夏鈴5題

テメーのその匂い、何だ?
ヒル魔が顔を顰めたのを見て、セナは表情を曇らせた。

2度目のクリスマスボウルを目指して、余念のない練習の日々。
今日はその合間を縫って、「月刊アメフト」の取材がある。
泥門デビルバッツの新旧キャプテンの対談という企画らしい。
初代主将ヒル魔と2代目主将セナは、編集部で待ち合わせていた。

練習を終えたセナは大急ぎで着替えていた。
練習に没頭していたセナは、すっかり時間を忘れており、もう時間ギリギリだった。
シャワーを浴びたいけど、その時間もない。

ねぇ、汗くさくないかな?
セナはタオルで身体を拭きながら、隣で着替えていたモン太に聞いた。
練習漬けの日々、久しぶりにヒル魔に会うのだ。
不愉快な思いなどさせたくない。

じゃあ、これ。
モン太が答えるより先に、反対側からシュっと音がした。
瀧夏彦が何か甘い香りがする液体を、セナに吹き付けたのだ。
何これ?とセナが顔を顰めながら聞く。
でも聞かなくても答えはわかっている。オーデコロンだ。

汗と混じり合って、かえって酷いことになっているのではないかと思う。
だが夏彦は純然たる親切でしたことなのだし、セナには抗議するほどの度胸もない。
なによりもう時間がない。
かくしてセナはコロンの匂いを振り撒きながら、待ち合わせ場所に到着した。


やだ、セナ!その匂い、何よ?
鈴音が顔を顰めたのを見て、セナは「やっぱり?」と首をがっくりと項垂れた。

「月刊アメフト」の取材翌日。
放課後、例によって泥門高校に現れた鈴音は、用意していた質問を変えた。
本当はまず「取材、どうだった?」と聞くつもりだったのだ。
だが現れたセナは、いつもとは違う香りを漂わせていた。

昨日、鈴音は全員が着替え終わった後の部室で「バカ兄貴」を蹴り飛ばしていた。
鈴音が愛用しているバラの香りのオーデコロン。
それが部室内で濃く香っていたからだ。
その後モン太ら他の部員の証言で、夏彦が鈴音のコロンをセナに振りかけたことを聞いた。

鈴音は怒りながらも、ひそかに兄に感謝し、事の成り行きを面白く思っていた。
これからセナはヒル魔に会うのだ。
ヒル魔は当然、セナから香る鈴音のコロンに気がつくはずだ。
さてヒル魔は、どんなリアクションをするのだろうと。

答えは今、セナから香るこのミントの香り。
名前は知らないが、これはヒル魔が愛用している香りだ。
セナは鈴音のバラの香りを洗い落とされて、ヒル魔のミントの香りを付けている。
多分、セナはヒル魔の家に泊まったのだろう。
そしてセナに自分の香りを付けさせた。
それを鈴音に伝えるために、ミントの香りを消す猶予をセナに与えなかったのだ。


バカじゃないの?
鈴音は兄に対して思う。
昨日、夏彦がセナに鈴音のコロンを付けたのは、多分鈴音のためだ。
鈴音のセナへの恋心を知る夏彦は、ちょっとしたいたずらを仕掛けたのだ。
ヒル魔とセナの間に少しでも波風を立てられればと。

バカじゃないの!
鈴音はヒル魔に対して思う。
セナが鈴音の香りをさせている理由など、セナ本人が話したはずだ。
そこに嘘がないことなど、ヒル魔ならわかるだろう。
それでも自分以外の人間の香りをセナが纏っていることが我慢できなかったのだ。
そんなことをしなくても、セナはすっかりヒル魔のものだというのに。
まったく子供っぽいにも程がある。

ヒル魔はセナから鈴音の香りを嗅ぎ取ったとき、嫉妬したのだろうか。
そう思うと、鈴音は少しだけ愉快になる。
結局、まだセナのことを諦められていないのだ。
そんな自分が、一番バカじゃないの。

鈴音は手ごわい恋敵が顔を顰めている姿を想像して、笑った。

【終】
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