高桜5題

「今日はよろしくお願いします。」
こちらにやって来て頭を下げたのは、相手校の美人敏腕マネージャー。
常勝最京大学を支える姉崎まもりだ。
試合の準備が整った高見伊知郎は、自分の大学のマネージャーが「こちらこそ」と挨拶するのを見ていた。

今日は最京大学と集英医大の練習試合の日だった。
高見たち集英医大の面々は、こうして最京大の練習グラウンドへやって来たのだ。
着替えて軽いウォーミングアップもすませ、もうすぐ試合開始のホイッスルが鳴る。

さすがに最京大学は練習環境がいい。
高見はここに来るたびにいつもそう思うのだ。
まずこうして、いつでも試合ができる専用グラウンドがある。
ロッカールームやシャワールームも広くて、いつもきれいに清掃されている。

その後はいつも高校時代は本当に恵まれていたと痛感する。
集英医大に進んだ高見の悩みの1つは、貧弱な練習設備なのだ。
王城という設備が整った高校から来ればなおさらだ。
高校の時には自分がいかに贅沢な環境にいたのかなんて、考えることはなかった。

最京大学の設備がいいのは、もちろんあの「悪魔」と呼ばれるQBの策略もあるだろう。
だがそれ以上に、やはり最京大学は強い。
だから学校側だって資金を援助してくれるということだ。

だがそんなことは言い訳にはならない。
あの何もなかった泥門高校がクリスマスボウルを制覇したのだから。
とにかく練習も試合も一生懸命やるしかない。


フィールドに立った高見は、スタンドを見回した。
やはり練習試合とはいえ、注目のカードではあるのだろう。
有力校のアメフト部員たちが、観戦に来ている。
その中でも圧倒的な存在感を持つのは、炎馬大学の面々だった。
真ん中にいる栗田の巨体と雲水の坊主頭が、とにかく目立つのだ。

高見はその一団の後方に並んで座る2人を見て、かすかに顔をしかめた。
正確にはその2人ではなく、その2人を遠巻きに見ている若い女子生徒たちにだ。
2人とは炎馬大学のエースであるセナと、チアリーダーの鈴音。
これ見よがしに手をつないでおり、見るからに親密な雰囲気だ。
そして遠巻きに見ているのは、セナのファンである女性たちだ。
多分セナに声をかけたいのだが、恋人と噂される鈴音が隣にいるので遠慮しているのだろう。

あまり愉快な光景ではないな。
高見はそう思いながら、秘かにため息をついた。
別にセナと鈴音がどうこうという話ではない。
アメフトには何の興味もないような女の子たちがウロウロしているのが、感心しなかった。
それにああいう女の子たちを見ていると、どうしても思い出す。
高校時代にようやく見つけた相棒と思ったレシーバーのことを。
その男、桜庭春人はタレント活動ばかりで、なかなかアメフトに身を入れてくれなかった。
ああいうファンとか追っかけとか呼ばれる女の子たちに囲まれているのを見て、苦い気持ちだったのだ。

「高見さーん!」
反対側のスタンドから名前を呼ばれて、高見は振り返った。
そこにいたのはかつて共にプレーした者も多い、王城大学の一団。
手を振ったのはまさに今思っていた桜庭だった。
彼もまたセナほどではないが、取り巻くようにそこらにいる若い女性の視線を集めている。

まったく能天気なことだ。
高見は苦笑しながら、片手を上げて答えた。


姉崎まもりは、自分のチームのベンチに戻るとヒル魔の隣に座った。
手に持つメモパッドに挟まれた紙片は、今日の試合の作戦メモだ。
事前にヒル魔が用意したいくつかの作戦がかかれている。
相手チームの出場メンバーや今日のコンディションを見て、どの作戦を使うか決めるのだ。

「大きな変更はねーな。ほぼ予定通りでいける。」
「わかったわ。あとは。。。」
まもりはこれ以上は無理というくらいまでヒル魔に身体を寄せている。
そしてヒル魔もさして意味もないのに身を乗り出して、まもりのメモパッドに目を落とす。
傍から見ていても尋常ではない密着の仕方だ。

カモフラージュ恋愛。
それが今のヒル魔とまもり、セナと鈴音の状況だった。
芸能活動を始めたことで、セナの身辺は慌しくなった。
外に出れば常に誰かに見られてしまうし、プライベートを詮索する者も増えた。
実はヒル魔とセナが実は恋人同士であるのではないかと疑う者も出始めたのだ。
そしてそれはまぎれもない事実だった。

ヒル魔は当初、黒い手帳を駆使して、その噂を根こそぎ潰そうと思っていた。
そして事実それを実行した。
だがキリがない。
セナの人気の上がり方は予想以上で、興味を持つ者の人数の増え方も尋常ではなかった。

今時のアイドルは、恋人がいることなどさして珍しくもない。
現にジャリプロでも、結婚しても子供がいてもアイドルというポジションで仕事をする者もいる。
だが同性愛者となれば、話は違う。
セナは一気に貶められ、マスコミなどの餌食になってしまうだろう。


「ヒル魔くん。1つ提案があるんだけど。」
ある日まもりはヒル魔に切り出した。
セナにもヒル魔にも、別に恋人がいるように見せればいい。
そのためにまもりと鈴音が協力するし、鈴音の同意はすでにとってある。

「テメーが俺の、鈴音がセナの恋人の、振りをするっていうのか?」
ヒル魔はまもりの提案に顔をしかめ、ウンザリした口調でそう言った。
まもりはそんなヒル魔の態度に、身が縮む思いだった。
この提案には、多分にまもりの私情が入っている。
嘘でも偽でもいいから、ヒル魔の恋人になりたい。
そんな浅ましい下心を、見透かされたような気分だった。

「わかった。セナに聞いてみる。セナもそれでいいならそうしよう。」
ヒル魔はしばらく考えた後、そう答えた。
即断即決型のヒル魔にしては、珍しく間があった。
だがまもりは答えが返ってきたことに驚いた。
問題が問題なだけに、その場で結論が出るとは思わなかったのだ。

そこから先のヒル魔の行動は迅速だった。
人がいる場所ではとにかくまもりのそばで、ベタベタとくっついた。
しばらくしてすぐにセナと鈴音も同様だという噂を聞いた。
かくしてヒル魔とセナの関係を隠す2組の偽装カップルが誕生したのだ。

まもりは今では後悔していた。
カモフラージュ恋愛という行為の何とむなしいことか。
本当にヒル魔は徹底していた。
誰か人がいるときには徹底的に恋人っぽく振舞うが、そうでなければまもりをチラリと見ることさえない。
ヒル魔が好きなのはあくまでセナであり、まもりのことなど気にも留めていないのだ。


「姉崎さん?」
フィールドで試合開始を待っていた高見は、小さく声を上げた。
今までベンチに座ってヒル魔と打ち合わせをしていたまもりが、立ち上がろうとしてその場に蹲ったのだ。
どうやら気分が悪いようで、タオルで口元を押さえている。
他の部員たちが驚いたように、わらわらとその場に駆け寄って来た。

「ごめんなさい。ちょっと気分が悪くなって。」
ヒル魔に手を貸してもらい、再びベンチに座らせられたまもりが弱々しくそう言った。
大和や鷹などが「大丈夫?」「休んだ方がいい」などと声をかけるのはわかる。
だがあの阿含まで心配そうな顔をしているのは、不謹慎だが少々笑えた。

「私は大丈夫。試合をしましょう。」
そう言って立ち上がろうとしたまもりを、不意にヒル魔が抱き上げた。
いわゆるお姫様抱っこと呼ばれるやつに、高見だけでなく一同が目を瞠る。

「大丈夫だから。ヒル魔くん、下ろして!」
「いいから、休んだ方がいい。医務室行くぞ。」
ヒル魔は腕の中でもがくまもりをものともせずに、スタスタと歩き出す。
それ以外のフィールドにいる選手も、スタンドの客たちもシーンと水を打ったように静まり返った。

「ヒル魔、試合開始を遅らせようか?」
静寂を破るように、高見がヒル魔にそう声をかける。
するとヒル魔は「悪いな」と答えて、まもりを抱えたまま出口に向かって歩き出した。

僕の知らない君だな、ヒル魔。
高見は心の中で、ヒル魔の背中にそう声をかける。
女の子をあんな風に抱き上げるのは意外すぎる。
何よりも高見に「悪いな」と詫びるなど、ありえない。
桜庭はヒル魔はセナのためにまもりと付き合っているように見せていると言っていた。
だが単なる芝居で、あんなことまでするのだろうか?

ふと思いついた高見は、スタンドの炎馬大学が固まっている場所に目を向ける。
セナは相変わらず鈴音と手をつないだまま、フィールドを出て行くヒル魔の背中をじっと見ていた。

【続く】
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