう言われて、中坊は後方の声のする方向に視線を向ける。
多分泥門一と言っても過言ではない老け顔の男、ムサシが大工姿で立っていた。
中坊が立ち上がって挨拶しようとするのを手で制して、ムサシは中坊の隣に腰を下ろした。
部員が増えたし、部室の中を少し変えてほしいって、セナが言うからな。
ムサシは中坊に言った。
あまりにもジロジロと、中坊がムサシを見てしまったせいだ。
セナたち2年生は、すっかり見慣れている大工スタイルのムサシ。
だが中坊たち1年生は、初めて見る。
他の前衛の1年生たちも、驚いた表情でムサシをチラチラと見ていた。
合宿でテメーらがいない間にやるから、今日はセナと打ち合わせだ。
そう言って、ムサシが笑う。
それならば何も今日は大工姿でなくてもいいだろうが、そこはムサシのこだわりなのだろう。
そしてその老け顔と相まって、不思議なミリョクを醸し出している。
何となくムサシらしい頑固さに、中坊は微笑した。
夏合宿、デスマーチがよかったです。
中坊は、ポツリとそう言った。
ムサシは片眉を上げると「そうか?」と聞き返してくる。
そりゃそうですよ。だって絶対に強くなりますから!
中坊は勢い込んで、そう答えた。
気持ちはわかるが、今年はむずかしいだろうな。
ムサシは中坊が身を乗り出す様子を見て、苦笑する。
その言葉に、中坊の表情が怪訝なものになったのを見て取ったのだろう。
ムサシは、ゆっくりと話し始めた。
まずは予算だ。
アメリカへの往復の旅費や、滞在費。
前回はNASAエイリアンズとの賭けで、行きの飛行機はタダだった。
その後はビーチフットの賞金やらカジノやらで何とかなったらしいが、2年連続でそうはいかねぇ。
ましてや今年は部員の数も3倍以上だ。
例えばトラックだって何台も必要だし、かかる費用を人数で割っても、去年よりも多いはずだ。
そうか、費用がかかるんだ。
無理を言って、東京の高校に進学して、ただでさえ両親に金銭的な負担をかけているのに。
中坊は「そっかぁ」と言いながら、大きくため息をついた。
ムサシに言われるまで気づかなかったことが恥ずかしく、申し訳なく思う。
それに前衛はともかく、後衛の練習は出来ない。
ムサシの言葉に、中坊は「あっ」と小さく声を上げた。
デスマーチの練習の内容は、2年生たちから聞いている。
指示されたパスルートを走るレシーバーたち。
そして石を蹴りながら追走するランニングバック。
人数は去年の3倍だ。
だがそれを指示する司令塔、QBは昨年以上の運動量と判断力が必要とされる。
1年生QBではできないだろう。
それをやるとしたらセナしかないが、果たしてできるかどうか。
デスマーチができなくて一番悔しいのは、多分セナだと思うぞ。
ムサシは静かに、そう付け加えた。
重い銃器を操りながら、パスルートを指示して走るヒル魔の代わりは多分誰もできない。
費用の工面も含めて、結局昨年のデスマーチは主将であるヒル魔の才覚で成立した荒業なのだ。
いろいろと条件は違うとはいえ、昨年出来たことが、今年は出来ない。
それは主将のセナにとって、かなり悔しいことだろう。
どうでもいいことだが、俺も行ってねぇんだ。デスマーチ。
そろそろ休憩も終わりだ。
そこここで座って休憩していた前衛のメンバーたちが立ち上がる。
それを横目に見て、ムサシが腰を上げながら、言った。
え?そうなんですか?
同じく腰を上げた中坊は、驚きの声を上げた。
昨年のメンバーの結束を思うと、死ぬほどの苦労を共にした結果なのだと頷ける。
参加していないメンバーがいるとは、考えもしなかった。
やつらがアメリカで必死に練習してたとき、俺は大工やってた。
ムサシがどこか遠くを見るような目で、空を見上げる。
昨年の夏を懐かしんでいるのだろう。
それでも何とかやってきた。デスマーチだけがすべてじゃねぇ。
ムサシがそう言う声と、セナが「10分休憩~」と張り上げた声が重なった。
ムサシは「じゃあな」と言い置くと、後手に手を振りながら、セナの方へと歩き出した。
ムサシと話すセナを見ながら、中坊は微笑んでいた。
中坊は1日も早く、2年生に負けない力をつけたいと思っている。
セナもまた主将として、昨年のヒル魔に追いつくために必死なのだ。
でもそんな素振りはまったく見せず、笑顔で中坊たち1年生を導いている。
優しく柔らかいその不思議なミリョクは、中坊を惹きつけてやまない。
再開するぞ!という十文字の声に、中坊は「よし」と拳を握り締めた。
しっかりと今のうちに身体作りをしておかなくてはいけない。
セナ曰く、夏合宿は「デスマーチに劣らないメニュー」なのだから。
【続く】