筧水5題
「高い所が好きなのか?」
問われて、ヒル魔はフンと鼻で笑う。
別に好きなわけではない。
スタンドの最上段は、試合の流れがよく見える。
ただそれだけのことだった。
ヒル魔に話しかけた男は筧駿。
卒業後は再び渡米し、アメリカでアメフトを続けている。
ヒル魔は今日、筧の試合を見に来た。
別に筧のプレーが見たかったわけではない。
正確に言うと、試合を撮影するためにカメラを担いでやって来たのだ。
試合を終えたばかりの筧は、まだユニフォーム姿だ。
ヘルメットを外して、とりあえず汗を拭くタオルだけつかんで、スタンドを駆け上がって来た。
つまりヒル魔と直接話をしたかったということだろう。
それでいて、高い所がどうしたと関係ないことを言い出す。
話さなくてはならない、だが気が進まない話があるのだろう。
洞察力に長けたヒル魔は、筧の様子からすぐにそれだけのことを読み取った。
ヒル魔がアメフトを辞めたのは、一言で言えば自分の能力の限界を悟ったからだった。
元々身体能力も体格もアメフトの才能も、さほど恵まれたわけではない。
努力と知略で騙し騙しやってきたのだ。
最終的にはNFLだと言いながら、手が届く世界ではないということもわかっている。
高校のワールドユースのときに、それははっきりと思い知らされた。
あのときMVPに選ばれることだけが、ヒル魔が頂点に手を伸ばせるチャンスだったのだ。
高校2年の春大会のことを思い出す。
セナにタッチダウンを決めさせるため、セナを走らせるために挑んだ、王城とのあの試合。
だが結果は圧倒的な負けだった。
そういうことなのだ。
いくらやっても勝てないものは、絶対に勝てない。
卑屈になっているつもりもない。
少しでも可能性があるなら、努力も惜しまない。
だが時間は永遠にあるわけではない。
高校なら3年間と割り切って、愚直に手を伸ばし続けるのもありだ。
そこから先は、どこかで決めなければならない。
頂点に届けばいいが、届かない場合はどうすればいいのか。
ヒル魔はかなり考えた。
もちろんただ闇雲に考えるわけではなく、パソコンを駆使してシュミレーションもした。
日本やアメリカの有力選手のパーソナルデータや、チームデータをかき集めた。
そうやってプレーヤーとして、頂点に昇るあらゆる手段を模索した。
だがどうしてもNFLでプレーする自分の姿は見えない。
ならばまだ若いうちに、次の選択肢を考えるべきだろう。
ヒル魔は大学卒業、またはライスボウル制覇を期限と決めた。
そして大学3年の冬、ライスボウル制覇を果たしたヒル魔はアメフトと大学を辞めた。
プレーヤーでなくても、アメフトに関わっていたい。
そう思ったヒル魔が選んだ道は、カメラマンだった。
そもそもスポーツカメラマンは、むずかしい。
常に被写体は動いているからだ。
しかもアメフトはフォーメーションも多いから、特に次の動きが読みにくい。
現にアメフトの国であるこのアメリカでも、決定的瞬間を撮りそこなうミスはしばしばあるのだ。
相手の動きを読むのは、ヒル魔の得意分野だ。
これならアメフトに関わりながら、頂点を目指せる。
恋人であるセナにはついに「待っていろ」としか言えなかった。
セナには可能性がある。
セナならばプレーヤーとして、NFLも頂点も狙える。
同じ道を断念したことを言えなかったのは思いやり、そしてプライド。
とにかく新しい道である程度の手ごたえを掴むまで、セナには何も言わないつもりだった。
「犯人は、水町か」
ヒル魔は携帯電話を取り出すと、画面に先日届いたメールに添付されていた写真を表示させる。
そしてその携帯電話の画面を筧の目の前に突き出した。
筧は写真を見て、ヒル魔にはもう自分の意図がバレているのだとわかった。
先日セナの携帯電話から送られてきたメール。
タイトルも文面もなくただセナと鈴音のプールサイドでのツーショット写真が添付されていた。
さすがにセナ自身が送付したものだとは思わなかった。
まるでヒル魔の気持ちを試すような写真。
ヒル魔の行動に不安を感じているのだろうが、セナはこんなことはしない。
百歩譲ってセナがこういう写真を送るなら、絶対にメールの文面に送った理由を入れるだろう。
それにこの写真には、セナと鈴音の両手が映っている。
つまり撮影者が別にいるということだ。
おそらくはその撮影者が、こっそりとセナの携帯電話から送ったのだろう。
そして送信したメールはすぐに削除した。
だからセナ本人は、ヒル魔にこんなメールが届いたことすら知らないのだろう。
こんなことをやりそうなのは、モン太、陸、水町あたりだろうと推測していた。
きっとヒル魔の反応を見ようとするから、それで犯人が知れる。
そう思っていたヒル魔の前にノコノコと現れてしまったのが、筧だった。
「セナくんは、おまえをずっと待っているらしい。」
もう駆け引きも気遣いも無用と思ったのだろう。
筧は今までの歯切れの悪さから一転して、ズバリと切り込んだ。
水町も筧も、ヒル魔とセナを心配してくれているのだろう。
「迷惑かけて悪かった。水町にはよく言っておく。」
筧はそう言って、そのままスタンドを降りて戻っておく。
ヒル魔は黙って、その後ろ姿を見送っていた。
あの写真を見たときには、ヒル魔も動揺したのだ。
水着姿のセナ。その裸の肩に腕を回す鈴音。
いくらセナを信じていても、親しげな2人の笑顔を見ればやはり不安になる。
写真1枚でもこのザマだ。
離れていても、何も言わなくても、心はいつもつながっていると思った。
でも実際に渡米して、遠距離恋愛のつらさがわかった。
逢えないことがこんなにも不安で、寂しいことであるとは。
「高い所が好き、か」
ヒル魔はそう言って、自嘲気味に笑った。
確かに高い所はいい。
他の客は皆もうスタジアムを出てしまい、たった一人のスタンド。
不安な表情をしても、誰に見咎められることもないだろうから。
【続く】
問われて、ヒル魔はフンと鼻で笑う。
別に好きなわけではない。
スタンドの最上段は、試合の流れがよく見える。
ただそれだけのことだった。
ヒル魔に話しかけた男は筧駿。
卒業後は再び渡米し、アメリカでアメフトを続けている。
ヒル魔は今日、筧の試合を見に来た。
別に筧のプレーが見たかったわけではない。
正確に言うと、試合を撮影するためにカメラを担いでやって来たのだ。
試合を終えたばかりの筧は、まだユニフォーム姿だ。
ヘルメットを外して、とりあえず汗を拭くタオルだけつかんで、スタンドを駆け上がって来た。
つまりヒル魔と直接話をしたかったということだろう。
それでいて、高い所がどうしたと関係ないことを言い出す。
話さなくてはならない、だが気が進まない話があるのだろう。
洞察力に長けたヒル魔は、筧の様子からすぐにそれだけのことを読み取った。
ヒル魔がアメフトを辞めたのは、一言で言えば自分の能力の限界を悟ったからだった。
元々身体能力も体格もアメフトの才能も、さほど恵まれたわけではない。
努力と知略で騙し騙しやってきたのだ。
最終的にはNFLだと言いながら、手が届く世界ではないということもわかっている。
高校のワールドユースのときに、それははっきりと思い知らされた。
あのときMVPに選ばれることだけが、ヒル魔が頂点に手を伸ばせるチャンスだったのだ。
高校2年の春大会のことを思い出す。
セナにタッチダウンを決めさせるため、セナを走らせるために挑んだ、王城とのあの試合。
だが結果は圧倒的な負けだった。
そういうことなのだ。
いくらやっても勝てないものは、絶対に勝てない。
卑屈になっているつもりもない。
少しでも可能性があるなら、努力も惜しまない。
だが時間は永遠にあるわけではない。
高校なら3年間と割り切って、愚直に手を伸ばし続けるのもありだ。
そこから先は、どこかで決めなければならない。
頂点に届けばいいが、届かない場合はどうすればいいのか。
ヒル魔はかなり考えた。
もちろんただ闇雲に考えるわけではなく、パソコンを駆使してシュミレーションもした。
日本やアメリカの有力選手のパーソナルデータや、チームデータをかき集めた。
そうやってプレーヤーとして、頂点に昇るあらゆる手段を模索した。
だがどうしてもNFLでプレーする自分の姿は見えない。
ならばまだ若いうちに、次の選択肢を考えるべきだろう。
ヒル魔は大学卒業、またはライスボウル制覇を期限と決めた。
そして大学3年の冬、ライスボウル制覇を果たしたヒル魔はアメフトと大学を辞めた。
プレーヤーでなくても、アメフトに関わっていたい。
そう思ったヒル魔が選んだ道は、カメラマンだった。
そもそもスポーツカメラマンは、むずかしい。
常に被写体は動いているからだ。
しかもアメフトはフォーメーションも多いから、特に次の動きが読みにくい。
現にアメフトの国であるこのアメリカでも、決定的瞬間を撮りそこなうミスはしばしばあるのだ。
相手の動きを読むのは、ヒル魔の得意分野だ。
これならアメフトに関わりながら、頂点を目指せる。
恋人であるセナにはついに「待っていろ」としか言えなかった。
セナには可能性がある。
セナならばプレーヤーとして、NFLも頂点も狙える。
同じ道を断念したことを言えなかったのは思いやり、そしてプライド。
とにかく新しい道である程度の手ごたえを掴むまで、セナには何も言わないつもりだった。
「犯人は、水町か」
ヒル魔は携帯電話を取り出すと、画面に先日届いたメールに添付されていた写真を表示させる。
そしてその携帯電話の画面を筧の目の前に突き出した。
筧は写真を見て、ヒル魔にはもう自分の意図がバレているのだとわかった。
先日セナの携帯電話から送られてきたメール。
タイトルも文面もなくただセナと鈴音のプールサイドでのツーショット写真が添付されていた。
さすがにセナ自身が送付したものだとは思わなかった。
まるでヒル魔の気持ちを試すような写真。
ヒル魔の行動に不安を感じているのだろうが、セナはこんなことはしない。
百歩譲ってセナがこういう写真を送るなら、絶対にメールの文面に送った理由を入れるだろう。
それにこの写真には、セナと鈴音の両手が映っている。
つまり撮影者が別にいるということだ。
おそらくはその撮影者が、こっそりとセナの携帯電話から送ったのだろう。
そして送信したメールはすぐに削除した。
だからセナ本人は、ヒル魔にこんなメールが届いたことすら知らないのだろう。
こんなことをやりそうなのは、モン太、陸、水町あたりだろうと推測していた。
きっとヒル魔の反応を見ようとするから、それで犯人が知れる。
そう思っていたヒル魔の前にノコノコと現れてしまったのが、筧だった。
「セナくんは、おまえをずっと待っているらしい。」
もう駆け引きも気遣いも無用と思ったのだろう。
筧は今までの歯切れの悪さから一転して、ズバリと切り込んだ。
水町も筧も、ヒル魔とセナを心配してくれているのだろう。
「迷惑かけて悪かった。水町にはよく言っておく。」
筧はそう言って、そのままスタンドを降りて戻っておく。
ヒル魔は黙って、その後ろ姿を見送っていた。
あの写真を見たときには、ヒル魔も動揺したのだ。
水着姿のセナ。その裸の肩に腕を回す鈴音。
いくらセナを信じていても、親しげな2人の笑顔を見ればやはり不安になる。
写真1枚でもこのザマだ。
離れていても、何も言わなくても、心はいつもつながっていると思った。
でも実際に渡米して、遠距離恋愛のつらさがわかった。
逢えないことがこんなにも不安で、寂しいことであるとは。
「高い所が好き、か」
ヒル魔はそう言って、自嘲気味に笑った。
確かに高い所はいい。
他の客は皆もうスタジアムを出てしまい、たった一人のスタンド。
不安な表情をしても、誰に見咎められることもないだろうから。
【続く】