筧水5題
空港で迷っていたセナは、背後に喧騒を感じて振り返った。
1人の男が、小脇に大きなバックを抱えてこちらに走ってくる。
その男を追いかけてきたのは、複数の男たちだった。
制服の警官らしき男が3名と、私服姿の男が4、5名。
留学経験があるくせに英語が苦手なセナだったが、これは聞き取れた。
泥棒だ、ひったくりだ、捕まえろ、と彼らは口々に叫んでいる。
これは留学するにあたって、事前にヒル魔が教えてくれたフレーズの1つだ。
テメーはそういうトラブル多そうだからな、という苦笑と共に。
ひったくり犯らしい男が角を曲がっていくのを見て、セナは一瞬考えた。
行く先はおろか、空港内を脱出すら出来ない今の状況。
正直なところ、人助けをしている場合ではない
だけどバックを盗まれた人はとても困るだろう。
ひったくり犯はどうやらかなりの俊足のようで、追いかける男たちとはどんどん離れていく。
だけど自分なら追いつけるかもしれない。
セナは小声で「よし」と気合を入れると、空港の通路を走り出した。
セナは通路に溢れる人々をスラロームしながら、ひったくりの男を追っていく。
男は後ろを振り返って、セナを見るとギョッと驚いた表情になった。
足にはきっと自信があるのだろう。
まさか追跡者が自分との距離を詰めてくるとは思わなかったようだ。
男が必死の形相で、また逃走を開始する。
セナは冷静にその動きを見ながら、追跡を続けた。
ああ、気分がいい。
セナはひったくり犯を追いながら、そう思った。
日本からずっと飛行機に乗り続けて、なんとなく身体が強張っていた気がする。
だから身体を伸ばして、思い切り走れることがひどく楽しい。
知らず知らずのうちに、セナの顔には笑みが浮かんでいた。
ようやく男に追いつき、セナは男の腰元に飛び込んだ。
そして腕からカバンを奪い取り、そして呆然とした。
いつの間にか、周囲にはセナと男以外の人間が誰もいなくなっていたのだ。
まだ空港の敷地内から出ていないはずなのに、とセナは焦る。
実はここは従業員通路で、日中はほとんど人の出入りがない場所。
警官も援軍も誰もいない。
男は大柄な体格だし、格闘などしてもセナに勝ち目はない。
引ったくり犯は百戦錬磨のツワモノだった。
追跡してくるのが、足こそ早いが身体が小さな青年だと見て、ここへ呼び込んだのだ。
これはカバンを持って逃げようと思った瞬間。
ひったくり犯がポケットからサバイバルナイフを取り出し、セナの首筋に当てた。
一瞬のうちに、セナは絶体絶命のピンチに陥った。
やられる!
男がナイフを振り上げた瞬間、セナは目を閉じた。
だがいつまで立っても、ナイフの刃が落ちてくるようすがない。
恐る恐る目をあけたそこに立っていたのは。
ひったくり犯の頭部に銃口を押し当てたヒル魔妖一、その人だった。
「筧、聞いてよ!ヒル魔とセナが!」
『ああ、こっちのニュースでもやってる。』
興奮しきった水町の声に、答える筧の声も少し上ずっている。
恋人に会うために、それぞれ相手の元へと旅立ってしまったセナとヒル魔。
このままではすれ違ってしまう。
どちらでもいいから連絡してくれれば、会わせることが出来るかもしれない。
だから日本では水町が、アメリカでは筧が、ずっと心配しながら待っていたのだ。
だが2人から電話連絡はなかった。
その代わりにもたらされたのは、テレビのニュース。
日本の大学アメフト選手、小早川セナがアメリカの空港でひったくり犯を捕まえたという話題。
しかもセナが現地のリポーターだかキャスターだかにインタビューされているその横。
しっかりとヒル魔が映っており、ぴったりとセナに寄り添っていた。
炎馬大学の面々は腰を抜かさんばかりに驚き、水町はすぐに筧に電話をかけた。
筧はアメリカで同じようなニュースを見ており、水町同様に驚いているのが電話でもわかった。
何しろあの冷静な男が、声を上ずらせているのだから。
「なんだか心配してたこっちがバカみたい。」
『まったくだな。』
最初の驚きが過ぎると、もう笑いしか出ない。
ここまでヤキモキさせておいて、ちゃっかりと元の鞘に戻っている。
それでいて不思議なほど、怒る気にならない。
結局あのバカップルが幸せならば、まぁいいか。
水町と筧はそう言って、国際通話を終えた。
ヒル魔は空港近くのホテルにいた。
昨日泊まったような安ホテルではなく、もっと豪華な有名ホテルだ。
時間はまだ夜の浅い時間だが、もうすでにベットの中にいる。
そして横には可愛い恋人が、安らかな寝息を立てていた。
空港でヒル魔は日本行きの飛行機の搭乗手続きを終えた。
そして搭乗口へ向かって歩いているうちに、何か空港内が騒がしいことに気がついた。
元々空港は喧騒な場所なのだが、何かが違う。
道行く人の会話に耳を傾けて、聞いてみる。
すると引ったくりを東洋人の少年が追いかけているという。
少年はこの人ごみの中、ほとんどノンストップで猛スピード。
あれは走りのプロだと、人々が噂していた。
東洋人、少年、ノンストップで猛スピードの走りのプロ。
それはまさにヒル魔が会いに行こうとしている少年にピタリと当てはまる。
まさかと思い、同時にもしやと思う。
ヒル魔がセナに会いたいと願うように、セナもまたヒル魔に会いに来たとしたら。
ヒル魔はすばやく空港の見取り図を思い浮かべる。
セナと違い、ヒル魔はこの空港のどこに何があるのかわかるのだ。
もしセナだとしたら、アイシールド21から逃げられる引ったくり犯などいない。
犯人が逃げるルートは、用意に考え付くことが出来た。
そして駆けつけた場所で、ヒル魔はセナを見つけた。
いち早くその危機を察知し、救出することが出来たのだ。
セナはぐっすりと眠っている。
空港で引ったくり犯と追いかけっこをした上、先程までヒル魔に抱かれていた。
長く離れていた時間を取り戻すように、2人は身体を繋ぎ、揺すぶり合ったのだ。
ただでさえ、日本から長い時間の飛行機移動。
疲れているのも無理はない。
「新しい夢を実現させてくださいね。応援してます。」
ホテルの部屋に入って、ヒル魔がセナを抱き締めたとき、セナはそれだけ言った。
ヒル魔はただ「ああ」とだけ言った。
セナは本当にそれだけを言うために来たのだろうし、ヒル魔もそれで充分だった。
あとは唇と身体を重ねれば、いつもの甘い2人だった。
ヒル魔はふと思いつくと、今や商売道具であるカメラを取り出した。
そして眠っている最愛の恋人にレンズを向け、何枚もシャッターを切る。
応援してます、なんて可愛いことを言う。
その愛らしい寝顔を、保存したかった。
静かな部屋にシャッターの音が響いたが、セナが目を覚ますことはなかった。
後にカメラマンとして成功したヒル魔は、写真集を出す。
モデルはもちろん「アイシールド21」ことセナだ。
日本初のNFLプレーヤーとなったセナのメモリアルの一冊。
写真集のタイトルを迷っていたヒル魔に、水町が「俺につけさせて」と言い出した。
そしてつけられたのは「チアボーイ」だ。
セナはヒル魔を応援してくれる少年でしょ?
カッコ悪いし変だと却下したヒル魔も、セナも「いいんじゃないですか?」と言うので折れた。
結局タイトルがいいのか悪いのかはわからないが、この写真集は売れた。
だが写真はすべてフィールドの上のセナだった。
可愛い寝顔の写真は、ヒル魔の私的なコレクションだ。
【終】お付き合いいただき、ありがとうございました。
1人の男が、小脇に大きなバックを抱えてこちらに走ってくる。
その男を追いかけてきたのは、複数の男たちだった。
制服の警官らしき男が3名と、私服姿の男が4、5名。
留学経験があるくせに英語が苦手なセナだったが、これは聞き取れた。
泥棒だ、ひったくりだ、捕まえろ、と彼らは口々に叫んでいる。
これは留学するにあたって、事前にヒル魔が教えてくれたフレーズの1つだ。
テメーはそういうトラブル多そうだからな、という苦笑と共に。
ひったくり犯らしい男が角を曲がっていくのを見て、セナは一瞬考えた。
行く先はおろか、空港内を脱出すら出来ない今の状況。
正直なところ、人助けをしている場合ではない
だけどバックを盗まれた人はとても困るだろう。
ひったくり犯はどうやらかなりの俊足のようで、追いかける男たちとはどんどん離れていく。
だけど自分なら追いつけるかもしれない。
セナは小声で「よし」と気合を入れると、空港の通路を走り出した。
セナは通路に溢れる人々をスラロームしながら、ひったくりの男を追っていく。
男は後ろを振り返って、セナを見るとギョッと驚いた表情になった。
足にはきっと自信があるのだろう。
まさか追跡者が自分との距離を詰めてくるとは思わなかったようだ。
男が必死の形相で、また逃走を開始する。
セナは冷静にその動きを見ながら、追跡を続けた。
ああ、気分がいい。
セナはひったくり犯を追いながら、そう思った。
日本からずっと飛行機に乗り続けて、なんとなく身体が強張っていた気がする。
だから身体を伸ばして、思い切り走れることがひどく楽しい。
知らず知らずのうちに、セナの顔には笑みが浮かんでいた。
ようやく男に追いつき、セナは男の腰元に飛び込んだ。
そして腕からカバンを奪い取り、そして呆然とした。
いつの間にか、周囲にはセナと男以外の人間が誰もいなくなっていたのだ。
まだ空港の敷地内から出ていないはずなのに、とセナは焦る。
実はここは従業員通路で、日中はほとんど人の出入りがない場所。
警官も援軍も誰もいない。
男は大柄な体格だし、格闘などしてもセナに勝ち目はない。
引ったくり犯は百戦錬磨のツワモノだった。
追跡してくるのが、足こそ早いが身体が小さな青年だと見て、ここへ呼び込んだのだ。
これはカバンを持って逃げようと思った瞬間。
ひったくり犯がポケットからサバイバルナイフを取り出し、セナの首筋に当てた。
一瞬のうちに、セナは絶体絶命のピンチに陥った。
やられる!
男がナイフを振り上げた瞬間、セナは目を閉じた。
だがいつまで立っても、ナイフの刃が落ちてくるようすがない。
恐る恐る目をあけたそこに立っていたのは。
ひったくり犯の頭部に銃口を押し当てたヒル魔妖一、その人だった。
「筧、聞いてよ!ヒル魔とセナが!」
『ああ、こっちのニュースでもやってる。』
興奮しきった水町の声に、答える筧の声も少し上ずっている。
恋人に会うために、それぞれ相手の元へと旅立ってしまったセナとヒル魔。
このままではすれ違ってしまう。
どちらでもいいから連絡してくれれば、会わせることが出来るかもしれない。
だから日本では水町が、アメリカでは筧が、ずっと心配しながら待っていたのだ。
だが2人から電話連絡はなかった。
その代わりにもたらされたのは、テレビのニュース。
日本の大学アメフト選手、小早川セナがアメリカの空港でひったくり犯を捕まえたという話題。
しかもセナが現地のリポーターだかキャスターだかにインタビューされているその横。
しっかりとヒル魔が映っており、ぴったりとセナに寄り添っていた。
炎馬大学の面々は腰を抜かさんばかりに驚き、水町はすぐに筧に電話をかけた。
筧はアメリカで同じようなニュースを見ており、水町同様に驚いているのが電話でもわかった。
何しろあの冷静な男が、声を上ずらせているのだから。
「なんだか心配してたこっちがバカみたい。」
『まったくだな。』
最初の驚きが過ぎると、もう笑いしか出ない。
ここまでヤキモキさせておいて、ちゃっかりと元の鞘に戻っている。
それでいて不思議なほど、怒る気にならない。
結局あのバカップルが幸せならば、まぁいいか。
水町と筧はそう言って、国際通話を終えた。
ヒル魔は空港近くのホテルにいた。
昨日泊まったような安ホテルではなく、もっと豪華な有名ホテルだ。
時間はまだ夜の浅い時間だが、もうすでにベットの中にいる。
そして横には可愛い恋人が、安らかな寝息を立てていた。
空港でヒル魔は日本行きの飛行機の搭乗手続きを終えた。
そして搭乗口へ向かって歩いているうちに、何か空港内が騒がしいことに気がついた。
元々空港は喧騒な場所なのだが、何かが違う。
道行く人の会話に耳を傾けて、聞いてみる。
すると引ったくりを東洋人の少年が追いかけているという。
少年はこの人ごみの中、ほとんどノンストップで猛スピード。
あれは走りのプロだと、人々が噂していた。
東洋人、少年、ノンストップで猛スピードの走りのプロ。
それはまさにヒル魔が会いに行こうとしている少年にピタリと当てはまる。
まさかと思い、同時にもしやと思う。
ヒル魔がセナに会いたいと願うように、セナもまたヒル魔に会いに来たとしたら。
ヒル魔はすばやく空港の見取り図を思い浮かべる。
セナと違い、ヒル魔はこの空港のどこに何があるのかわかるのだ。
もしセナだとしたら、アイシールド21から逃げられる引ったくり犯などいない。
犯人が逃げるルートは、用意に考え付くことが出来た。
そして駆けつけた場所で、ヒル魔はセナを見つけた。
いち早くその危機を察知し、救出することが出来たのだ。
セナはぐっすりと眠っている。
空港で引ったくり犯と追いかけっこをした上、先程までヒル魔に抱かれていた。
長く離れていた時間を取り戻すように、2人は身体を繋ぎ、揺すぶり合ったのだ。
ただでさえ、日本から長い時間の飛行機移動。
疲れているのも無理はない。
「新しい夢を実現させてくださいね。応援してます。」
ホテルの部屋に入って、ヒル魔がセナを抱き締めたとき、セナはそれだけ言った。
ヒル魔はただ「ああ」とだけ言った。
セナは本当にそれだけを言うために来たのだろうし、ヒル魔もそれで充分だった。
あとは唇と身体を重ねれば、いつもの甘い2人だった。
ヒル魔はふと思いつくと、今や商売道具であるカメラを取り出した。
そして眠っている最愛の恋人にレンズを向け、何枚もシャッターを切る。
応援してます、なんて可愛いことを言う。
その愛らしい寝顔を、保存したかった。
静かな部屋にシャッターの音が響いたが、セナが目を覚ますことはなかった。
後にカメラマンとして成功したヒル魔は、写真集を出す。
モデルはもちろん「アイシールド21」ことセナだ。
日本初のNFLプレーヤーとなったセナのメモリアルの一冊。
写真集のタイトルを迷っていたヒル魔に、水町が「俺につけさせて」と言い出した。
そしてつけられたのは「チアボーイ」だ。
セナはヒル魔を応援してくれる少年でしょ?
カッコ悪いし変だと却下したヒル魔も、セナも「いいんじゃないですか?」と言うので折れた。
結局タイトルがいいのか悪いのかはわからないが、この写真集は売れた。
だが写真はすべてフィールドの上のセナだった。
可愛い寝顔の写真は、ヒル魔の私的なコレクションだ。
【終】お付き合いいただき、ありがとうございました。
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