高桜5題
セナは人通りの多い繁華街をゆっくりと歩いていた。
隣にはいるのは高校時代からの友人であり、大学の同級生である鈴音だ。
セナと鈴音はお互いに腕をからませていた。
あちこちから「小早川瀬那だ」と声が聞こえ、露骨に指を差す者もいる。
中には無遠慮に携帯電話をこちらに向けている者もいた。
シャッター音が響き、フラッシュが光る。
鈴音がセナを見上げて、にこやかに微笑んだ。
セナもまた鈴音を見つめて、営業用の笑顔を作った。
2人はとあるビルの前で立ち止まった。
このビルにある最上階のとある事務所が、セナの目的地だった。
ビルの前には、事務所スタッフの若い男性がセナを待っていた。
ビル周辺はセナに気付いて立ち止まる者や、繁華街からついて来た者もいて、騒然としている。
セナは待っていたスタッフに「車をお願いします」と頼んだ。
セナが乗るのではない。
鈴音をこの騒ぎから逃がすためのものだ。
スタッフはその辺りのことを、わかってくれている。
地下の駐車場で待機している事務所の車で、鈴音を家まで送り届けてくれるのだ。
そしてセナは事務所で、仕事の話をする。
セナはビルの正面玄関からエレベーターホールに向かった。
「セナくん、待ってた~」
最上階でセナを待っていたのは、ミラクル伊藤。
ここは彼が社長を努めるジャリプロの事務所だ。
セナは今、この事務所と契約してタレント活動をしている。
と言っても、あくまでセナの本業は大学生でありアメフト選手である。
だから本業に差しさわりのない範囲での活動ということで、理解してもらっていた。
高校生のときワールドユースに出てから、セナの周辺は大きく変わった。
決勝でアメリカに惜しくも破れたあの試合で、アメフト人気は一気に高まったのだ。
元々弱小だった泥門デビルバッツがクリスマスボウルを制覇したことさえ、劇的過ぎた。
テレビのスポーツニュースやアメフト雑誌などで取り上げられ、セナの知名度は上がった。
特にテレビなどで、セナはさらに人気が上がった。
インタビューなどで話すセナは、至極謙虚で普通の青年だった。
その上実際の年齢より幼く見える顔立ちは、かわいらしい。
フィールドでの走りの凄さとの落差が受けて、一気にブレイクしてしまったのだ。
「バラエティ番組の出演オファーが来てるんだけど。」
小さな会議室に通されたセナが椅子に座ると、ミラクル伊藤もその正面に座る。
そして今後の仕事の話になった。
「そういうのは遠慮します。」
「そういうと思った。でももったいないなぁ。」
「ホントにもう、これ以上目立ちたくないので。」
ミラクル伊藤は心底残念そうだ。
だがセナは曖昧に笑ったものの、同意することはなかった。
セナがしている芸能活動は、写真集とグッズの販売だった。
いずれも試合中に撮影された写真や動画を使う。
だから特別に仕事をするようなことはない。
こうしてたまに契約の確認で事務所に来るだけだ。
セナが好きでもない芸能活動などしているのは、アメフトのためだった。
セナが進学した炎馬大学は、あまり練習環境に恵まれていないのだ。
グラウンドは広くない上に、アメフト部専用ではない。
トレーニングジムなどの設備も充実していない。
とにかくライスボウルを目指すためには金が必要だった。
セナの不本意なアイドル稼業のギャラはすべて炎馬大学アメフト部の活動資金になった。
高校時代には金の心配などしたことはなかった。
泥門の悪魔こと初代主将の黒い手帳で、活動資金など豊富に集められたからだ。
大学になってセナは、自分がいかに恵まれた環境でアメフトをしていたかを思い知った。
「あれ?セナくん。来てたんだ。」
「こんにちは!桜庭さん。」
セナはちょうど事務所に現れた長身の青年に笑顔で頭を下げた。
アメフト選手兼アイドル、2足のわらじの先輩。
現在は王城大学でレシーバーを務める桜庭春人だ。
「桜庭さんも契約書類の確認ですか?」
「うん。面倒だけど、こればっかりは仕方ないよね。」
セナが笑顔で問いかけると、桜庭もにこやかにそう答える。
いつまでたってもかわいらしさが抜けないセナに比べて、桜庭の表情はすっかり男っぽい。
セナがジャリプロで仕事ができるのは、ひとえにこの桜庭のおかげだった。
元々アメフト部員で、スカウトでジャリプロに入ったものの、結局アメフトに戻る決心をした桜庭。
だが社長兼マネージャーのミラクル伊藤の手腕で、見事にこの2つの両立を果たしたのだ。
もちろんアイドルに力を入れていた頃より、ファンの数は少ない。
だが今の桜庭のファンは本当に熱烈でコアでマニアックだ。
そういう桜庭の成功があったから、第2の「アメフトアイドル」としてセナのデビューがかなったのだ。
「またちょっと筋肉ついたんじゃない?」
「そうなんです。僕は嬉しいんですけど、社長は嫌な顔してます。」
「セナくんはかわいい系だから、ムキムキになったら社長は困るだろうね。」
「かわいい系なんて全然嬉しくないですよ。桜庭さんが羨ましいです。」
元々セナには好感を持っていた桜庭だが、ここ最近は特に仲良くしている。
アメフト選手兼アイドルというきわめて稀な役割をこなす仲間であるからだ。
桜庭は素直で真っ直ぐなセナを、かわいい弟のような存在と思っていた。
「そういえば入口で鈴音ちゃんに会ったよ。」
桜庭が思い出したようにそう言うと、セナの表情が曇った。
その表情から、桜庭にもわかってしまう。
セナは本当は鈴音と人前でイチャイチャするのが嫌なのだ。
すっかり人気者のセナは、同じ大学でチアをしている瀧鈴音と恋人同士。
世間ではそう思われている。
セナ本人は聞かれれば「いい友達です」と曖昧に答えて、肯定も否定もしない。
そういう態度を取るのは、ミラクル伊藤のアドバイスによるものだ。
はっきりと誰かの恋人ということになると、どうしても人気に影響する。
だが全然恋の話がないというのもリアリティがない。
いるのかいないのかとファンがヤキモキするような感じがいいらしい。
だが桜庭も鈴音も知っている。
セナには「本命の恋人」がいて、その関係を隠すために鈴音と恋人っぽく見せているのだ。
それはセナの「本命の恋人」の指示だった。
その人物はセナが芸能活動をするに当たって、自分との関係を隠すことにした。
きっと世間にバレてセナがバッシングを受けることが嫌なのだろう。
だからセナだけでなく自分にまで「偽の恋人」を用意した。
セナの「本命の恋人」は本当はセナが芸能活動をすることが嫌なのだと、桜庭は思う。
桜庭もよく知っているその人物は、ときどき桜庭のかつての相棒と同じ目をしてセナを見るからだ。
かつての相棒-高校時代に組んでいたQBの先輩、高見伊知郎。
彼は一時期アメフトから遠ざかった桜庭を切ない目で見ていた。
あのときの高見と同じ目を、セナの「本命の恋人」はするのだ。
高見は桜庭を、やっと長身をいかせるレシーバーを「待ってた」と言った。
そしてセナの「本命の恋人」もきっと待っている。
セナが不本意な芸能活動など止めて、自分の恋人の戻る日を。
【続く】
隣にはいるのは高校時代からの友人であり、大学の同級生である鈴音だ。
セナと鈴音はお互いに腕をからませていた。
あちこちから「小早川瀬那だ」と声が聞こえ、露骨に指を差す者もいる。
中には無遠慮に携帯電話をこちらに向けている者もいた。
シャッター音が響き、フラッシュが光る。
鈴音がセナを見上げて、にこやかに微笑んだ。
セナもまた鈴音を見つめて、営業用の笑顔を作った。
2人はとあるビルの前で立ち止まった。
このビルにある最上階のとある事務所が、セナの目的地だった。
ビルの前には、事務所スタッフの若い男性がセナを待っていた。
ビル周辺はセナに気付いて立ち止まる者や、繁華街からついて来た者もいて、騒然としている。
セナは待っていたスタッフに「車をお願いします」と頼んだ。
セナが乗るのではない。
鈴音をこの騒ぎから逃がすためのものだ。
スタッフはその辺りのことを、わかってくれている。
地下の駐車場で待機している事務所の車で、鈴音を家まで送り届けてくれるのだ。
そしてセナは事務所で、仕事の話をする。
セナはビルの正面玄関からエレベーターホールに向かった。
「セナくん、待ってた~」
最上階でセナを待っていたのは、ミラクル伊藤。
ここは彼が社長を努めるジャリプロの事務所だ。
セナは今、この事務所と契約してタレント活動をしている。
と言っても、あくまでセナの本業は大学生でありアメフト選手である。
だから本業に差しさわりのない範囲での活動ということで、理解してもらっていた。
高校生のときワールドユースに出てから、セナの周辺は大きく変わった。
決勝でアメリカに惜しくも破れたあの試合で、アメフト人気は一気に高まったのだ。
元々弱小だった泥門デビルバッツがクリスマスボウルを制覇したことさえ、劇的過ぎた。
テレビのスポーツニュースやアメフト雑誌などで取り上げられ、セナの知名度は上がった。
特にテレビなどで、セナはさらに人気が上がった。
インタビューなどで話すセナは、至極謙虚で普通の青年だった。
その上実際の年齢より幼く見える顔立ちは、かわいらしい。
フィールドでの走りの凄さとの落差が受けて、一気にブレイクしてしまったのだ。
「バラエティ番組の出演オファーが来てるんだけど。」
小さな会議室に通されたセナが椅子に座ると、ミラクル伊藤もその正面に座る。
そして今後の仕事の話になった。
「そういうのは遠慮します。」
「そういうと思った。でももったいないなぁ。」
「ホントにもう、これ以上目立ちたくないので。」
ミラクル伊藤は心底残念そうだ。
だがセナは曖昧に笑ったものの、同意することはなかった。
セナがしている芸能活動は、写真集とグッズの販売だった。
いずれも試合中に撮影された写真や動画を使う。
だから特別に仕事をするようなことはない。
こうしてたまに契約の確認で事務所に来るだけだ。
セナが好きでもない芸能活動などしているのは、アメフトのためだった。
セナが進学した炎馬大学は、あまり練習環境に恵まれていないのだ。
グラウンドは広くない上に、アメフト部専用ではない。
トレーニングジムなどの設備も充実していない。
とにかくライスボウルを目指すためには金が必要だった。
セナの不本意なアイドル稼業のギャラはすべて炎馬大学アメフト部の活動資金になった。
高校時代には金の心配などしたことはなかった。
泥門の悪魔こと初代主将の黒い手帳で、活動資金など豊富に集められたからだ。
大学になってセナは、自分がいかに恵まれた環境でアメフトをしていたかを思い知った。
「あれ?セナくん。来てたんだ。」
「こんにちは!桜庭さん。」
セナはちょうど事務所に現れた長身の青年に笑顔で頭を下げた。
アメフト選手兼アイドル、2足のわらじの先輩。
現在は王城大学でレシーバーを務める桜庭春人だ。
「桜庭さんも契約書類の確認ですか?」
「うん。面倒だけど、こればっかりは仕方ないよね。」
セナが笑顔で問いかけると、桜庭もにこやかにそう答える。
いつまでたってもかわいらしさが抜けないセナに比べて、桜庭の表情はすっかり男っぽい。
セナがジャリプロで仕事ができるのは、ひとえにこの桜庭のおかげだった。
元々アメフト部員で、スカウトでジャリプロに入ったものの、結局アメフトに戻る決心をした桜庭。
だが社長兼マネージャーのミラクル伊藤の手腕で、見事にこの2つの両立を果たしたのだ。
もちろんアイドルに力を入れていた頃より、ファンの数は少ない。
だが今の桜庭のファンは本当に熱烈でコアでマニアックだ。
そういう桜庭の成功があったから、第2の「アメフトアイドル」としてセナのデビューがかなったのだ。
「またちょっと筋肉ついたんじゃない?」
「そうなんです。僕は嬉しいんですけど、社長は嫌な顔してます。」
「セナくんはかわいい系だから、ムキムキになったら社長は困るだろうね。」
「かわいい系なんて全然嬉しくないですよ。桜庭さんが羨ましいです。」
元々セナには好感を持っていた桜庭だが、ここ最近は特に仲良くしている。
アメフト選手兼アイドルというきわめて稀な役割をこなす仲間であるからだ。
桜庭は素直で真っ直ぐなセナを、かわいい弟のような存在と思っていた。
「そういえば入口で鈴音ちゃんに会ったよ。」
桜庭が思い出したようにそう言うと、セナの表情が曇った。
その表情から、桜庭にもわかってしまう。
セナは本当は鈴音と人前でイチャイチャするのが嫌なのだ。
すっかり人気者のセナは、同じ大学でチアをしている瀧鈴音と恋人同士。
世間ではそう思われている。
セナ本人は聞かれれば「いい友達です」と曖昧に答えて、肯定も否定もしない。
そういう態度を取るのは、ミラクル伊藤のアドバイスによるものだ。
はっきりと誰かの恋人ということになると、どうしても人気に影響する。
だが全然恋の話がないというのもリアリティがない。
いるのかいないのかとファンがヤキモキするような感じがいいらしい。
だが桜庭も鈴音も知っている。
セナには「本命の恋人」がいて、その関係を隠すために鈴音と恋人っぽく見せているのだ。
それはセナの「本命の恋人」の指示だった。
その人物はセナが芸能活動をするに当たって、自分との関係を隠すことにした。
きっと世間にバレてセナがバッシングを受けることが嫌なのだろう。
だからセナだけでなく自分にまで「偽の恋人」を用意した。
セナの「本命の恋人」は本当はセナが芸能活動をすることが嫌なのだと、桜庭は思う。
桜庭もよく知っているその人物は、ときどき桜庭のかつての相棒と同じ目をしてセナを見るからだ。
かつての相棒-高校時代に組んでいたQBの先輩、高見伊知郎。
彼は一時期アメフトから遠ざかった桜庭を切ない目で見ていた。
あのときの高見と同じ目を、セナの「本命の恋人」はするのだ。
高見は桜庭を、やっと長身をいかせるレシーバーを「待ってた」と言った。
そしてセナの「本命の恋人」もきっと待っている。
セナが不本意な芸能活動など止めて、自分の恋人の戻る日を。
【続く】
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