筧水5題

「わぁ!」
セナは叫び声を上げて、跳ね起きた。
隣のベットに寝ていた水町も身体を起こして、心配そうな表情でセナを見ていた。

ここは炎馬大学の学生寮。
セナは大学入学とともに入寮した。
大学は自宅からだって、決して通えない距離ではない。
だが大学に近い寮の方が、学校からも練習グラウンドからもはるかに近い。
つまり通学時間が少なくてすむのだ。
ライスボウルを目指し、少しでも練習時間が欲しいセナは迷わず寮生活を選択した。

同じ理由で学生寮を選択する運動部員は多い。
部活などしていない生徒は、楽な自宅通学や気軽な1人暮らしを選ぶ。
だが寮は1人暮らしよりも安い寮費、そして食事もついている。
多くの時間を練習時間に使いたい学生にとっては、ありがたい制度だ。

2人1部屋の寮で、セナのルームメイトは水町だ。
ちなみにモン太は陸と同室だし、栗田と雲水も同じ部屋だ。
基本的には同じ部の生徒は、同じ部屋になるのが通例のようだ。
特に希望したわけではないがそんな部屋割りになっており、特に誰も不満を感じていない。


「セナ、大丈夫か?」
水町が立ち上がって、タオルをセナに渡してくれながら、言う。
セナはまだバクバクと不穏な鼓動がする胸を押さえながら、呼吸を整える。
そして小さく「ありがと」と答えると、タオルを受け取って寝汗を拭いた。

「ごめんね、起こしちゃった?」
「いいよ。どうせ起きなきゃいけない時間だった。」
セナが謝ると、水町が笑顔で応じる。
ここ最近、時々こういうことがあるのに、水町は嫌な顔1つしない。
いくら感謝しても足りないとセナは思う。

セナは最近、眠っているときに悪い夢を見るようになった。
細かいシチュエーションは異なっているが、毎回ヒル魔が登場する。
おそらく原型となっているのは、高校1年の関東大会の決勝。
白秋ダイナソーズとの試合だ。
右腕を骨折して担架で運ばれていくヒル魔を、セナは切ない思いで見送った。

あの時と同じように運ばれるヒル魔を見送る夢を見るときもある。
蹲って苦しむヒル魔に手を伸ばしても届かないという夢もある。
悲しそうにセナに別れを告げて、いなくなってしまうこともある。
今回は誰だかわからない女性と腕を組んで、立ち去って行ってしまった。
とにかく共通しているのは、ヒル魔がセナを置き去りにしていなくなってしまう夢だ。
そのたびにセナはうなされて、冷たい汗をかいて目を覚ます。
どうやら大きな声を出しているようで、水町はいつもさりげなくタオルを渡してくれる。
何もないように振舞ってくれるので、他の部員や学生たちはこのことを知らない。
セナが頼んだわけではないが、あまり知られたくない気持ちを察して秘密を守ってくれている。


「プールにいこう!」
水町はそう言って、豪快に笑った。
元は水泳選手だった水町は泳ぐことが大好きで、今もスイミングスクールでアルバイトをしている。
その関係で炎馬大学のアメフト部員は、そのスイミングスクールを無料で利用させてくれるのだ。
シーズンオフは温水になっているプールは、体力作りや気分転換に大いに役に立っていた。

「そうだね。行ってもいいかな?」
ようやくベットから起き上がったセナが、控えめに聞いてきた。
「もちろん来ていいに決まってるじゃん!」
水町はそう答えた後「水くさいって!」と付け加えた。

モン太や陸などは、もう勝手知ったる水町のバイト先ですっかり楽しんでいる。
だがセナは未だに水町のバイト先に「お邪魔する」という感覚でいるようだ。
水町はそんなセナの謙虚な性格は好きだと思う。
そしてそのセナに悪夢を見せている男-ヒル魔に腹を立てていた。
だがそれをセナに言うつもりはない。
言えばセナは自分のせいなのだとヒル魔をかばうだろうから。

「他のヤツラも誘ってみる。今日の授業は午後からだし、みんな行けるよな!」
水町は明るくそう言うと、元気よく部屋を飛び出した。
おそらくまだ眠っているであろうモン太や陸は、これで起こされることだろう。
セナは申し訳ない気持ちで、部屋を出て行く水町を見送っていた。


「ンハッ!」
水町がおなじみの掛け声を1つ唱えると、誰よりも早く服を脱ぎ捨ててプールに飛び込んだ。
結局やって来たのは、セナと水町、モン太と陸、そして鈴音だ。
「更衣室に持っていくよ!」
「サンキュー!セナ」
セナが水町の衣類を拾い上げて声をかけると、水町が水面に顔を出して手を振った。
そして陸やモン太とともに、更衣室に向かうセナの後ろ姿を見て、ため息をつく。

ヒル魔が突然大学を中退して渡米してしまったのは半年前のこと。
同時にアメフトもやめてしまったそうで、今はアメリカで仕事をしているらしい。
驚くべきことはヒル魔がギリギリまで、恋人であるセナに何も言わなかったことだ。
アメフト部を退部し、退学届を出し、アメリカでの住居を決めて。
ヒル魔がそれをセナに言ったのは、渡米する数日前だった。
それでもヒル魔はセナと別れるつもりはないらしく「待っていて欲しい」とだけ言ったらしい。
セナは何も心の準備もできないまま、いわゆる遠距離恋愛という試練に突入したのだ。

セナが夢にうなされるようになったのは、ヒル魔が渡米してまもなくのことだった。
ヒル魔が何を思って、セナから離れたのか。
それがわからず不安な気持ちが、セナに悪夢を見させているのだろう。
同室の水町は、冷や汗と涙でぐちゃぐちゃになりながら苦しむセナがかわいそうだと思う。
当初セナは怖い夢を見たとだけ言ったが、水町はセナが夢の中でヒル魔の名を叫ぶのを聞いた。
水町が正直にそのことを言ったときのセナの顔は、本当に悲しそうで切ない。


モン太と陸はどちらからともなく「競争だ!」と言い出して、並んで泳いでいる。
水町とセナと鈴音はプールサイドで、そんな2人を見ながら休憩していた。
セナは鈴音と水町の話に相槌を打ちながら、携帯電話を見ている。
ヒル魔からの着信を確認しているのだろうか?
そう思った水町はたまらなくなって、セナの携帯電話をヒョイと取り上げた。

「セナと鈴音のツーショット撮ってあげる!」
「ホントに!やった!撮ってもらおうよ、セナ!」
セナに何も言う間も与えず、鈴音がセナの肩に腕を回して抱き寄せる。
「ええ?ちょっと!」
携帯電話を取り上げられて驚き抗議の声を上げたセナだったが、すぐに諦めたように苦笑する。
そしてシャッター音とともに、セナと鈴音の笑顔が画面に納められた。

セナと鈴音が飲み物を取ってくると言って、出て行った。
モン太と陸は相変わらず競争中だ。
1人プールサイドに残された水町は、テーブルに残されたセナの携帯電話を見ていた。

他の誰も知らない、水町だけが知るセナの苦悩。
セナは悩んで、苦しみながら、じっとヒル魔を待っている。
ヒル魔にも事情があるのかもしれないが、このままではセナがかわいそう過ぎる。
些細な「イタズラ」を仕掛けてやることに、何の問題がある?

ヒル魔がモタモタしてる間に、セナは鈴音のものになっちゃうぞ。
水町は心の中でそうひとりごちながら、水町はセナの携帯電話を手に取る。
そしてすばやくメールを作成して、先程のセナと鈴音のツーショット写真を添付し、送信した。

【続く】
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