高桜5題

高見伊知郎はボールを投げようとしていた。
目の前の練習用の広いフィールドで構えているのは、たった1人のレシーバーだけだ。
高見はボールをゆっくりと投げる。。。振りをした。
だが次の瞬間、素早い動作で投げ込まれたボールは、全然別の方向へと飛んでいく。
もちろん高見のフェイクプレーだ。
不意をつかれた長身のレシーバーだったが、すぐにボールに向かって走り出す。
そして信じられない跳躍力で飛び上がり、見事ボールをキャッチした。

「よく捕ったな。」
高見はニヤリと笑うと、レシーバーの男-桜庭春人を褒めた。
だが桜庭は「捕らせるつもりだったでしょ」と苦笑する。
全力疾走でかなりの距離を走ったが、さほど息も乱れていない。

ここは2人の母校である王城の高校の練習用フィールド。
高校時代、高見と桜庭が一緒に練習していた言わば古巣だ。
長身の2人のコンビプレーは、残念ながら違う大学に進んだことで見られなくなった。
それでもこうしてたまに高校の練習用フィールドに来て、高見のパスを桜庭が捕る。
2人とも大学ではここまで身長を生かした相方に出会っていないからだ。

「もう1回、行くぞ!」
「お願いします!」
桜庭が高見にボールを返すと、高見はもう1度最初の場所に戻る。
遊びと言ってしまえばそれまでだが、フィールドに立てば2人とも真剣だ。
そしてまた高見から放たれたパスが、桜庭の手に収まった。


「これ、どうぞ」
ロッカールームに引き上げた高見はベンチに座っていた。
両手にスポーツドリンクのペットボトルを持った桜庭がその1本を渡しながら、高見の隣に座る。
高見は「ありがとう」と短く礼を言うと、ペットボトルを受け取った。

今日は高校は定期試験の最中で、部活も休みだった。
2人はその日を狙って、広い練習場を2人で使わせてもらっていた。
王城の大学の方が設備はいいし自由も利くのだが、やはり違う大学に進んだ高見には入りにくい。
高校の施設でこんな練習ができるのは、ひとえに高校の監督ショーグンこと庄司軍平の裁量によるものだ。
そのおかげでこうして、ひさしぶりふたりきりの練習を満喫することができる。

「あれ?」
空いたベンチの上に置きっぱなしになっている雑誌が目に止まった高見は、短く声を上げた。
昨日発売された最新の「月間アメフト」だ。
その表紙を見た高見は、思わず顔をしかめていた。
それはあの最京大学と集英医大の練習試合の日の光景。
体調が悪い姉崎まもりをヒル魔が抱き上げている写真が、表紙を飾っていた。

「ああ、これ。悪趣味ですよね。」
高見の視線を読んだ桜庭は立ち上がると、放置されていた雑誌を手に取った。
そして再び高見の隣に座り、パラパラとページをめくる。

「アメフト雑誌がまるでゴシップ誌だ。」
「まぁそうなんですけどね。ヒル魔にすれば狙い通りってトコでしょう。」
「もしかしてヒル魔が雑誌に載せるように仕向けたか?」
「ありえますね。」
高見と桜庭は雑誌の中のヒル魔を見て、思わず苦笑いをしてしまう。
そしてゴクゴクとスポーツドリンクを飲みながら、タオルで汗を拭いた。


「知ってます?姉崎さんが妊娠してるっていう噂。」
「はぁぁ?妊娠?」
「あの練習試合にヒル魔が姉崎さんを運んだでしょう?そこから尾ひれがついて。」
「で、妊娠か?噂って恐ろしいな。」
高見はそう言いながら、自分らしくないなと思う。
こんな風に他人の恋愛話に興ずるなど、まったく高見のキャラに合っていないのだ。
そんなことをするのも桜庭が相手だからだ。
高校時代の相方であり、今でもかわいい後輩の桜庭が相手だと何となく彼のペースに乗せられるのだ。

それにまたしても自分らしくないのだが、彼らが心配だったりもする。
ヒル魔とセナが恋人同士であり、世間一般の恋人たちより絆が深いことはわかっている。
高校時代からの彼らを知っている者たちには当たり前の事実だ。
でもヒル魔はこの恋愛でセナが中傷されるような事態を何よりも恐れている。
だから2人の関係を隠すために、もっと言うならセナを守るために、この茶番を始めた。

だがこれでいいのだろうか?と高見は思う。
姉崎まもりや瀧鈴音を巻き込んで、果ては雑誌の表紙にまで偽の恋愛の写真を載せて。
こんな歪んだ恋愛ごっこを続けて、幸せなのだろうか。
ジャリプロと契約しており、セナと接することが多くなった桜庭も思いは同じ。
多分高見以上にセナのことを心配している。

「さっさと着替えて、メシでも食いませんか?」
桜庭は雑誌を元の場所に戻しながら、笑顔でそう言った。
高見は「そうだな」と答えながら、立ち上がった。
ヒル魔たちに高見と桜庭ができることは何もない。
彼らは自分たちの意思で恋愛し、行動しているのだから。

王城は何もかも恵まれている。
学生食堂のメニューも例外ではない。
久々にそれが味わえるのだと思うと、高見の頬が緩んだ。
今はとにかく食い気だ。


「まも姉も案外やるよね。もうすっかり妖ー兄とは恋人みたい。」
鈴音は呂律が回らない口調で、まもりにからんだ。
まもりは言い返そうと口を開いたが、すぐに口を噤んだ。
鈴音は酒を飲んでいて、すっかり酔っている。
酔っ払い相手にムキになるのも、馬鹿馬鹿しいからだ。

ここはまもりが住んでいる賃貸マンションの一室だ。
駅からも最京大学からも近いし、オートロックはもちろん防犯カメラなども多く、警備員もいる。
だが治安がいい分家賃も少々割高で、学生が簡単に住める物件ではない。
引っ越したのはつい最近、ヒル魔と嘘の恋愛を初めた頃だ。
部屋を用意したのは当然ヒル魔で、家賃もヒル魔が負担している。

当初まもりは喜んだのだ。
嘘の恋人でも何でも気にしてもらっているのだと。
だがそれだけではなかった。
実はこのマンションの別の部屋をヒル魔も借りていたのだ。
もちろん名義は別人になっており、ほとんどの人間はそれを知らない。

それはもちろんカモフラージュのためだった。
ヒル魔の部屋はヒル魔とセナの密会場所だ。
まもりがここに住んでいることで、セナやヒル魔が出入りするのを見られても言い訳がつく。
ヒル魔は恋人に、セナは姉のような幼なじみに会いに来たと言えばいい。

今日は表向きは2組のカップルがまもりの部屋に集っていることになっている。
だが実はまもりの部屋にいるのは、まもりと鈴音だけだ。
セナとヒル魔は自分たちの部屋にいる。
ひさしぶりふたりきりの時間を楽しんでいることだろう。

まもりと鈴音は2人だけで、広いリビングのソファに座っている。
缶入りのアルコール飲料と、コンビニで買い出したつまみ。
女2人で静かに飲んでいた。


「世間ではまも姉妊娠説も乱れ飛んでるよ?まも姉も妖ー兄も否定しないから。」
「まったくあの試合のときだけでそんな話になるんだから、笑っちゃうわね。」
まもりはそう言いながら、手に持っている缶の中身を一気に喉に流し込んだ。
ちなみにまもりが飲んでいるのは缶入りのカクテル、鈴音は缶のチューハイだ。

「まも姉はどうしてカモフラージュ恋愛なんて思いついたの?」
相変わらず怪しい呂律の鈴音が、まもりに問いかける。
セナとヒル魔の関係を知る者は、今のこの関係はヒル魔の企みだと思っている。
だが実際、これを言い出したのはまもりだった。

「これがセナとヒル魔くんのためだと思ったからよ。」
「嘘ばっかり。あわよくば妖ー兄にもっと近づける。うまくすれば誘惑できる。そう思ったでしょ?」
「まさか」
「いいコぶるのはやめようよ。まも姉」
「鈴音ちゃんはどうなの?」
「私は思ったよ。今以上にセナと仲良くなれる。妖ー兄から私に乗り換えてくれればいいって。」

酔っているせいか、鈴音の口はなめらかだった。
いつもは年齢より子供っぽくて良くも悪くも真っ直ぐなのに、思わぬ黒い本音をのぞかせる。
そして「もう1本飲む」と言って立ち上がり、勝手にキッチンの冷蔵庫から缶チューハイを取り出した。
どうやら酔っ払いは、まもりの意見はどうでもいいらしい。
そんな鈴音の様子を見ながら、まもりは苦笑する。

好きな人を振り向かせる。
それをまもりが考えなかったはずはないとは思わないのだろうか?
むしろまもりこそ、その計画の首謀者なのだ。
あわよくばヒル魔の彼女になりたい。
セナをヒル魔の横から引き剥がしたい。
そんな本音を心の奥底にずっと隠していた。
これがチャンスだと思わないでいられるはずがない。

「鈴音ちゃん、寝るならベットにしなさい。」
目がトロンとしている鈴音にまもりがそう声をかける。
だが鈴音は「まだ飲むもん!」と元気いっぱいだ。
まもりはやれやれと苦笑しながら立ち上がり、キッチンに向かう。

そう言えば鈴音とふたりきりもひさしぶりだ。
今日はもうトコトン飲んでやるのもいいかもしれない。
まもりは「次はハイボールにしようかな」と言いながら、冷蔵庫を開けた。

【続く】
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